45話 噂の出処 ~日常の陰に潜むもの~
講義室の中央に配置した長机に、調査地図と記録が広げられている。
赤く印をつけた家の数が増えるたびに、胃のあたりが重くなっていく。
前に立つトランが、書類をめくりながら調査結果を報告する。
「調べた限り、感染者はほぼ全員、あの家にあったトマトを食べています。ただし正確には買ったわけでも、貰ったわけでもありませんでした」
「……それって盗まれたってことですか?」
わたしの問いに、トランは得意げに顎を上げた。
「ええ。住人が死んだ後、物乞いたちが勝手に忍び込んで、袋にあったトマトを持ち去ったんです。それを食べた者たちが、ことごとく病気になっていました。おそらく、変色する前で、見分けがつかなかったためとかと」
……死後、盗まれた。
所長は静かに頷き、机を指先で二度軽く叩く。
「ほう……つまり、感染経路は盗品というわけか」
「はい。盗んだものはパンなど食料品が多く……トマトが大量に」
東地区。わたしが思った以上に歪んでいる。
通報が遅かったのは、きっと食料を確保する絶好のチャンスだったからだ。
「流行り病よりは幾分マシか……」
所長は腕を組んだまま、淡々と返す。
「物乞いたちは、その家に何度も出入りしていたのか?」
「いいえ、死んだあと一度きりです。腐る前に持ち出そうって腹でした」
「そうか。では、近隣の住民は?」
トランが一度、報告書に視線を落とし確認する。
「住民の話から、強面の男が複数出入りしているのを見ていたようで、忍び込もうとは思わなかったようです」
「そうか」
所長は短く応じ、それ以上は問わなかった。
しかし、わたしにはわかる。
あの声色の奥に、別の考えがあることを……あの部屋で見た赤黒い毒、そして……わたしを攫った男たちの影。
わたしは思わず所長と視線を交わす。
所長の目は一瞬だけ細まり、すぐに元の無表情に戻った。
「他に妙な動きはなかったか?」
トランは少し言い淀んでから、報告書をめくる。
「……関係があるかはわかりませんが、物乞いの一部が、冬の到来前辺り、ある商人風の男に雇われた後、知人の姿を見ないと言っていたのが気になりました」
所長の声がわずかに低くなる。
「名前は?」
トランは「そこまでは」と、頭を横に振った。
「ただ、東地区の別の場所になりますが、同じく商人風の男が身寄りのない者を安く買い集めていたという証言があります……一部ではどこかに売られたのではという噂もありました」
わたしは思わず息を呑む。
……売られた?
所長は無表情のまま、地図に目を落とす。
「……噂の出処は?」
「正確には不明ですが、東地区の住民の間で囁かれています。商人が関与しているという話もありますが、性別も年齢も特徴も不明。確かな証拠はありません」
所長が冷ややかな視線をわたしに向ける。
……ここでわたしなのっ! 本気で言ってます?
「……所長、領主様や貴族様は平民の間に起こる事件などに関心を示しますか?」
「領主は度合いによるが、一般的な貴族は全く関心はない」
……なるほどね。奴隷売買も目に留まらなければ、行われてる可能性があるわけだ。
「所長、何かの事件の前後。貴族側は関心を持ちませんが、その周辺で起こっている住民の噂は一概に無視はできません。案外、長年地元をよく知る者は、些細な異変を感知します」
所長は何も言わず、視線だけで続きを促す。
わたしは机に身を乗り出し、東地区周辺を指さした。
「例えば、この辺りで商いをしている者。東門に続く大通りの商会……あとは…………」
精霊たちが地図の上でちょこちょこ動いて遊んでいると思いきや、東地区の南門に近い場所をぐるぐる回っている。
……たしか、ここは東門と南門周辺の宿が多い場所だったような。
「この辺りですかね。地元はもちろん、外からの情報が集まりやすい宿や、酒場があります。話だけでも聞いてみる価値はあると考えます」
トランが眼鏡をくいっと上げて、感心するように言った。
「たしかに、住民の噂は馬鹿にできない時がありますからねぇ」
トランがうん、うんと頷く。
「一理あるな」
所長が地図を丸め、冷静な口調で告げる。
「本件の続きは、私が精査する。毒物の件は貴族の領分だ。こちらは騎士団に引き継ぐ。トラン、数名で姿が見えなくなった物乞いの足取りを追え。聞き込みは東門へ続く大通り周辺、そして南門周辺まで広げよ。同時に警備隊へ通達。各門での検分の精度を高めよ。指示があるまで緩めるな」
「はっ」
「トラン、引き際を見誤るな」
トランはしっかり頷き「では」と頭を下げ、書類を抱えて部屋を出ていった。
所長は軽くため息をつき、視線を窓の外へ向けた。
「厄介な……」
その呟きは、机の地図よりもはるかに重く響いた。
名前も素性もわからない商人風の男。
その存在が、一連の事件とどこか深い場所で絡んでいる気がしてならなかった。
◇ ◆ ◇
翌日、二の鐘が鳴り講義室へ向かう。
元々、講義の日だったので予定通りだ。
エステラはお父さんと訓練を満喫中。
組合制度導入以降、お母さんとノックスも大忙しで自宅と仕事場を行き来していた。
正直、わたしが留守番じゃなくてよかったかもしれない。
……わたしがいたら、目を離せなくなっちゃうからねぇ。
昨日の報告会の内容から、毒トマトの件は騎士団に引き継いだようだけれど、例の噂の調査に進展はあったのだろうか。
しばらく講義室で待っていると、時間通りに所長が入室した。
席に着くのを合図に、トランによる報告が始まった。
「街に出入りしている商人の記録を洗ったんですが……どうにも不可解なものがありまして」
トランが机の上に書類を置いた。
眼鏡の奥の目がきらりと光って、なんだかちょっと怖い。
……うぅ、真剣モードのトランさんって迫力あるね。
「不可解?」
所長が低い声で問い返す。
「はい。リュード商会と名乗る商人です。記録上は存在していますが……実際に取引したという商人が一人も見つかりませんでした」
……えっ、なにそれ……帳簿にはあるのに、誰も知らないって……幽霊商人! 幽霊なら是非会ってみたいっ!
「……それは、記録だけが残っているということでしょうか?」
わたしは若干興奮気味に口を開いた。
思わず声が上ずりそうになる。
「取引記録は整っている。だが、それを裏付ける証言が一切ない」
書類を手に取った所長の声は、落ち着いていた。
「……あの、前におっしゃっていたことと同じではないでしょうか。証拠と証言が合わないときは、必ずどこかに歪みがあると」
わたしは慌てて講義の言葉を思い出して繋げる。
……あ、やば。
紫色の瞳がこちらに向く。
「……ふむ。よく覚えていたな」
小さく頷かれて、ほっと息を吐いた。
……ふう、緊張した。興奮しすぎて調子に乗ったけど、これはセーフだ。
「記録だけが存在する商会……。その背後を慎重に探る必要があります」
トランの声は低くて、ますます真剣さが増していく。
「……他にも気になる点があります」
トランは書類を指で叩きながら続けた。
「リュード商会の帳簿上の取引品は、ごくありふれた生活用品ばかりです。布地や塩、穀物など。しかし、それにしては金額の流れが大きすぎます。例えば、布地十反と塩五袋で、金貨十枚。常識的にありえません」
……え、それは絶対ぼったくりでしょ!
心の中で思わず叫んでしまった。
だって、いくらわたしでも分かる。
布と塩って、そんなに高くない。
思わず口から出そうになったけど、半開きの口を慌てて閉じる。
「つまり、実際には別の品が動いているということだな」
所長の低い声が響く。
「はい。取引に関わった者が見つからないのも当然でしょう。帳簿には布と塩と書かれていますが、実際に運ばれているのは――」
トランは言葉を切って、少し渋い顔をした。
「武具か、あるいは……禁制品の可能性があります」
……禁制品! やっぱりそういうやつなの?
わたしの背筋がぶるっと震えた。
「……なるほど。帳簿を整えることで監査を逃れ、取引の痕跡を偽装しているわけだ。しかし、雑だな」
所長は淡々とまとめる。
……雑だねぇ。
わたしも所長と同意見だ。
せっかく姿を隠し、偽装までしているのに、金額面ですぐわかるようなミスをしている。
……でも、今まで発覚してなかったってことは……監査の人って計算苦手なのかな?
「所長、疑問なんですが……」
所長は目で、言ってみろと促す。
「監査の人って、計算が苦手なんでしょうか? わたしでもすぐに変だとわかる金額ですが……」
所長は「どうなんだ?」とでもいうように、顔をトランに向ける。
「これは耳が痛い。たしかにルルーナ様程の計算をすぐにできる者は少ないと思います。結局、この部分も私が資料をあさっている際に発見したぐらいですから」
所長の目が鋭くなる。
「ほう……役所の人間が五歳児以下か。これは再教育だな」
……あっ、役所の皆さん、ご愁傷様です。
「え~……まとめますと、実際にその商人を見たという者は、まだおりません」
トランは慌てた様子で書類を閉じた。
「ただ……あくまで酒場で聞いた噂の域ですが、倉庫に荷を運んだ御者が戸締りの際、商人を見たと言っていたそうです。ただ本人は顔を憶えておらず、酔っていたため記憶も曖昧。証拠にはなりません」
……な、なにそれ……めちゃくちゃ怪しいのに、ぜんぜん信用できない話じゃない。
「ふむ……つまりは、裏付けのない伝聞にすぎぬ、ということか」
所長の声は冷静そのもの。
だが、トランに向ける圧が増してるように感じる。
「はい。現状ではまだ、役所として警備隊を動かすには弱い情報です。ただ、商人が意図的に姿を隠していることは確かでしょう」
トランが必死に同僚たちを庇っているように見える。
そんなに所長の再教育は、厳しいのだろうか。
「まずは、商人と接触または目撃した者を探せ。本当に倉庫に荷を運び込んだのならば、倉庫関係者もだ」
「はっ!」
トランは返事をして、すぐに踵を返して扉へ向かった。
部屋を退出すると、走り出しそうな勢いで歩くのが足音でわかる。
「所長、そんなに脅さなくても……」
少しは加減をしてあげて下さいね、と言ったつもりだったのだが……。
所長にその気はないらしい。
「何を言っている……急所を突いたのは君の言葉であろう」
……たしかにそうでした。
所長の目が少しだけ柔らかくなった。
「丁度よい。君がトランの補佐をする理由を得たからな」
……どういうこと?
所長は、普段の声色に戻り理由を述べた。
「君は読み書き、計算ができる。トラン自身は優秀だが、その部下や周りの同僚はその限りではない。先程の杜撰な管理でわかったであろう」
わたしは小さく頷く。
「現状、トランに部下を持たせても、大きな成果はないだろう。物量によって集めた情報を、結局のところトラン自身で精査するのだ。それならば、私がトランを直接現場へ向かわせた方が早い。そこに君が加われば、トランの負担は大きく減ることになる」
「……まあ、そうですね」
……数字を管理する場所でさえ、平民のレベルは思っていたほど高くないのね。
レント商会がアイナを重宝するわけだ。
文字を扱え、計算ができる人材が貴重なのも頷ける。
「さて、五歳児に負けてなるものかと奮起する役人が何名いるか……見物だな」
所長が微笑んだ。
これほど邪悪な表情を見たのは、いつ以来だろうか。
……わたしの尋問以来か……。
これはきっと楽しんでいる。
先ほどの会話だけで、ここまで考えているのは所長ぐらいではないだろうか。
ふるいにかけるにしろ、所長基準で選んだら全滅しそうだ。
……ふるいの目が極小であることを祈ってますよ。
そう思った瞬間、肩の上の精霊がぴくりと震えた。
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