44話 トマトは導く ~偶然が必然に変わる時~
家の中は相変わらず冷たくて、静かで、嫌な匂いがこもっていた。
所長は淡々と遺体を確認し、次に例のトマトを手に取った。
腐っているだけじゃない――どこか金属みたいな、薬みたいな匂い。
それがずっと気になっていた。
薬と魔石を使って調べた結果を見て、わかった。
あのトマトには、本当に毒が入っていた。
魔石が黒く染まっていないから、空気は安全。つまり――毒は食べ物の中。
しかも家の棚にあった空き瓶からも黒い反応が出た。
誰かが意図的に仕込んだ毒。
偶然なんかじゃない。
胸のざわざわの正体が、少しだけわかった気がした。
でも、すぐに次の問いが降ってきた。
「さて、ルルーナ。この亡くなった男は何者だと思う?」
所長の問いが、胸の奥に刺さったままだった。
その答えを考える間もなく、空気はさらに重くなっていく。
◇ ◆ ◇
死因は病気……あるいは毒殺だろうか。
だが、所長は何者かと尋ねている。
そこに何か意味があるはずだ。
気になるのは空き瓶だ。
よく見れば、部屋の隅にも空き瓶が転がっている。
栄養ドリンク程の大きさの空き瓶が、数本ある。
……もしも、瓶の中身が毒だと知っていたら……あの空き瓶が全て同じような毒物だったら……じゃぁ、彼はなぜ亡くなったんだろう。
「仮定の域をでません。あくまで現在の情報の範囲内ですが、瓶の中身を知っていたとすれば……犯罪者もしくは、犯罪に加担している者といったところでしょうか」
「ふむ……まあいいだろう」
……及第点?
「病死や服毒死、毒殺された者と言わなかっただけ、理由は弱いが良い解答だ」
「所長はどうお考えですか?」
所長の考えを聞いてみたい。
この情報から、どう推測するのかを。
「犯罪者の一員だと仮定した。まず、部屋を見回し、トマトの量に注目した」
やはり犯罪者だった。
しかし、一員とはどういうことだろう。
犯罪者が複数人の可能性を、視野に入れているのだろうか。
「量ですか?」
……はて? 毒トマトに注目じゃないのか……いきなりわからん。
「一人でこの量は運べまい。その前に傷むだろう。通報の状況からして、近隣住民が協力したわけでもないだろう。売るにしろ、利用するにしろ、ここに協力して運び込んだ者がいる可能性が高い」
「協力者ですか?」
「これだけの量を一人で運ぼうと思うか?」
……荷馬車が必要な量だよね。
「いえ、できれば荷馬車ぐらいは欲しいですね」
「では、その荷馬車はどこへ消えた? 死後に盗まれたか? 毒物を所持している犯罪者だと仮定した場合、足がつくのを恐れて荷馬車を手配するとも考えにくい」
死後に盗むという線もないだろう。
荷馬車ごと盗んで売ろうなんて、東地区の住人ならさすがに大胆すぎる。
他で売ろうにも、冬の時期で街道がまともな状態ではないのだ。
商人でもない東地区の住人が街を出ようとしたら、門で止められ怪しまれるだろう。
……門……ん? その前にトマトはどこから運んできたんだろ。
「トマトは街の外から運んだ、と考えられますか?」
「そうだな。この量を街中で仕入れるのは無理だ。そもそも、今の時期は旬ではない。店先に並ぶことすら稀だ」
……そうだった。お母さんも珍しいって言ってたもんね。
「運び込んだときの御者と、出て行ったときの御者が同一人物なら門で止められませんよね?」
「そうだな。すでに逃走したならば、今は馬車とともに街の外だ」
つまり、もう逃げられた可能性が高いということだ。
わたしの顔に悔しさが見て取れたのか「あくまで推測だ」と、所長は付け加えた。
「次に考えたのは、大量のトマトの利用法だ」
「利用法?」
あの短時間でどこまで考えていたのか、わたしのスペックと差がありすぎる。
……毒入りトマトで何をしようとしたのかってこと?
「誰かを毒殺……いや、無差別にでしょうか?」
「毒を混入したトマトの利用法まで広げる必要はない。選択肢が多すぎる。あくまで普通のトマトだ」
「……毒を混入するため?」
「それを成すには毒が少なすぎないか?」
言われてみればそうだ。
大量に普通の傷んだトマトがあるのだ。
「う~ん、全然わかりません……」
「素直でよろしい」
所長が言うには、この時期のトマトは非常に安く、農家からしてみれば、ただの処分品になる。
それを大量に所持していることに、注目するべきだと。
「処分品に近いトマトを、大量に運ぶ理由を考えてみなさい」
……東地区で配るため? いや、犯罪者がわざわざしないなぁ。
「運ぶ……運ぶ……配る……ん? 何かを作ろうとした? いや……」
「何か気付いたか?」
「お金儲けじゃないのはわかるんですが……」
いくら頭を捻っても、わたしの頭脳では何もわからない。
もう頭から湯気が出そうだ。
「ふむ。では、視点を少し変えよう。毒はどこで仕入れたのだ?」
「そりゃぁ、決まって……」
……こことは言い切れないなぁ。あれ、街のどこか? いや外だとしたら……。
「どこでしょう?」
「現状では、街の中か外の二択だな」
所長の顔には、ヒントは与えたぞと書いてある。
紫色の瞳がじっとわたしを見据えて、答えを待っている。
……おかしいな。さっきから所長の考えを聞いてるのに、テストみたいになってるぞこれ。
毒が街の中で製造されたのであれば、それに見合った量のトマトでいいはずだ。
外で製造されたなら……いや、わざわざ毒を持ち込むのは面倒なはず。
そうなるとやはり街の中だろうか。
……面倒? なんで? 門兵にバレるから……処罰は困る。なら、バレなきゃ。
キーワードを並べて整理していくと、頭がクリアになっていき、自分でもよくわからないうちになんとなく口を開いてしまった。
「大量のトマトは毒を運ぶための偽装だった?」
所長がふっと笑った。どうやら正解のようだ。
「大量の物資の中に、あの毒の小瓶を隠すためという理由が一番筋が通るな。この時期ならトマトも、ただ同然だ。門兵も大袋で大量のトマトが運び込まれたら、個別に袋から出すこともしないだろう」
……確かに、そうだね。
「ましてや、商品ではない処分品だ。検査も甘くなる。毒のトマトは運搬中に袋の中で瓶が割れてしまった、あるいは漏れ出したなど、偶然であったと仮定した場合はどうだ?」
だから、あの袋のトマトだけ異様な腐り方だった。
もともと混入することが目的ではなかったならば……。
「しっくりきます……でも、瓶が簡単に割れたりしますか?」
所長が棚に置いてある空き瓶を見た。
「薬品を入れる容器は密閉しないといけないため、少しの漏れも許さないよう特殊な瓶に入れる」
空気に触れないようにとか、他にも魔法的な要素があるのだろう。
「へぇ~、そうなんですね」
「しかし、強度に欠点がある。非常に脆いのだ。そのため、通常は優れた衝撃、耐水加工が施された箱に厳重に保管されて運搬される。そのような瓶が、剝き出しの状態で運搬されていたのであれば、割れても不思議はない」
そういうと、棚にあった空き瓶の側面を、机に上にあった木製の匙でコンコンと軽く叩き実演する。
すると、軽い衝撃なのに瓶にはうっすらと亀裂が見える。
……かなり脆いのね。
「でも、仮定の話ですよね?」
「そうだ。あくまで仮定だ」
なぜか所長を見ていると、確信している気がするのだ。
そこまでの自信はどこからきているのか。
「疑問か? まるで確信しているようだと」
……あっ、バレた。
「……はい」
少し迷ったように所長の瞳が揺れたが、「聞きたいか?」と問う。
もう部外者ではない気がするわたしは、こくりと頷いた。
「君はそこの男と出会った時、瓶が割れた音がしたと言った。憶えているか?」
「はい」
「その際、貰ったトマトはどこから取り出した?」
……う~ん、地面にあった皮袋だったような。
「地面にあった皮袋から、二つ貰いました」
「男は他に鞄のような物は持っていたか?」
「肩掛けの鞄を持っていたような……」
所長が小さく頷く。
「だとしたら、その鞄に割れた瓶が入っていたのではないか? 君を抱えた際に割れた音がしたのであれば辻褄が合う。その際、男の服は汚れていたか?」
……たしか出血と勘違いしたような。
「はい。脇から腹、肘の辺りが血のような赤だったのでびっくりしましたが……トマトの汁だと……」
今の会話で、所長は確信がさらに深まったようだ。
「トマトの汁だと偽ることができるように、それを持ち歩いていた可能性があるな」
「ん? ……そうなんですか?」
「皮袋にもトマト。肩掛けの鞄の中身もトマトだと……おかしな話だ。君を抱えた際、男の皮袋は地面にあったのではないか?」
……たしかに変だ。でも、わたしの服も汚れたんだし……。
そこまで考えてゾッとした。
わたしの服を汚したのは毒だったのではないかと。
「自分の状況を理解したか? 先程のトマトを使った偽装の運搬と、よく似ているな」
「はい……でも、所長はどうやってそれを見抜いたんですか?」
所長がわたしをじっと見据える。
その視線によって、全身に鳥肌が立つようなぞわぞわした感覚がする。
わたしの手も、汗でぐっしょりだ。
「去り際の男の様子を君も知っているではないか。そして、ぶつかっただけで簡単に割れた瓶、青い顔、急いでいた様子。それは薬品の中身が毒だと知っていたからではないのか?」
あの時の顔が記憶と重なった。
「……あの時、液体はわたしにもかかって……」
所長は、わたしの言葉を遮らず、静かに続きを待っていた。
「でも、すぐ家で体を拭いて……」
「なるほど」
所長がわずかに頷く。
「決定的なのは……君がその液体を舐めたことだ。その後、急な発熱、頭痛、全身の痛み、怠さ、吐き気、眩暈といった症状を後に引き起こしたのではなかったか? どこかで聞いた症状だな」
……っ!
「そして君は攫われた。三人組らしき男たちに幌付きの荷馬車で。大量のトマトを運ぶのにうってつけの荷馬車だ。少なくともその三名は協力者と考えるのが自然だ」
……でも、それじゃぁ……。
「わたしが狙われた理由は突発的だったと……」
「そうだな。偶然触れた毒。その結果、毒の存在が今回のように疑われる可能性を、強引にでも消し去ろうとした結果だろう」
繋がった。見事に全部繋がってしまった。
あまりにも出来過ぎな感じがして、膝が震えてくる。
所長がわたしの様子を伺いながら、静かに横たわっている遺体に視線を移した。
「この男が誘拐の現場に居なかったのは、君よりも大量に浴びた毒のせいかもしれん。舐めただけであの症状だ。男がもっと重い状態だったとしても不思議はない」
自分の胸の奥で、得体のしれない冷たさが広がっていく。
男性とぶつかったのは偶然だ。
でも、その偶然が……わたしは犯人グループの尻尾を掴んだ可能性があるのだ。
いつの間にか自分が犯罪に巻き込まれていたと考えると、言葉が出ない。
さらに、現場での状況分析と、わたしからの聞き取りでこれを導き出した所長に、少なからず戦慄が走ったためだ。
所長はわたしの動揺を見抜いたように、視線をこちらに戻す。
「つまり、この男は毒薬の運び屋の一員だったというわけだ。そして、君との衝突で容器を破損し、自ら中毒死した。死後に残されたトマトが盗まれ、毒が拡散した……筋は通る……まだ仮定だがな。そこはトランの調査を待つとしよう」
その口調は冷静で、まるで事件の全容がすでに見えているかのようだった。
「君の行動を責める者などいない。だが、この偶然を無駄にすべきではない。この部屋で見たものを忘れるな。最初に言った通り、これは他言無用だ。余計な者を巻き込んではならん」
所長は紫色の瞳を細め、淡々と告げた。
「……はい」
わたしは頷き、胸の中で固く、その言葉を繰り返した。
ここまで拙い文を読んでいただきありがとうございます!
「面白かったなぁ」
「続きはどうなるんだろう?」
「次も読みたい」
「つまらない」
と思いましたら
下部の☆☆☆☆☆から、作品への応援、評価をお願いいたします。
面白かったら星5つ。つまらなかったら星1つ。正直な気持ちでかまいません。
参考にし、作品に生かそうと思っております。
ブックマークで応援いただけると励みになります。




