80話 不安定 ~結界装置の闇~
ノックスたちが帰ってから数日後。
執務室の机に並んだ黒い塊を見つめながら、わたしはひとつ大きく息を吐いた。
……接着剤にもなり、防水としても使えそう。
ここまでくれば、もう実験段階は十分だ。
そう思い、方針を告げる。
「うん、改良はこれから、みんなに任せていこう」
横でマテオが真剣な顔で記録をまとめ、ロエナは目を輝かせながら片付けを手伝っている。
わたし一人じゃ到底できないことも、みんながいれば前に進める――そう思うと、胸の奥がじんわり温かくなった。
これで産業としての目途は立った。
◇ ◆ ◇
昼食を終えたあと、わたしは気分転換に廊下をぶらぶら歩いていた。
窓の外を見上げると、庭の木のてっぺんに、ふわりと雲のような精霊が浮かんでいる。
見上げ入道だ。
「ん……今日は雨かな」
……入道がのんびりと漂っているときは、夕方にしとしと降るんだよね。
そう思いながら、ふと邸の中央にある廊下へと足を向ける。
……そういえば、あの扉って何だろう?
執務室と棟が違うため、遠くに見えはするものの、いつも通りすぎるだけ。
普段は通らないルート。
ちょっと探検気分で足を速めると、背後からロエナが慌ててついてきた。
「お嬢様、どちらへ……?」
「ん~、あの真ん中の扉、気になってたの。見てみようかなって」
そんな会話をしているうちに、石造りの階段の前にたどり着く。
地下へと続く重たい扉。
その前で立ち止まったとき――。
ぎぃ、と音を立てて扉がゆっくり開いた。
「……お前、何をしている?」
出てきたのはアゼレアだった。
琥珀色の瞳が鋭く細められて、反射でびくっと背筋が伸びる。
「え、えっと……探検?」
「探検?」
半分冗談で返したけど、アゼレアの顔は眉を寄せて困り顔だ。
どうもわたしには見せたくないもののようだ。
「その扉には入るなよ」
「なんで? 危ないの?」
「……魔力を吸われて、お前なら卒倒するぞ」
……うわぁ、物騒。もしかして拷問部屋?
「なにそれ……そんなもの、邸の真ん中に置いてあるの?」
「結界装置だ」
アゼレアの低い声が、廊下にひんやりと響いた。
「結界装置……?」
聞き返すと、アゼレアはわたしの横に立ち、扉に手を当てた。
冷たい石の感触を確かめるように、指でなぞりながら続ける。
「ここに入れるのは、魔力保持者――貴族の務めの一つだ」
「務め……」
アゼレアが頷く。
「結界は常に魔力を食う。だから定期的に補充しなければならない。そのために、こうした結界の間が各地に設けられている」
アゼレアの説明に、先程の言葉を思い出してひやりとする。
魔力を補充するなんて、言葉だけ聞くと簡単そうに思えるけれど――。
「魔力を吸われて、卒倒するって……」
ぞっとして呟くと、アゼレアは首を横に振った。
「勘違いするな。通常は半分も使わないうちに交代する。無理をさせれば結界維持どころか、貴族そのものを失うからな」
「そ、そうなんだ……」
悪く考えすぎだと、胸を撫でおろす。
でも、すぐにアゼレアの声が続いた。
「だが、罪人だけは違う」
「罪人?」
「罪を犯した貴族は、必ずここに連れてこられる。そして効率を重視し、気絶ぎりぎりまで吸わせる」
……気絶するまでって、搾り取られるみたいじゃない。
わたしは思わず足を一歩引いた。
扉の向こうに広がっているものを、想像するだけで背筋がぞわっとする。
「……そんなの、ひどすぎるよ」
口からこぼれたのは、幼い抗議みたいな言葉だった。
そんなわたしを諭すように、アゼレアの表情に統治者の色が強まった。
「酷いかもしれない。だが、結界が弱まればどうなる?」
「……魔獣が、出てくる」
「そう。さらに恐ろしい魔物の被害と比べれば、罪人の魔力など安いものだ」
その言い切り方があまりにも冷たくて、胸がきゅっと縮む。
でも、頭ではわかる。
結界がなければ、町全体が魔獣に呑まれてしまう。
アゼレアはじっとわたしを見て、わずかに目を細めた。
「言ったでしょ? ――貴族不足だって」
「あ……そっか……」
前に聞いた言葉が、胸の奥に重たく落ちていく。
魔力を持つ人が足りないから、結界の維持にも無理がかかる。
アゼレアは続けた。
「メネズの一件で、さらにトバルは減ったのよ」
その声は静かだけど、ひどく冷たい現実を突きつけてくる。
……貴族が減る。
結界を支える人が減る。
つまり、魔獣を防ぐ力そのものが削られているということ。
……これって、町にとって……かなり深刻な問題なんじゃ?
アゼレアはしばらく黙っていたけれど、ふっと小さく息をついた。
さっきまでの鋭さが少し和らいで、琥珀の瞳もどこか柔らかい。
「……ほら、探検してないで執務室に戻るぞ」
「うん」
わたしは頷いて、扉から離れた。
ロエナもほっとしたように、肩をなでおろす。
結界の間――考えれば考えるほど重たい現実だけど、今は深追いしても仕方ない。
執務室に戻り、帳簿の広がる机の前に腰を下ろす。
だけど、アゼレアの言葉が頭の中でぐるぐる回っていた。
……貴族不足。
メネズのせいで、さらに減ってしまった。
結界の維持に必要な人がいなければ、町全体が危険にさらされる。
わたしなりに考えてみる。
思い浮かぶ解決方法は――三つ。
一つは、単純に貴族を増やすこと。
二つ目は、魔獣と戦えるように軍備を増強すること。
三つ目は、さっき見たあの場所……結界装置そのものを改良すること。
机に置いた手をぎゅっと握りしめながら、心の中で呟いた。
……どれも、簡単じゃない。でも、どれも放っておけない。
まず、一つ目――貴族を増やすこと。
貴族とは、ただ魔力を持ってるだけじゃなくて、家同士の繋がりが大事だ。
婚姻や縁故、派閥に属しているかどうか。
そんな人たちが、ぽんとトバルに移住してくれるはずがない。
考えられるとしたら……。
わたしの代わりにアードになった貴族の家族が、何人かこちらに移り住むくらい。
でも、ここは直轄領で、しかもサンドレアムからすぐ近く。
わざわざ拠点を移す理由も薄いし、無理に来てもらえる可能性は低い。
……やっぱり、これは望みが薄いなぁ。
二つ目は――軍備の増強。
けれど、これもまた簡単にはいかない。
トバルは農業都市で、領境からも遠い。
しかも領都サンドレアムの目と鼻の先だ。
そんな土地で軍備を増やしたら……周りがどう思うか。
メネズの件もある。「反乱の意思あり」って疑われるのが関の山だ。
歴代アードが中立を保ってきたのは、そのためでもある。
魔獣への備えだと否定したところで、わたしが平民出身の代理だからこそ、「力不足の言い訳」だと叩かれるだけ。
……これも現実的じゃないな。
三つ目は――結界装置の改良。
これも不可能に近い。
結界の魔法陣は、バニアのみが知る秘中の秘。
わたしみたいな代理どころか、上位の貴族ですら触れられない。
……もし改良したいなんて口にしたら、どうなるんだろう。
所長の言葉を思い出す。
あの冷静な口調で、「無理だ」と断言していた。
おそらく、口にしただけで――わたしの首が飛ぶのは間違いない。
机の上の帳簿を見つめながら、わたしは小さくため息をついた。
結局、どの道も行き止まり。
……でも……。
貴族が必要ってことは――つまり、魔力が必要ってこと。
じゃあ、外から魔力を持ってくる方法はないのか?
頭の中で、くるくると思考をめぐらせる。
人じゃなくても、魔力を持ってるもの。
「……魔石、とか?」
小さく口に出した瞬間、心臓がどきんと跳ねた。
魔石なら、魔力を蓄えている。
もし、それを結界に回せたら……。
でも、本当にそんなことできるのかな。
使い方を間違えたら、きっと大惨事になる。
机に手をついて、う~んと唸る。
……実験なんてできないし。
机に向かって考え込んでいると、不意に声が飛んできた。
「手が止まってるな。どうせ、結界のことを考えていたんだろ?」
びくっとして顔を上げると、アゼレアが腕を組んで立っていた。
「目が泳いでるぞ……まったく」
図星なのがバレたようだ。
「ね、ねぇアゼレア。魔石じゃ……代わりにならないの?」
勇気を出して口にすると、アゼレアはしばし沈黙した。
所長と知恵比べができそうなアゼレアだ。
何かいい案はないだろうか……。
「……できなくはない。だが、サンドレアムは魔石の採掘をしていない」
「え?」
「魔石を使うとなれば、トバルの財政は半年も持たず、空になるぞ」
「そ、そんなに高いの?」
思わず声が裏返る。けれど、アゼレアは何でもないように続けた。
「魔素濃度の濃い地域に隣接している領地なら別だ。だが他の領地なら――小さな魔石ひとつで、平民の家が一軒買える」
目の前がくらりとした。
家一軒が、石ころ一つと同じ値段だなんて……。
わたしが言葉を失っていると、アゼレアは小さく息を吐いた。
「……心配するな」
「なんで?」
顔を上げて問い返すと、わたしを安心させるかのようにアゼレアは表情を緩めた。
「八割の維持は現状で可能だ。こういう問題は、結局のところ貴族の数がものをいう。長い時間をかけて解決していく問題だ」
「じゃあ、減った二割でどれくらい被害が増すの?」
胸の奥がざわついて、つい食い下がってしまう。
アゼレアは一瞬だけ視線を外し、それから淡々と数字を並べた。
「一年前に比べて、魔獣の被害で大きいものは特にない。目撃報告が数件増えた程度だ」
「……そっか」
ほんの少しだけ肩の力が抜けた。
大惨事がすぐそこに迫っているわけじゃない――そう聞いて、少し安心したのは確かだ。
けれど同時に、心の奥にちくりとした痛みも残った。
◇ ◆ ◇
その日の夜。
眠りに沈んだわたしは、いつものように不思議な空間に足を踏み入れていた。
――白とも黒ともつかない、柔らかな光に包まれた世界。
頭上には、星のように瞬く小さな光の粒が漂い、足元には波紋のように淡い光が広がっていく。
「……来ちゃった」
懐かしい安心感に、自然と笑みがこぼれる。
ひとりでいるはずなのに、寂しくない。
むしろ、見えない誰かに守られているような――そんな気持ちになる。
やがて、光の粒が寄り集まって、ふわふわと形を成していく。
小さな風の精霊たちが髪を揺らし、水の精霊たちが手を取って遊ぼうと誘ってくる。
「ふふ……十日ぶりだね」
手を伸ばすと、精霊たちはきらきら笑うみたいに舞い上がった。
闇の精霊がひらひらと肩にとまり、風の精霊がくすぐるように頬を撫でる。
小さな子供みたいに、はしゃいで笑う声が耳の奥で響く気がして、思わずわたしも笑ってしまった。
「ねぇ……」
ふと口をついて出た言葉に、周りの精霊たちがぴたりと動きを止める。
昼間、執務室で考えこんでいたことが頭をよぎった。
「結界を維持するのに、魔力が足りないんだって。貴族が減って、八割しか守れてないって……」
言葉にした途端、胸の奥の不安がじわりと広がる。
精霊たちは、まるで安心させるように、すうっとわたしの周りに集まってきた。
「人じゃなくても、魔力を持ってるもの……魔石、とか。そういうので、結界を助けられないのかな?」
問いかけると、光の粒たちはふわりと揺れて、互いにくるくる回りはじめた。
まるで「考え中」とでも言いたげに、空間の色が淡く変わっていく。
「う~ん、難しいよねぇ」
そのときだった。
光の渦の中心がすうっと陰り、周囲の輝きが吸い込まれるように沈んでいく。
ちょっと驚いたけれど、不思議と怖くはなかった。
むしろ懐かしい気配に、胸の奥がじんわり温かくなる。
闇が形を結び、人の輪郭をかたどっていく。
黒い影だけでできた人影。
顔も衣もないのに、確かに人としてそこに立っていた。
「……ヨミ?」
思わず呼びかける。
前に会ったときは、もっと曖昧でぼんやりした塊だったはず。
どうして今日は、こんなに人の姿をしているんだろう。
ヨミは答えず、静かに歩み寄る。
影の腕がすっと伸び、わたしの手のひらに触れた。
ひやりとした冷たさと、どこか懐かしい温もりが同時に広がる。
だけどその輪郭はすぐに揺らぎ、波紋のように崩れかけては、また収束した。
「……不安定?」
ぽつりと呟いた言葉に、ヨミは沈黙したまま。
けれど、影の奥でひときわ強く青い光が瞬き、まるで肯定するように見えた。
「魔石も……こうやって崩れるってこと?」
問いかけると、ヨミの人影は大きく揺れ、ぱっと崩れそうになり――またすぐに形を取り戻した。
その不安定さが、何よりの答えだった。
ヨミの影がぐらりと揺らぎ、また収束する。
その様子を見つめながら、わたしはふと所長の講義を思い出した。
――魔石は、純粋な魔力の塊。
そして、それは魔獣や魔物からしか取れない。
……そうか。だから採掘で出てくる魔石は不安定なんだ。
ただの鉱石に魔力が染みこんでいるだけで、純粋なものじゃない。
それで数が必要になるのだろう。
結界に使うなら、本当に純粋な魔石が必要。
つまり、魔獣や魔物を狩って取り出さなきゃならないってことだ。
「効率、悪すぎるよ」
ぽつりと呟いた言葉は、空間に吸い込まれていった。
ヨミは何も答えない。
ただ静かに見つめている。
でもその無言が、逆に正解だと告げているようで、胸がぎゅっと痛んだ。
すると、小さな光の粒がふわりと肩に降りた。
火の精霊が手を繋ぐように指先に触れて、土の精霊が肩で跳ねた。
「……みんな」
顔を上げると、周囲の精霊たちが輪になって舞い、まるで「大丈夫」とでも言うように揺れていた。
ヨミの影も揺らぎを収め、静かにそこに立っている。
言葉はなくても、じっと見守る眼差しに、不思議と力が湧いてくる。
「……そっか。難しいのはわかってる。でも、諦めたくないんだ」
精霊たちはぱっと光を弾けさせ、きらきらと夜空みたいな空間を彩った。
それは答えじゃなく、ただ寄り添ってくれる励ましの光だった。
「そうだね……何ができるかわからないけど、やってみるよ」
そろそろ時間だ。
「今すぐは無理。でも、必ず何か道はあるはず」
わたしは小さく呟いて、両手を握りしめた。
ヨミの影も静かに頷いたように見えた。
言葉なんてなくても――ちゃんと伝わっている。
「わたし、諦めないから」
夜空のような世界で、そう心に誓った。




