表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
213/231

80話  不安定 ~結界装置の闇~


 ノックスたちが帰ってから数日後。

 執務室の机に並んだ黒い塊を見つめながら、わたしはひとつ大きく息を吐いた。


 ……接着剤にもなり、防水としても使えそう。


 ここまでくれば、もう実験段階は十分だ。

 そう思い、方針を告げる。


「うん、改良はこれから、みんなに任せていこう」


 横でマテオが真剣な顔で記録をまとめ、ロエナは目を輝かせながら片付けを手伝っている。


 わたし一人じゃ到底できないことも、みんながいれば前に進める――そう思うと、胸の奥がじんわり温かくなった。


 これで産業としての目途は立った。




 ◇ ◆ ◇




 昼食を終えたあと、わたしは気分転換に廊下をぶらぶら歩いていた。


 窓の外を見上げると、庭の木のてっぺんに、ふわりと雲のような精霊が浮かんでいる。


 見上げ入道だ。


「ん……今日は雨かな」


 ……入道がのんびりと漂っているときは、夕方にしとしと降るんだよね。


 そう思いながら、ふと邸の中央にある廊下へと足を向ける。


 ……そういえば、あの扉って何だろう?


 執務室と棟が違うため、遠くに見えはするものの、いつも通りすぎるだけ。


 普段は通らないルート。

 ちょっと探検気分で足を速めると、背後からロエナが慌ててついてきた。


「お嬢様、どちらへ……?」

「ん~、あの真ん中の扉、気になってたの。見てみようかなって」


 そんな会話をしているうちに、石造りの階段の前にたどり着く。


 地下へと続く重たい扉。

 その前で立ち止まったとき――。


 ぎぃ、と音を立てて扉がゆっくり開いた。


「……お前、何をしている?」


 出てきたのはアゼレアだった。

 琥珀色の瞳が鋭く細められて、反射でびくっと背筋が伸びる。


「え、えっと……探検?」

「探検?」


 半分冗談で返したけど、アゼレアの顔は眉を寄せて困り顔だ。

 どうもわたしには見せたくないもののようだ。


「その扉には入るなよ」

「なんで? 危ないの?」

「……魔力を吸われて、お前なら卒倒するぞ」


 ……うわぁ、物騒。もしかして拷問部屋?


「なにそれ……そんなもの、邸の真ん中に置いてあるの?」

「結界装置だ」


 アゼレアの低い声が、廊下にひんやりと響いた。


「結界装置……?」


 聞き返すと、アゼレアはわたしの横に立ち、扉に手を当てた。

 冷たい石の感触を確かめるように、指でなぞりながら続ける。


「ここに入れるのは、魔力保持者――貴族の務めの一つだ」

「務め……」


 アゼレアが頷く。


「結界は常に魔力を食う。だから定期的に補充しなければならない。そのために、こうした結界の間が各地に設けられている」


 アゼレアの説明に、先程の言葉を思い出してひやりとする。

 魔力を補充するなんて、言葉だけ聞くと簡単そうに思えるけれど――。


「魔力を吸われて、卒倒するって……」


 ぞっとして呟くと、アゼレアは首を横に振った。


「勘違いするな。通常は半分も使わないうちに交代する。無理をさせれば結界維持どころか、貴族そのものを失うからな」

「そ、そうなんだ……」


 悪く考えすぎだと、胸を撫でおろす。

 でも、すぐにアゼレアの声が続いた。


「だが、罪人だけは違う」

「罪人?」

「罪を犯した貴族は、必ずここに連れてこられる。そして効率を重視し、気絶ぎりぎりまで吸わせる」


 ……気絶するまでって、搾り取られるみたいじゃない。


 わたしは思わず足を一歩引いた。

 扉の向こうに広がっているものを、想像するだけで背筋がぞわっとする。


「……そんなの、ひどすぎるよ」


 口からこぼれたのは、幼い抗議みたいな言葉だった。

 そんなわたしを諭すように、アゼレアの表情に統治者の色が強まった。


「酷いかもしれない。だが、結界が弱まればどうなる?」

「……魔獣が、出てくる」

「そう。さらに恐ろしい魔物の被害と比べれば、罪人の魔力など安いものだ」


 その言い切り方があまりにも冷たくて、胸がきゅっと縮む。


 でも、頭ではわかる。

 結界がなければ、町全体が魔獣に呑まれてしまう。


 アゼレアはじっとわたしを見て、わずかに目を細めた。


「言ったでしょ? ――貴族不足だって」

「あ……そっか……」


 前に聞いた言葉が、胸の奥に重たく落ちていく。

 魔力を持つ人が足りないから、結界の維持にも無理がかかる。


 アゼレアは続けた。


「メネズの一件で、さらにトバルは減ったのよ」


 その声は静かだけど、ひどく冷たい現実を突きつけてくる。


 ……貴族が減る。


 結界を支える人が減る。

 つまり、魔獣を防ぐ力そのものが削られているということ。


 ……これって、町にとって……かなり深刻な問題なんじゃ?


 アゼレアはしばらく黙っていたけれど、ふっと小さく息をついた。

 さっきまでの鋭さが少し和らいで、琥珀の瞳もどこか柔らかい。


「……ほら、探検してないで執務室に戻るぞ」

「うん」


 わたしは頷いて、扉から離れた。

 ロエナもほっとしたように、肩をなでおろす。


 結界の間――考えれば考えるほど重たい現実だけど、今は深追いしても仕方ない。


 執務室に戻り、帳簿の広がる机の前に腰を下ろす。

 だけど、アゼレアの言葉が頭の中でぐるぐる回っていた。


 ……貴族不足。


 メネズのせいで、さらに減ってしまった。

 結界の維持に必要な人がいなければ、町全体が危険にさらされる。


 わたしなりに考えてみる。

 思い浮かぶ解決方法は――三つ。


 一つは、単純に貴族を増やすこと。

 二つ目は、魔獣と戦えるように軍備を増強すること。

 三つ目は、さっき見たあの場所……結界装置そのものを改良すること。


 机に置いた手をぎゅっと握りしめながら、心の中で呟いた。


 ……どれも、簡単じゃない。でも、どれも放っておけない。


 まず、一つ目――貴族を増やすこと。


 貴族とは、ただ魔力を持ってるだけじゃなくて、家同士の繋がりが大事だ。

 婚姻や縁故、派閥に属しているかどうか。


 そんな人たちが、ぽんとトバルに移住してくれるはずがない。


 考えられるとしたら……。

 わたしの代わりにアードになった貴族の家族が、何人かこちらに移り住むくらい。


 でも、ここは直轄領で、しかもサンドレアムからすぐ近く。

 わざわざ拠点を移す理由も薄いし、無理に来てもらえる可能性は低い。


 ……やっぱり、これは望みが薄いなぁ。


 二つ目は――軍備の増強。


 けれど、これもまた簡単にはいかない。

 トバルは農業都市で、領境からも遠い。

 しかも領都サンドレアムの目と鼻の先だ。


 そんな土地で軍備を増やしたら……周りがどう思うか。


 メネズの件もある。「反乱の意思あり」って疑われるのが関の山だ。


 歴代アードが中立を保ってきたのは、そのためでもある。


 魔獣への備えだと否定したところで、わたしが平民出身の代理だからこそ、「力不足の言い訳」だと叩かれるだけ。


 ……これも現実的じゃないな。


 三つ目は――結界装置の改良。


 これも不可能に近い。

 結界の魔法陣は、バニアのみが知る秘中の秘。

 わたしみたいな代理どころか、上位の貴族ですら触れられない。


 ……もし改良したいなんて口にしたら、どうなるんだろう。


 所長の言葉を思い出す。

 あの冷静な口調で、「無理だ」と断言していた。


 おそらく、口にしただけで――わたしの首が飛ぶのは間違いない。


 机の上の帳簿を見つめながら、わたしは小さくため息をついた。


 結局、どの道も行き止まり。


 ……でも……。


 貴族が必要ってことは――つまり、魔力が必要ってこと。

 じゃあ、外から魔力を持ってくる方法はないのか?


 頭の中で、くるくると思考をめぐらせる。

 人じゃなくても、魔力を持ってるもの。


「……魔石、とか?」


 小さく口に出した瞬間、心臓がどきんと跳ねた。

 魔石なら、魔力を蓄えている。

 もし、それを結界に回せたら……。


 でも、本当にそんなことできるのかな。

 使い方を間違えたら、きっと大惨事になる。

 机に手をついて、う~んと唸る。


 ……実験なんてできないし。


 机に向かって考え込んでいると、不意に声が飛んできた。


「手が止まってるな。どうせ、結界のことを考えていたんだろ?」


 びくっとして顔を上げると、アゼレアが腕を組んで立っていた。


「目が泳いでるぞ……まったく」


 図星なのがバレたようだ。


「ね、ねぇアゼレア。魔石じゃ……代わりにならないの?」


 勇気を出して口にすると、アゼレアはしばし沈黙した。

 所長と知恵比べができそうなアゼレアだ。

 何かいい案はないだろうか……。


「……できなくはない。だが、サンドレアムは魔石の採掘をしていない」

「え?」

「魔石を使うとなれば、トバルの財政は半年も持たず、空になるぞ」

「そ、そんなに高いの?」


 思わず声が裏返る。けれど、アゼレアは何でもないように続けた。


「魔素濃度の濃い地域に隣接している領地なら別だ。だが他の領地なら――小さな魔石ひとつで、平民の家が一軒買える」


 目の前がくらりとした。

 家一軒が、石ころ一つと同じ値段だなんて……。


 わたしが言葉を失っていると、アゼレアは小さく息を吐いた。


「……心配するな」

「なんで?」


 顔を上げて問い返すと、わたしを安心させるかのようにアゼレアは表情を緩めた。


「八割の維持は現状で可能だ。こういう問題は、結局のところ貴族の数がものをいう。長い時間をかけて解決していく問題だ」

「じゃあ、減った二割でどれくらい被害が増すの?」


 胸の奥がざわついて、つい食い下がってしまう。

 アゼレアは一瞬だけ視線を外し、それから淡々と数字を並べた。


「一年前に比べて、魔獣の被害で大きいものは特にない。目撃報告が数件増えた程度だ」

「……そっか」


 ほんの少しだけ肩の力が抜けた。

 大惨事がすぐそこに迫っているわけじゃない――そう聞いて、少し安心したのは確かだ。


 けれど同時に、心の奥にちくりとした痛みも残った。



 ◇ ◆ ◇



 その日の夜。


 眠りに沈んだわたしは、いつものように不思議な空間に足を踏み入れていた。


 ――白とも黒ともつかない、柔らかな光に包まれた世界。


 頭上には、星のように瞬く小さな光の粒が漂い、足元には波紋のように淡い光が広がっていく。


「……来ちゃった」


 懐かしい安心感に、自然と笑みがこぼれる。

 ひとりでいるはずなのに、寂しくない。


 むしろ、見えない誰かに守られているような――そんな気持ちになる。


 やがて、光の粒が寄り集まって、ふわふわと形を成していく。


 小さな風の精霊たちが髪を揺らし、水の精霊たちが手を取って遊ぼうと誘ってくる。


「ふふ……十日ぶりだね」


 手を伸ばすと、精霊たちはきらきら笑うみたいに舞い上がった。


 闇の精霊がひらひらと肩にとまり、風の精霊がくすぐるように頬を撫でる。


 小さな子供みたいに、はしゃいで笑う声が耳の奥で響く気がして、思わずわたしも笑ってしまった。


「ねぇ……」


 ふと口をついて出た言葉に、周りの精霊たちがぴたりと動きを止める。


 昼間、執務室で考えこんでいたことが頭をよぎった。


「結界を維持するのに、魔力が足りないんだって。貴族が減って、八割しか守れてないって……」


 言葉にした途端、胸の奥の不安がじわりと広がる。

 精霊たちは、まるで安心させるように、すうっとわたしの周りに集まってきた。


「人じゃなくても、魔力を持ってるもの……魔石、とか。そういうので、結界を助けられないのかな?」


 問いかけると、光の粒たちはふわりと揺れて、互いにくるくる回りはじめた。

 まるで「考え中」とでも言いたげに、空間の色が淡く変わっていく。


「う~ん、難しいよねぇ」


 そのときだった。

 光の渦の中心がすうっと陰り、周囲の輝きが吸い込まれるように沈んでいく。


 ちょっと驚いたけれど、不思議と怖くはなかった。

 むしろ懐かしい気配に、胸の奥がじんわり温かくなる。


 闇が形を結び、人の輪郭をかたどっていく。


 黒い影だけでできた人影。

 顔も衣もないのに、確かに人としてそこに立っていた。


「……ヨミ?」


 思わず呼びかける。

 前に会ったときは、もっと曖昧でぼんやりした塊だったはず。


 どうして今日は、こんなに人の姿をしているんだろう。


 ヨミは答えず、静かに歩み寄る。

 影の腕がすっと伸び、わたしの手のひらに触れた。


 ひやりとした冷たさと、どこか懐かしい温もりが同時に広がる。


 だけどその輪郭はすぐに揺らぎ、波紋のように崩れかけては、また収束した。


「……不安定?」


 ぽつりと呟いた言葉に、ヨミは沈黙したまま。

 けれど、影の奥でひときわ強く青い光が瞬き、まるで肯定するように見えた。


「魔石も……こうやって崩れるってこと?」


 問いかけると、ヨミの人影は大きく揺れ、ぱっと崩れそうになり――またすぐに形を取り戻した。


 その不安定さが、何よりの答えだった。


 ヨミの影がぐらりと揺らぎ、また収束する。

 その様子を見つめながら、わたしはふと所長の講義を思い出した。


 ――魔石は、純粋な魔力の塊。

 そして、それは魔獣や魔物からしか取れない。


 ……そうか。だから採掘で出てくる魔石は不安定なんだ。


 ただの鉱石に魔力が染みこんでいるだけで、純粋なものじゃない。

 それで数が必要になるのだろう。


 結界に使うなら、本当に純粋な魔石が必要。

 つまり、魔獣や魔物を狩って取り出さなきゃならないってことだ。


「効率、悪すぎるよ」


 ぽつりと呟いた言葉は、空間に吸い込まれていった。


 ヨミは何も答えない。

 ただ静かに見つめている。

 でもその無言が、逆に正解だと告げているようで、胸がぎゅっと痛んだ。


 すると、小さな光の粒がふわりと肩に降りた。


 火の精霊が手を繋ぐように指先に触れて、土の精霊が肩で跳ねた。


「……みんな」


 顔を上げると、周囲の精霊たちが輪になって舞い、まるで「大丈夫」とでも言うように揺れていた。


 ヨミの影も揺らぎを収め、静かにそこに立っている。

 言葉はなくても、じっと見守る眼差しに、不思議と力が湧いてくる。


「……そっか。難しいのはわかってる。でも、諦めたくないんだ」


 精霊たちはぱっと光を弾けさせ、きらきらと夜空みたいな空間を彩った。


 それは答えじゃなく、ただ寄り添ってくれる励ましの光だった。


「そうだね……何ができるかわからないけど、やってみるよ」


 そろそろ時間だ。


「今すぐは無理。でも、必ず何か道はあるはず」


 わたしは小さく呟いて、両手を握りしめた。

 ヨミの影も静かに頷いたように見えた。

 言葉なんてなくても――ちゃんと伝わっている。


「わたし、諦めないから」


 夜空のような世界で、そう心に誓った。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ