55話 再構築 ~侍女は語る~
夕暮れが差し込む客室で、わたしは用意された食事の前に腰を下ろしていた。
銀の燭台に灯された炎が、壁に淡い影を揺らしている。
ロエナも同席していたが、彼女の表情にはどこか沈んだ影があった。
昼間、アゼレアから告げられた在庫記録の再構築という新たな課題。
その重さを、ロエナもまた理解しているのだろう。
「……お嬢様」
ロエナが眉を寄せ、申し訳なさそうな顔でそっと口を開く。
「私も仕分けの補助ならできますけれど……帳簿の再構築となると、完全にはお力になれないかもしれません」
わたしはスープの匙を置き、深く息をついた。
ロエナを無理矢理、協力させているのだ。
むしろ、わたしの方こそ申し訳なく思う。
「ううん、ロエナ。わたしこそ……きっとやり方を考えないと、次はできないと思う」
アゼレアが与えた責務は、単なる作業ではなく仕組みの再構築だ。
わたしなら何か新しい方法を編み出すと、そんな期待すら滲んでいた。
だけど、わたしに何を期待しているのだろう。
考えても答えはでない。
むしろその期待が重圧に変わって、わたしに重くのしかかる。
「……でも、お嬢様」
ロエナは言葉を選ぶようにして続けた。
「アゼレア様があえてその課題を与えたのなら……それは見込みがあると見られている証拠ではありませんか?」
「見込み……」
わたしは呟き、思わず顔を上げた。
ロエナの瞳は真剣で、少しも揺れていない。
「噂話は私も耳にして、知っております。邸の女中たちが恐れるように、アゼレア様は冷酷なお方なのだと思います。でも……別のお姿も見ています」
……別の姿。
「お嬢様や使用人たちを理不尽に叱ることなく、的確に指示を与えておられたお姿を。私たちには心優しい主人を……私は、自分の目で見たものを信じたい……あれは、本当に傲慢で残虐な令嬢。鮮血と呼ばれる方のお姿なのでしょうか?」
わたしは言葉を失った。
ロエナの言うとおりだ。
確かにアゼレアは冷酷だが、それは感情のままに人を斬り捨てる残虐さではなく、成果を出せぬ者を切り捨てる徹底さ。
……感情のまま動く人物なら、お姉ちゃんもアイナも無事ではなかったはず。でも、ただの気紛れだった可能性も……それに孤児たちは……。
わからない。
邸で流れる噂は、ただ恐怖と悪名だけだ。
「……わからないの」
わたしはスープに視線を落とし、小さく呟いた。
「優しい人だと慕う声も、冷たい人だと恐れる声も……どちらも本当で、でも同時に矛盾してる。だから……アゼレア様が本当は、どういう方なのか……」
ロエナは黙って頷いた。
だが、その瞳には主を信じる強さが宿っているように見えた。
夜も深まり、邸内は静まり返っていた。
寝台に身を沈めながら、わたしは今日一日の出来事を思い返していた。
倉庫の整理、ロエナとのやり取り、そして何よりも、あの課題。
すべてが頭から離れない。
そんな時、頭の奥に低くはっきりとした声が響いた。
(……ルルーナ、聞こえているか)
びくりと身を起こす。
(所長っ! あのですね――)
(落ち着きなさい)
わたしは深呼吸をして、胸の高鳴りを抑える。
(……はい。今日も無事です。課題も、なんとか……)
昼間の報告を伝えると、それを聞いた所長は短く、しかし確かな声で告げた。
(よくやった)
わたしの緊張していた肩の力が、わずかに抜けるのがわかる。
(それと、一つ確認したいことがある)
(……確認……ですか?)
(憶えている範囲でよい。アゼレアが、君の知人であるアイナに黒曜石を渡してはいなかったか?)
わたしは首を傾げた。
アゼレアがアイナに何か渡すとすれば、あの時しかないだろうと、記憶を振り返る。
……アイナと接触したタイミングってあの時だけだし、何か放ってたような……でも、あれって金貨だったような。
(う~ん……去り際に何か投げたように見えましたが、金貨じゃなくて黒曜石ですよね……? ……憶えがありません)
(ふむ……そうか)
わずかな沈黙の後、所長は次の言葉に移った。
(よい。では明日の課題についてだ。君は倉庫の整理を終えたが、明日は在庫の仕分けだけではなく、体系を整え、管理が可能な形にまとめねばならぬ。数字を並べるだけでは意味がない。理解しているな?)
(……はい)
胸に不安を抱えながらも、わたしは小さく頷く。
明日の課題もそうだが、やはり気になっていることを尋ねた。
(所長、みんなは大丈夫ですか? その……心配とか)
(……まったく君は……他人の心配をしている場合ではないのだぞ)
(でも……心配になっちゃうんです)
所長の眉をひそめている表情が目に浮かぶ。
(案ずるな。前回よりは、受けた衝撃は小さい)
……えっ! そうなの?
(各自、やるべきことを全力でこなしている。大丈夫だ)
(本当ですか?)
わたしの言葉に所長は即答した。
(本当だ)
……なら、よかった。
(余計なことに心を奪われるな。課題に集中すること。それが全てを繋げる道だ。詳細は明日だ。安心しなさい。おそらく、課題をこなしている間は安全なはずだ)
念話はそこで途切れた。
時間ギリギリだったのだろう。
わたしは深く息をつき、暗い天井を見上げる。
みんなは大丈夫らしい。
それを聞けただけでも胸の奥に刺さった小さな棘が、抜け落ちたようだった。
……それにしても……黒曜石?
意味も、何のために渡されたのかもわからないまま、夜は静かに更けていく。
翌日、地下倉庫に降り立つと、ひやりとした空気が肌を撫でた。
昨日までに積み上げた整頓作業の成果が、目に見えて並んでいる。
乱雑に山積みされていた木箱や麻袋は、今は壁際に沿ってきちんと積み直され、どこか整然とした雰囲気を漂わせていた。
――「数字を並べるだけでは意味がない」
昨夜の所長の声が耳の奥に残っている。
「体系を……整える……」
小さく呟きながら、わたしは目の前に広がる在庫の山を見渡した。
確かに、物は揃っている。
種類ごとに仕分けし、目印もつけた。
だが、それはあくまで目に見える整頓に過ぎない。
アゼレアが求めているのは、そのさらに奥にある仕組み。
誰が見ても一目で在庫の全体像を把握できる、持続的に機能する枠組みなのだ。
「仕組み……仕組み……」
わたしは頭を抱える。
ここにエステラやノックスがいれば、わたしの記憶の引き出しを刺激出来そうなアイデアを出してくれそうなのだが……。
一人で考え込むと、焦りが先行して上手く頭が回らない。
ロエナと使用人たちは、昨日に比べて明らかに作業に慣れてきていた。
品と絵を照らし合わせる作業も、箱を運ぶ動きも無駄が減り、倉庫の空気は軽快になりつつある。
だが……。
……このままじゃ、ただ並べて終わりだよね。
わたしは帳面に文字を走らせる。
「例えば……袋物は袋物でまとめる? いえ、それじゃ大雑把すぎる。食品と繊維……でも、それぞれがさらに細かく分類できちゃうし……」
視線は自然と積まれた木箱へ向かう。
中身は香辛料。
同じ香辛料でも、産地も品質も異なる。
「香辛料だけでこんなに種類があるのに……まとめすぎたら、後で困るね……」
また別の棚には、織布が折り畳まれて束ねられている。
「布も……色、材質、用途……どう整理すればいいの?」
さらに奥には、鉱石をまとめた頑丈な木箱の山。
「銅に鉄鉱石……これは黒曜石……ツルツルしてる。ここも領内産だけど、地域はバラバラか……」
黒曜石は、サンドレアム領内で採れただろうか?
講義で学んだのは、もっと西の領地だったはずだが……。
……そういえば、黒曜石って――だめだめ、今は集中!
これじゃ、集中していないのと一緒だ。
どんなに考えても、答えは出ない。
わたしは頭を振って、集中し直す。
だが、昨日までの形を整えるだけの整理とは違い、仕組みづくりは考える程、複雑に絡み答えに辿りつかない。
「はぁぁぁぁ……」
溜め息が自然とこぼれる。
木箱の上に腰を下ろし、筆先を唇に当てながら、わたしはぼんやりと倉庫の天井を見上げた。
在庫は確かに整理されている。
けれど、これでは一歩も前に進めない。
所長なら、すぐに筋道を立てるのだろうに。
……でも……所長に頼るばかりじゃ、きっとだめよね。
そう自分を叱咤し、帳面を睨みつける。
しかし、浮かんでくるのはどれも中途半端な分類案ばかり。
午前の時間は思索と試行錯誤だけで費やされ、目に見える進展は一つもなかった。
夕食の時間となり、在庫再構築の一日目が終わりを告げ、わたしは客室へ戻る。
そこは昼間の倉庫とは別世界のように静かだった。
白いクロスが敷かれた小ぶりの机。
燭台の炎がゆらゆらと影を揺らし、食卓に柔らかな光を落としている。
わたしはスープを口に運びながら、胸の奥に引っかかっていた迷いを吐き出すように口を開いた。
「……ねぇ、ロエナ。今日一日、頑張ってみたんだけど……どうもうまくいかないの。並べるだけじゃ、意味がない気がして……」
ロエナは少し驚いたように目を瞬かせたが、すぐに微笑んだ。
「お嬢様は、すぐに答えを出そうとされますものね。でも、きっと少しずつ形になると思います」
「少しずつ……か。でも、アゼレア様が与えた課題は、きっとそんな悠長なものじゃない気がするの」
わたしの声には、自分でもわかるほど焦りが滲んでいた。
ロエナは一瞬言葉を選ぶように、手にしたティーポットを置き、姿勢を正した。
「……お嬢様。差し出がましいかもしれませんが、私の話を少し聞いていただけますか?」
わたしが頷くと、ロエナは遠い記憶をたぐるようにゆっくりと語り始めた。
「私は、もともと平民の出身でございます。侍女、いえ正確には女中として仕えるようになった頃は、周囲から何度も……他の娘たちのような才覚も教養もないと馬鹿にされてきました」
ロエナの指先は、膝の上でそっと組まれている。
その声には苦い思い出の影がありながらも、不思議と澄んでいた。
「でも、そんな時に……アゼレア様だけは違いました。私の書いた記録を一目見て、綺麗な字ねとおっしゃってくださったのです。たった一言でしたけれど……あの時の嬉しさは、今も忘れられません」
ロエナが、ほんの少し微笑む。
「アゼレア様はできないことを叱るよりも、できることを見つけてくださる方です。そして、その小さな努力を……必ず見てくださいます。そして、私はアゼレア様の侍女に……」
「……」
ロエナが小さく頭を振った。
「おかしいですよね……上級貴族の侍女が平民だなんて……」
わたしはスープを置き、優しく語るロエナの話に黙って聞き入っていた。
「私には、字を書くくらいしか取り柄がございませんでした。それでも、その力を役に立てられるようにと励んでいると、アゼレア様は必ず評価してくださった。だから……私は、この方に仕えたい、と心から思ったのです」
わたしの胸の中で、何かが静かに揺れた。
冷酷さと優しさ、二つの顔を持つアゼレア。
処刑の噂に怯える女中たちの声が、頭の中でよみがえる。
だが目の前のロエナの言葉は、確かな温もりを帯びていた。
「……ロエナ。あなたは……その言葉を信じて仕えているのね」
わたしは思わず言葉を漏らした。
「はい。たとえ他の方からどう見えようとも、私にとってアゼレア様は恩人であり、心優しき主人です」
ロエナの瞳は揺らぎのない誠実さに満ちていた。
その姿に、わたしはふと自分を重ねる。
……所長も厳しいけれど、本当に大切なものを見落とさない人。だからこそ、自分は信じてここまで来られたんだ。
夕食の終わりには、昼間よりも少しだけ心の重みが軽くなっていた。
……前を見なくちゃ。




