44話 トマトは導く ~違和感の正体3~
所長はジークから大きな鞄を受け取ると、何も言わず扉を閉めた。
扉が閉まる直前、ジークがわたしを見て、小さく頷いた。
……頑張ります。
外の喧騒は遠のき、室内にはランプの光と薬品の匂いが満ちる。
わたしは、作業を続ける所長の背中をじっと見つめた。
所長は机の上にトマトを置き、手袋をはめ直すと小さな刃物で皮を切り裂く。
その指先の動きは、まるで外科医のように無駄がない。
トマトの中から赤黒い汁がどろりと出る。
「なるほど……」
所長の声は低く、しかしどこか興味深げだった。
さらに果肉を刃物の先でどけて、内部を観察する。
「これって、何なんです?」
わたしは思わず身を乗り出す。
「まだ断定はできん。赤すぎる。そして不自然な黒色。自然な熟れ方ではないことは確定だ」
所長は、切り口から出た汁を小瓶に垂らしていく。
ある程度の量になったところで、細いガラス棒でかき混ぜた。
そして、小さな瓶に入っていた緑の液体を一滴垂らす。
すると、一気に液体がどす黒く変色した。
「……やはり」
所長の目が鋭さを増した。
……何? あの色は見るからにヤバそうだけど。
所長が辺りを見渡し、遺体の横にあった乾いた吐瀉物にも一滴垂らすが、こちらは色の変化はなかった。
「だとすると……」
一体何をしているのかわからないが、今は口を出さない方がいいだろう。
わたしは静かにその光景を見守った。
「ルルーナ。君に渡した魔石が、何色に変化したらまずいと言ったか覚えているか?」
「黒色です」
「そうだ。空気中に害があるならば黒く染まるはずだ。今は何色だ?」
そう言われて、わたしは懐から魔石を取り出し確認すると、やはり元の色のままだった。
……つまり、空気中に害となるものは存在しない?
「変化していません」
所長は小さく頷くと、袋から小さな魔石の欠片を手に取り、トマトにぐっと押し込んだ。
すると、押し込まれた魔石はみるみる黒色に変わり、パリンと音を立て砕け散った。
「えっ!」
「そういうことだ」
つまりトマトは有害だということだ。
「猛毒ですか?」
「いや、魔石が小さすぎてすぐ砕けただけだ……だが摂取しては命にかかわる毒には変わりない」
背中を冷や汗がつたうのがわかる。
やはり、トマトには毒が含まれていたのだ。
昨日から感じていた違和感の正体。
はっきりと掴めなかったそれは、たぶんこれだ。
変な腐り方ではなく、そこに毒があったと認識すると胸のざわめきは弱くなったが、まだ何かある気がする。
……なんで、トマトに毒を? この人を殺害しようと?
次に所長は棚にあった空き瓶を手に取った。
「何をするんですか?」
「すぐわかる」
所長は、手に取った空き瓶に緑の液体を少量入れた。
瓶に封をして、ゆっくりと速度を上げるように上下に振った。
すると、緑の液体がみるみるうちに黒く染まっていく。
「えっ!? ……黒色」
「そうだ。つまり、この瓶の中に毒物が入っていたのだろう。肉眼では見えなくとも瓶の内側に毒の成分が残っている場合もある。覚えておきなさい」
「……はい」
……やっぱりこの人は凄い。どこまで見当がついているの?
「さて、ルルーナ。この亡くなった男は何者だと思う?」
……どういうこと?
所長の静かな声が、背中にひやりと突き刺さる。
……ただの被害者? それとも、もっと別の……?
わたしの脳裏に、昨日見た顔と、毒の入ったトマトが重なっていった。




