10話 道具の使い方
ポールに協力してもらい、洗濯板の試作品が完成した日の昼食後、わたしとエステラはレント商会の倉庫へ向かった。
ノックスへの現状報告と、エステラが作ったおろし金の作製許可を貰うことが目的だ。
「へぇ~、これが洗濯板かぁ」
試作品の洗濯板を手に重さを確認したり、触り心地を試したりと、ノックスが興味津々に観察している。
大丈夫だとは思うが、わたしとエステラはドキドキと落ち着かない様子で、ノックスの判断を待つ。
「ノックス、持ってきたよ。こっちに入れるの?」
「ああ、お願い」
水を汲んできたアイナが桶に水を張ると、汚れた雑巾を手にノックスが洗濯板の使用感を試し始めた。
ノックスが桶の前に屈み、ぎこちない動きでゴシゴシと洗濯板に雑巾を擦り合わせる。
それは、わたしが前世で小さい頃にやっていた光景によく似ていた。
◇ ◆ ◇
おばあちゃんの家の洗濯機が壊れた時、わたしは庭でタライに水を張り、洗濯板を使ってゴシゴシとタオルを洗っていた。
どうも使い方が間違っていたらしく、おばあちゃんが使い方の手本を見せてくれた。
「それじゃぁ、上手く汚れは落とせないねぇ」
「えっ? こうじゃないの?」
「はっはっ……貸してごらん」
そう言って、おばあちゃんは板を少し角度を付けて縦置きにした。
「こうやって、少し斜めにして縦に擦るんだよ」
おばあちゃんが左手でタオルを抑え、右手で汚れた箇所を持つ。
上から下へタオル同士を擦り合わせ、桶の水をすくいながら、また上にタオルを戻し上手に板に擦り合わせていく。
すくった水で浮き出た汚れを洗い流しながら、その作業を繰り返す。
「すご~い」
「慣れればすぐさね。気を付けるのは……」
◇ ◆ ◇
……懐かしいなぁ。
ノックスの洗う姿を見ている内に、わたしが遠い昔、おばあちゃんに言われた事を思い出した。
「う~ん、思ったより布が傷んじゃうね」
予想とは違ったようで、ノックスが眉を寄せる。
「お兄ちゃん、ちょっといい?」
「ん? ああ、どうぞ」
わたしはノックスの横に屈むと、おばあちゃんの言葉を思い出しながら手本を見せる。
「こうやって縦置きにして……」
わたしは、あの時の動きを真似る。ゆっくりと動かしながら、雑巾を擦り合わせた。
「大事なのは、板でゴシゴシするんじゃなくて、雑巾同士を擦り合わせるの。こうやって板に押し当てる感じで……」
雑巾同士を擦り合わせて出る汚れを、板の凹凸に押し当てながら汚れを押し出す。こうすることで雑巾を必要以上に痛める心配は無い。
左手で雑巾を抑え、右手で擦りながら押し当てる事で、板の凹凸によって普通に擦るより汚れの落ちもいい。
「おっ? おおぉ、そう使うのかっ!」
「すごいね、妹ちゃん」
いつの間にか、わたしの周りに三人とも屈み込んで、目をパッチリ開けて興味深く洗濯作業を見ている。
……あっ、これヤバいやつ? そういえば、アイナもいたんだった……。
妙に手慣れた動きがノックスに怪しまれないか、さらに製品の発案や発想に関わっていることが、家族以外にバレたらマズイ。
どうにかして誤魔化せないか内心焦っていると、わたしの様子を見ていたエステラが、なにかを察したように口を開いた。
「何度もポールと動きを合わせて考えてたのは、これだったのね」
……ナイスフォローだよ! お姉ちゃん。
「う、うん」
一瞬、怪しまれると焦ったけれど、エステラの補足で事なきを得た。
一つに集中しちゃうと、うっかりミスが多いことが、わたしの駄目なところかもしれない。
「これなら十分いけそうだね。アイナ、会長に面会予約を取ってきてくれないかい?」
「うん、わかったよ。ちょっと行ってくる」
ノックスの言葉を受けると、アイナが立ち上がり駆け足で倉庫から出ていった。
その姿を目で追っていたノックスが、ふっと笑って「大丈夫だよ」と、わたしの頭を軽く撫でた。
「ルルのことをアイナが知ってしまうのは大丈夫。ごめん、言うのが遅くなったね」
その言葉に少々驚いた。そんな簡単に知られてしまって大丈夫なのだろうか。
「アイナが僕の雑務を手伝うことになったからね。遅かれ早かれ知られるさ。それなら、先に知らせておこうってね」
「大丈夫なの兄さん?」
両親はそれを知っているのか、という心配もあるのだろう。エステラが心配そうな顔でノックスに尋ねた。
「父さんと母さんも、了承済みさ。ステラも知っての通り、アイナの性格なら恩を仇で返すことはしない。アイナの性格に関しては、レンさんのお墨付きだよ。アイナも親友の妹を危険に晒す真似はしないし、むしろ絶対に守るって言ってたから」
どうやら、他人に知られることによる危険性も話してあるようで、その上での先程の発言だったようだ。
それにしても、レンさんの名前が出てきたのには驚いた。エステラも同様で驚きを隠せないでいる。
「レンさんにも、この話を?」
やはり気にした顔でエステラが尋ねると、それを聞いたノックスは「やっぱりそうなるよね」と、経緯を話してくれた。
「アイナがここで働くと決まる前に、商会の指示で彼女の人間性を聞いておいたんだ。まぁ、レンさんの言葉があったから、会長も働く許可を出したんだけどね。商会の情報を売られても困るしさ。レンさんには、ルルに関することは話してないよ。そこはアイナも秘密にしてくれると約束してくれた」
「そうだったんだね。考えたのがルルってバレるんじゃないかって、さっきは焦ったよ」
「さっきはありがとう、お姉ちゃん」
やはり先程のフォローは、アイナにバレないようにと咄嗟に気を利かせたものだったようだ。これはエステラに感謝しなければ。結果的に手慣れた動きもポールと練習したことになったのは大きい。
……お兄ちゃんも誤魔化せたから超ナイスだよ。お姉ちゃん!
◇ ◆ ◇
桶を片付けてアイナが戻ってくるのを待っていると、エステラがノックスに例の物を見せていた。ポールの工房で暇を持て余していた時に作った物だ。
「兄さん、これ見て」
エステラの鞄から取り出された物を見て、ノックスが首を傾げた。
「う~ん? ギザギザした板だね。何に使うんだい?」
「果物とか野菜を、こうやってガシガシと……」
エステラの身振り手振りを交えた説明に頷きながら、顎に手を当ててノックスが考え込む。
わたしは前世の知識から色々な用途を知っているので、おろし金が良いアイデアだと思っていたのだが、ノックスの様子を見ていると、今までとは異なり食い付きが悪い。
……結構良いと思うんだけどなぁ~。
「ステラの発想は素晴らしいね。でも、これだけで会長を説得するには、ちょっと弱いかな」
「う~ん、弱いのかぁ」
エステラがちょっとしょんぼり顔だ。その顔は可愛いけれど、今はそれを愛でている場合ではない。
今のままでは、おろし金を商品化するには押しが弱いようで、もう少し、後押しする何かが欲しいところだった。
ノックスもなんとか付加価値を付けようと、目を閉じ考えに耽っている。
わたしは前世の万能おろし金のように「大小の穴を開けてみては?」と提案したが、どうもしっくりこないようだ。
「う~ん……すり鉢でも可能だしなぁ」
「やっぱ、そうだよねぇ。小さくしただけだもんね」
わたしは、二人の会話に小首を傾げた。
……すり鉢でも? すり鉢と一緒だと思ってる? なんで?
もしかすると、エステラは、すり鉢と似たような作業を出先でも行うために作ったのではないだろうか。例えば、森でも使えるようにと……。
持ち運びを容易にするため、小さな鞄に収まるサイズに小型化しただけならば、すり鉢と同じ用途で使うだけと考えてもおかしくない。
……どうりで噛み合わなかったわけだ。
確かにあの時、エステラは「すり鉢いらなそうじゃない?」と、言った。冷静に考えれば、すり鉢の代替品だ。
形だけを見ておろし金だと、わたしが勝手に先走って勘違いしていただけかもしれない。
……しっかり用途を聞いておけば……うん? だとしたら。
わたしはピンときた。
二人は『すりおろす』という行為を知らないのではないか。
わたしは、すりおろした状態とすり潰した状態では全く違うと知っているが、おそらく二人は知らない。そもそも、すりおろすという行為が無いのであれば、知らなくて当然だ。知らないものには気付きようがない。
……これは気付かなかったなぁ。でも、変に野菜をすりおろしてとか言わなくて正解だったね……って、これ、どう説明しよう……。
机の上のおろし金を中心に三人で腕組をして、ウンウン唸っているとアイナが戻ってきた。
「四の鐘が鳴ってからなら、大丈夫だってさ……って」
三人が腕組をして、おろし金をじっと見つめているのが不思議だったのだろう。アイナがキョトンした表情で椅子に腰掛ける。
「これは何?」
アイナがおろし金を指差して尋ねると「ああ、面会予約ありがとう。これはすり鉢の代わりみたいな……物かな」と、ノックスが自信無さげに言葉を返す。
「へぇ~、でもこれだと香辛料も粉状にできなそうだね。目も粗いしさ」
「アイナもそう思う? やっぱり駄目かぁ~」
アイナの真っ直ぐな感想に、エステラは両手で頭を抱えて仰け反った。
……粉状に出来ない……粉状――あっ、それ、採用!
「ねぇ、お兄ちゃん」
「ん? 何か思い付いたかい?」
わたしの顔を見たノックスが眉尻を上げそう言った。やはり顔に出やすいのだろうか。
エステラも身を乗り出して、こちらを注目している。アイナだけが、二人の様子に「どうしたの?」と、キョロキョロ困惑気味だ。
「わざわざ、すり潰す必要ないんじゃない?」
一同、何を言っているんだと口を開け、呆気に囚われている。
それはそうだろう。すり潰すための道具なのに、その必要はないと言っているのだから。
「お兄ちゃん、野菜のみじん切りと千切りって何が違う?」
「切り方かな? あとは食材の形が変わるんじゃないかい?」
わたしはウンウンと大きく頷いて「食べた時は?」と返すと、やや間があって、ノックスがはっとした表情に変わった。
「食感が違う……」
「そう、食感。無理に潰さないで、こうガシガシやった状態って、他の調理道具でも可能?」
ノックスは少し考え込むと、机をまな板に例えて動きを真似しながら答えた。
「料理人じゃないから詳しくはないけど、包丁で細かく刻んだ後、腹の部分で叩くようにしたりすれば出来るかもしれない。でも、時間はかかりそうだね」
「そうだよね。これを使えば時間の短縮になるし、潰さない微妙な状態の食材になるよね」
そこまで説明すると、エステラが「あぁ~」と、大きい声で叫んだ。何かに気付いたんだろう。この勘の鋭さはすごい。
「今までにない形。つまり、新しい食感ってこと?」
……流石はお姉ちゃん。
ノックスもポンと手を打ち「新しい料理が……」と、嬉しそうに呟いた。
「これは良いかも。試作品だけでも作って、料理人に試してもらおう!」
そう言ったものの、ノックスが急に黙り込んだ。
……嫌な予感。
らんらんと目が輝き出したかと思うと、椅子から勢いよく立ち上がった。
こうなると止まらないことを既に学んだわたしは、すぐにアイナの後ろ側へと、椅子ごと移動する。
……ふぅ、お姉ちゃん、ごめん。
案の定「妹たちは天才だぁ~」と叫びながら、近くにいたエステラの両手を握り、上下に振って喜んでいる。
「ノックス……どうしたのよ?」
わたしはアイナの耳元で「いつものことだから」と、小さな声で告げると、困惑気味に様子を見ていたアイナがクスッと笑い、大きく溜息をついた。
「なんか安心した。ノックスにも子供っぽいところがあるんだね」
アイナはくるりと振り向いて、ニコッと笑った。
「安心?」
「うん。いつも仕事を教えるのも上手くてさ、態度も大人っぽいし」
「ああ、なるほどね~」
わたしから見ても、仕事中のノックスは大人っぽいのだ。
今まで接する機会が少なく、ましてや同い年のアイナからすれば最もな意見だった。
先程から、ノックスの歓喜状態に巻き込まれているエステラがジト目でこちらを見ているが、アイナと一緒に笑って誤魔化した。
しばらくして、通常モードに戻ったノックスと今後の打ち合わせを行った。
洗濯板の件は会長に報告するとして、試作品はノックスが自宅に持ち帰る。
せっかくの試作品なので、わたしたちで使ってみることにした。実際に使ってみることで、改良点も見えてくるかもしれない。
おろし金の方は、エステラの提案で試作品をラウルの鍛冶場に依頼する。
書類は後日作製するので、今日はその報告のみだ。
おろし金を試してもらう料理人については、ノックスは会長にも協力してもらい、何人か候補を考えたいようだ。それについてはわたしも賛成だった。
色々な人に頼んだほうが、創作料理のアイデアも多く出ると思う。
◇ ◆ ◇
工房から帰宅し夕食を済ませた後、ノックスから報告の詳細と明日以降の段取りを聞かされた。
まず洗濯板に関しては、商品化することに決まったそうだ。
需要はかなりあるはずなので、会長も乗り気らしい。金額は金貨一枚と結果次第での追加となるが、最高で金貨三枚だそうだ。
「お兄ちゃん、金貨三枚って香り付け石鹸より、だいぶ少ないけど?」
「ああ、それはね……」
香り付けの石鹸より、追加の金額がだいぶ少ないのには理由があった。
ノックスが言うには、需要はあるが完成品をすぐに他の商会に真似され、市場を独占できる期間が短いこと。
他には石鹸と違い、壊れない限り再購入する必要がないことや、貴族相手に売れる物ではないからだそうだ。
そもそも貴族の侍女等は、貴族の家柄の者たちが多く、魔法でササッと洗濯するので、水洗いとは無縁らしい。それが売れない大きな理由だった。
売れたとしても、貴族の侍女を持てない下級貴族がいた場合だけのようだ。
……えぇ~、なにそれ。
魔法の万能さに口を尖らせていると、エステラが急にププッと吹き出した。
「もう、ルル。そんな顔しないでよ」
……だってズルいじゃん魔法。
用意されたお茶を飲んで「ふぅ~」と気を取り直し、おろし金の話に移った。
一応、試作品作製の許可は取れたようで、明日には依頼書を書くそうだ。
午前中には書き上がるそうで、午後から鍛冶場にはわたし、エステラ、アイナの三人。工房には今後の事も兼ねてノックスが出向くことになった。
両方ともノックスが行く予定ではあったが、揃える材料の関係もあり、冬が間近に迫っているので少しでも急ぎたいらしい。
問題も無く話し合いは終わり、体を拭いて就寝準備だ。
一足先に子供部屋へ戻っていたエステラは、既にスヤスヤと寝息を立てている。
わたしはエステラを起こさないようにそっと窓を少し開けると、スーッと部屋に入り込んでくる冷たい空気に身を震わせた。
……おぉ、今日は一段と寒い。鼻の奥がじんじんする。
あと数日で光の月の前節だ。前世で言えば一月にあたる。
今の時期は夜になると街中は積もることはないが、ちらほら雪が舞う。
灰色の雲の隙間から差し込む月明かりが、舞う雪に反射してキラキラと輝いている。
わたしは、とても幻想的なこの景色が好きで、毎年、寝る前にこの景色を眺めては考えを整理している。
ここのところ、空いている時間は商人の真似事ばかりだが、世間の常識を知るいい機会だと思い、積極的に関わっている。
おかげで、色々な人に出会い、周囲の人間関係も少しは分かってきた。
常識については、いつも自分の認識の甘さに肩を落とすが、これもいい勉強だろう。
でも、いつぶりだろうか。知識を得ようと必死で努力をしたのは……。
振り返ってみても、この世界に来る以前なら、最後に勉強した記憶は大学受験だろうか。
……参考書買ったり、バイトしたりで忙しかったなぁ。
遠くをぼんやり眺めながら、あの頃を思い出す。
冬の空気を感じる冷たく澄んだ秋の日。
いつも立ち寄る書店で気晴らしにと、参考書を買うついでに、気になったラノベを一冊だけ手に取りレジへ向かった。
切りの良いところで、気分転換にとラノベを読み始めたはいいが、これが思いの外面白くて朝まで読みふけり、続きが気になって次の日には全巻揃えてしまった。
そのおかげで、他の参考書代が無くなり、急遽バイトを入れ、忙しかった日々。
……あの時、ラノベにハマったんだっけ。大変な時期にハマったもんだね。
今思えば、前世の時から一つに集中して、大ポカをやらかす性格は直ってないらしい。
……今日も結果的には、お姉ちゃんに助けられたなぁ。ありがとう、お姉ちゃん。
今日の失敗は、前世の知識を持っていた弊害だろう。
わたしが、しっかり確認しなかったのも悪いのだが、当たり前だと認識していることが、この世界では通じない。
ここは異世界なのだ。人や物、宗教や文化だって違う。
何度もそう自分に言い聞かせても、なかなか直せそうにない。
……難しいけど、自分で気を付けるしかないよね。
ぼーっと舞う雪を見ながら考えていると、雪の中にふわふわと浮き、テニスボールサイズの小さく発光しているような物が見えた。
……何ですかアレは?
目を凝らして見ても、ぼんやりと光ってよく見えない。
例えるなら、不思議空間でよく目にする球体と似ていた。
何度か点滅したようにも見えたが、ここからではハッキリしない。月明かりを反射しただけだろうか。それとも……。
……もしかして、雪の妖精さん? ようこそっ! ファンタジー!!
などと頭の中で叫ぶと、球体は消えてしまった。
……恥ずかしがり屋さんめっ! 雪ん子かい? それとも座敷童子?
だいぶ夜も遅い。
よくよく考えてみれば、自分で妖精かと思ったのに、次の瞬間には妖怪の類を考えてる時点で半分寝ぼけていたのだろう。
言動も深夜テンションのわたしそのもの。夢の中で脈絡の無い行動をしてしまうときに、よく似ている。
……はぁ~、あの球体にも似てたし、こりゃぁ、寝ぼけてたね。
目もショボショボしてきたので、窓を閉めて寝床に戻る。
冷えた両足を擦り合わせながら、ゴワゴワの布団を頭から被ると、ゆっくり目を閉じた。
残念な気もするが、良いものが見られた程度に思っておくことにした。
でも欲を言うと、せっかくの異世界だ。存在するならば、やっぱり妖精や、精霊に会ってみたい。そこは妖怪でもいいと思っている。
言葉を交わせるのであれば、前世では認識すら出来なかった存在と会話をしてみたい。
そんな、前世では叶えられなかった小さな願いを思い返しながら、わたしは眠りについた。
◇ ◆ ◇
あれからどれくらい時間が経っただろうか? わたしは、不意に体がふわりと浮いたような感覚に目を覚ました。
体が動かないので、周りを目だけで見渡し、現実ではないことを確認した。
……ああ、これかぁ。ふわりと浮く感覚って、最初はびっくりして怖かったなぁ。もう慣れたけど。
体を綿毛に包まれたように感じながら、いつもの不思議な現象だろうと冷静に対処して、記憶が流れ込むのを待つ。
……さぁ、こいこい……って、あれ?
いつの記憶だろうか? 小さなわたしが優しい月明かりの下、自宅の縁側に座って楽しくおしゃべりをしている。
相手は腰に届きそうな長い髪で、光が当たると淡く紫がかるような色合いの銀髪。服装から女の子だろう。
わたしは監視カメラのように、俯瞰的に二人の背中を見ながら、銀髪の女の子との出来事を思い出そうとするが、なかなか思い出せない。
……いつもなら、すぐ思い出すのに……。
いつもと勝手が違うことに戸惑いながら、記憶を整理する。
まずは、おばあちゃんの家ではなく、これは自宅だろう。
次に、わたしの背が小さく、見覚えのある保育園の鞄が脇に置いてある。きっと五歳前後の記憶のはず。
夜の縁側に居るということは、親に怒られたか、保育園で何かあったのだろう。嫌な事があった時は、よく縁側で一人だったはずだ。
……保育園? もしかして、幽霊が見えるって言ったら、馬鹿にされた時の?
前世の幼年期の記憶――落ち込んでいた時、夜になるとふらっと現れては、度々、話を聞いてくれた女の子の記憶――。
小学生になった頃、きっと近所の子だろうとあちこち見て回ったが、出会えずにいた女の子。
だからだろうか。おばあちゃんの話をよく聞くようになったのは。
確か神社や祠で妖怪の類を探し回ったのは、その頃からだったと思う。
大学生になる頃には、もう最初の頃の想いなどすっかり忘れてしまっていた。
……そうだった。この子に会いたくて、初めて探したんだった。
そう気付いた途端、小さなわたしのおしゃべりを聞いていた彼女が、肩越しにこちらへ振り向き、優しく笑った気がした。
ここまで拙い文を読んでいただきありがとうございます!
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次回は「風邪?」です。お楽しみに!