9話 孤児院のアイナ ~それでも責める気にはなれない~
三の鐘が鳴る前には出来上がった試作品ぬか石鹸。
わたしが作ったそれを、腕のあちこちに塗りながら、目を輝かせて興奮しているノックスがそこにいた。
「凄い、これは凄いぞ!」
エステラは、珍しい物を見るような目つきでノックスを見て、大きく溜息を吐いた。
……お兄ちゃんが止まらないなぁ。
「兄さん……しばらく放おって置くしかないね。他にも使えそうな物ある?」
ノックスを放置することに決め、わたしとエステラは再び倉庫内を見て回る。
倉庫内にある様々な材料を見て思いつく物はあるのだが、わたしが作ってしまうと、成分や効果の言い訳ができない。
なぜ、そうなると知っているのか? これの説明が難しい。
お金を稼ぐことを急いだのと、重曹なのか確認したかったため、かなり強引にさっきは実験してしまった。
作ってから言い訳はどうしようと焦ったのは、ついさっきのことだ。
……うーん……改良案や、あったら便利だよね的な方向性を考えるだけの方がいいかも。お兄ちゃんに任せてみて、完成品がわたしの思っていたのと違う場合は、しょうがないよね。
わたしが研究をできれば、実験中の偶然を装うことも可能なのにと、歯痒く思う。
ここにある物を使えば、アルコールランプや、洗濯板、手押しポンプ、植物油脂の石鹸など、その程度なら作れそうだ。
あとは、鍛冶や木工が得意な人もいないと厳しい……。
わたしでは材料の加工ができないのだ。
注意すべきは、この世界特有の不思議な物。どんな効果があるのかも、未知数だ。
変に爆発など起こったら困る。
……今は、ぬか石鹸と石鹸の香り付けの二つでいいか。いくらぐらいになるんだろう?
「この『ぬか石鹸』は様子を見てからにするとして、石鹸への香り付けの案は良いと思う。それにしても、石鹸に香りを付けるかぁ……」
平静さを取り戻したノックスが香り付けの案に賛成した。
その件で上司と相談する必要があるらしく、一緒に倉庫を出る。
お店の入り口に戻ると「それじゃ、行ってくるよ」と、ノックスは報告へ向かった。
ノックスの背中を目で追いながら、ぬか石鹸の製造工程などへの疑問や追求がなくて、わたしは内心ホッとしていた。
◇ ◆ ◇
倉庫での用事を済ませたわたしは、不思議な達成感とともに自宅へと向かう。
帰り際、あとはノックスの報告を待つだけなので「孤児院に寄って行かない?」という、エステラの提案に賛成する。
昨日来た時と変わらない様子の教会。
門を抜けると孤児院の前に水色の髪の少女が、石造りの階段に腰を下ろしているのが見えた。
「アイナ……」
「あの子が?」
「うん。行ってみよう」
わたしたちが孤児院に近付くとアイナが顔を上げ、小さく手を振った。
こちらに気付いたようだ。
前髪が目元付近まであり、表情は見えづらいが、元気が無さそうなことだけはわかる。
「エステラ……ごめん。巻き込んだ」
「アイナっ! それはもう済んだでしょ」
「うん……そっちの子は?」
「わたしの妹。まだ洗礼前よ」
アイナは「そっか。こんにちは、妹ちゃん」と言って顔をこちらに向けた。
前髪の間から見えたその瞳は悲しみに満ちた青色。
目元は一晩中泣いていたのが一目でわかる程に、赤く腫れていた。
その目を見た時に、アイナは自分が売られる未来を想像し、絶望している様に思えた。
わたしは声に詰まり、すぐに返事が出来なかった。
全てを諦めてしまっているそんな目。兄姉が見せたあの時の目。
わたしは、兄姉が前を向いていることをわかってはいるが……。
アイナは違う。
なんとか「こんにちは」と返すことができたが、少しぎこちなかったかもしれない。
そんなわたしの様子に何か感じたのか、エステラがすぐに話題をアイナに振ってくれた。
「ねぇ、アイナ。昨日はバタバタしててあまり聞けなかったけど、お金は何に使ったの? 食料と薪以外にも使ったんじゃない?」
「えっと、孤児院の子供たちの体調が悪くてね。薬代と厚手の古着。今年は去年より冬が厳しそうだからさ。あとはしっかりした薪を十分用意したくて」
わたしは息を呑んだ。
「薬と古着はなんとかなった。でも薪は厳しい。このまま本格的な冬になって、薪が足りなくて……」
……どこも厳しそう。
「寒さで体調を崩してまた病気になったら、子供たちはもたない……」
「薪なら、今度一緒に父さんと森へ行くから一緒に行こう。ラウルたちも手伝わせれば、なんとかなるよ」
「うん……ありがとう、エステラ。でも……」
わたしは「大丈夫だよ」とは、とても言い出せなかった。
まだあの改良案が、大銀貨六枚以上になるのかもわからない。
でも、なんとか元気付けてあげたい……。
……まだ諦めるのは早いよ……なんとかするんだから。
「今日はどうしてたの?」
「明け方から薪の代わりになりそうな枝を拾って、さっきまで売ってた……ちゃんと適正価格だぞ」
苦笑したアイナは、ポケットに手を入れ何かを取り出した。
そして、握った手を開いて「今日の稼ぎだよ」と言って、手の中を見せてくれた。
「こんなもんさ実際は。薪になる物は今は高値だ。多く集めたいけど、冬は日が落ちるのも早いし、これでもかなり良い方だよ」
「そうだね……」
……銀貨が二枚。これが今日の稼ぎかぁ。
残り五十八枚。
足りない。圧倒的に足りない。
「でも、全然足りないよ。エステラ……お金が払えなかったら、わたしは売られるんだろ。昨夜、ラウルたちが孤児院に来てさ……聞いたよ。騙されたかもってね。しょうがないよね、捕まるようなことをしてたのは、自分なんだし…………」
どうやら、ラウルたちもおかしなことに気付いたらしい。
泣きそうな声でそう告げたアイナを見て、こんな時に聞くのも悪いと思ったが、わたしは少々疑問に思ったことがあった。
「ねぇ、アイナ。孤児院に大人はいないの? 成人した孤児はどうしてるの?」
「うん? あぁ、妹ちゃんそれは……」
わたしは孤児院がどういった場所なのかはレンから聞いていたので、孤児院の現状の様子を聞きたかったのだ。
アイナの話を聞いて、わたしは驚いた。
思っていた様子とは、随分と違ったからだ。
まず、この孤児院は閉鎖されていた孤児院を、四年前にレンが再び孤児院として開いたのだという。
年々、冬が厳しくなるにつれ、農村の貧しい者たちは食い扶持を減らすために、労働力にならない子供の親権を放棄。
そのため、孤児が溢れてた時期があり、その子供たちをなるべく保護するために、レンが役場へ掛け合ったらしい。
……レンさん、すごい勇気だね。
教会の修道女であるレンは、役場側の反対を押し切ったため、協力してくれる人もいたが、正式な援助はなく、ほぼ一人で切り盛りしてきた。
孤児に文字を教え、狩人と森へ入り教えを請い、薬草を摘み、酒場で雑用をこなして日銭を稼いでいるのだとか。
……お姫様じゃなくて、聖女様だったよ。
教会にいる者たちも好意で手伝ってくれてはいる。
だが、教会自体が援助金や寄付金で成り立っているため、教会からの金銭の援助は、ほとんど期待できないようだ。
「成人した孤児は、いないの?」
「ん? あぁ、いるにはいるんだよ……」
成人した孤児もいるが、孤児であるため信用が無い。
孤児であると知っているこの街で、職に就くのは難しい。
そのため、近い街まで出稼ぎに行ってる者がほとんどのようだ。
しかし、しっかりとした教育を受けていないので、安定した職に就いてる者はいないらしい。
それでも、彼らだって生活があるにもかかわらず、微々たる額だが金銭を送ってくれるだけ有り難い。
だが、冬の時期はその仕送りも、街道が雪で閉ざされるので止まってしまうようだ。
……そういうことかぁ。
そして、アイナ自身はというと、この街の孤児で数人の孤児と生活をしていたらしい。
四年前、一人で面倒を見ることに限界を感じて、再開した孤児院に保護をお願いしたとか。
そして、少ないお金を稼ぐ毎日だ。
ラウルたちも孤児ではないのに、孤児院をたまに手伝ってくれている数少ない者たちらしい。
……悪ガキねぇ……ううん。ただ、この子たちは必死なだけ。
聞かなかったとはいえ、レンはこんなにも孤児院の状況が厳しいとは、一言も言っていなかった。
横目で見れば、エステラも深刻な顔をして聞いている。
金銭関係の話は初めて知ったという感じだ。
アイナに対して悪ガキのイメージはもう無く、子供たちを必死に養うお姉さんみたいなだなというのが、わたしの印象だ。
子供たちのためとはいえ、やった事は良くないことだ。
でも、とてもじゃないが、アイナを責める気にはなれない。
ぼったくり価格とはいえ、買った側もそれでも欲しいから買ったのだろうし。
……ラウルたちもなんだが良い奴っぽいし。
ノックスの言ってた通り、平民は生きるために必死なようだ。
そんなことを考えていたら、アイナが無理やり作ったような笑顔をみせた。
「妹ちゃん、ありがとう。少し気が紛れたよ」
「ううん。わたしも聞きたかったから……」
無理して明るく振る舞おうとするアイナを見ていると、胸が苦しい。
約束の日まで、あと五日。五日間で結果が出るだろうかと考えると、不安になる。もし、駄目だったらと思うと……。
わたしは目を閉じ、ぎゅっと唇を噛み締めた。
帰り際、わたしはどうしてもアイナを元気付けたくて、彼女の手を両手で握る。
「絶対、諦めないで」
そう言ったけれど、本当はわたしの方こそ諦めたくなかった。
……もしも、この世界に神様がいるなら、ううん、妖精さんでも精霊さんでもいい。この子にちょっとだけ、元気を分けてあげて下さい。お願いします……。
急に手を握られたアイナはびっくりしたのか、バッと顔を上げ、目を大きく見開いてわたしを見る。
それは驚いたというよりも、一瞬、何かに息を呑んだような表情だった。
少し間があって「うん。大丈夫だよ、妹ちゃん。ありがとう」と、戸惑った様子で頷いた。
エステラも「無茶だけは、駄目だからね」と告げ、わたしたちは孤児院を後にした。
◇ ◆ ◇
昨日と同じく近道を通って家に向かうと、昨日と同じ三叉路の路地で、ラウルたちに出会った。
……遭遇率高いなぁ。ここで必ず出会うの?
「よぉ、エステラ。おっ、ちっこいのも一緒か」
「今日はどうしたのよ?」
「睨むなよ……別にさぼってたわけじゃないからな?」
手をあげて「こんにちは」と挨拶すれば、ラウルに続き、ポールとマルコもこちらを見て手を上げた。
なぜだか周りを気にしながら、妙にコソコソした様子の三人組だ。
……今度はどうしたんだろ? 動きが怪しすぎるよ。
「まだ決まったわけじゃないんだけど、食堂に来てた客の話をマルコが盗み聞きしてさ。あの商人、なんか怪しいんだよ」
「怪しい? なにそれ?」
今の三人組も相当怪しい動きなのだが、表情は真剣そのものなので、ここは黙っておくことにした。
「被害者を装って孤児の所有権を集めてる奴が最近いるってな。本当だとしたら、孤児の奴隷集めみたいなもんだろ? クズみたいな奴だ」
「もしかして、それって奴隷商? 奴隷の売買って、もう禁止になったんじゃない?」
……奴隷商ねぇ。
「ああ。もう随分前から領内では禁止になってるはずだけど、孤児を陥れて合法的にやってる奴はまだいるらしくてな。他の領地に売るらしい。元奴隷商人って感じだ」
「それに目を付けられたってこと?」
「アイナには昨日、すぐに知らせたよ。絶対に一人で会うなって。万が一があるからな」
「そうね…………」
どうやら、本当に深刻な話のようだ。例の商人は元奴隷商かもしれないと。
……禁止になっても奴隷売買とかって、やっぱりあるんだ。
マルコがお腹をスリスリ触りながら、エステラを見て「あの子供もグルかもよ~」と教えてくれた。
「あの子供って? 商人の息子?」
「うん。わざと騙された可能性もありそうだよねぇ~。商人の息子が、孤児に薪の値段で騙されるぅ? ていうか、そもそも信用のない相手から買うかなぁ?」
エステラが小さく頷いた。
「あれはグルだと思うんだぁ。アイナが旅人に売ってるのを見たか、聞いたかして狙ってたんじゃないかって、うちの親父も同じ意見だったぁ」
……えっ! 親子でグルの可能性? っていうか、マルコって見た目より鋭いのね。
マルコの意見も可能性として有り得るだろう。
教育を受けてる商人の息子が、簡単に騙されるだろうか。
もしも、その話が本当なら、アイナは罠にかかった獲物だ。
「そういう理由で、噂話を集めてる最中なんだ……」
ポールが周りを気にしながら、小声でそう告げた。
「そんなわけでまたな、エステラ。何かわかったら知らせてやるよ。それと、薪拾いは俺たちも手伝うからな」
「うん、ありがとう。けど……ねえ、ラウル。あんまり危険な真似しないでよ?」
「ああ、わかってる。じゃあな。ちっこいのもな」
わたしが頷くと、手を振って三人が走り去って行く。
「元奴隷商ねえ……帰ろう。今日は三の鐘の前に戻らなくちゃ」
「うん。そうだね」
ラウルの動きを目で追っていたエステラが、心配そうな顔でわたしを見た。
昨夜のお母さんの話を、思い出したのかもしれない。
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面白かったら星5つ。つまらなかったら星1つ。正直な気持ちでかまいません。
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