9話 説明って難しい
アイナと商人の問題を解決してから数日、冬も間近に迫ったある日のこと。
昼食を済ませたわたしは、ノックスやエステラと一緒にレント商会の倉庫にいた。
日に日に増す寒さの中、今日は昼頃まで洗濯をしながら、手洗いによる作業が厳しい現状をどうにか改善する方法を考えていた。
汚れの目立つ物はぬか石鹸で浸け置き、それ以外は普段通りだ。浸け置きした物も軽く濯ぎが必要なので、やはり冬場の洗濯作業は辛い。
小さな体で大人たちと同じように洗濯をするのは、非常に大変だ。
冷たい水はどうしようもないが、せめて洗う作業だけでもなんとかしたい。
そこで洗濯板の存在を調べるため、休日中のノックスに相談。倉庫を見させてもらえることになり、今に至る。
……何に使うんだろう? 札が張ってないから、触らない方がいいよね。
倉庫内を見て回ると、前回来た時よりも、物が多くなっている気がする。というか、ゴチャゴチャしている。
やはりというか、洗濯板らしき物は見当たらない。
井戸の周りで使っている人も見かけない。
この世界には無いのだろうか。それとも、わたしが知らないところではあるのだろうか。
エステラの方を横目で見れば、「何だこれ? 小さな虫を食べる?」などと言いながら、不思議な植物をツンツンと指でつついたりしている。
パクっと指を包むように植物の広がっていた葉が閉じたため、エステラは慌てて指を引っ込めた。きっと食虫植物のような物だろう。
……お姉ちゃんの動きが可愛いんだけど。
「お兄ちゃん、倉庫に物が増えてゴチャゴチャしてない?」
見て回るのは楽しいが、整理されていない倉庫内を探すことに徐々に疲れが増してきた。
「ああ、本格的な冬が近いからね。街道が閉じる前に、あらかたの荷物はこの時期に、運び込まれるんだよ」
……そういうことね。雪で通れなくなる前にって。それで荷物が多いのか……納得。
ざっと見た感じ、板はあるが洗濯板っぽい物は見当たらなかった。運び込まれた物の中には無いようだ。
あとは、この街に洗濯板の存在があるかどうかだ。
「こういう感じの板みたいなのってある? 洗濯で使ったりしたいんだけど」
わたしは小さな木の棒を片手に、洗濯板の絵を地面に書いて見せた。もし、洗濯板のような物があれば、わかるはずだ。
しかし、絵を見たノックスは顎に手を当て、小首を傾げている。
……あれぇ? 洗濯板はやっぱり無いの?
「ねぇ、ルル。これは板なんだよね?」
「えっ? うん……そのつもり……です」
……もしかして、わたしって絵が下手?
何か考え込み、やや間があってから「他の領地や街はわからないけど、この街で見たことはないね」と、ノックスは言った。
わたしに絵心が無いのには少し落胆したが、その情報を得られたのは大きい。
……ふふふっ……これは、一儲けのチャンス。
内心、洗濯作業の改善が目的だが、お金も大事だとほくそ笑んでいると、ノックスから心臓が飛び出るような不意打ちが飛んできた。
「これが板ってことはわかったけれど、この波のような形状は? こうすることで何か変わるのかい?」
「うっ、えぇっと~……」
体がビクッと小さく跳ねた。これは非常にマズイ状況だ。
洗濯板という、見たこともない物を絵に書いてしまったことで、ノックスに疑問が生じたようだった。
わたしの背中をスーッと冷や汗が流れるのがわかる。
うっかりというか、完全に不注意だった。
……凡ミスだぁ~。
俯きながら目でエステラに助けを求めてみるが「何か理由があるんだね」と、エステラは完全にわたしの返答待ちだ。
エステラの突拍子もない発想の助けは期待できないと、わたしは頭をフル回転させて言い訳を考える。
「食材をすったりする時に、すり鉢でゴリゴリってするでしょ? 洗濯って汚れを落とす時に布同士をこれを手でやっているようなものだから、まな板みたいな板状の物と擦り合わせたら、大きさ的にも良いんじゃないかなって……思って……この波みたいなのは、すり鉢のゴリゴリする部分でして……うまく説明できないけど……」
……これじゃ苦しいかなぁ。
自信がなくなって、どんどん声が小さくなる。
恐る恐るノックスを見ると、目を大きく見開いて、ノックスが完全に停止している。
「……こする……いや、押し付けるのか」
感嘆まじりに、ノックスがぼそぼそ呟いた。
……あれ?……どうしたんだろう? ぬか石鹸の時と似てる気がする。
「すごいぞっ! ルル。その発想と着眼点がぁっ!」
ノックスは目をキラキラさせてわたしの両手を掴むと、いかにその着眼点が素晴らしいかを説明し始める。
「お姉ちゃん、これ――どうにかしてっ!」
エステラに助けを求めてみたが「うん、うん」と、こちらも頷いているだけだ。
……駄目だこりゃぁ、しばらくこのままだね。
◇ ◆ ◇
歓喜状態から復帰したノックスは、形や用途を紙に書き写し始めている。早速、商会に掛け合うつもりなのだろう。
エステラは「あーあ、いつも通りだね」と、放って置くことに決めたようだ。
危ない場面だったが、なんとか難は逃れた。あとは、これを形にできるかどうかだ。
「お姉ちゃん、これポールなら作れる?」
確かポールは大工の息子だったはずだ。
彼であれば、洗濯板の試作品程度なら作れるかもしれない。
「どうだろう。作れそうだけど……話してみる?」
「うん。聞くだけ聞いてみようよ」
「なら、この時間だと工房かなぁ」
わたしは「試作品をポールに相談してみるね」と、ノックスに告げ、エステラと倉庫を出る準備をする。
「ちょっと待って……ステラ、これを」
ノックスが渡してきたのは、綺麗に書かれた洗濯板の説明入りの絵と、試作品の作製をお願いする書類だった。
「これをバルトおじさんに、見せればいいんだね?」
ノックスが頷くのを確認したエステラが、書類を丁寧に鞄にしまう。
ノックスの仕事の速さには頭が下がる思いだ。これを持っていけば、スムーズにお願いできそうだ。
……お休みだったのに、ごめんね。お兄ちゃん。
ノックスは「ああ、こっちは大丈夫だから、行っておいで」と、目をキラキラさせて、やる気を見せていた。
……あっ、なんか嬉しそうだし、大丈夫か。
商会への説明はノックスに任せ、わたしたちはポールを訪ねるために、彼の作業場である工房へ向かうことにした。
倉庫を出たわたしは、エステラに手を引かれながら、だいぶ歩き慣れた路地裏を進み歩く。
チラリと見た孤児院は、いつも通りの様子で特に変わったことも起きていないようだ。
ちょうど庭の掃除していたアイナがこちらを見付けたようで、一緒にいたレンも手を止めて、二人が鉄柵の向こうから手を振って挨拶をしてくる。
わたしたちも歩きながら大きく手を振って挨拶を返した。あの件以来、アイナやレンとは、ちょこちょこ孤児院で会って話をする仲だ。
わたしはここ数日、手伝いのない時間帯はエステラと孤児院で過ごしているのだ。
そういえば、アイナは借りたお金の返済のため、ノックスの助手のような感じで作業を手伝っている。
アイナは読み書きができるので、商会としても安い給料で雇えたアイナは貴重だったようだ。
今日はノックスが休みなので、アイナも孤児院の手伝いをしているのだろう。
わたしが三馬鹿の路地と勝手に呼んでいる三叉路に差し掛かった辺りで、買い出し帰りのマルコに出会った。
「やぁ、えふてらに、ちっこいいもうほじゃないかぁ~」
脇に肉を抱え、片手に野菜が入った袋を持ち、さらにお菓子を口に咥えながら、空いている方の手を上げた。
……持っているのが全部食材なところが、マルコっぽいね。え~っと、宿屋の息子だったっけ?
「ねぇ、マルコ。ポールって今日はどこにいるか知ってる?」
……今日は会った? ならわかるが、何故マルコがポールの居場所を知っていると思っているんだろう? 会わない日だってあるだろうに……。
「う~ん……今日は会ってないから、たぶん工房にいるんじゃないかなぁ」
「やっぱり工房ね。ありがとっ。マルコ」
……知ってるんだ……そうですか。スマホも無いのにすごいね。
この世界は娯楽もきっと少ないのだろう。行動範囲が狭く、選択肢も限られてくるのかもしれないと、この二人の会話から思った。
「それはそうとマルコ、それ以上食べると、デブになるわよ?」
エステラが、ジト目でマルコのお腹を指さしながら忠告した。
「エステラ、大丈夫だよぉ~。僕はまだ、標準寄りのデブだからさぁ~。二人にも、これあげるぅ~」
……それって、駄目じゃんマルコ……あっ、お菓子ありがとう。これ、甘くて美味しいね。
マルコと他愛もない会話を交わし別れると、わたしたちはポールがいると思われる工房へ足を運んだ。
「こっちよ」
エステラに手を引かれて、正面入り口と思われる大きな引き戸になっている扉を通り過ぎ、裏手に回る。
……あの正面の大扉は物資を運び入れる場所なのかな?
裏手に回ると、少々錆びついた金属製の扉が見えた。どうやら、こちらが入り口のようだ。
ギィっと扉を開け工房に足を踏み入れると、そこでは体躯の大きな男性が、大きな木の板を削っている姿を見つけた。
彼は額に汗をかきながら、真剣な表情で作業をしている。
「バルトおじさん、こんにちはっ」
エステラが元気よく声をかけると、バルトおじさんと呼ばれた男性は、「おっ?」と額の汗を拭き、わたしたちを見た。
「エステラか、今日はどうしたんだ? もう弓が壊れたか?」
「ううん、今日はポールに用があって……」
「ポールに? ん? ……そっちの子は、もしかしてルルーナか?」
バルトはエステラの後ろに居るわたしに気付いて、小さく驚いた。
……あっ、名前。わたしのこと知ってるの?
「うん。五歳になったんで、この子も外出できるようになったの」
「ははっ、そうか、そうか。大きくなったなぁ」
バルトは大きく頬に皺を作りニカッと笑った。どうやら、わたしのことを知っているようだった。
わたしは憶えていないが、口ぶりから随分と小さい時に会っていたのかもしれない。
「こんにちは、バルトおじさん」
「ああ、こんにちは。ルルーナ。こりゃ、ライアットが自慢するわけだ。将来は美人さんだなぁ」
「はっ……ははっ」
……お父さん、知り合いに自慢して回ってるの? 勘弁してよ。
「おじさん、これっ」
エステラが、ノックスから渡された書類をバルトに手渡す。
バルトは、手渡された書類をじっと見て「まぁ、やらせてみるか」と、呟いた。
「あいつは彫刻刀や錐を使った細かい作業の方が得意だからな」
「へぇ~、そうなんだ。ポールにできそう?」
バルトは「まぁ、問題ねぇだろ」と呟くと、小さく頷いた。
「大丈夫だろう。奥にいるから、声でもかけてやってくれ」
ポールは工房の奥で作業中のようで「好きに、こき使っていいぞ」と、バルトが奥の通路を指さした。
工房の奥に入ると、様々な大きさの木材が置かれており、職人たちが斧やノコギリで丸太を切断したり、加工したりしている。
さらにその奥で若い見習いたちが、シュッシュッっとヤスリのような道具で形を整えているようだ。
……四の鐘が聞こえたから、早く伝えて帰らないと……さて、ポールは、どこかなぁ~?
ポールを探して、大きな作業音が鳴り響く工房内を足早に見回る。
あれは大変そうだと思いながら、大きな丸太をノコギリだけで切断している様子に感心していると、エステラが服の袖をクイクイっと引っ張った。
……おっ、見つけたのお姉ちゃん?
「あっ、いたいた。ポール」
「ん? エステラ? ……と、ちっこいの」
エステラが声をかけると、ポールが作業をしていた手を止め「俺に用なのか?」と、不思議そうに尋ねてきた。
「そうよ。これ見て。一応、おじさんの許可も貰ってきたわ」
エステラが洗濯板の絵が書かれた紙を手渡すと、ポールは紙を見つめ「ふ~ん、作れると思うけど……」と、思案顔だ。
しばらく紙を見つめて「う~ん、洗濯に使う?」と、ポールは首を傾げた。どうやら用途について考えていたようだ。
ポールの疑問に応えるべく、わたしたちは洗濯作業を楽にする方法を考えていることを伝えた。
今の洗濯作業は汚れを落とすのに時間がかかる。特に冬場は手も冷たくなってしまい、非常に厳しい。
この状況から少しでも楽になるように、この洗濯板を作製してくれる人を探していると。
「なるほど、まずは試作品ってことか。で、この波状の削り……え~っと、傷みたいなのは、何だ?」
ポールは物作りが好きなようで、見たこともない物に興味を持ったのか、興味津々で聞いてくる。
……へぇ、職人の顔だ。
わたしは、ポールの理解を得るため、ノックスにした説明と同じような説明をした。
さらに、波状の部分の汚れの流れ方、使い勝手の良さを重視した細かい部分の注文を加える。
作り手に理解してもらった方が、良い物ができるとわたしは知っているのだ。
ポールはわたしの説明に深く頷いて「なるほど、そんな発想ができるのか……ノックスは、本当にすごいな」と感心していた。
……よしっ! いい具合に、お兄ちゃんのアイデアにできたっぽい。
ノックスのアイデアにする事には理由がある。
これはルーチェや、ノックスと話し合いで決めたことで、わたしの安全を考慮してのことだ。
家族以外に説明する時は、ノックスの案ということにしておいたほうが都合がいいのだ。
「まずは形にしてみようと思う。明日また来てくれるか? 今から取り掛かるよ」
「うん。わかった」
「任せたわよ、ポール」
わたしたちは頷くと、あとはポールに任せる。何かあれば、また明日、聞けばいいだろう。
「じゃっ、よろしくね。ポール」
「ああ、やるだけやってみるよ、エステラ。ちっこい妹も、またなっ」
「うん、また明日ねポール」
……ポールは快く引き受けてくれたし、あとはポールの力量を信じよう。
◇ ◆ ◇
翌日、わたしは出来上がっているであろう試作品に心を踊らせて、エステラと再び工房を訪れた。
出迎えてくれたポールは「そこそこ形には、できたと思うけど」と言って、試作品を指差した。
そこには、試作品であろう洗濯板が三枚立て掛けてあった。パッと見た感じ、少し不格好だ。
これはしょうがないだろう。急いで形にしてくれただけ、有り難い。
わたしは、「どれどれ」と試作品を手に取り、じっくりと調べる。
……ちょっと、思ってたのと違う。
まず、思ってたより大きくて分厚い。これは、サイズの指定を細かくしなかったわたしのミスだ。
次に、板の角は丸めてあるが、表面がザラザラしている。ヤスリはかけてあるが、これでは手を傷付けてしまうかもしれない。
……これは指切っちゃうかも。
そして、肝心の凹凸部分。絵の通り波状っぽくなってはいる。だけど多少の丸みはあるが溝が深く、まだ鋭い。これも、このままだと布が擦り切れてしまいそうだ。
……むむむっ! わたしの説明が下手だったか。
「ど、どうだ?」
唸っているわたしを見て、ポールが不安そうに尋ねてきた。
「全体的に形には……なってるよ」
「そ、そうか……」
ポールは「ふぅ」と安心したように息を吐く。しかし、先程の問題点を指摘すると、みるみる表情が青ざめていった。
「なんか、親父を相手にしてるみたいだ」
なんだか嬉しくない感想を貰いつつ、再度、細かくの説明をしていると「取っ手の部分は?」とか「別の板にするか」など、ポールは熱心に聞き返してくる。
五歳の子供に指摘されても怒ったり苛つくこともせず、むしろ、やる気を見せている。
……すごい熱量ね。
わたしはそんなポールを見つめて、彼で良かったかもしれないと思った。
普通なら、説明不足からくる文句の一つも出そうだが、そんな気配がまるで無い。
どうして、それでは駄目なのかという凹凸の仕組みの説明の時も真剣だった。
実際、わたしが洗濯板を使った動作を真似すると「そういうことか」と、ポンッと手を打ち、布の当たり具合を聞き返す程、細かく調整していた。
「ねぇ、ポール。この小さい板いらない? 欲しいんだけど」
やり取りを聞いているだけだったエステラが、暇だったようで、切り取って余った板を手でヒラヒラさせてポールに尋ねた。
「ああ、いいよー。使い道が無いしな」
返事を聞いたエステラはニッコリ笑って「道具借りるね~」と、なにやらガリガリ削りだした。
エステラは特にすることがないので、やはり暇なのだろう。
……お姉ちゃん、ごめんね。もうちょっとかかりそう。
難しい顔をしたわたしとポールが一緒に試作品を調整している後ろで「できたぁ」と大きな声がして、エステラがさっきから削っていた板を持ってきた。
「これならさ、柔らかくて小さい物なら、すり鉢いらなそうじゃない?」
子供の手には少し大きいが、大人なら手に収まるぐらいの大きさで、表面には荒く削ったギザギザの凹凸が付いている板だった。
普段から狩猟用の矢を削ったり、道具の手入れをしているエステラにとって、難しい作業ではなかったらしい。
手で覆う部分の角もしっかり丸めてあり、ツルッとしている。
……暇を持て余してると思いきや、こんな物を作っていたとは。お姉ちゃん、あなたは天才か?
それは、木製のおろし金のような物だった。
もちろん、そのまま使ったら木くずなどが混ざってしまうだろうが、その形を金属にしてしまえば、十分使えるだろう。
「お姉ちゃん、そのままだと木くずが混ざっちゃうかもよ。金属とかにすれば大丈夫だと思うけど」
「それもそうかぁ……金属かぁ……ふ~ん、金属ねぇ」
ニィッと口角を上げて、エステラの目がギラリと光った気がする。金属と聞いて、何か閃いたようだった。
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次回は「道具の使い方」です。お楽しみに!