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カルドニアの戦士

 大粒の雨が降る暗がりの森に、仮設された幕舎が立ち並んでいた。

 その一番大きな天幕の下で、カルドニアの侍大将、ダルカス・オクスはひとり、地図を見ていた。


(今回の遠征、俺は誇れるような手柄を何一つ立てていない。殆ど抵抗のない村を一つ占領し、その住人たちを拘束しただけだ……)


 精霊の森に入った時点で交戦すると思われた、ホノミスの軍勢は、未だ姿を現さない。もしも、このままカルドニア本国の増援が到着すれば、その手柄は全て、重臣たちのものになってしまう。


(そうなる前に、何とかしなければ)


 常日頃、戦場での功名に、無欲であったこの男にしては珍しく、その虚栄心が頭をもたげようとしていた。


「御大将、御大将はいずこに!」


「何事だ」


 息を切らした衛兵が、ダルカスの前に片膝をついていった――


「雷電衆が、ただいま戻りましてございます」


「何、雷電衆が? 直ぐにこれへ」


「かしこまりましてございます」


 雷電衆というのは、カルドニア軍の特殊部隊で、主に情報収集と、その伝達を担っていた。衛兵が戻ってきたといったのは、ホノミスの軍勢を探っていた斥候兵(せっこうへい)のことである。


 灰色の装束を身につけた男が天幕に入り、ダルカスの前に膝をついた。


「申し上げます。我が軍の南西の谷あいに、ホノミスの部隊が集結してございます」


(南西の谷あい? 妙な動きだ。俺たちを挟撃をしようとしてるのか? それとも――)


 地図を睨みながら、ダルカスはいった。


「して、その数は?」


「およそ、三百から五百」


 ダルカスは、顎に手を当てて考えた。

(多く見積もっても、五百か……ならば、早めに叩いておいた方が良い)


「よし! 直ぐに出立する。ホノミスの不意を突いてやる」


「はっ!!」


 衛兵が退出すると、ダルカスは、胸に付けていた御守り(タリスマン)を外した。そして、この男に似つかわしくない、その装飾品を握りしめて呟いた――

 

「ナジュラ、俺は、ちゃんとやれているだろうか? お前の望んだ強い戦士になれているだろうか?」


 雨が降り続く森に、ダルカスの部隊は集結した。ホノミス軍に行動を悟られないため、選りすぐった千人の規模の部隊だ。


 ダルカスの部下が地竜と呼ばれる中型の魔獣を引いてきた。おとなしく従順なこの生物は、実際には竜と異なる別の種族の魔獣であったが、そのいかつい外見から、『騎乗ができる竜』として重宝された。


「よし、全員(そろ)ったな。これより我々は敵の虚を突き、これを殲滅(せんめつ)する。何よりも尊ぶべきは、速さである。いいか? 遅れることは、許されんぞ!」


「応!!」


 兵士たちの士気は、極めて高かった。ダルカスは地竜に跨ると、後ろを振り向きもせずに駆けだした。

部下たちは、慌ててその後を追った。


 谷合が見下ろせる所まで来ると、ダルカスは地竜を下りて、兵をまとめた。それから、先ほどの雷電衆を呼び出し問うた。


「して、ホノミスの軍勢はいずこに? それらしいものは、何一つ見えぬようだが……」


「もしや、敵に気取られたのやもしれません。様子を探って参ります。しばしお待ちを――」

 そういって、雷電衆は森に消えていった。


 ダルカスは待った。しかし、雷電衆は一向に戻ってこなかった。


(敵に捕まったか、或いは殺されたか……)


 その時だった。ダルカスの手勢の後方が騒ぎ出した。どうやら、敵兵と小競り合いが起きているようだ。


(すでに、悟られていたか!)


 刀を抜きながら、ダルカスはいった――


「慌てるな! 敵は一方向からとは、限らんぞ!!」


 ここは深い森の中、その暗さに加えて、ぬかるんだ地面が兵士たちの動きを封殺した。しかし、ダルカスは地竜を降りると、獣の様な俊敏さで、味方のもとに駆け付けた。


「ホノミスめ、いい気になるな。このダルカス様が相手をしててやる!」


 それを聞くと、相手の兵士たちは、ざわつきだした。薄暗い森の中で、わからなかったが、よく見れば、彼らは赤い旗を持っていた。


 ダルカスは、それを見て取り、周囲に響き渡る声でいった――


「待て、お前たちは誰だ? 俺はカルドニアの侍大将、ダルカスだ。もしや、味方ではあるまいか?」


 その言葉に反応して、ひとりの男が進み出た。


「これは、ダルカス様……何故、このような所に?」


 ダルカスの部下の一人だった。


「俺の方こそ、問いたい。お前は、ここで何をしている? 村の守りは、いかがした?」


「それが……………」


 ダルカスの部下は、口ごもった。


「はっきりせんか!!」


「はいっ!」 


 部下の兵士長は、脅えながら話し出した。


御大将ダルカスが、村を出立して直ぐのことにございます。ホノミスの一部隊が、我らの陣の前に現れました。村を占領した我々は、御大将のいいつけ通り固く門を閉ざし、相手にしませんでした。すると奴ら、我らに向かって石つぶてを投げ始めました」


「石つぶてを?」


「左様にございます。それでもなお、我らは無視し続けましたが、怪我人が出るに至り、血の気の多い者たちが、『許すまじ!』と打って出ました。つられるように、私共も追撃を開始しました」


 ダルカスは、急に不機嫌な顔になった。


「それで?」


「いざ、戦ってみると、奴らは奇妙な動きをしました。追えば退き、引けば向かってくる。まるで、自分の影を相手にしてるようで、気がついたらこのような場所に――」


「もう、よいわっ!!」


 部下の話を遮って、ダルカスは思った。


(これは、罠だ……)


「これ以上の進軍は無用、早々に引き返すぞ!!」


 ダルカスは、苛立ちを隠すことなく、雨の森を取って返した。


 打ちつける雨に頬を濡らし、ダルカスは地竜を駆っていた。今思えば、あの雷電衆は敵の間者(まわしもの)だったのかもしれない――そのようなことを考えていると、部下の一人が隣に地竜を寄せて、ささやいた。


「何、雷電衆とな!?」


 ダルカスは、再びホノミスが詭計(わるだくみ)をしかけてきたと思い、怒りを爆発させそうになった。しかし、思い直して部下にいった。


「色々と問いただしたい。これへ連れてまいれ」


「はっ!」


 程なくして、一人の青年がやってきて、騎乗をしているダルカスの脇に膝をついた。雷電衆のなかでも位の高い、朱色の甲冑をつけた『伝令』の将校だった。その肩には、矢が数本、突き刺さっていた。


「これは、いかがしたのだ?」


 驚いたダルカスは、青年を問いただした。青年は神妙な面持ちで、語った――


「申し上げます! 森の民の村に、ホノミス軍、多数襲来!! お味方、苦戦、援軍をお願いしとうございます」 


(何だと!?)


 ダルカスは眩暈(めまい)がした。


 今回の遠征は、命令が出てから出兵までの間、あまりにも日数が短かった。当然、軍の編成を急がざるを得なかったが、多くの兵士たちは十分な訓練を受けないまま、戦場に投入された。


 ダルカスは、その多くを食糧を運搬する役割にあてた。彼らは今、森の民の村に駐屯している。


 ホノミスの軍勢のいない、この場所なら――そのような甘い判断を相手は抜け目なく狙ってきた。


(これはまずい。もし、食糧が敵の手に渡ったとしたら……)


 カルドニアの軍勢は、ホノミス軍とは別に『飢え』とも戦わなければ、ならなくなる。それだけは、避けねばならなかった。


「よし、直ちに救援に向かう! 皆の者、続けぇぇぇっ!!」


 今にも駆けだそうとする、ダルカスに向かって部下がいった。


「御大将、お待ちください!」


「何じゃ?」


「ここまでの行軍で、兵士たちは疲れ切っております。何卒、休息を!」


「たわけがっ!! 食糧を奪われれば、この戦いは終わりじゃ。もしそうなれば、我らの首と胴は繋がっておらぬぞ。そんなこともわからぬのか!」


「しかし――」


 そういいかけた部下がばたりと倒れた。それだけではない――驚くダルカスの目の前で、兵士たちが次々と転倒していった。その背後には、(クロスボウ)を構えるホノミスの兵士たちがいた。


「おのれぇ、ホノミスゥゥゥ!!」


 地竜に乗ったダルカスは、敵の弓兵に突撃し、その手に持った曲刀(シミター)を振り下ろした。弧を描いた反身の刃が、複数の命を絶ち切った。


「どこまでも、忌々(いまいま)しい奴らよ」


 刃についた血を振り払ったダルカスに、生き残った雷電衆の青年がいった――


「ダ、ダルカス様っ、 あれを!!」


 青年が指し示す方を見上げたダルカスは、雨の止みかけた大空と、そこにたなびく無数の白旗を同時に見た。


 ダルカスとカルドニア軍は、翼を広げた白き竜に飲み込まれようとしていた。


 見渡す限りの純白の戦旗、そして、時折、そこから発せられる大地を震わすような、(とき)の声――戦うことを至上の喜びとするカルドニアの兵士たちも、この時ばかりは、その意欲を失わんとしていた。


「落ち着け! まだ完全に包囲されたわけではない!!」


 必死に呼びかけるダルカスのことばは、最早、誰の耳にも届かなかった。カルドニア軍は、大いに混乱した。


 立ち去ろうとする者、立ち向かわんとする者、立ち尽くす者――その全てが、互いの足を引っ張りあった。


(このままでは、我らは、軍としての統制を失ってしまう)


 混乱を来たす兵士たちの中で、たった一人ダルカスは、その危機的な状況を打開しようと、大地を震わす声で吠えた。


「その目があるなら(とく)と見よ、耳があるなら(しか)と聞け! カルドニアの戦士・ダルカスが、正義の神(アルスドオス)の天秤に正義(アストライア)の重さを示してやる!」


 空気が固まり、敵味方の全ての者がダルカスを見た。


「ホノミスにも、勇士はいるのか? いるなら、我と勝負せよ!!」


 一騎打ちの申込であった。古来、アストライアの大陸で行われてきた伝統的な儀式である。南部の地域では、戦場の作法として現在でも通用するが、北部から中部で生活をする兵士たちは、それを野蛮なものとして敬遠した。


 ホノミスの軍勢に呼びかけたのは、一種の掛けのようなものであった。


 しばし沈黙が続いた後、長剣を携えた男が歩み出た。


「アドワース・バルロが、受けて立つぞ」


 両軍から、どっと歓声があがった。それを打ち消すように、アドワースがいった。


(いにしえ)の慣わしにより、場所はこちらが決める。南方にある湖のほとり、陸側が我が軍、水面のほうが貴軍だ。異存はあるまいな?」


「無論だ」


 ダルカスが答えると、両軍は粛々と移動を開始した。


 アストライア大陸では、一般的にカルドニア人といえば、人を食らう野蛮な民族とされてきた。しかし、これは彼らの本質ではない。


 彼らを最もよく表すことばは、『純粋』、あるいは、『無邪気』であろう。


 大陸の南東に位置する彼らの国は、古きしきたりを守り、強くあらんとすることを至上とした。

 したがって、こうした一騎打ちに際しては、どこの国よりも礼儀正しかった。


 無論、彼らに人を食する習慣はない。『人喰いのカルドニア』ということばの裏には、大陸の北部から中部に住まう人々の侮蔑(ぶべつ)の念が、多分に含まれている。


 湖に着くとダルカスは、携えていた木の実を頬張り、水を一気に飲み干した。そして――


「こんなものを着けていると、体が重くなるわ」


 と、ズボンと靴、胸につけていた装飾品(タリスマン)だけを残し、それ以外のものを全て脱ぎ捨てた。


 それから、二人がかりで運ばせた愛用の大剣の柄を両手で握った。険しい表情で、それを振り回す姿はまるで悪鬼のようだった。


 それを横目で見ていたアドワースは、重量のある鎧を体から外し、代わりに鎖かたびらをその身にまとった。


 身支度を終えると、ふたりは互いに向かい合った。一騎打ちといっても、地竜には乗らなかった。小回りがきかないがゆえに、戦いに不向きなためだ。


 武器と己の肉体のみによる純粋な戦い――周りを取り巻く両軍の兵士たちは、大いに盛り上がった。


『正義の神・アルスドオスの名のもとに、全ての富と誉れ(ほまれ)は彼の者に帰属する――』


 両軍から選ばれた未届け人が、誓いの文言を読みあげている間、不敵な笑みを浮かべるアドワースを一瞥(いちべつ)し、ダルカスは思った。


(奴の剣では、俺の一撃を受けきれないだろう)


 もし受ければ、刀身が折れ、その下の肉と骨は押し潰される。


(恐らく、勝負は一瞬で決まる!)


 そう考えるダルカスに、未届け人が開始を促す合図をした。降り続いていた雨は、すっかり上がって、木々の間からは日差しが降り注いでいた。


「うおりゃああああっ!!」 


 開始の合図とともに、ダルカスは一気にアドワースとの間合いを詰めた。身の丈程もある大きな得物を持っているにもかかわらず、驚異的な速さだった。


 回避が出来ないであろう位置で振り上げられた大剣が、長剣を構えたアドワースに向かって、叩き込まれた。刀身と刀身が触れ合うのがわかった。


(もら)った!)


 ダルカスは勝利を確信した――が、何故か刃が空を切った。


(何っ!?)


 体勢を崩しそうになったダルカスに、アドワースの剣が襲いかかった。


 切っ先がうねるように伸びる、アドワースの剣をダルカスは雄たけびを上げながら、はじき返した。


 ダルカスの頬に赤い線が走り、血が流れた。


(まるで、山蛇だ! くそっ!!)


 ダルカスは剣をアドワースに向けて構え、再び距離を詰めた。そして、今度は下段から一気に、その刀身を振り上げた。


 またしても、その刃はアドワースを捕らえることができず、虚空を切断した。


(どういうことだ?)


 迫りくるアドワースの剣をかわし、ダルカスは考えた。


(速さは、俺がやや勝っている。力では、圧倒的に俺が上だ。もし、奴が俺より優れているとするならば、それは――)


 技だった。ダルカスが渾身の一撃を放った後、アドワースは常にその死角に立っていた。ダルカスは、アドワースの動きを未だ、見切れないでいた。


(つまり、奴は……)


 アドワースの動作に集中しながら、ダルカスは考えた。


(俺の攻撃を()なす技術、それから、それを俺に悟らせない技術――その二つを合わせ持っている。見かけによらず……)


「恐ろしい男よ」


 思わず、本音が口に出た。


 両者は、再び剣を構え対峙した。全力でぶつかるダルカスに対し、アドワースは最小限の動きで、それを封殺した。


 剣を打ち合うたびに、ダルカスの体に傷が増え、ついにダルカスは片膝をついた。すると、胸につけていた装飾品(タリスマン)の鎖が切れて、地面に転がり落ちた。


 若き少年兵の頃、年の離れた妹に貰った御守りを、ダルカスは今日まで欠かさず、身に着けてきた。


『兄さんはね、正義の味方なの……誰よりも強い戦士なの』


 御守りは、いつしか『誓い』になっていた。


(きっと、(ナジュラ)は、今もどこかで俺を見ている。だから、俺は負けられない。この瞬間を諦める訳には、いかないんだ!!)


 全身を汗と血で濡らしながら、ダルカスは再び立ち上がった。


 そんなダルカスに、アドワースは剣を突き出していった――


「どうした? カルドニアの戦士とやら……貴様の正義はこんなものか?」


「なん、だと……」


 息を乱し、ダルカスは怒りをあらわにした。


「人を襲い、金品や食糧を奪う。ときには、命までもだ。それが正義なのか?」


 冷たい眼光を放ちながら、アドワースがいった――


『お前の正義は、偽物か?』


 アドワースのことばに、ダルカスは敏感な反応を示した。噴き出す怒りを抑えることが、できなかった。


「貴様ごときが、正義を語るなっ!! 俺自身の正義は、俺だけが知り得るものだ。俺の魂だけが、その姿を追い求め、その姿に触れることができるんだっ!!」


 燃え上がる噴石の如く、怒りを帯びた剣がアドワースに襲いかかった。しかしその剣は、ダルカスの乱れた心を映し出すように、崩れて大振りになった。


 アドワースは、それを見逃さなかった。うなりをあげた刀身が、ダルカスの手元を切り裂いた。


「ぐわっ!」


 巨大な鉄の塊が宙に舞い上がり、周りを取り巻いていた兵士たちの目の前に落下した。


 地面に転がった巨大な剣の向こうには、手首を押え、(うずくま)るダルカスと、それを悠然と見おろすアドワースがいた。


「どうだ? まだやるか、異国の戦士よ」


 利き手の腱が断ち切られていた。ダルカスは、もうすでに戦えないことを悟った。


「いや、この勝負……俺の負けだ」


 瞬間、わあっと歓声があがった。


「まだ、戦いたい奴はいるか? 相手になってやる。それ以外の者は、武器を捨てろ」


 アドワースの呼びかけに、カルドニアの兵士たちは皆、武器を下ろし手をあげた。


 首を垂れた(まま)、動かずにいたダルカスが、目を閉じて天を仰ぐと、その頬に水滴が落ちた。


 両軍の兵士たちもまた、空を見上げた。


 晴れ渡った空から、大粒の雨が降り注いだ。


 それはまるで、不屈の戦士に対して捧げられた、涙のようであった。

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