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当たり前じゃないことが、当たり前になる日

 ルルアは、全力で走っていた。走りながら、携帯していた食料を口に入れ、湧き水で喉の渇きを癒した。

 カルドニア軍が撤退した後も、その場に座り続けていたルルアの細長い耳が、わずかな音を捉えた。それは村の方角からだった。


(もしかして、私が出会ったカルドニア軍は――)


 走りながら、ルルアは空を見た。目に映る空は赤く染まっていた。いたるところに、折れた旗が落ちて、煙がくすぶっていた。人の様なものが倒れ、積み重なっていた。   


 村が近づくにつれて、恐れていたものが、あらゆるところから伝わってきた。


 目を背けたくなったり、耳を塞ぎたくなったり、触れるのをためらう――そんな全てのものが、ごちゃまぜになって、平和だった村を押しつぶそうとしていた。


 そこにいたのは、まぎれもなく、カルドニアの軍勢だった。恐らくルルアが遭遇した部隊は(おとり)、あるいは増援の類だろう。赤い旗を持った、獰猛な獣たちは、もうすでに、村に食らいついていた。


 ルルアは、目の前にあった民家の屋根に上り、村全体を見渡した。


「何をしている! 一兵たりとも、先に通すなっ!」よく知った声が聞こえてきた。


 ミリウス――村の神童と呼ばれたこの男は、さすがに強かった。ミリウスの体が三体に分身したかと思えば、次の瞬間カルドニア兵たちは、剣で串刺しになっていた。


 しかし、圧倒的な敵の兵力を前に、ミリウスですら、じりじりと後退を余儀なくされた。


「ミリウス、危ない!」

 背後に回ったカルドニア兵が、ミリウスに切りかかろうとしていた。


 ルルアのことばに反応したミリウスは、肩を切り裂かれながらも、カルドニア兵を打ち取った。 ところが、もうひとり別の方向から新たな敵兵がミリウスに襲いかかった。


 とっさに、ルルアは屋根から飛び降りて、一気にカルドニア兵との距離を詰めた。そして、驚いて振り向く敵兵の足を背後から払った。 


「グエッ」倒れたカルドニア兵は、ミリウスによってとどめを刺された。


「族長! ここは我々が押えます。どうか、お引きください!!」


「何をいう! 俺は、まだ戦える」


 そう叫ぶ、ミリウスの肩の傷は深く、出血が止まらないようだった。


「せめて、傷の手当だけでも」

 抵抗するミリウスを引きずって、ルルアは背後の砦に退いた。


 ミリウスは、もうとっくに限界を超えていた。肩で息をするミリウスに対し、ルルアは自分の服の裾を破って、その傷口を縛った。


 そんなルルアを虚ろな目で見ていた、ミリウスがつぶやいた。


「ルルア、済まなかった」


「え、どうしたのミリウス? らしくないよ」


 目をつぶり、ミリウスは続けた。


「お前が、悪いことをできないのは、わかっていた。わかっていたはずなのに、俺は、俺は…………」


「もういいよ、ミリウス」


「俺は、お前の兄に対する鬱屈(うっくつ)した思いを、お前にぶつけていたんだ。まったく、恥ずかしい限りだ」


「もう、いいってば」


 いつもと様子が違うミリウスに、ルルアは不安を覚えた。


「恥をさらしたついでに、お前に頼みがある」


 ルルアを見上げたミリウスは、震えるその手で指し示した。


「あそこの集会所には、まだ多くの者が残っている。どうか、その者たちを連れて逃げてくれ。恐らく、北門には、敵の手が及んでいないはずだ」


「でも、ミリウス」

 泣きそうな顔で、ルルアがいった。


「人には、為すべきことがある。俺の役割は、ここを守ることだ。そして、お前の……」


 もはや、喋るのも苦しそうだった。自分に噓をつくことでしか生きられなかった男の、最後の命の火が、いま燃え尽きようとしていた。


「できないよ、私……」


「しっかりしろ」


 弱っていたはずのミリウスが、ルルアが驚く程力強く、その肩をつかんだ。


「しっかりと心を強く持て! お前ならできる。お前は、あのローウッドの妹なのだから」

 

 その顔は、とても穏やかで、まるで象牙でこしらえた彫像のように美しかった。ミリウスは、その後、静かに目を閉じた。ルルアは、兄の親友の最後を看取った後、その場を離れた。


 ミリウスのもとを立ち去ってすぐ、ルルアは、木の柵に寄りかかって座るゴンドを見つけた。ルルアに優しいことばをかけた、あの兵士長だ。


 ルルアが名前を呼びかけたが、老いた戦士は返事をしなかった。その手には、愛用の短剣(ソードブレイカー)が握られたままだった。


 ルルアは、ゴンドの手からそっと短剣を引き抜き、仰向けにに寝かせた。その顔はまるで、食事の後のうたた寝をしているようだった。 


(ゴンド、もう戦わなくてもいいからね。あとは、私に任せて)


 村のために戦い続けた老戦士の手を、包み込むように、その分厚い胸板の上にのせて、ルルアはひとり集会所へと向かった。


 別れは、思いもよらぬ時に、思いもしない形でやってくるもの。宵闇(よいやみ)を走るルルアの影から、ぽろぽろと雫がこぼれて、宙を舞った。


 集会所に入ると、皆が不安そうな顔で、こちらを見た。その殆どが、女性やその子供、老人たちで、村を出たことのない人たちだった。

 

 長年、この場所で暮らしてきた者にとって、故郷を離れるということは、簡単ではないだろう。しかし、村のあちこちから火の手が上がり、カルドニア兵たちは今にもなだれ込んでこようとしている。


(いずれにせよ、早く、此処を出なければならない)

 

 そう思ったルルアの胸に、リューリカが飛び込んできた。


「ルルア!」

「リューリカ!」


 再会して、今にも泣き出しそうな親友の目をルルアは真っ直ぐに見つめていった。


「いい? リューリカ、聞いて――」


 ルルアと村人たちは、北門から森に出た。日の落ちた森の中は、いっそう暗く危険であったが、村に留まるわけにはいかなかった。リューリカや若者たちが中心となって、皆を先導した。


 アストライア大陸では、殆どの国が奴隷制度を廃止しているが、一部の国では、かえって推奨されている。カルドニア軍に捕まれば、まず間違いなく、奴隷としてそうした国に売り飛ばされるだろう。


 もし、そうなってしまったら、かつて誰よりもこの村を愛した兄や、自身の命をかけて守ろうとしたミリウスは、どんなに悲しむだろう。


(ミリウスの期待に、私は応えるんだ)


 ルルアは先頭に立って、道なき道を進んだ。目指すは、ホノミスの王都だ。


 ホノミスが、自分たちを許容してくれる国か否かは、怪しいものだったが、カルドニアの領土を避けて移動するには、まず、此処を通過しなければならなかった。


 日没から、もうかなりの時間がたっていた。幼きもの、足の不自由なものにとっては、もう限界が近づきつつあった。ある子供が甲高い声をあげた。


「もういやだーっ、おうちにかえりたいー!」


 一人が、ぐずつきだすと、つられるように皆が泣き出した。


「やーだー! あるきたくないー」


「かえるー! ゔあ”ーああぁ」


 次々と泣き叫ぶ子供たちに、ルルアは何もできず、ただ慌てふためくばかりだった。そんなとき、リューリカが、よく通る声で呼びかけた。


「みんなーっ!! まちについたら、なにがしたい? わたしはねぇ、おいしいものが、たべたいなぁ!」


 リューリカのひとことに、子供たちは皆、食いつくように反応した。 


「わたしは、ほんがよみたいな」


「おれは、かくれんぼがしたい」


「きいて、きいて、わたしね――」


 その様子を見ていた母親たちがいった。


「ほんと、ポワネさんところの娘さんは、しっかりしているよね」


「そうそう、うちの子なんか私のいうこと聞かないのに、リューリカちゃんがいえば、素直になるのよねぇ」


(こんな時、リューリカは、とても頼りになる。私なんかよりずっと強い。どうやったら、彼女みたいになれるのだろう?)


 そんなことをルルアが考えていると、子供たちの様子を見てきたリューリカがいった。

  

「今日は、もう此処で野営するしかないね」


 村人たちは、僅かな食料を分け合って食べた。カルドニア軍に見つからないよう、皆に火を使わないようにいい含めると、ルルアは寝転がって空を見た。木々の間から見える夜空は、星が隠れて真っ暗だった。


(村を追放された兄も、こんな風に夜空を仰ぎ見たのだろうか?)


 幼かったルルアは、唯一の肉親だった兄と引き離されて、孤児の様に育った。しかし、その隣には、いつもリューリカがいた。それはまるで、運命の女神ミルセリアが二人を導いてくれている様だった。


「ルルア、隣いい?」


 目をあげると、覗き込むリューリカの顔が見えた。リューリカは、起き上がったルルアの隣に寄り添うように座ると、抱えた膝に顔をうずめた。ルルアは、空を見上げながらいった。


「ずいぶん、遠くまで来ちゃったね」


「うん……」 

 

 リューリカは、こころなしか元気がない様に思えた。


「明日は、王都までいけるかな?」


「うん……」


 親友のいつもと違う様子に、どこか違和感を感じたルルアの左手に、リューリカの小さな手が触れた。その手は、弱々しく震えていた。 ルルアは黙って、リューリカの手を握った。


「ねえ、ルルア……私怖いの。子供たちの前では、しっかりしなくちゃって思うけど……本当は、すごく怖いの」


 長年、一緒に過ごしてきたリューリカが、こんなことをいうのをルルアは初めて聞いた。 


「私のね……私の毎日は、楽しいことで溢れているの。朝、気持ちのいいシーツで目を覚まして、おいしいご飯を食べて、青空の下で洗濯物を干して、子供たちと遊ぶの……」


「そうだね」

 

 ほんの少し前まで見てきた、当たり前の光景だ。


「でもね、森に知らない人たちがやってきて、そういった毎日が皆、無くなっちゃった。それでね、私思ったの――こんなのは、本当の私じゃない……きっと、すぐに楽しい毎日が返ってくるんだと」


 リューリカの瞳から涙が流れ落ちた。


「だけど、何一つ返ってこない。私、それがすごく怖いの。朝起きたら、当たり前じゃないことが普通になっているのが……私自身が、それを受け入れてしまうのが」


 虫の鳴き声が聞こえてきた。暖かい季節が過ぎ去ろうとしている夜の森の中で、ルルアはリューリカの体温を感じながら、眠りに落ちた。 


 どれくらい眠っただろう? ルルアは、奇妙な金属音で目を覚ました。辺りはまだ暗く、隣ではリューリカが、静かに寝息を立てていた。


 ルルアは注意深く、音のする方向へ耳を傾けた。


⦅カチリ、カチリ⦆


 音は、あらゆる方面から聞こえてきた。


「リューリカ、起きて! 何かおかしい」


 リューリカは、まだ何のことだか、わからないようだった。


「急いで、リューリカ! 皆を起こして!」


 ルルアが剣を抜き、周囲を窺おうとした――その時だった。つんざくような怒声とともに、一斉に明かりが灯り、暗がりの森を照らした。


(何てことなの……)


 最悪の事態だった。今まで嫌というほど見てきた、あの真っ赤な旗が松明に照らされて、ルルアたちの周りを取り囲んでいた。


「ホノミスの軍勢かと思いきや、これはまた、思わぬ珍客が紛れ込んだものよ」


 男がひとり、前に出た。灰色の短髪に、黄金色の鋭い目、上背は周りの亜人たちよりも、ひと回り大きく、まるで巨人(ギガンテス)だ。極限まで鍛え抜かれた肉体は、『戦いの中にこそ正義がある』という、カルドニア人の信条を体現しているようだった。


 その手に握られた曲刀(シミター)を振り上げ、男がいった。


「いいか、聞け!! お前たち、俺はカルドニアの侍大将、ダルカス・オクスだ。無駄な抵抗はやめろ。さすれば、命だけは助けてやる」


 精霊の森の住人たちは皆、自らの残酷な運命に、悲痛な叫び声をあげた。


 ただ一人、ルルアだけが歯を嚙みしめ、怒りに体を震わせていた。生殺与奪を振りかざす、強者の奢り(おごり)を受け入れることが、出来なかったからだ。


 隣で、呆然と立ちつくすリューリカに、ルルアはいった。 


「リューリカ、皆をお願い……」


「え、ルルア? 駄目ぇ!」


 カルドニアの頭目と思しき大男に、ルルアは猛然と立ち向かった。


「私たちの生活を返せぇぇぇっ!!」


 右手には兄から送られた小剣(グラディウス)、左手にはゴンドの形見の短剣(ソードブレイカー)、旋風の様な連撃が、相手の喉元を狙って繰り出された。


「勇ましいな」 


 ダルカスと名乗った大男は、曲刀(シミター)でルルアの剣をいなすと、素早くその背後に回り込み、つぶやいた。


「だが、お前は無能だ」

 

 虚を突かれたルルアの背中に、ダルカスは拳で重い一撃を叩き込んだ。物凄い音とともに、ルルアの弓が真っ二つに割れて弾けとんだ。


「ガハッ!」  


 たまらず、ルルアが体勢を崩すと、ダルカスは、そのみぞおちを下から思いきり蹴り上げた。空中に飛ばされたルルアは、そのまま、どっと地面に倒れこんだ。 


(身体が動かない……否、息ができないっ!!)


 人形の様に動けなくなったルルアの目に、朧気(おぼろげ)ながら、刀を振り上げる男の巨大な影が映った。


 しかし、何故かダルカスは、刃を振り下ろすのをぴたりと止め、ルルアに背中を向けた。


「こいつを縛り上げておけ」


 そう、部下に命じると、その場を立ち去った。


 夜が白むころに、精霊の森の住人たちは、全員拘束された。子供たちも、容赦なく親から引き離され、数珠つなぎにされた。泣きわめく子供をよそに、カルドニアの兵士たちはケラケラと笑い、軽口をたたいていた。


「子供は、高く売れるらしいぜ。俺たちも少しは、お零れ(こぼれ)にあずかれるか?」


「やはり、金になるのは、オービスか……砂漠の辺りも、結構いい金になるって、噂だぜ。うへへっ」


 耳をすまして、話を聞いていたリューリカは、青ざめた。最早、助けは望めない。逃げようにも、殺されるだけだ。ルルアとも、今生の別れをしなければならないだろう。


(ああ、ルルア!!)


 他の者から引き離されたルルアは、手足の自由を奪われ、放置されていた。その心の内は、酷い有様だった。


(これが、私の望んだ結末なのか?)


 ミリウスとの約束を果たせず、村の人たちは絶望しながら、奴隷として売られていく――そんなことを考えていると、惨めな気持ちになった。自分の体がドロドロと溶け出して、地面に染み込んでいく様な、感覚だった。


(こんな、ちっぽけな私の命が、少しでも皆の役に立てればいいのに)


 見上げた空は、今にも雨が降り出しそうだった。全てを飲み込んでしまうような、灰色の空だった。


 都合よく現れてくれる英雄なんて、何処にもいないのかもしれない。それでも、お願いします。神様――


(私が守りたかった人たちを、どうかお救いください)


 そう思いながら、ルルアの意識は薄れていった。

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