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時を支配する女神

 村の外に出たルルアは、マウラ川に沿って進み、その下流を目指した。


 大陸の東西を流れるマウラ川、南北を結ぶノール川――その合流地点のずっと手前に小高い丘があった。毎日、森を歩いていたルルアだからこそ、知り得た場所だった。


 その丘は、ひとたび登れば広く南方を見渡せ、下から見上げると、そびえ立った木によって巧妙に秘匿(ひとく)されていた。もし、南方からやって来るカルドニア軍を待ち受けるとするなら、そこは、うってつけの場所だった。


 森のちょっとした変化も見逃さず、ルルアはその場所に向かった。途中、南の平野で灰色の塊がうごめいているのが、見えた。


(カルドニア軍だ。もう、あんなところに)


 丘の上にたどり着く前に、ルルアは武装した兵士たちに取り囲まれた。


「動くな、怪しいやつめ!」


 槍を突き出しながら、兵士が叫んだ。


「お願いします! ここに、会いたい人がいるんです」


「ええい、何をわけのわからんことを」


 必死に訴えるルルアに、兵士たちは耳を貸そうとしなかった。それでもなお、ルルアは、食い下がった。


「何事です」

 

 騒ぎを聞きつけて、奥からひとりの男がやってきた。若く、賢そうな男だった。ルルアは、すがるように、その男に助けを求めた。


「お願いです! 長い剣を持った。蒼い目の男の人を探しているんです」


 男は少し考えた後、何か思い当たるふしがあったのか――

「しばし、待たれよ」と再び奥へ戻っていった。


 程なくして、男は戻ってきた。


「どうぞ、こちらへ。ただし、その背中と腰のものは、お預かりしますよ」


 弓と小剣を預け、ルルアは男に続いた。驚いたことに、いつの間にか丘の上に砦が作り上げられ、兵士が溢れていた。


「失礼、ホークス入ります」


 男は、ルルアを連れ立って、陣幕の中に入った。


 中に入ると、多くの武官たちが、いっせいにルルアを見た。左右に並んだ武官たちの奥には、何かの図柄を描いた大きな旗が立てかけられていた。


 旗の前には、森で会ったあの男が椅子に座り、鋭い眼光をルルアに向けていた。その隣りにもうひとり、身分の高そうな女の兵士が腕を組んでいた。


 ルルアは、事前に教えられていた作法にならい、歩みを進め片膝をつき、両手の指を組んで、顔の前に掲げた。


「精霊の森の民、ルルア・ハーモニアと申します」


「ホノミス将軍、アドワース・バルロだ。まずは、使者の口上(こうじょう)を伺おうか」


「はい……」


 ルルアは、大きく息を吸った。


「わたしたちの村に危機が迫っています。カルドニア軍という、災厄です。私たちだけでは、これを撃退できません。不躾(ぶしつけ)なお願いであることは、わかっています。虫のいい話だということも、わかっています。どうか、お力添えを、わたしたちの村をお救い下さい……」


「それは森の民の総意か? それとも、そなたの一存か?」


 カチャリと鎧を鳴らして、アドワースは尋ねた。


「私個人の意思です」


 その答えに、周りにいた武官たちは、ざわついた。アドワースは、それを手で制し――


「使者どのに、伺いたい。カルドニアの軍勢、今回の侵攻の目的は何だと思う?」

 再び、問いかけた。


 思いがけないアドワースのことばに、ルルアは、ことばを詰まらせた。


「どうした? ならば、こうしよう。カルドニア軍は、そなたたちの村にやって来て何をするのだ?」


「それは……わたしたちの村を占領して、食料を奪い……」


「その答えでは、不十分だ」


 あごひげを撫でながら、アドワースはいった。


「カルドニア軍は、そなたの村を占領し、そこを足がかりに我がホノミスを脅かそうとしている。それならばだ、(わし)は敢えて、奴らの欲しがっているものをくれてやるのもいいかと思っている」


「どういうことですか?」


 ルルアは、そのことばの意味がわからなかった。


「わからぬか? ホノミスは森の民を救わないということだ」


 そのひとことに、ルルアの頭は真っ白になった。


(この人は、何をいっているのだろう。 わたしたちの村が? 何故?わたしたちは――)


 呆然とするルルアに、アドワースは続けた。


「もし仮に、カルドニア軍が村を手に入れれば、当然、奴らはそこを守らなければならなくなる。占領することが、足かせになるのだ。使者どのには悪いが、これも戦術のひとつよ」


 森の民の村を切り捨てようとするとするアドワースに、ルルアはいった。


「お待ちください! ホノミスの王は、仁王であると、お聞きします。弱き民を助けるのが、王たるものの勤めなのでは?」


「王は、カルドニアを討伐せよと、仰っただけだ。我らの一存で、軍を動かすことは罷り(まかり)ならん」」


 かつて、ルルアの兄は、いった――ホノミスこそが、アストライアの大陸を導くに相応しい国なのだと。しかし、今はどうだとルルアは、思った。


(これが、白き竜の翼とうたわれる、ホノミスなのか。彼らは、わたしたちの村を(いくさ)の道具としか思っていない。それなのに、私は、私は…………リューリカに何ていえばいいのか)


 いつしか、ルルアは両足で立ち上がり叫んでいた。


「王様にいわれるが(まま)なんですね。わたしたちの村を襲おうとするカルドニア軍も酷いけど、見殺しにするホノミスだって、同じくらい酷い。眼前に広がる災禍から目をそらし、自国の安寧(あんねい)だけに関心を示す――そんなのは正義じゃない」


 周りにいた、武官たちが気色ばんだ。


「力あるものが正義を成さないで、いったい、誰が正義を成すというのですか!」

 いわずには、いられなかった。


「無礼な!」


「小娘が! 切り捨ててくれるわっ!」


 剣に手をかけ、今にも切りかかろうとする武官たちをアドワースが一喝した。


「やめんか! 愚か者どもが―っ!!」


 空気が震え、全ての音が消え去った。


 その後で、アドワースはルルアに告げた。


「交渉は、決裂だ。おとなしく、帰るがよい」


 ルルアが一礼をして出て行った後、その場にいたものは誰一人として、声をあげようとしなかった。すると、アドワースの隣にいた、赤髮の女兵士が口を開いた。


「いいのかい? あのままだと、彼女、確実に死ぬよ」


 先ほどより、いくぶん落ち着いた口調で、アドワースがいった。


「ここで命を落とすも、拾うも、それが運命。シルフィ……自分たちは、今まで数えきれないくらい、そういったものを見てきたじゃないですか」


「ふーん、それにしては酷い顔ね。まあ、いいわ。それじゃあ、あたしたちは予定通り、奴らの足をふさぐ⦅退路を断つ⦆から。それ以外は、よろしくね」


 そういうと、女兵士は、数名の武官たちを引き連れて、陣幕を出て行った。 


 女兵士が去った後、アドワースが手を挙げると、三人の男たちが、その足元に跪いた(ひざまずいた)

  

「ニール」


「はっ!」


「お前は、カルドニアの奴らが村に食らいついたら、その鼻先⦅先頭の部隊⦆を引っ張ってやれ。前線を間延びさせるんだ」


「承りました」

 首に紋章をつけた男が答えた。


「マクベスは、ニールの動きに呼応して、奴らの腹⦅食糧を運ぶ部隊⦆を刺せ。いいか? 頃合い(ころあい)を間違えるなよ」


「承知!」


 最後に、とアドワースがいった。


「ソフィーロと他の者たちは、俺とともに奴らの首⦅総大将、もしくは隊長⦆を狙う。抜かるなよ。いいなっ!」


「ははーっ!」


 全ての指示を終えると、アドワースが剣を掲げていった。


「ホノミスに、栄光あれ!」


「栄光あれ!!」

 陣幕の外まで、男たちの声が響き渡った。


「お力になれなくて、申し訳ありません。将軍に代わって、謝ります」


 ルルアを案内した、ホークスという武官がいった。


「ううん、私もいい過ぎました。アドワースさんに、ご迷惑をおかけしましたとお伝えください」

 弓と小剣を受け取り、ルルアは目を伏せた。


 そんなルルアに、ホークスはいった――


「お詫びといっては何ですが、助言をひとつ。カルドニア軍に出会ったら、逃げることです。戦ってはなりません。戦いに勝つためには、必ず勝てる準備をして臨まなくてはならないのです。いいですか? くれぐれも、勝敗の見通せない戦いに、身をおいてはなりませんよ」


 最後まで、慇懃(いんぎん)な態度を崩さなかった、若い武官に礼をいって、ルルアはその場を後にした。

 

 ルルアは、丘を降りて、森の中を走っていた。先程、あの賢そうな武官がいったことばが、頭の中をよぎっていた。


 確かにそうだ。彼のいうことは正しい。私一人が立ち向かったとしても、敵うはずがない。だけれども――


(私が諦めたら、村のみんなはどうなってしまうのだろう?)


 その思いが、ルルアの足を視界の果てで、不気味にうごめいてる怪物たちの元へと向かわせた。


『己の気持ちに正直であれ』


 かつて、彼女の兄が残したことばは、彼女自身を死地へと向かわせていた。


 マウラ川の下流側まで来ると、カルドニアの軍勢が、対岸を進軍しているのが見えた。これ以上接近すると、相手に自分の存在を認知させてしまうため、ルルアは森に身を隠し、その動きを目で追った。


 この辺りでは見かけることのない、角が生えた、浅黒い肌の亜人たちが、武器を携えて歩いていた。

真っ赤な軍旗を囲んで歩くその姿は、獲物を求める、腹を空かせた魔獣たちのようだった。


 腰の小剣の柄に手をやり、ルルアはじっと機会を窺った(うかがった)


(狙うのは、小さな部隊。混乱を誘って、進軍を遅らせるくらいなら、私ひとりにだってできる)


 程なく、その機会はやってきた。カルドニア軍の先陣と本隊が切り替わる、僅かなところ――その場所に、つけいる隙があるように見えた。


 ルルアは、敵に悟られないように、『旋風の神の矢』をつがえ、弦を引き絞った。


(ここからなら、何とか届くか……いや、届かせてみせる)


 放たれた白い矢はうなりをあげて、見事、敵の兵士の腕を捉えた。


「ギニアッ」

 亜人たちは、少しざわめいた後、一斉にルルアの方を見た。


(釣れた!)

 そう思ったルルアに、カルドニア軍の思いもよらぬ動きを示した。


 ルルアの矢を受け、いったん怯んだかのように見えたカルドニア軍は、あっという間に隊列を変えて、こちらに向き直った。そして、迷うことなくルルアに向かって、猛然と攻撃を仕掛けてきた。


 その軍勢はまるで、一匹の獰猛な生き物だった。余程、優秀な指揮官がいるようだった。 ルルアは、たまらず森の奥に退いた。


 追撃してくるカルドニア軍に対し、ルルアは苦戦を強いられた。ルルアは、襲いかかる敵を確実に仕留めていったが、数を頼みに無理やり包囲しようとする相手に、次第に追い込まれていった。


 倒しても倒しても敵が現れ、死地を乗り越えた先には、また新たな死地が待っていた。


(いくさ)は攻め入るときよりも、退くときのほうが遥かに難しい』


 かつて、村の兵士長のゴンドがいったことばをルルアは、身をもって思い知った。


 それから、ルルアは森を駆けに駆けた。時折、投げつけられた手斧が、ルルアの足を掠めた(かすめた)。 ルルアは、目の前に視界が開けているのを見て取ると、そこに向かって必死に逃げた。


 全力で駆け抜け、飛び込んだ先でルルアが見た景色は、雄大なマウラの流れであった。渡河できる場所は、何処にもなかった。追撃するカルドニア軍は、直ぐそこまで迫っていた。


(ここが、私の死に場所か。でも、ただでは死なない)

 

 川を背にして、少女は、自らが信仰する(オノマーラ)が創り出した風の矢を構えた。


 カルドニアの兵士たちは、追い詰めた相手をどう料理しようかと、笑いながら近づいてきた。

 

 その時だった。マウラ川の遥か向こう、偉大な神が棲まう(すまう)山脈の(みね)から、三回、突風が吹いた。それは、神・クレアミスがルルアというひとりの少女を認め、祝福を与えた『しるし』だった。


 突風が舞い上げた砂埃に、たまらず目を閉じたカルドニア兵が、再びその(まぶた)を開けると、そこには信じ難い光景が広がっていた。


 この世界の常識からすれば、偉大なる神、クレアミスが特定の者に対し、力を与えることはあり得なかった。しかし、神の気まぐれか、それとも、自らが支配する領域に侵入した者たちに対する見せしめか、この時、神は、ルルアに力を貸した。


 風の高位神であり、時を司る女神でもあるクレアミスは、自らに従属する神、オノマーラが創り出した風の矢――その風の矢の時間軸を無視して、大空に展開させた。


 過去・現在・未来、数多(あまた)の時間に存在するであろう風の矢が、ルルアの周りに、次々と現れた。

 その風の矢は、全てにして一つ、別個にして同一であった。


 空を覆うような無数の矢を前にして、動けなくなっていたカルドニア兵たちであったが、その中のひとりが、「ヒギィ」といって逃げ出すと、他の者たちも一斉に背を向けて走り出した。


 しかし、クレアミスは、彼らが立ち去ることを許さなかった。


 ルルアの意思とは関係なく、風の矢が放たれ、カルドニア兵たちの体に穴を開けていった。穴と穴は繋がって、大きな穴になった。大きい穴と大きい穴は繋がって、空間になった。


 凄まじい暴風は、カルドニア兵たちの肉体を切り刻み、引きちぎり、細切れにして、粉砕した。全てが終わった後、彼らの肉片は一片たりとも残っていなかった。


 後から続いてきたカルドニア兵たちは、その光景を目の当たりにして、慌てて退却を始めた。


 残ったのは、雄大なマウラ川の流れとルルアだけだった。

 背中合わせの死の記憶と、時の支配者たる女神の圧倒的な力が、ルルアをその場にへたり込ませた。

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