ふたりの晩餐
森で奇妙な男に出会い、不安を感じたルルアは、急ぎ村へと戻った。少し離れたところから眺める村は、いつもと変わりないようだった。
至る所にある『しるし』をたどり、獣道を進んで村の入り口まで来ると、ルルアはまず、リューリカの家を目指した。
途中、ルルアは、何者かにこちらを見られているような気がした。
(そういえば、妙だな)
まだ、日が高く上っているのに、誰一人村人と出くわさなかった。
(まさか、村に何かあったのかしら?)
リューリカの家に着き、ドアの前に立つと、数人の男たちがルルアを取り囲んだ。その中の一人は顔見知りで、ゴンドという村の警備兵の隊長だった。
「ちょっと、何だっていうの?」
抵抗もむなしく、ルルアは縛り上げられ、地面に膝をつかされた。
「どういうこと? 私が何をしたっていうの」
何もいわぬ男たちの背後から、ひとり、背の高い男が歩み出た。
男は、ルルアの前に立ち、見下ろしながらいった。
「ルルア・ハーモニア、お前を拘束する」
ルルアの前に、ひとりの男が立っている。その髪は、純粋な色だった。金色よりも眩しく、曇りのない色。白い肌は、波にさらわれた貝殻、もしくは原始の宝石のようだった。
昔、一族の者は皆、そのような色を持ちあわせていたらしい。
非の打ちどころのない、容姿を持って生まれた彼に、あえて難点をつけるとすれば、小刻みに動く眉と、神経質そうなその表情だろうか。
名をミリウス・ガレットという。
若くして学を成し、村の政の中枢にいた彼は、前族長の指名により最も若い族長となった。
そして、彼はまた、ルルアの兄の親友でもあった。幼い頃より誓いをたて、ともに歩んできた――その関係は、ルルアとリューリカのそれによく似ている。只、彼女たちと違ったのは、相手を受け入れる寛容さがなかったことだ。
ミリウスにとって、ルルアの兄は、自分自身と分かつことのできないものだった。その相手が、自分や村から離れていく――それは、許すことのできないことだった。
『裏切られた』
いつしか、親愛の情は失われていった。 親友が前族長により追放された後、彼は泣いた。あるべき自分と本来の自分、その狭間で彼は苦しんだ。
そして、世の中のあらゆる不条理を呪い、兄の面影を持つ妹のルルアに、そのすべてをぶつけた。
「ルルア、お前に問いただす」
睨みつけながら、ミリウスがいう。
「お前はこの数日、森の中で何をしていた?」
「何って…………森を散策していただけだよ」
「噓をつくな!」
ミリウスが、声を荒げた。
「先日、部下から、報告が上がってきた。森の中を不審なものたちが、行き来していると」
ルルアは、あの奇妙な男を思い出した。
「それで俺は、森に偵察隊を放った。すると、どうだ――」
今まで、抑えてきた怒りや悲しみ、不安、そういったもの全てが堰を切って、溢れだそうとしていた。
「カルドニアの軍勢が、こちらに向かって来ているというではないか!」
精霊の森の中で、この村以外に目指すようなものは、何もない。カルドニア軍の目的は、まず、ここで間違いないだろう。
ルルアは、ことばを失った。
(あぁ、あの男がいっていたことは、本当だったんだ)
カルドニア軍の通った後には、何も残らないといわれている。
(村は、リューリカたちは、どうなってしまうのだろう)
呆然としているルルアに、ミリウスは、吐き捨てるようにいった。
「お前が、手引きしたのだろう」
「違う!ミリウス、私は――」
「こいつを牢に、連れて行け!」
弁明の機会を与えられないまま、ルルアは連行された。
自由を奪われたルルアは、 薄暗く狭い部屋の隅で膝を抱えていた。
「すまないな、ルルア。だけど、今回のことはお前さんにも非があるぜ」
兵士長のゴンドがいった。
「お前さん、毎日森に出ていただろう? 皆、何をやっているのかと、不審に思ってたんだ。そこに、カルドニアの来襲ときたもんだ。疑わねえほうが、おかしいぐらいさ。でもな――」
ゴンドは続けた。
「俺あ、お前さんを幼子の頃から、知っている。お前さんは、そんな大それたことをできる子じゃあない」
ルルアは、顔をあげた。
「ほんの少しの辛抱だ。ミリウスだって、直ぐにわかるさ」
「…………」
「じゃあ、俺は行くからな。何かあったら、牢番にいうんだぞ」
それからずっと、ルルアは、座ったまま動かなかった。低い天井と、染みついた独特の臭い、そして、何より村を目指しているカルドニアの軍勢…………不安定な気持ちが、重くのしかかった。
(私が、何とかしなくては)
行動の自由を奪われてもなお、ルルアは、村を救うために、何ができるかを考えていた。
『俺は、カルドニア人を狩るものだ』
ふと、森で出会った、あの男のことばを思い出した。
悔しいが、自分には、カルドニア軍を追い返す力はない。しかし、恐ろしい魔獣たちをものともしない、あの暴力的な力なら、あるいは――
ルルアは、居ても立っても居られなくなった。
(早く、ここを出て、あの男を見つけなければ)
片隅に目をやると、牢番は眠りこけている。しかし、牢を開ける鍵は、彼の腰のベルトだ。
考えれば考えるほど、糸口が見つからず、只、時間だけが過ぎていった。
拘束されて、どれくらいの時がたっただろうか。ルルアにとって、経験したことのない苦痛の時間が続いた。牢番は、相変わらず、うつらうつらしていた。灯っていた蠟燭の火も消えかけようとしていた。
その時、牢番の向こうに見える入口のドアが、薄っすらと発光し、わずかに開いた。少し間をおいて、隙間から滑り込んだ人影が牢番の前に立ち、呪文を唱えると、彼は大きないびきをかき始めた。
それを確認すると、その人物は牢番のベルトに手を伸ばし、それから、ルルアの前までやって来ると、扉の鍵をあけた。仄暗い部屋の中でも、その顔がはっきりとわかった。
「リューリカ! どうして……」
「その話はあとで」
指に手を当てながら、リューリカがいった。
外は、もう深夜のようであった。。
周囲に誰もいないのを確認して、ふたりはリューリカの家に向かった。ドアを閉めたとたん、緊張が解けたのか、互いに笑いあった。
「おばさんは、どうしたの?」
「お母さんも、他のみんなも集会所。この辺りは、もう誰もいないよ」
カルドニア軍の襲来に備えて、ミリウスが、避難させたらしい。
「それにしても、リューリカ、何であんな危ないことをしたの?」
親友の大胆な行動は、ルルアにとっても、意外だった。リューリカはそれに答えずに――
「私、風の魔法とかは駄目なんだけどさぁ、ああいうのは得意なんだよねえ」
片目をつむって、小さな舌を出した。
そのおどけた、愛くるしい笑顔を見ると、ルルアは少し心が軽くなった。
それから、ふたりは食事の支度を始めた。
リューリカは、自宅の菜園で摘んだキャベツを切って、干し肉とともに煮込んだ。その間にルルアは、薬草を使った水でテーブルを拭いて、特別な日の食事に使う布をその上に敷いた。
温めたパンと、チーズ、塩漬けの山菜、火種の消えた灰のなかで温めた卵――それに加えて、山盛りの木苺、煎ったクルミ、山ぶどうのジュース、とっておきの蜂蜜をはしっこまでいっぱいに並べた。
最後に、リューリカが温かいスープをよそってくると、ふたりは向かい合って座り手を合わせた。
「いただきまーす」
「いただきます」
久しぶりの食事をふたりは楽しんだ。
「じゃあ、その人を探しに行くんだ」
「うん、一寸心当たりの場所があるんだ」
「本当は、私も付いていきたいけれど……多分、足手まといだよね」
心配そうな顔で、リューリカがいった。
「村も安全とはいえないけれど、外はもっと危ないと思う。大丈夫、私は毎日森を歩いているんだから」
これが、永い別れになるかもしれない。そんな不安を抱きつつも、ふたりはつとめて明るく振舞った。
「じゃあ、リューリカ、私もう行くね。スープありがとう。おいしかった」
ルルアが立ち上がると、リューリカが慌てていった。
「あ、一寸待って」
奥の部屋から、ルルアが愛用している小剣と弓を持ってきた。
「ゴンドさんが、ルルアが出てきたら、渡してくれっていったのだけど……もう、出ちゃったんだから、いいよね」
ニカッと白い歯を見せて笑う、親友の肩をルルアは、そっと抱きしめた。
「行ってくるね」
「行ってらっしゃい」
リューリカから、受け取った道具を身に着けると、ルルアは夜明け前の村を出た。
森はいつものように、静謐さを保っていた。