ささやか過ぎる贈り物
「もう、行くのかよ」
バスに乗ろうとしている香織に、慎哉は声をかけた。
「うん。行く」
前を見たまま、香織は答え、その後にまた一言付け加えた。
「寒いから、風邪、ひかないでね」
「何言ってんだか。日本では二月、今が一番寒いらしいが、ロシアはこれよりもっと寒いんだろ? お前こそ風邪、ひくなよ」
慎哉に言われ、香織は大きくうなずき、バスへと乗り込んだ。そしてバスは、静かに走り去って行く。
バスを見送り、慎哉はポケットに手を深く突っ込み、家に帰ろうと歩き出す。歩き始めると、後ろから機械音がし、そしてその横でバイクが止まった。
「……圭、どうした?」
慎哉が足を止め、ボソッと言う。
「どうした、じゃ、ねぇ、やろ!!」
圭が慎哉に怒鳴る。バイクから圭が降り、慎哉の肩を掴み、強く言った。
「お前、香織ちゃんのこと好きなんやろ? なのに、なんも言わんでええんか?」
慎哉は何も言わず、口を閉じたまま、目をそらす。
「後悔、しないんか?」
今度は慎哉の顔を覗きこみ、訊いた。
一瞬、慎哉の表情が崩れる。
しかし、慎哉に何の反応がないと見て、圭はバイクに戻ろうとする。
「んじゃ、俺帰る……」
「圭っ!!」
「はいっ?」
どうしよう、と慎哉は思う。こんなこと言って、香織に迷惑なんじゃないか、と不安になる。だけど、後悔したくない、それが慎哉の一番大きな思いだった。
「圭。俺、行く。後悔したくない、から」
「そうと決まれば、さっさと行くで。はよバイク乗り」
圭の言葉に、慎哉は深くうなずいた。
バスに揺られながら、香織は窓の外の景色を眺める。
「はぁ」
自然にため息がもれた。
「渡せなかった……な」
「何を?」
横に座っている、母に訊かれ香織は、
「なんでも……ない、し」と言って、目をそらす。
渡したかった、なんて思うのは、迷惑なんだろうか。香織にはわからない。ただ、カバンに入っているマフラー、それを渡したかっただけだ。
カバンからマフラーを取り出す。
このマフラーどうしようか。渡せないなら、自分で使うか。なんて香織が思っていると、母から話しかけられる。
「素敵なマフラーね。手編みなの?」
「どうだっていいでしょ」
そう言って、そっぽを向く。
それから、二人の間には会話がなくなる。
「着いたわよ」
「ん?」
いつの間にか、眠ってしまったらしい。香織は大きく伸びをして、立ち上がる。
「先に、降りるから……」
と言って、荷物を持って逃げるようにして、香織はバスの出口に向かった。
「慎哉!?」
香織がバスから降りると、慎哉がいた。
「な、な、何で……?」
香織は、手から荷物を落としてしまう。それを拾いながら、慎哉は言った。
「言わなきゃ、いけないことが、あるんだ」
「ちょっと待って。……私も言いたいことが、あるし」
「香織も?」
「悪い?」
「全然」
「あ、あんたから言いなさいよ」
「そ、それはちょっと恥ずかしい」
慎哉は顔を赤らめる。
「じゃあ、どうするのよ。……私から言うのは、イヤだからね」
香織も顔を赤らめる。
「じゃあ、一緒に言えばいいやん」
突然、圭が割って入る。
「何であんたが、ここにいんのよ!」
「まぁまぁ。圭、口を挟むな。でも、そのアイデアはいい、もらった」
「そうやろ?」
「あんたは口を挟むな!」「香織はこれでいい?」
「慎哉がいいなら、別に……」
「じゃあ……せぇーの」
『好きです!』
一瞬、二人は見つめ合ったが、すぐに視線をそらす。
「それ」
「?」
香織が、慎哉に持たれている自分のかばんを指す。
慎哉は不思議そうに見ているが、動かない。
「だから、これ!」
香織は慎哉に近付き、自分のカバンからマフラーを取り出した。
「これ、あげるよ」
「?」
慎哉の顔からクエスチョンマークが飛んでいるようだ。
「何でくれるの?今日、何かの記念日だったっけ?」
「えーと。」
「クリスマスじゃないし、俺や香織の誕生日でもないし……」
「な、」
「な?」
「なんでもない日、おめでとう。これは私からあんたへの、ささやかな贈り物です!」
「……あ、ありがとう」
「どういたしまして」
「香織、お母さん疲れちゃったわ。早く飛行機に乗ろう。じゃないと乗り遅れちゃうわよ」
「わかった」
母から呼ばれ、香織は返事をする。
「もう行かなきゃいけないから。」
「うん。……いってらっしゃい。浮気は許さないからな」
「そっちこそ……いってきます」
最後に二人は、顔を見合せてクスリと笑った。そして香織はすぐ、母のもとへ走って行った。
「行っちゃったなぁ」
「そうだね」
「オレ、今の会話きいてて思ったんやけど」
「何を?」
「お前ら、すっごく天然やな」
「香織、お母さん思ったんだけどね」
「何を?」
「あなたたち、すっごく天然だね」
『そんなわけ、ないじゃん』
離れてしまう二人にとって、こんな共通点は、神様からのささやかすぎる贈り物だったりするのかもしれない。