リスプのバーバラの娘はスーザンです
Lisp side
踏みつけられた獣道を、腰以上の高さまでのびた夏草をかきわけて進む。湿った土の匂いと草いきれがむわっと立ち込め、鳥や虫の声がこだまし頭がガンガンする。
ここまでは村人ならば誰でもくることができる。
ここまでは。
一応あたりを見回す。
どうやら誰にもつけられていないようだ。
太陽の位置を確認し、右ななめ前方に見える半分くちたクスの倒木に手をつく。
…ウィーン
低い駆動音が手のひらから伝わり、クスの倒木の下に人一人くぐれるほどの隙間が生じる。
リスプの族長の血族の者であれば手のひら認証で起動するようになっているのだ。
15歳の頃、歳の離れた兄たちに立て続けに不幸があり、このお役目がスーザンのものになって早3年。
スーザンはリスプ族特有の銀髪を手櫛で整え軽く結い直すと、いつものように倒木をくぐった。子どもの頃は簡単にくぐれた隙間だが、最近はきちんと髪を結わないとひっかかってもっていかれるのだ。
「地味に痛いのよねー」
誰に言うとなしにつぶやく。
くぐり抜けると空気が変わり、辺りの音も消える。光が急に落ち、暗さに目が追いつかない。年中光が届かないため、地表を覆うのは夏草ではなく、絨毯のようなコケ類。コケは見渡す限り岩にも倒木にも木々にもまとわりついている。
水の底のような静かな色味の中、白巨石でつくられた門だけが輝き浮き上がって見える。
門の向こうに見える大理石の建造物こそが、リスプ族族長の血族が代々守ってきた女神を祀る神殿である。
(アセンブラの神は男神だったな。なにか違うのかなぁ?)
この世界、人類はリスプ族とアセンブラ族しかいないらしい。
…と文献にはある。
アセンブラの民は見た目も言語も違うらしいが、どこに生息しているのかも、果たしてほんとうに存在しているのかも知らない。
その昔、サヴァ神が作りたもうた人類は、その見た目と理解できる言語でふたつに分けられた。そしてどちらがサヴァ神に寵愛をうける民なのか決するために長く長く不毛な戦いを続けてきたらしい。
そう、それは全く不毛な!と感じたとある世代の族長同士が力を合わせ、サヴァ神を分け合うことで、やっと戦いの幕がおりたのだ。
かくして不可侵条約が締結され、もう二つの民はまみえることすらなくなった。伝承として互いの姿形が伝えられるのみである。
わかりやすい見た目でいうと、リスプ族は銀髪、アセンブラ族は黒髪。
「えっっと…黒髪よね?」
人間ありえないものが視界に入ると脳が処理をシャットダウンするってほんとなのね。
スーザンは二度見ならぬn度見を繰り返し、頭を抱えた。
リスプ族しか入ることができない森の奥、リスプ族の中でも族長の血族しか入れない神域中の神域、サヴァ神の神殿の門の前に、黒い髪の人間のようなものが倒れていたのだ。
黒毛のクロクマかイノシシか?と伺いながら距離をつめてきたが、どう見ても人間の形をしている。
少し角度を変えて見ようとそろりそろりと移動しつつ眺める。
黒く長い髪を投げ出し、横を向いてうつぶせにたおれているようだ。着ているものは…見たことがない。
「すごいな、ほんとに黒い髪なんだ。生まれた時から黒いのかなぁ」
目を凝らして分け目を見ても根本から黒い髪の毛が生えている。
覗き込むと眉毛やまつ毛も黒いことがわかった。
「わぁ、すごいな、体毛全部黒いってことかしら?」
体の作りをしげしげと眺めて、やっとわかった。
「あ、このアセンブラ、多分女の人だ」