初陣-1
2日後、クラウスと共に馬を走らせていると、小さな村で人だかりができているのが見えた。
「なんでしょうか?」
「分からん……少し寄るか」クラウスは目を細め、人だかりを見つめている。初めて見る表情に、ハンナは胸がざわつくのを感じる。
村に入ると、中程度の荘園があるのみで周囲は山で囲まれていた。大きな建物は教会堂と宿屋と領主の館だけで、後は畑と農民の家があるのみだ。
少し寄ると、リヒャルトと移送団の姿があった。
「集合場所はここではないはずですが……」ハンナは、思わずクラウスの顔を覗き込む。
「何か起きたのかもしれん。話を聞いてみよう」クラウスは、ハンナを見つめて、ゆっくりと言った。
教会堂の前に馬車に乗せられた大きな箱が見えた。それが需要物資だとすれば、馬が引いて走るのは難しいだろう。何頭かで歩きながら引かなければ動きそうもない。
重要物資は、巨大な木箱で覆われ、箱自体が何重にも鎖が巻かれている。大きさは、小屋ほどのサイズだ。一体、何が入っているのか。まるで何かを封印しているようだ、とハンナは一目見て感じる。
移送団の騎士が周りを囲んでいた。全員が顔に深い疲労を浮かべている。中には狂ったように笑う者も居た。その腕は欠け、黒い布が巻かれている。
重要物資の大きさを見たクラウスが、
「あれほどの荷物を引くとしたら、指定された場所まで一日じゃたどり付けない……」クラウスは馬から降り、言う。
「何か……起きたんでしょうか?」ハンナは震える声で言い、馬から降りる。臓腑に冷たい物が広がっていく。自分がとんでもないことに巻き込まれているという予感。
「おい、ちょっと手伝ってくれ!」騎士の一人が叫び、二人は移送団に近づく。そこには手当てが必要な物が何人か。
「あんた、裂傷の処置はできるか?」騎士がハンナに向けて言った。ハンナが近づくと、騎士は腹部に深い裂傷を負った男を指す。裂傷からは血が流れ、傷口は泥で汚れている。
ハンナは頷き、「誰か包帯と……綺麗な水……はないか。ワインはない?」
「あるけれど……ワインは祭用で……」村人がもごもごと言う。
「祭りと人命、どちらが大事なんですか!」
ハンナの気迫に押されたのか、村人は指示通りにワインを持ってきた。ワインのアルコール分を利用し、傷を消毒。布で汚れを拭いとる。
「いてぇ……」男は涙を流した。
「大丈夫、そこまで深くない。少し痛いけど、我慢して」ハンナは血にまみれながら泥を拭き、そして、圧迫しながら包帯を巻く。
処置を終えたところで息をつく暇もなく、
「こっちも頼む!」
ハンナは一人の包帯を取り換える。全身が刃物で刺されたような傷があり、包帯が汚れていた。クラウスと協力し、傷を洗い、包帯を取り換える。
「一番の実力者だったんだ……それなのに」先ほど治療をした騎士が涙声で言った。
ハンナは包帯でぐるぐる巻きになった男を見る。震えていたので毛布を掛けてやる。しかし、震えは止まらない。ふと、優しく頬を撫でると、止まった。
彼はどんな敵と戦ったのだろうか。知りたいとハンナは強く思った。せめて話が聞けるになるまで回復させないと。
治療を終え、患者を運んでいると、騎士の中で年長の者が近づいてきて、「こんな小さな娘まで徴兵するなんて……」
「何があった?」クラウスが優しく肩に触れる。すると、騎士はびくっと震え、
「出発前はこの倍は居たんだ。すまん……」騎士はそう言い、酒場へ去っていく。
なぜ謝るのか、とハンナはクラウスを見る。分からない、とクラウスは首を振る。
「任務はかなり厳しい状態にあるという事です」リヒャルトが近づいてきて言う。
「どういうこと?」
「彼らはマガイの襲撃に何度も遭い、移送を行えるだけの人員を失いました。ここ数日に立て続けてね。だから本来寄るはずのないここで、補充を行うしかなかった。だが、生き残った者ももう戦えない者も居る」
ハンナはぞっとした。姉や妹の死にざまを思い出した。震える腕をつかみ、堪える。耳がずきずきと痛みだす。震えは止まらず、全身に広がっていく。
「ハンナ、落ち着くんだ。息を大きく吸え」クラウスがゆっくりと言う。
ハンナは息を吸い、大きく吐く。
リヒャルトが全員に向けて何か話している。ようやく落ち着き、内容が頭に入ってくる。
「事態を重く見た王家はゼーフェリンク騎士団の応援をよこすと言ってきた。しかし、いつ付くか分からない。それまで移送は難しい為、この村で物資を守らなければならない」
「立て続けて襲撃にあったのなら、また来るんじゃ……」ハンナは震えた。他の騎士も恐怖に震え、死に怯えていた。
それでも身体を休めなければならないので、リヒャルト、移送団の長は領主の館へ、クラウスや移送団の騎士は宿へ、ハンナたちは教会堂に泊ることとなった。
ハンナは教会堂へ行き、自分の装備を確認する。
「雑魚寝とはな」クラウスが教会堂へ来て、言う。
「宿も一杯みたいですね」ハンナは言い、支給された毛布を羽織る。
クラウスが大きく伸びをし、首を回しながら肩をもみ、「少し寝るか。お前、夜間の重要物資の警備の担当だろ」
「ええ、少し休ませてもらいます」ハンナは剣を置き、椅子の上で横になり、仮眠を取った。
2時間ほど休み、装備を付け、警備場所へ向かう。巨大な箱が村の中心部に置かれている。そこにリヒャルトが立っていた。
ハンナ含め、5人の騎士が集まった。
「今日、マガイが襲来するかもしれん。私はすぐそばの領主の館で休んでいる。何かあったら報告しろ」
リヒャルトはそう言い、館へ戻る。
騎士たちは顔を見合わせる。
「移送団の連中は酒盛りか」一人がぼやき、欠伸をした。
ハンナは宿屋の方を見る。村に似つかわしくない大きさの建物で、一階は飲み屋になっているのだ。
おかしい。ハンナは妙な違和感を覚えた。普通、戦いを終えた騎士たちはビール片手に騒ぎ立てるものだが、飲み屋は静かだ。酒の勢いで乱闘騒ぎになるのは御免だったが、それにしても静かすぎた。
「俺、マガイ見たことねぇよ」青年が言う。軽薄そうな男だ。剣を肩に乗せ、ため息をつく。
私も前までそうだった。このまま何もなければ良い。ハンナはうつむき、思う。
ふと顔を上げると、見覚えのある背中が見える。騎士と話す背の高い女性。長い髪の毛の色もぴんと伸びた背筋も全てが懐かしい。
ハンナは我を忘れ、駆け寄る。
「姉さん!」肩を掴み、振り向かせる。しかし、振り返ったのは別の顔。
吊り目で、鼻が尖った女がハンナを睨んでいた。ボディスを着崩し、肩や腕が露出したその服装や艶のある雰囲気は彼女が娼婦であることを表していた。
殴られたかのような衝撃。強烈な現実感。そうだ、姉が生きているはずなどない。陸に打ち上げられた魚のように口をパクパクとしていると、
女はハンナを見下ろし、眉を吊り上げた。しっかりと見れば器量は良く、意志の強そうな鋭い瞳や微かにウェーブがかかった茶髪は魅力的であった。
「姉さんって、あたしがかい?」桃色の唇がきっと結ばれる。
詰問され、ハンナはただ頷く。
「生き別れか何かかい?」
ハンナはうつむき、「いえ……もう」
女の眉が八の字に垂れ、表情が和らぐ。
「それは気の毒に……あたしはクリスティーナってんだ。あんたの姉さんじゃなくて、申し訳ないね」
「いえ、こちらこそ。私はハンナ・ケンプフェルトと言います」
クリスティーナはハンナが背負う剣を見て、「あんた……騎士の真似事かい?」
ハンナは微かに呻き、「まぁ……そんなところです」
クリスティーナは表情を強張らせ、「どんなに努力したって、男には勝てない」
ハンナは、クリスティーナを見上げ、睨み、「それでも……やらないといけないんです」
クリスティーナは少し気おされたような顔をし、
「そ……そうかい。でも、必ず限界にぶち当たる。覚悟しておくことだ」
まぁまぁ、と二人の間に先ほどの青年が割り込んでくる。
「俺は、エッカルト。あんたも出稼ぎか?」青年は歯を見せて無防備に笑い、ハンナに声をかけてきた。
「私はマガイに家を襲われたの」
他の3人も、えっと驚いた声を上げる。
「あいつら、剣は効くのか?」エッカルトが訊く。
「《祝福》の力があれば、再生力を奪えるけど、普通の剣だと……うまいことバラバラにするしかない」ハンナは剣をぎゅっと握り締めた。
「しゅくふく……?」クリスティーナが眉をひそめる。
「マガイを殺すことで宿る不思議な力だよ」エッカルトが得意げに言う。なぜ、知っているのだろう、とハンナは疑問に思う。
「来ないことを祈るさね」説明を聞き終え、クリスティーナがため息をつく。
じわじわと暗くなっていき、かがり火をたき、周囲を照らす。すぐに辺りは真っ暗になった。
ハンナは暗闇で目を慣れさせながら考えていた。もし、今、マガイの群れが現れたらどうするか。少なくとも、前に戦っていた移送団の騎士やクラウス、リヒャルトが居る。大丈夫だろう。
交代で見張りをするため、一度、休憩が来た。神経がぴりついていたので、ハンナは村を一周してみることにした。荘園の奥にある教会堂はそれなりに大きい。建物自体も頑丈だ。
「夜は冷えますね」神父が現れ、温かい飲み物を渡してきた。
「何もないと良いのですが」ハンナは飲み物をすすりながら、言う。
微かに弛緩した空気の中、世間話などをしていると、箱の方で叫び声がした。
ハンナは剣を抜き、声の方へ向かう。そこには腰を抜かしたエッカルトの姿。そして―
まず目に入ったのは粘液で構成された身体。炎で照らされ、てらてらと輝いている。森の奥から、草木を踏み抜き、それらは現れた。
マガイ……!
ハンナは恐怖で固まってしまう。しかし、すぐに自分の頬を張り、恐怖を打ち消す。
しかし、凄い数だ。光の届く範囲で六体は居る。大きさは野犬程度で、城に現れたのと比べると半分ほどの大きさしかない。
「どうする?」エッカルトが立ち上がり、訊く。
ハンナは考えていた。どうする、箱を守れば、村人は捨てることになる。
かさかさ、と音を立てながらマガイが近づいてくる。しかし、目標は箱より、ハンナたちのようだ。
「リヒャルトに指示を仰がないと」ハンナは震える声で言い、二人の騎士がクラウスとリヒャルトを呼びに行く。
マガイがぴょんと跳び、体当たりしてくる。ハンナは思わず、叫び声をあげて後退する。
「どうする、逃げるか?」エッカルトが歯を震わせながら訊いてくる。
ここで後退すれば、箱を捨てることになる。リヒャルトの指示があるまでは守りたい。だが、恐ろしい。
『やはり無理だったか……もうお前に思うことはない』父の声が蘇り、ハンナが強く歯噛みする。
「リヒャルトの指示があるまで守るしかない!」ハンナは自分にも言い聞かせる。すがるように大剣の柄を握り締める。
方向を変え、飛び掛かってくるマガイに大剣を叩き込む。柔らかく重い感触と共に、マガイが二つに割れ、地面に叩きつけられる。
「やった……!」
しかし、すぐにマガイは動き出し、飛び掛かってくる。素早く片方を潰すが、もう一方は動き、再生し、元の大きさに戻ってしまう。
「くそ、殺せないのか!」エッカルトが叫びながら、飛び掛かってきたマガイを何とか振り払う。異様な再生力の前に、ハンナも振り払うのが精いっぱいだ。
応援を呼びに行った騎士が戻ってきたが、
「リヒャルトが居ない……それにクラウスが刺されてて、移送団の長は殺されてる」
ハンナがハッとする。何者かの手引きがあったのか。
「ハンナ!」エッカルトが声を上げる。
エッカルトを見ると、視線の先には箱に群がったマガイたち。箱をかりかりと搔いている。
「どうするんだよ!」
ハンナの頭は真っ白になった。恐怖で全身が震えた。グレーテやミナの死体が浮かぶ。歯がかみ合わず、震えた。
はっー、はっーと不規則な息が聞こえる。数秒後、自分の物だと分かり、ぞっとする。
村で悲鳴が上がり始めた。
読んで頂きありがとうございます。感想、評価、レビュー、ブックマーク、お待ちしております!