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白銀の大剣よ、舞え  作者: 賢河侑伊
稽古編
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選定-1

 怪物の襲来から2週間が経った。怪物の被害は、ハンナの住んでいた街だけでなく、王国全土に及んだ。被害が大きかったのは北部地域で、首都は壊滅したという。その他の地域は局所的被害にとどまるという。


 一時的に怪物は撃退されたが、森林に身を潜めている。今は街中で騎士がうろつき、眼を光らせているのが日常だ。


 ハンナは城の近くにある小屋で薬草をすりつぶしていた。


 外から雨音が聞こえる―こんなに大きな音だったろうか。ざぁざぁざぁ―雨音は、止みそうにない。


 小屋には二つの茣蓙ござがひかれ、負傷者が横たわっている。ハンナはその看護を行っているのだ。


 薬草を調合し終え、負傷者の様子を見ていると、ひとりの中年男性が小屋に入ってくる。


「無理はするな」低く枯れた声で男性は言う。


 ハンナは男性の姿をまじまじと眺める。白髪に無精髭、筋肉質な身体。あまりに鋭い双眸は冬の狼を連想させる。この男性はクラウスと言う。父の戦友で、事件後、ハンナを世話してくれた恩人だ。幼少期から数年間、騎士になるための基礎訓練をしてくれたのも彼だ。


 事件後にクラウスとその妻が城に駆け付け、傷を治療してくれた。それから2人はハンナを家に招き、心身ともに癒してくれた。


「今、薬が出来上がったところで……」ハンナはふと自分の手を見る。掌は豆がつぶれ、微かに皮が分厚くなっていた。


「少し休んだ方が良い。お前まで倒れてしまう」クラウスはぼそり、と言った。


 確かに、最近は負傷者の看護ばかりしていた。戦うことができない自分に唯一出来ることは何かと考え、導き出したのがこれだった。


 看護をしている女性を見る。ふと、彼女らがグレーテとミナに見え、心臓の鼓動が速くなる。ハンナは咄嗟に耳を押える。傷口はふさがったが、耳たぶの一部が欠け、今でもずきずきと痛む。


「今、あれが新薬の調合をやっていてな。味見をしてほしいそうなんだが……」クラウスは苦い顔をする。あれとはクラウスの奥さんのことだ。


「頼めるか? 看護は俺が引き継ぐから」クラウスが頭を掻く。本当は苦い薬なんて平気だろうに。その不器用な優しさが嬉しかった。


 ハンナは少し微笑み、「分かりました」


 小屋から出ると、すぐそばにあるクラウスの家から、クラウスの奥さんが手を振っているのが見えた。ふっくらとした気の良い女性だ。


 奥さんは事件後、ずっと一緒に居てくれた。無言で、突然ぼろぼろと大粒の涙を流して嗚咽するハンナを、ただ優しく抱擁してくれた。自分がいかに無力だったかを話し、途中で感情を爆発させても、親身に話を聞いてくれ、一切否定しなかった。それどころか、よく頑張ったね、辛かったね、と言ってくれた。悪夢で飛び起きても、嫌な顔一つせず、手を握り、「大丈夫だから」と背中をさすってくれた。


 ハンナはどうしても走る気が起きず、歩いて家に向かう。


「びしょ濡れじゃない」奥さんがタオルを被せ、髪を拭いた。ハンナはうつむき、されるがままになる。その髪から止めどなく雫が零れ落ちた。


「おばさん……わたしは、これからどうすれば良いんでしょうか?」


「城や領地の運営は、生き延びた役人が何とかしてくれているってクラウスは言ってたし、大丈夫よ」


「そうではなくて、その……何をすればいいか分からなくて」ハンナは無意識に泣き声になっていた。


 奥さんは微笑み、


「これからゆっくりと考えましょう。そういえば、今日の夕刻、ゼーフェリンク家の騎士団の方が来るとか」


「騎士団?」


「ヨーゼフ様……ハンナちゃんのお父上のことで話があるとか」


 ハンナの顔が曇ったのを見逃さなかったのだろう。


「嫌なら断る。これでもクラウスは騎士団には教え子が何人もいるんだから」


 影響力がある、と言いたいのだろうか。小さな優しさが心に染みた。不器用な人だ、とハンナは微かに笑ってしまう。


「いえ、もう大丈夫。着替えをしておきます」


 部屋に戻り、着替えると奥さんから呼ばれた。


「ハンナちゃん、騎士団の方が」


 呼ばれ、ハンナは慌てて居間へ向かう。


 居間に降りると、三人の男が立っていた。一人は中年で、後の二人は若かった。中年の男は、クラウスと久しぶりだな、と抱擁した後で世間話をしていた。


 クラウスがハンナに気づき、会話を止める。そして、中年の騎士に水を指した。騎士は、ゼーフェリンク家領内の中領主であり、その地域の騎士団長らしい。名乗ったが名はすぐに忘れてしまった。


「この度は、惜しい人を亡くしました」騎士団長は席に座り、ハンナを見据える。騎士団長は黒髪で整えられた髭を生やしていた。


「今日はハンナさんにお願いがあって参りました」


「お願い、とは?」


 騎士団長は咳ばらいをし、


「我々は、怪物をマガイと呼称しているのですが、その殲滅作戦を王より命じられました。しかし、北部地域(ゼーフェリンク家の領地)はマガイの襲撃により、一部が水没、都市部は壊滅、騎士団にも多大な被害が出ています」


 騎士団長が一瞬目を伏せ、顔をしかめる。


「マガイは驚異的な再生力により、我々は劣勢に立たされています。どんな些細なことでも情報が欲しい……ヨーゼフ様はマガイの研究を行っていたと聞きます。そして、その研究所の一つが城にあるとも」


 騎士団長が言っているのが、父からずっと入ってはならないと言われていた場所だと気づく。


「生憎、我々は鍵を持っていないので立ち入ることができないのです。マガイ殲滅に必要な情報があると聞いています。是非、立ち入りたいのですが。お父上から鍵を預かっていませんか?」


 ハンナはどきり、とした。あの日のことが思い出されるような感覚。マガイの異様な姿が蘇る。


「ええ、預かっておりますが……」


「開けて頂けますね」優しい口調だが、その語尾には強い響き。


 ハンナは微かに逡巡した。


「王国の未来がかかっています」騎士団長はゆっくりと真剣な口調で言う。


「分かりました」ハンナは頷き、渋々立ち上がる。


「クラウス様も」若い騎士の一人が、クラウスを呼ぶ。


「いや、しかし―」騎士団長が何か言おうとするのを遮り、


「先の戦の英雄です。何か気づくことがあるかも」若い騎士はそう言い、歯を見せて微笑む。


 騎士団長は不服そうだったが、クラウスも一緒についてくることになった。


 城から少し離れた場所にある建物。そこは父の仕事場だった。鍵を開ける時、動悸がした。父はここで何を研究していたのだろう。あの怪物とどんな関係があるのだろうか。


 重い扉を開けると、部屋には大量の書物と、黒板にはあの怪物の絵と数式。部屋の奥には絵画だろうか、白い布を掛けられた巨大な板。


 騎士団長は、部屋の奥に行き、その白い布を取る。そこにあったある絵を見て、ハンナは息を飲む。全身が泡立ち、歯が鳴った。


 ヒトの肉体を歪に引き延ばしたかのような胴体。腕の代わり魚のヒレと羽を混ぜたような器官が生えている。皮膚は肌色で毛はなく、妙につるつるとしている。その頭は、人間の指が折り重なり、指の先端からは歯が生えている。


「《第壱位階ヒエラルキー・ザ・ワン》……」


 ハンナは修道院で習ったことを思い出していた。


 《第壱位階ヒエラルキー・ザ・ワン》―それは20年前、この世界に「おちてきた」上位存在。人々は、畏れ、神として崇めた。しかし《第壱位階》はマガイを生み出し、侵略行為を開始した。死闘の末、彼らは滅びた、とされている。


 本や絵画で繰り返し見てきた畏敬の姿、しかし、目の前の絵は抽象化されておらず、極めて正確に描かれている。絵の端には、解剖された体内や、その説明やメモ。


 説明を読み、ハンナは後悔する。いわく、皮膚の壊死、えら等の必要のない臓器が複数、骨格異常、自重を支えることができない構造。


 聖櫃を移動、分割……最果て(ウルティマ)の調査も合わせ……


 横に置かれているのは、様々な機密文章―


 吐き気を覚えると同時に浮かぶ疑問―父は、あの怪物たちが来ることを予想していたのか?


「《第壱位階》が……復活したのですか?」ハンナは声を震わせて聞く。


「分かりません」騎士団長は首を振り、微かに苦しげに応えた。


 ハンナが訝しんでいると、騎士団長が部屋の奥で何かを探し、ため息を漏らした。何か美しい物を見て感動したような声。


「ハンナさん、これを」


 振り返ると、大量の蔦で覆われた巨大な鉄塊。長い年月によるものなのだろうか、大量の蔦が絡み合い、内部まで及んでいるように見えた。


 ハンナは思わず目を細める。それは巨大な鞘であった。少し経って、やっとそれが剣であると分かる。ハンナの背丈ほどもある巨大な剣。刃は鞘に納められており、鞘はイーゼルに似た器具に立てかけられており、剣自体が直立していた。


「これは……」


「フォーミディブル、お父上はそう呼んでいました。対マガイ武器の試作品で、現在は選定の剣として使われています」


 騎士団長はそう言い、包帯の巻かれた腕を擦ったかと思うと、大剣フォーミディブルの柄を握り、力を込め、ため息をついた。


「やはりダメか」そう言うと、騎士団長はハンナを振り返る。


「手に血を付着させ、この剣を抜いてみてくれませんか」


 ハンナは耳を触る―貫かれるような激痛がした。手を見ると、てらてらと血が光っている。その手で恐る恐る柄を握り、力を込める。剣自体の重量と刃と鞘のタイトさのせいで微動だにしない。


 絶対に抜けない、そう思った時だった。少し刃が動き、ぬるりとした感触が指先に伝わる。ハンナはそのまま力を込める。すると、ゆっくりと白い刀身が現れ、剣の全貌が現れた。


 騎士団長が驚きの声を上げる。


 剣はその全貌を晒すと、一瞬、青白い光を放った。まるで復活の時を待っていたかのようだった。剣の形状は通常の両手剣に似ていたが、刃幅はより厚く、剣自体も肉厚であった。


「やはり……授かっていた」騎士団長が息をのむ。


 ハンナは重さで剣を落としそうになり、クラウスがそれを支える。


「抜いたからどうだと言うんだ」クラウスが訊く。


 騎士団長は、ハンナを見据え、


「この剣はある力を持つ者にしか抜けないのです……マガイを殺すことのできる力、我々は《祝福》と呼んでいます。あなたにはその力があるようだ」


 ハンナは息をのみ、硬直した。

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