初陣-2
【1】
冷たい。強い鉄の匂い。身体が動かせない。初めに感じたのはそれだけだった。
ぼんやりとした頭で、リヒャルトは考える。ここはどこだ?
腕と足を動かそうとするも、縄の硬い感触が返ってくるのみで、全く動かない。おそらく椅子のような物に縛り付けられている。
「目が覚めたか」低い男の声。
リヒャルトは顔を上げる。黒装束の男が三人。狭い部屋、おそらく地下。簡素な白い壁が圧迫感を与える。家具は傷んだ机と椅子だけ。机の上には、様々な拷問器具。そして、水や食料。
「何者だ」リヒャルトは目を見開き、あざ笑う。
「それは教えられん。代わりと言っては何だが、お前が何者か、という事は嫌と言うほど思い出させてやる」
男の手には細いナイフ。骨の隙間に入り込み、激痛をもたらすための形。
まずいな。リヒャルトは頭を働かせる。領主の家で襲われたのは覚えている。反撃し、一人殺したが、他は駄目だった。体術、手際、予想外の要素への対応、全てがプロだ。
こいつらが何者か分からないうちに自分の正体を明かすわけにはいかない。リヒャルトはうつむき、必死に頭を働かせる。
ゼーフェリンク家の騎士団でスパイ行為を始めたのは、もう一年も前になる。初めは好奇心や正義感で始めたことであった。しかし、のめりこみ過ぎた。
リヒャルトは孤児だった。修道院に引き取られ、生活をしていたが、その生活は豊かさとはかけ離れていた。
王は、リヒャルトのような貧しい子供を救うよりも、数年前に一度、大きな災厄をもたらしただけのマガイへの対策に心を砕いていた。
なぜだ、なぜ俺たちを見捨てる。怒り、それがリヒャルトに目覚めた感情であった。そして、マガイ殲滅の最前線である騎士団に入り、真実を知りたいと思うようになったのだ。しかし、マガイ対策の資料を探れば探るほど、その不自然な事実に驚かされた。
まず、王が各地に作っている要塞都市だが、その中には一度もマガイが現れたことのない場所がいくつもある。それにマガイの被害が局所的にかつ、最小になった現在も要塞都市は増え続けている。
要塞都市は、マガイ殲滅用の物資を運ぶ際の拠点とされているが、おそらくそれは嘘か建前だ。そもそもゼーフェリンク家が重要物資を移送し始めたのは三か月前からで、それまでは移送の話など聞いたこともなかった。
それに、殲滅用の物資が最も必要なのは、先日のマガイ被害が最も酷く、都市の一部が水没した北部地域―ゼーフェリンク領―のはずだ。それなのに北部地域から、物資を運び出している。
不可解な事はまだある。重要物資の中身をリヒャルトが知ることはなかったが、中身が武器ではないという事はすぐにわかった。おそらく人知を超えた物ではないか、と考えている。何故かというと、要塞都市には必ず製鉄設備が備わっており、需要物資を梱包する巨大な箱を定期的に交換しているからだ。つまり、金属の箱に包み、隔離しなければならず、かつその耐久性を急速に落としていく何かが物資の正体なのだ。武器ならそうはならない。
そして、何よりも不可解なのは、箱が通った道にマガイが現れるという事。
一体、何を隠しているんだ。リヒャルトは権力の中枢に近づくべく、動き、マガイ対策の総本山であるゼーフェリンク家とパイプをつなぐことに成功した。
しかし、そこで明らかになったのは、非常に小さいマガイは人に対し、敵対行動を取らないという事だった。もしかすると人がマガイの攻撃本能を目覚めさせているのかもしれない。リヒャルトはある噂を思い出す。ゼーフェリンク家は小さなマガイを使い、何やら異様なことを行っているという。それが原因なのだろうか。
王やゼーフェリンク家は何かを隠している。だからこそ、この者たちの正体を知らなければならないのだ。もしゼーフェリンク家か、王の関係者であれば、リヒャルトは終わりだ。しかし、そうでない場合は何とか切り抜けたい。
リヒャルトは眼前の男を睨みつけた。
【2】
「しゃきっとしな!」低い女性の声がし、ハンナはハッとする。
声の先には、鍬を持ったクリスティーナ。
「あんたら騎士だろ、ここで闘わなくてどうするんだ!」クリスティーナは鍬でマガイを強引に押しとどめている。
クリスティーナの必死の形相。ふと、姉の顔が思い浮かぶ。一瞬だけ見えた泣き笑いのような表情。恐怖と不安を無理やり押し殺した顔。
二人の仇を討つと決めたんだろ。もう大切な人は失いたくないんだろ。
ハンナは呼吸を整え、自分の頬を何度も張る。
皆が悲鳴を上げ、逃げていく。どうするんだ、とエッカルトが叫ぶ。
私がやるしかないんだ!
ハンナは剣を握りしめ、背筋を伸ばし、吠える。
「みんなで力を合わせれば大丈夫!」ハンナは残った騎士の顔を見る。
「この村に詳しい人はいる?」
「昨日散歩した! なぜ?」エッカルトが、マガイを振り飛ばし、叫ぶ。
「頑丈な建物に避難する。朝までに箱が破壊されるとは思えない」ハンナは断言する。
「なら教会堂が良い!」一人が言い、走り出そうとする。
「待って!」ハンナは頭を働かせる。マガイなら、壁を上り、壁や屋根を破り、一気に攻めてくる。そうすれば、入り口が大量にあることになり、守れなくなる。
「背の高い建物は?」マガイを振り飛ばし、訊く。
エッカルトが唸り、「教会のさらに奥に古い城がある。塔の形をしたものだ」
苦しい選択だった。ハンナは歯を食いしばり、「そこへ行くしかないと思う」
「奴らなら棘を石の隙間に引っ掛けて登ってきてもおかしくない。そうすれば狭くて高いだけだ」エッカルトがハンナを睨む。
「何か登らせないような……」ハンナは歯を噛み、
「植物油か何かを壁にこぼせば……上りにくくはなるかも」苦しまぎれに言う。
エッカルトは歯を見せて笑い、「何もしないよりはマシだろうな」
「教会堂へ行くべきじゃないのか!」一人の騎士は怒鳴った。
ハンナは守りが薄いことを説明したが、
「お前は責任を取れるのか?」ヒステリックに怒鳴る。
ハンナは怒声に気おされ、押し黙る。頭が痛い。誰か助けてくれ、と心の中で叫ぶ。
「俺はハンナの意見に乗るね」エッカルトがハンナの肩を叩き、笑う。
「あたしもだ」クリスティーナが追従し、「少なくともこの状況を冷静に観察し、理論的な答えを出してる。教会へ行きたければ一人で行けば良いさ」
騎士は震え、エッカルトを睨みつける。
「一人でいるより、みんなと居る方が生存率は必ず上がるだろ」エッカルトが言う。
「分かった……」騎士は折れた。
「城に人を! 道案内よろしく」ハンナは言い、後退を始める。
走り、家のドアを叩き、人を起こしながら、城へと向かう。戦えそうな成人の男には武器になるものを持ってこさせる。道中でマガイの群れに遭遇、剣で降り飛ばす。良くても表面を削るのがいいところで、致命傷は与えられない。
途中で腹に包帯を巻いたクラウスに遭遇した。 師匠は二人に支えられ、意識が朦朧としていた。
「先生……そんな」ハンナは泣きたい気持ちを堪え、歩みを進める。
村の端に古い城が見えた。塔状で入口は狭い。中へ入ると、カビの匂いがした。中は真っ暗だった。すぐに炎で中を照らす。蜘蛛の巣だらけだったが、炎で強引に払っていく。
「これでバリケードを作ろう」エッカルトが椅子や机を指して、言う。
数人で協力し、出口を机や椅子で塞ぐ。少なくともすぐに突破されることはない。どのみち、狭すぎて何体も一気に入ることはできない。
「守るは屋上だけか」エッカルトが嘲るように言う。
「朝まで、朝まで持たせれば良い」ハンナは剣を握り、皆を見る。
「昼までだって戦って見せるさ」エッカルトが言い、屋上へ上る。かがり火で微かに照らされた村で、大量の何かが蠢いている。
「くそ……」
「余計な手出しはしない。登ってきたやつを振り落とす。それだけに専念しよう!」
村で集めた植物油を塔の壁に垂らす。意外にもつるつると滑り、登ってくるマガイが苦戦しているのが見えた。
「盾を斜めにすれば、さらに良いんじゃないか?」エッカルトが言う。
「そうしましょう」
数人で盾を塔の端に置き、それを傾け、塔に上りにくくする。
強引にマガイが登ってくる。数匹は盾で押し、地面に落とす。それでも強引に登ってきたやつは剣で足を断ち、地面へ落とす。数人の農民の男が鍬やこん棒で必死に闘ってくれた。
エッカルトは弓矢を巧みに使い、マガイを落としていく。
「やるじゃん」クリスティーナが言い、
「俺は半端者なんでね。期待しないでくれ」エッカルトが自嘲するように笑いながら、弓を引いていく。
これなら行けるかもしれない。ハンナは剣に込める力を強めた。
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