おにいちゃん
昨日、ギルメンの中に義兄が存在するという事実を知ってしまった。
いや、まあ、まだ義兄がどんな人物なのかとか、そういうことは一切知らないわけだから、義兄がおれと全く同じゲームをしているという事実に関しては驚くようなことではない。ただ、まさか同じギルド内に義兄がいるとは思わないだろう。
ただ、図らずして義兄が深沙季との初対面で深沙季に対してどんな印象を抱いていたのか、おれをどう思っているのかを知ることができた。
どうやら義兄は、本気でおれのことを心配してくれているらしい。大しておれとの関係値が深いわけでもないのに。もしかしたら義兄は聖人なのかもしれない。というか、思い返せば『ミンク』の時からかなり優しかった気がする。
ギルド内じゃおれは結構いじられキャラだし。特に『さばきんぐ』はおれに親でも殺されたのかってくらいボロクソに言ってくる。本当に何なんだあいつは。確か高校生だった気がする。ガキが、舐めてると潰すぞ。ちなみにこのセリフを実際に『さばきんぐ』に言ったら、信じられないほどの口撃をくらい無事撃沈しました。最近の高校生、恐ろしい。
…………そろそろおれも、変わらないといけないのだろうか。
いや、おれだってちょっとずつ進歩はしてるんだ。一昨日だって、おれは超絶美少女陽キャ女子達に囲まれながらハーレムデートをこなしたのだから。まあ、途中で抜け出して帰ったんですけどね……。
最初の頃のおれじゃ考えられなかった。あの頃は、襲われたってショックでマジで何もできなかった。単純な男への恐怖心もあったが、何よりも前世で男であったはずのおれが、今世では女として男に襲われてしまったという事実が、おれのアイデンティティを根本から崩していくようで、まるで自分という存在がなくなっていくかのような、そんな恐怖があったのだ。しかもその時期に人生初生理。地獄としか形容しようがない。
おれだって好きで男を避けてるわけじゃない。本当は学校だって通いたいし、男友達だって欲しい。いや、恋人はいらないが。それに、おれが男性恐怖症を克服できず、引きこもりを継続していると、家族はきっと悲しむだろうし、迷惑だってかけることになる。この問題は、おれ一人だけのものではないのだ。
「深沙季ちゃん、ちょっとだけ良い?」
………どうやら義兄がおれと話をしにきたようだ。多分、昨日ギルメンに相談していたことを早速実行しようとしているのだろう。おれも話を聞いていたからわかる。確か、まずは扉越しでも、男との会話に慣れるようにする、とか、そんな感じの案が出されてた気がする。
「あ、扉越しでいいから、ちょっと話したいなって思って。これから家族になっていくわけだし。迷惑だったら、ごめん」
「あ、はい………ど、どうぞ?」
あっやっぱ無理だ。男と話すってなると、急に言葉が出なくなる。前世では男の方が話しやすかった。当然だ、前世ではおれは男で、同性である男性の方が気が合いやすかったのだから。だが、今のおれは逆に男と話す度に、ビクビクしてしまう。また、あの時みたいに、襲われてしまうんじゃないかって、そんなことあるはずがないのに、無意識のうちに恐怖してるんだろう。ネット上でなら、おれは前世の“おれ”の仮面を被り、男として振る舞うからか、男性恐怖症が発症しないのだが(というかそもそもネット上なので襲われるだとかそんな心配をする必要がない)、現実でのおれは“深沙季”として他者と接することになる。
「まあ、実は俺も女性と話すのが苦手でさ、この前女子が髪切った時も、気付けなくてぶん殴られたし」
義兄はまず自分のことから話すことにしたらしい。まあ、おれと義兄の関係値はそんなに深くない。というかむしろ浅い。おれの男性恐怖症を克服するには、まず義兄との関係値を深め、おれが義兄と接する時に、男性恐怖症に陥ってしまわないようにするべきだろう。それを行う上で、まずいきなりおれの内面、考えていることを聞くのはNGだ。全く関わったことのない赤の他人に自分のことを探られるというのは、あまり心地のいいものではない。それがある程度関係値の進んだ、すなわち信頼のおける相手ならまだしも、信頼も何もない相手に自分の心のうちを晒そうなんて、とてもできるもんじゃない。だからこそ義兄は自分の話から始め、おれとの関係値を深めていくことにしたのだろう。
ていうか今、殴られたって言わなかった? 殴られるって何???? え、髪切ったこと気付かないだけで殴られることとかあるの????
「あの、殴られたって、流石にキレてもいいんじゃ……」
「あーやっぱおかしいよね。俺鈍感だから、俺が悪いのかななんて思ってたんだ。クラスの皆も、お前が気付かないのが悪い、としか言わないからさ」
「クラスメイト洗脳されてるんじゃないかな……」
「その可能性もあながちあり得なくはないかもしれない」
あ、それか彼女さんとかか? なら殴られるのもわかるかもしれない。というか、クラスメイトに言われるくらいなんだから、ただの女友達とかの関係じゃそんな状況になることはないだろう。
おれはほぼ確信しながら、殴ってきた女子が恋人か問うが………。
「いや、彼女じゃないよ。そもそも俺彼女できたことないし。モテてもないしね」
じゃあ尚更何なんだ?
殴られても仕方がないってクラスメイトに言われるくらいだろ…?
それこそクラスメイトが洗脳されてるとしか思えないんだけど。あ、それとも……。
「もしかして、彼女いなくてもセフレは作ってるとか?」
「み、深沙季ちゃん!? せ、ふれって、女の子がそんな言葉使っちゃ……」
「えっ、あっ、違っ……!」
ちがう、まじで違う。
ちょっと待って、こんなつもりじゃなかった。いや、あのね、完全に抜けてたんだよ、気が。
いや、なんか、いつの間にか普通に………。って、もしかしておれ、義兄に対して男性恐怖症、発動してない?
「あの、無月さん、えっと、さっきのは違くて………その、つい気が緩んでしまってたっていうか……えーと、さっき私が言ったことは、ちょっと忘れてもらって…………えーと………えーと………とにかく、私、無月さんに対しては、男性恐怖症、起こらないかも、です」
「え、そうなの?」
多分、そういうことだろう。おれがついさっき失言してしまったのも、おれの震えが止まっているのも、おそらくはおれが義兄に対して心を開いている証拠だ。つい昨日初めて顔合わせしたばかりなのに、って思うかもしれないが、おれがチョロいのか、はたまた義兄が人たらしなのか。
考えられる要因の一つとしては、おれが義兄のことを以前からネトゲの『ミンク』という形で認識していた、という部分だろうか。『ミンク』はギルメン内でも常識人で、優しくて、『ヒキニー』とも仲が良かった。
だからこそ、だろうか。
「あと、無月さんには、お願いが一つあって」
「何? 何でも言って」
「その、私のことは、深沙季“ちゃん”じゃなくて、深沙季って、呼び捨てにして欲しいです。その、妹なので……」
おれの前世は、男だ。やっぱりまだ、ちゃん付けで名前を呼ばれることに抵抗がある。母親だって、おれのことを深沙季“ちゃん”ではなく、深沙季と呼び捨てで呼んできていた。小学校の頃も名字で呼ばれてたし。そのせいもあってか、本当に“ちゃん”付けに慣れていないのだ。
「そっか、それなら俺からも一ついいかな」
「はい」
「俺のこと、兄さんとか、お兄ちゃんとか、まあ何でもいいから、そんな感じで呼んで欲しい。無月さんだと、何か堅苦しいし。それと、さっきみたいに砕けた口調で話して欲しい。兄妹になるんだから、堅苦しいのはやめにしよう」
「はい」
「敬語は?」
「あ、ごめん。間違った」
やっぱり、この人なら、おれも男性恐怖症を克服できるかもしれない。
おれは、ドアノブに手をかけ、自室の扉を開ける。
「これから、よろしく。お、お、おにい………ちゃん……」
拙いながらも、おれと義兄………いや、おにい、………うん。にいさんとの関係は続いていく。
にいさんと関わることで、ちょっとずつ、おれの男性恐怖症が克服されていく。そんな気がした。