酷いすれ違い
豪奢な装いの宿屋の一室で、私と三人は向かい合っていました。
「……何で、黙ってたの」
目の前で今にも泣きそうな……いや、涙を流しながら此方を睨み据える少女は問うて来ます。長い耳の殆どは真っ赤に染まり、その激情を内外から示している様に見えました。
「私には、自らを明かす価値も無いと思っていました……ッ!?」
彼女は手袋を外し、私の面を素手で打ち抜きました。
当然です、私は彼女に誠実でなかったのですから。
「私達の夢。A級ダンジョンの最深部の踏破、それを成し遂げた時、貴方から話があるって聞いて、私は期待してた」
倒れた私の身体に、雨が降ってきました。人肌の熱を帯びた雨が。
私を打ち抜いた彼女の拳は、赤く爛れていました。火の神の祝福を受けた黒鉄に触れれば、森の加護を受けた純血のエルフ……ハイエルフたる彼女の皮膚は、酷く爛れてしまう。馬乗りになっている今も危険な状態ですが、私から彼女に触れる事は出来ません。
「……マスター、その手は治療しなければなりません。リーゼさん、彼女に治癒魔法を」
「えっ、今、それ、え?」
「何で……私の名前さえ呼んでくれない!」
リーゼさんは、困惑しつつも彼女の側に行こうとしましたが、それをマスターは遮りました。
「そして、何で私は……貴方のその姿が、貴方そのものだって、気付けなかったの」
「仕方ありません、私は元々、騎士たれと作り出されたゴーレム。他種族の重装の騎士であると思って当然です」
「……ははっ、私の目は、綺麗なだけのガラス玉だった様だな」
何故、彼女は笑うのでしょうか。何故、他の方々は、苦々しい顔で私達を見ているのでしょうか。私には、分かりませんでした。
「昔、貴方が、いや、君が言ってくれた言葉だ。ただ、偶然に会っただけの私を守り、去っていった君が」
「二十年と十月と二日も前の事ですか」
「分かるか、私の瞬きの間に容易く朽ちていく思い出が、変わらぬ姿で現れてくれた時の思いを。……思えばあの刻、既に私は盲目になっていたのだろうな」
彼女の顔は、激痛に耐えるかの様に歪んでいく。私は、私を選んでくれたマスターに辛苦を与える事は許せない、それが私自身であっても。いざとなれば、この身をこの身を砕くだろう。だが今は、彼女を動かさなければならない。視線を下げれば、彼女の太腿が煙を上げて焼け爛れていくのが見える。
「皆さん、マスターがダメージを受けています。急ぎ移動させてください、でなければマスターが!」
私の言葉に気を取り直したリーゼさんと狩人のヴェズバーさんが急いで涙を流す少女を持ち上げ引き離す。リーゼさんはそのまま治癒魔法を行使する。
項垂れるマスターは、口を開きます。
「……ロスギア。暫く、貴方は……このパーティに顔を出さないで」
「マスター、その命令、承知いたしました」
エルフよりも長命なハイエルフであるマスターの瞬きは人の一生。暫くと言う事は、きっと私が朽ち果てるその時を指すのだと、私は理解しました。
「マスター」
つまり、これが彼女との最期の挨拶だと。私は、何を言えば良いのでしょうか。幾ら思考時間を積み重ねても答えは出ません。
「今まで、ありがとうございました。私の様なゴーレムには、得難い出会いだったと、思います」
人が作りし魔獣、ゴーレム。或る魔女に作られた私は、他よりも細身で力が劣る代わりに、成長出来ると言う特徴がありました。マスターに出会わなければ、私はマスターを守れる騎士にはなっていませんでした。
「リーゼさん、貴方の治癒が私には効かないと嘆いていましたが、それは当然の事です。私には命が無いのですから」
「……ちょっと、まさかアンタ!」
ゴーレムは、マスターの願いを果たす事こそが存在する理由であり、喜び。しかしマスターにあの様な哀しい顔をさせる私には、望む事など赦されない。この存在すらも。
「ヴェズバーさん、今まで秘密を守ってくださり、ありがとうございました」
「?! ちょっとヴェズバー、アンタ知ってたの!?」
視野が広く、手先の器用な彼は、私が自己修復不可能な損傷を受けた際、それに気付き、修理の手配をしてくれました。
「ゴーレムだろうと、秘密は守らねえとな」
尖ったツバの帽子を下げ、目線を隠したヴェズバーさんを見て、申し訳なさを感じながらも、私は立ち上がり、踵を返します。
「待ちなさいよアンタ! この子泣かせたまま行く気!?」
「泣かせたから、逝かなければならないのです」
マスターに害を成すものを赦さない、それが魔女が作りし騎士としての本質を与えられた私の性質。それを裏切った私は──
「男か女か分かんねえが、お前さんには貫き通したい意地があんだろ? なら別れじゃなくこれは門出だ、精々祝ってやんねえとな。ご苦労さん、ロスギア君」
「……あ、アンタねえ! っロスギア! もしアンタが戻って来るって言うなら、どうにかして説得するから! だから戻って謝り倒しなさいよ! この子拗ねると面倒なんだから!」
「お二人とも、ありがとうございました。貴方達が居るならば、マスターには何の問題も無いでしょう」
──私は、そうですね。きっと何処かで人知れず朽ち果てる末路が似合いでしょう。
こんな言葉を置いて行っても、お二人を不快にさせるだけですので、私は黙って去ろうとしました。ですが、私はまたマスターの顔を見てしまいます。
マスターは、泣き疲れたのか、眠りについていました。ダンジョンを踏破した疲れもあるでしょう。
「まだ、子供なのですね」
……いつかは少女と大人の狭間にある彼女も変わる筈です。彼女にとっては涙の思い出でも、経た刻が区切りを付けてくれます。
「では、お元気で」
何故、私はこの事を言い出せなかったのか、自らに対する疑問がふと湧いて、すぐに氷解しました。
ドアを抜け、階を下り、四人分の宿代を払い、夜風に迎えられ外へ出た時。私はつい呟いていました。
「私は、必要とされなくなる事を、恐れていたんですね」
私が出会ったマスターが、鋼に嫌われた存在で。私は黒鉄のゴーレムで。それを知れば、私は側に居られない。だから。
「──それも、今日までです。……ありがとうございました、マスター。いえ、アルバ・ローゼンさん」
月は隠れ、光石が照らせど尚暗い夜道の上。
静けさに楔を打つ様に、落ち葉を踏み躙る重い足音が鳴る。
誰にも知られぬ様、誰も悟らぬ様、私は街を抜け出しました。
──ここから、私の最期の旅は始まります。
──《プロローグ:追放》──