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朝目覚めると隣にレキアスはいなかった。そしてまたしてもベッドの真ん中に寝ていることに気づき、恥ずかしくなる。自分で移動してしまうことも可能性としてはゼロではないが、レキアスが毎回移動させてくれていると考える方が自然だ。
しばらくして、寝室の扉がノックされいつものようにカリーナが入ってきた。
「おはようございます。朝食を取ったらさっそく、今日の視察地に行かれるようですよ」
今回の急遽視察について行くことに決めたときも、カリーナは快く同行を申し出てくれた。ありがたすぎて申し訳なくなる。
今日カリーナが準備してくれたドレスは昨日と同様にシンプルものだったが、色は淡い緑色で、見た瞬間ホッとする。
「お気に召しませんでしたか?」
「いいえ、これを着るわ」
着替えをしながら、持っていきたいものをカリーナに伝えて、出かけるまでに用意してもらうことにする。
朝食を食べて準備を終えて下の階へ降りていると、すでにレキアスが待っていた。レキアスもいつもと比べると黒尽くめのシンプルな服装だ。
「おはよう」
「おはようございます」
今日も馬車で移動するらしく、レキアスに手を取られたフィネリアは馬車に乗り込み、また向かい合って座ることになる。
なんだか気持ちが落ち着かず、そわそわする。レキアスの表情を見る気にはなれず、窓の外を眺めた。
「今日はデミエの中でも南西部へ行くよ。旧アッセア王国の一部を併合した場所だけど、わかる?」
フィネリアは地図を頭に思い出す。大陸を分断するように聳える山脈の東側の大半を占めているのが、リンザニア帝国だ。レキアスより前の代に、長きに渡る戦争により、北のミシャトリア王国、南のアッセア王国を併合している。デミエの街はそんな、旧アッセア王国との境にある街で、併合後は、旧アッセアの土地を含むようになった。
ちなみにニジエ王国は、山脈の反対側、西側に位置しており、併合された旧ミシャトリア地域を国境を持つ。ミシャトリアの次は、ニジエもかと思われたが、レキアスはそうはしなかった。様々な戦争の一切を停止した。
ただ、レキアスに代替わりしてなければ、きっとニジエも戦争により併合されていたに違いない。ニジエにはほぼ軍事力はなく、戦争が起こればあっという間に負けてしまうのは目に見えていた。所詮は古い力を糧にしている国であり、戦いには向いていない。
「わかります」
「昨日見たところより、どうも旧アッセアの方が酷いらしいんだ」
昨日の場所も十分に酷いと思ったがそれより酷い状態らしい。原因を調べるには一番酷い場所を見るのが、効果的かもしれない。だからこそ向かっているのだろう。
程なくして目的の場所に到着する。馬車を降りると、そこに広がる土地は一面真っ黒だった。
やっぱり、何も感じない。
本来であれば、フィネリアは土地の自然な力も感じ取ることができた。弱っているだけならそれはそれで、読み取ることができるのだが、何も感じることができない。
生温い風がフィネリアの亜麻色の髪を揺らす。手で髪を抑えながら、隣に立っているレキアスに声をかける。
「土を触ってもいいですか?」
「少しだけだよ」
念押しされてしまいしぶしぶ頷く。
ドレスが汚れないように気をつけてしゃがみ込み、最も黒く見える場所を選んで、フィネリアはひとつまみ持ち上げた。
親指と人差し指で、その土を擦り合わせてみる。しかし、それは昨日の土とは明らかに状態が違っていた。ざらりとした触感がなく、サラリと崩れてしまった。
もう、土じゃない。
フィネリアは背筋が凍るような思いだった。
最早これは土ではない、ここに植物が育つことはない。感触的には灰のようなものだが、これは土としての生命力が消えた何かだ。
自然とフィネリアの顔色が悪くなる。
おそらくレキアスもすぐに気づいだろう。ただ、対策は思い付かない。根本的な原因を取り除かない限り、おそらく土地が死んでいく。昨日見たところも、いずれこうなるのかもしれない。
フィネリアはすくっと立ち上がるとカリーナを探した。レキアスはすぐにフィネリアの違った様子に気づく。
「顔色が悪い。体調が?」
レキアスの質問に曖昧な返事をして、カリーナの所へ行く。ふらふらと歩いて行く様子にレキアスが、側近のサディスをフィネリアの方に向かわせた。
フィネリアのおかしな様子にカリーナが気づき駆け寄る。明らかに顔色が悪くなったフィネリアに、カリーナが不安げに尋ねる。
「どうされましたか?体調が悪いようでしたら一度馬車に」
「ううん、用意をお願いしたものを出して欲しいの」
フィネリアの言葉に、さらにカリーナは不安になった。
「今、ここで、ですか?」
「えぇ、今ここでお願い」
カリーナは迷った挙句、フィネリアの言葉に従った。荷馬車から持ってきていた荷物の一部を取り出す。
レキアスたちから少しだけ離れていることを確認して、フィネリアはカリーナに地面に敷物を敷いてもらう。水色の格子柄の可愛らしい敷物だ。その上に、大きめのピクニックバスケットをカリーナが置いた。中を開けると、ティーセットが一式と、お菓子が詰められていた。
「お茶をお入れしますか?」
「えぇ、お願い」
フィネリアは青ざめたまま頷いた。その様子に、レキアスからの命令で側に来たサディスも不安げに尋ねる。
「体調が悪いのでしたら馬車に戻られた方が」
「いえ、大丈夫だから」
カリーナがサディスを見たが、サディスは首を横に振り、カリーナは頷いてフィネリアの望むようにお茶を淹れ始めた。
正直それは異様な光景だった。土地の視察に来たのに、その場所でピクニックのようにお茶を飲もうとし始める皇后をレキアスの他の側近たちや、デミエの土地の者たちも奇妙な目で見ていた。
レキアスの方は不思議に思いながらも、サディスを付けたので、それでいいと思ったのか特にいつもと変わりなく自分の視察を続けている。
手際の良いカリーナにかかるとお茶を淹れるのもそうはかからない。フィネリアにだけお茶を淹れてくれたが、フィネリアはカリーナと、側にいたサディスにもお茶を勧める。
こういうのは大勢で楽しそうに見せる方がいい。
カリーナはとことん付き合うことに決めたのか、サディスと自分のためにもカップを用意した。そして持ってきたお菓子たちも綺麗にお皿に並べて行く。
あっという間にティータイムが始まる。
フィネリアは一口カップに口をつけようとすると、ハーブの香りがした。カリーナが選んだのは心を落ち着かせるタイプのハーブティーだった。妙な緊張と焦燥に駆られていたが、その香りにホッとする。
「カリーナ、ありがとう」
そう言うとカリーナはにこりと微笑んだ。
優秀な人……。
お茶を飲んでいるとだんたんと心が落ち着いてきて、思考が働き始める。
「……、ここではダメかもしれない」
そんなフィネリアの呟きをサディスが拾う。
「皇后陛下は、何をなさろうと?」
その言葉にフィネリアは自分が「皇后」と言う立場なことを思い出す。そして、ゆっくりとサディスを見た。
「口を挟んでしまい申し訳ありません。レキアス陛下の側近の」
「サディス=ノキア卿。大丈夫です。覚えています」
レキアスの側近は結婚前にも一度顔を見ていたし、軽く紹介はされていた。すでに結婚は確定していたのだから、フィネリアも記憶を疎かにはしていない。
フィネリアは少し迷ったが正直に話すことにした。
「精霊を誘い出したいのです」
「精霊を、ですか?」
サディスが訝しげな顔をする。カリーナも少し困った様子だ。彼らには当然精霊は馴染みのない存在である。急にそんなこと言われても困るに違いない。
「帝国にはあまりいないのですが、ゼロではないのです。精霊は、自然な事象にとても詳しいので、この今の状態になった理由を聞くことができるのではないかと。ただ、精霊が少ないので、場所もよく選ばないと、出てきてくれないかもしれません。精霊は、人間の作るお菓子が好きで、楽しい様子を見ると寄ってくる習性があるので、……」
フィネリアは、話しているうちにだんだん自信がなくなってきた。
やる意味はあるのだろうか?私がそんなことをするよりも、陛下がよっぽど優秀な策を練るのではないだろうか。
そんな風に思っていると、サディスが強く頷いたのが見えて驚く。
「精霊はどんな場所にいるのですか?ここより現れそうな場所があれば移動してみましょう」
サディスだけではなくカリーナもフィネリアの言葉に少し悩ましげにお皿を見る。
「精霊はお菓子が好きなのですね。もう少しお菓子を出してみましょうか」
そんな2人の様子にフィネリアは呆然としてしまう。自国でだって、家族以外ではそんなに真剣に精霊の話を聞いてくれる人は少ない。なんとなく心が温かくなる気がして、ホッと息を吐く。
「精霊は、本来森の中にいることが多いです。近くに森があれば一番いいのですが、それに近いようなところでも。ただ、あまり離れすぎると、ここの事情を知らない可能性もあります」
フィネリアの言葉にサディスが少し思考を巡らせる。
「ここから少し行ったところに、森とまではいきませんが、農地の持ち主の屋敷があり、そこに屋敷林があったはずです」
屋敷林とは、家を風など守るためにその周囲に意図的に作られた林のことである。森のような大規模なものではないが、家の周囲は様々な木が植えられる。
この辺りは農地が優先され、各家々は離れていて、それぞれが農地の真ん中に建ってたため、そのような林があるのだ。
何もない場所よりそっちの方が明らかに条件としてはいい。フィネリアは迷わなかった。
「そこに行ってもいいですか?」
「わかりました」
サディスが頷いたことを確認して、カリーナが荷物をまとめ出す。そんな様子を見ていてフィネリアがハッとする。
「陛下にお伝えした方がいいですか?」
ちらりとレキアスの方に視線を向けると、彼は地元の担当者や別の側近たちとまだ話を続けている。
「いえ、大丈夫です。皇后陛下のしたいことができるよう、申しつかっておりますので」
「そう、なのですか」
レキアスは先を読んでサディスを差し向けてくれていたようだ。
フィネリアは自分がやることを予測されていたようでなんとも言えない気分になったが、ありがたく自分の好きなようにさせて貰うことにした。おそらくレキアスから離れるならサディスを連れて行きなさいと言うことなのだろうと意思を汲み取る。
「すみませんが、同行をお願いします」
サディスにそう言うと、彼は嫌な顔一つせず、すぐに頷いてくれる。
「もちろんそのつもりです」
今のフィネリアでは彼の本心はわからないが、なんとなく信じたい気分になった。
いっぱい国名出てきますが、覚えなくて大丈夫です。