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その日はデミエの街でも1番高級な宿に泊まることになっていた。せっかくなので、街にお金を落として置くという考えのようだ。
当然フィネリアとレキアスは結婚したばかりの夫婦と言う理由で、選ぶ権利もなく同室だった。
お風呂に先に入ったフィネリアは夜着を着てちょこんとベッドに座った。今日はさすがにぺらぺらの夜着ではないことにホッとしたが、説教が待っているのだと思うと勝手に布団に入るのも躊躇われ、黙って待っているしかなかった。
レキアスに注意された後は、決して隣から離れることを許されず、フィネリアはとにかくレキアスの側にいて、彼の監視を受けていた。それがまた笑顔すぎて怖かったのだ。
少しすると、お風呂から上がったらしいレキアスが髪を拭きながら寝室に入ってきた。小さくなってベッドに座っているフィネリアを見て笑う。
「もしかして、お説教待ち?」
笑い事ではない。
もしかして待っていなくてもよかったのかと思い至り、フィネリアは内心ため息をついた。しかし、不意に目の前に影が落ち、驚いて見上げると目の前には、黒い笑みを浮かべるレキアスがいた。
「いい心掛けだね」
そう言ったレキアスに、フィネリアは心底恐怖を感じた。ついでに、目の前のレキアスは白いバスローブのようなものを羽織っており、いつもより若干胸元が見え、視線をどこに持って行くか困り視線が泳ぐ。
「どうしたの?ちゃんと反省してる?何が悪かったか言ってごらん?」
まるで小さな子供に説教をするかのように言ってくるレキアスに、ムッとしつつも、最初にした約束を完全に忘れたフィネリアは諦めてその質問に答えることにする。
「陛下の側を離れないって約束したのに、離れました」
素直にそう言うとレキアスが頷く。
「他には?」
「え?」
「他にもあるよね?」
当たり前でしょ?なんで説教してると思ってるの?言う心の声を、レキアスの表情が如実に表している。
フィネリアは少し視線を彷徨わせて、注意された時にハッとした内容を口にする。
「皇后らしくありませんでした」
「いや、それはわりとどうでもいい」
どうでもいいの?!
注意されたときに気づいたことはどうやら不正解らしく、フィネリアは頭の中で混乱する。約束してたのは、側にいることだけで他はない。何がダメだったと言うのだろうか?
フィネリアはうーんと唸って捻り出した答えを恐る恐る発言する。
「……、ドレスがシンプル過ぎでした?」
「そんなことで僕が怒ると思う?」
「思いません」
我ながら酷い回答だと思う。情けなくなる。
「なんならあのドレスの色は僕の所有物感があっていいよね」
大丈夫かなこの人とフィネリアは首を傾げる。やはり少し見えているものが違う気がする。確かに、レキアスの髪や目の色に近い色ではあったが。
それ以上何も思いつかずフィネリアが黙ると、レキアスが不意に彼女の右手を取った。
「何かあったらどうするの」
いつの間にかレキアスの顔からは笑みがなくなり、真剣な表情に変わっていた。どこにも冗談やからかいの色はない。
それでもフィネリアにはどういうことなのかわからなかった。そんな気持ちが出ていたのだろうか、レキアスにはわかっていないことが伝わったらしい。少しため息をつかれる。
「根本的な原因がわからないと言っただろう?」
「はい」
素直に頷くフィネリアに、レキアスは困った顔をする。
「土壌が原因かもしれない、そうではないかもしれない。まだ何もわかっていないのに、素手を土に突っ込むなんて危険すぎる。君に何かあったらどうするの。人間に影響がないとも限らないんだ」
レキアスはフィネリアのことを心配していたのだ。その事実に至り、自分の考えの浅さに恥ずかしくなる。
「気になったらとことん調べたくなる性格なんだろうなと言うのは、事前の調査で知ってるつもりだけど」
それはあのとんでもない量のフィネリアの個人情報に違いない。過去の自分の記憶を思い出すとそれらしいことがいくつかある気がする。いや、その前にその量の情報を一体どうやって入手したのかはいつか聞きたい。でも、たぶん、今聞いたらダメなやつ。
「ごめんなさい」
「皇后である前に、僕の奥さんなんだから、絶対に自分の身の安全を第一とすること。わかったね」
前者と後者の違いはわからなかったが、フィネリアは素直に頷いた。
「寝ようか」
そう言われて、フィネリアはもう一度頷くと、ベッドの左端に潜り込み、頭から布団を被る。当然ながらこの部屋も城と同じくベッドはひとつしかなかった。身を小さくして寝るのが身につきそうだ。
そう思っていたが、唐突に布団を捲られ驚く。
「気になってたんだけど、もうちょっと真ん中に来てくれない?落ちるんじゃないかとひやひやするんだ」
そう言われたため、フィネリアは少しだけベッドの中央に寄った。その間に反対側にレキアスが入り込むと、レキアスの顔が近くなりフィネリアの表情がいつもに増して固まった。
「フィネリアは、何か忘れてない?」
「何をですか」
「夜に僕とすべきこと」
レキアスの言葉にフィネリアが完全に停止した。
動かなくなったフィネリアを前に、レキアスは吹き出して、声を上げて笑う。
「いいよ、ごめん、怖がらせたいわけじゃないんだ。おやすみ」
そう言うと、レキアスはまるで子供にするようにフィネリアの頭にキスを落とした。した側のレキアスはなんてことはないようにさっさと寝てしまうが、された側のフィネリアはしばらく恥ずかしさと混乱で眠れなかった。
***
「うちの奥さん可愛いんだけど」
次の日も朝早く側近との打ち合わせのため、レキアスは寝室を抜け出した。レキアスに背を向けて可能な限り離れて眠っていたフィネリアを、起こさないように気をつけながら、できるだけベッドの中央に移動させてから部屋を出る。
打ち合わせのために来ていた側近の1人、サディス=ノキアが呆れた顔をする。
「傍から見てるとお前はあんまり好かれてないみたいだけどな」
サディスは、レキアスの幼い頃からの友人であり、帝国を古くから支えているノキア公爵家の次男である。ゆるく波打つ金色の髪に緑色の瞳をもつ端正な顔立ちは、多くの女性から好意を抱かれそうな見た目だ。
「まぁ、それはある」
「あるのか」
「どうもこの笑顔が嫌いらしいからな」
そう言っている今もレキアスは笑顔のままだ。レキアスはサディスの前でもこの表情を崩さない。
「前にも言ったけど、どうやら精霊だけが見える対象じゃなくて、僕は感情とかのオーラが出てるのが見えるらしい」
「オーラなんて、皇帝らしくていいじゃないか」
「いいけど、どんなに笑ってても彼女には何を考えているかわかるって、かなり滑稽だよね」
だからフィネリアがいつも眉を顰めているのだと今なら納得できる。最初の顔合わせでは、うまく笑えていないのかと不安になったぐらいだ。
レキアスもサディスに負けず劣らずのそれなりの顔立ちかつ、これまで作り上げてきた皇帝像には女性には好印象だと高を括っていたため、第一印象でフィネリアに気に入られなかったことは、レキアスには実は衝撃だった。
「結局、初夜は何もしなかったんだろ?」
サディスの言葉に、レキアスは笑顔のままだ。
「そうだよ」
「大丈夫なのか?」
レキアスはわからないと両手を上げる。
「フィネリアにこれ以上嫌われても困るし。しばらくはお預けだな。……だから、とりあえず彼女に近づくやつらは徹底的に排除して」
笑顔の奥の瞳が鋭く光る。
「わかってる」
話しながら資料を仕分けていたサディスは、片方をレキアスに渡す。
「要求されてたデミエの街の過去の出来事を記しているものだ」
受け取ったレキアスはペラペラと束を捲っていく。
「フィネリアも何故か気になってるみたいなんだよね」
「理由を聞いてないのか?」
「自分から喋ってくれるのを待ってるんだけど」
「ならまず信頼されるようにならないとな」
「わかってはいるんだけど、……なんかついからかいたくなっちゃうよね」
しみじみと言ったレキアスにサディスが呆れた顔をした。
「それじゃあ一生無理だな」
「僕は奥さんとは仲良くしたい派なのに」
軽くため息をついたレキアスは、ふとサディスを見て聞きたかったことを聞いてみた。
「サディスも、僕のこれ、気になる?」
そう言って指差したのは変わらない笑顔の表情だ。幼い頃から知っているサディスにとってもおそらくこの笑みは違和感があるに違いない。もしかしたら、フィネリアと同じように思っているかもしれないなと言う考えに至った。
一方のサディスは手を腰に当てて少し偉そうに立ってみせる。
「俺を誰だと思ってる?まだ数日しか一緒にいない奥方と一緒にしないでもらえるか?」
幼い頃のレキアスがこうでなかったことは、サディスはよく知っている。一緒に遊び、一緒に育ってきたのだ。
「俺はその笑顔の覚悟を知ってる。だから、違和感や不信感を覚えるようなことはない。なんのために、ここにいると思ってるんだ」
それは「何のために側近としていると思ってるんだ」と言われたようだった。理解してくれている友人には感謝しかない。
「サディスに惚れそう」
茶化してそう言うとサディスが笑った。
「奥方が俺に惚れたら悪いな」
「……、うーわー、それはちょっと考えてなかったけど、可能性がありそうでしんどい」
若干ショックを受ける姿に冗談だよとサディスが言うが、レキアスの目が明後日を向いていた。