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フィネリアが微睡から抜け出し、ゆっくりと目を開けると、そこには深い夜色の瞳があった。
なんだっけ?
動かない頭をなんとか動かして考える。夜色の瞳は目が合うと細められた。
カチッと何かが頭の中で当てはまり、フィネリアはようやく合点がいった。大慌てで身を起こすと、思った通り、すぐ横にレキアスが寝そべっていた。ベッドに肘をつき、フィネリアを眺めていたのだと理解し、見られていた側は心の中で大絶叫だ。
「おはよう」
レキアスの方は何でもないことのように同じく上半身を起こすと、いつもの笑みで挨拶をしてくる。悔しかったのでなんでもないことのように返すしかないと思った。
「おはよう、ございます」
全然普通に返せなかった。
「僕はもう行くけど、フィネリアはもう少し寝ててもいいよ」
「いえ、起きます」
「そう?じゃあ、また出発のときにね」
そう言うとレキアスはひらひらと手を振るとあっさりと寝室を出て行った。
「もしかして、すぐ執務されるのかしら」
ベッドから降りようとしたところで、扉がノックされた。返事をするとすぐにカリーナが入ってくる。
「おはようございます。桶をお持ちしました」
「ありがとう」
たぶんレキアスが呼んでくれたんだろうなと思いながら顔を洗うことになった。
朝食を食べ終わると、すぐにカリーナが「お召替えを」とやってくる。いつもと違い動きやすいシンプルなワンピースに近いドレスだ。濃紺の生地はレキアスの瞳の色に近い。
「今日は視察に出かけられるとのことでしたので、こちらのお召し物をご用意致しました」
動きやすい服はフィネリアにとってはありがたいため、頷いて着替えてる。「こちらの帽子もどうぞ」と渡され、揃いの帽子を受け取った。
まだ3日目にして視察についていくなど、よく考えると新婚にしてはありえないのだろうか?などと言う考えにようやく至ったが、今さら遅い。
そして、フィネリアには気になっていたことがあるためどうしても同行したかったのだ。
城門へ向かうとすでにレキアスやその側近たちが待っていた。フィネリアを見ると、レキアスはいつもの貼り付けた笑顔で迎えたが、人によってはあからさまに嫌そうな顔をした人もいた。
問題になっている土地の視察なんだから、みんな気がたってるわよね。
それはそうだと思い、フィネリアもまたいつもの無表情のまま応えた。
門前には黒塗りの馬車が用意されていた。今回の視察は公にされているもののようだ。レキアスに手を差し出され馬車に乗り込みようやく気づいた。
2人きり……。
あまりデミエの街まで至る過程を想像していなかった。見たいことが見れればいいと思っていたのだが、あまりにも短絡的な思考だったようだ。
フィネリアが座ると、レキアスが向かい合うように座る。すぐに一枚の紙を渡され、反射的に受け取る。内容を見ると、それはデミエの街について簡潔にまとめられたものだった。ハッとしレキアスを見ると、貼り付けられた笑みのままだ。
「デミエに興味があるんだったら、知りたいのかなと思って」
その笑顔は受け入れられそうにないが、嬉しかったので素直にお礼を言う。
「どういたしまして」
にこっと微笑むと、レキアスもまた別の紙束を眺め始めたため、フィネリアはレキアスから貰った紙の内容を読み始めた。
デミエの街の様子が目に見えておかしくなったのは、3年程前かららしい。デミエは穀倉地帯の一部を担う、重要な街だ。その街の一部の小麦畑が、徐々に収穫量が減少していったのだと言う。そして今年はついに、蒔いた種が芽吹くことすらなかった土地が現れたのだと言う。
何度土壌改良を行っても、その一画は収穫量が減少の一途で、最終的には作物が育たないという最悪のところまで来たのだ。
芽吹くこともない……。
フィネリアが気になっていたのは、初めてこの国で出会った精霊が言っていた言葉だ。
土地が、死んでいる。
精霊はそう言っていた。それが何を意図しているのかわからなかったが、デミエの現象がそうなのかもしれない。そして、精霊の言い分では「ほとんど」そうなのだと。
もしその言い分が正しい場合は、このデミエで起きていることが、帝国全土に広がってもおかしくないと言うことなのではないかとフィネリアは懸念している。
もしそんなことになれば、広大な土地と多くの国民を持つ帝国は国を保てなくなるに違いない。
本当はもう少しあの精霊に話を聞いてみたかったのだが、自然に会うことはできなかった。
誘き寄せてみた方がよかったかな。そうしたらもう少し何かわかったかもしれない。
そんなことを思っていると、ふと視線を感じ、紙から視線を離す。じっとレキアスに見られていたことに気づき戸惑う。同時に、いつもと同じ貼り付けられた笑みだったので、自然に眉を寄せてしまった。
「どう?」
「わかりません」
フィネリアは簡潔に答えを返した。正直言ってそれ以上返せる答えがなかった。
作物が育たない土地は、もともと存在する。水を蓄えて置くことができないような砂に近い土地、岩肌が見えてしまったような土地や、塩害の起きた土地。しかし、デミエは古くから帝国の穀倉地帯の一部だ。もともと肥沃な土地柄に違いない。それが僅か数年で作物が全く育たない土地に変わるなどありえるだろうか。長い時間をかけて少しずつ変化していったのならまだわかる。
何か大きな力が加わった?
ついそう考えたくなる。安易な考えにはなるが、人またはその他の介入により力が加わり、土地が死んでしまうなら、フィネリアとしては納得できる。フィネリアは。
他の人はそうはいかないかもしれない。
「陛下はどうお考えなんですか」
穀物地帯以外の土壌改良を進めたのはこの土地の状況が要因のひとつだろう。ただ、ここを放って置いてはこの地域の反発は免れないし、これまでの帝国への貢献度を考えると、見捨てるなどありえない。
「行っている対策が全部失策に終わってるからね。もっと何か根本的な原因があるんだろうとは想像するけど、正直僕もわからない」
にこにこと笑った表情のままだったが、夜色の瞳の奥は暗く、じんわりと彼の纏うオーラも黒みを増す。不機嫌と言うよりは怒りを含んでいるように思えた。
それからしばらく走り続ける間はふたりに特に会話はなかった。レキアスは仕事の資料に没頭し、フィネリアは窓の外の変わっていく風景を眺めていた。
その風景をながめているだけでも、少しずつ景色が緑を失って行くのがわかった。まるでそれは季節が変わるように、風景が変わっていく。まだ春だと言うのに、ここへ来て木々も緑を失っている。
農作物への影響力だけじゃないのね。
深刻さは農作物が大きいため取り上げられているのかもしれないが、自然に育つ木々などにも影響がありそうだ。
そんな風に眺めていると、いつの間にかレキアスも窓の外を見ているようだった。その表情は流石に笑顔を失っているように見えた。
馬車から降りた場所は、街の中心部を通り過ぎ拓けたところだった。おそらく本来で有れば一面小麦畑が広がっている場所なのだろうが、そこには、草がまばらに生えている程度で、小麦畑の本来の姿はなかった。
生温い風がフィネリアの頬を撫でて行く。
何も感じない。
馬車から降りるとレキアスはすぐ地元の担当者らしき人の話を聞いているようだったが、フィネリアはそれには混ざらず、かつて畑だったそれを見て回った。
一面茶色の土が広がっていて、一見通常の土壌と変わらない姿に見える。フィネリアは、草が生えている場所と、生えていない場所を注意深く見ることにした。
草が生えていると言うことは、まだその土は生きていると言うことなのだろうと考えたのだ。
ふと視線を遠くまで広げると全く草も生えていないところがあり、フィネリアはずんずんとその場所まで歩いて行く。履いていたヒールが土に埋まろうが気にしない。
遠くから見えていた場所は近くまで来ると、真っ黒な土に見えた。フィネリアはドレスが汚れないように注意深くしゃがみ込むと、指先で黒い土を掴んでみる。
ざらりとした感触は普通の土と変わらない。親指と人差し指の間でその感触を確かめる。擦ってみたが、特に他の土との違いはわからなかった。
フィネリアは徐ろに右腕の袖を捲ると、土に腕を突っ込んだ。とは言え、そんなに柔らかくもないため、せいぜい手が入ったぐらいで、まだ深いところは入らない。何とか手を下まで入れようと手で掘り進めようとしたところで、誰かに腕を掴まれ引き上げられた。
ふと上を見上げるとそこには笑顔の張り付いたレキアスがいた。
あ、忘れてた。
自分が皇后であることが完全に抜け落ちていたし、なんならレキアスとの約束もさっそく忘れていた。
「フィネリアは、どうしてもお説教されたいみたいだね」
その瞳は決して笑っていなかった。