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ちょっと長くなりました
茶色の髪のおさげの10歳ぐらいの女の子が、腰に手を当てフィネリアを指差す。周りの大人が止めようとするのもお構いなしだ。
「あなたが優しい陛下に冷たい態度のお嫁さんね!」
周りにいた誰もが凍りついた。相手は皇后である。立場上レキアスの次に身分が高い存在だ。
しかし、子供からすればそんなものは関係ないのか、まだ続けて口を開く。後から慌てたように現れた母親は青ざめた顔で子供を止めようと必死だ。
「陛下が気遣って優しく声をかけても無視してるんでしょ!そんな態度良くないわ!」
もう母親はダメだと思ったのか、地面に頭をつけて平伏すしかないようだった。
そんな女の子の言葉に、フィネリアの内心は焦っていた。焦っていたが、表情はいつもの無表情だった。
迷った末に、フィネリアは女の子の側まで歩くとその子に合わせてしゃがみ込む。なるべくドレスは汚れないよう気をつけながら。
「そうね。あなたの言う通り、私の態度が良くなかった。心配して声を掛けてくださった陛下に対して、失礼だったわ」
「陛下はとても優しいんだから、お嫁さんは陛下をもっと大事にして!」
ぷりぷりと怒ったように言う女の子にフィネリアは頷いた。
「気をつけるわ」
「もっと笑って」
「え?」
「お嫁さんさっきから見てたけど全然笑ってないんだもん。陛下だって、お嫁さんには笑って欲しいと思う。陛下はずっっと笑顔だよ」
フィネリアはその言葉には思うところがあったのか、首を横に振る。
「私は、……陛下がずっと笑っていることがいいとは思っていません。悲しいときには泣いて、苛立つ時には怒った表情になったっていいと思います。感情を隠されることは、それはそれでとてもつらいことです。私の前ぐらいでは、ご自身の感情のままの表情を見せて貰えたら嬉しいと思っています」
そう言ったフィネリアに、不意にレキアスまで女の子の前にしゃがみこんだ。
「私の奥さんもね、笑うと可愛いだ。私ももっと笑って欲しいと思っていたんだけど、でもだんだん笑う姿が増えてくると、逆に他の人には見せて欲しくなくなるんだ。不思議だよね。だから、みんなにはなかなか微笑んでくれないかもしれないけど、私だけに微笑んでくれたらそれでいいんだ」
物凄くにこにことした表情でそんなことを言うレキアスに、フィネリアの方が赤くなる。
少し難しかったのか首を傾げた女の子だったが、レキアスを見ると口を開く。
「陛下は、お嫁さんと結婚して幸せ?」
女の子の素朴な疑問に、レキアスは満面の笑みを見せる。
「あぁ、幸せだよ」
そう答えたレキアスに女の子はとても満足そうに頷いた。そして「なら良かった!じゃあね!」と手を振るとさっさとどこかへ行ってしまう。青ざめて頭を下げたままの母親には危険な行為であったことを注意するようにだけ言うに留まった。
立ち上がったフィネリアは、顔の熱が治らず、先程と同じようにはレキアスの腕を取れない。すすすっと後退し、カリーナの横に立つ。
「しばらくカリーナと歩きます」
不満気な表情を見せたレキアスだったが、フィネリアが赤くなっているのを見るのは楽しいのか、諦めたようにサディスを伴って歩き始めた。
フィネリアはレキアスの少し後ろをゆっくりと歩く。小さい子の質問にあっさりと答えたレキアスの答えは、嘘ではないとフィネリアにはわかる。答えた時の彼のオーラは赤や桃色で、フィネリアを慌てさせた。もう自分の気持ちもレキアスの気持ちもわかっているとはいえ、恥ずかしいことは恥ずかしい。
ちょっとした騒ぎになってしまったこともあり、二人は早めに街から引き上げることにした。
そしてふと城内での緑色のドレスの女の子の視線を思い出す。
「もしかしたら同じような理由かしら」
フィネリアの呟きに隣にいたカリーナが気づく。
「陛下はこの領地では特に親しまれていることもあり、もしかするとそうかもしれません」
***
カイザート城塞でも当然二人の寝室は同じ部屋だった。昼間のことがあり、フィネリアはレキアスと顔を合わせづらい。だからカリーナにしばらく一緒にいて欲しいと言っていたのに、笑顔で部屋を出て行かれた。
「……、先に寝てもいいかな」
用意された客間の寝室は皇城のベット並みに大きく、フィネリアはじとりと視線をおくるとパタリとそこに倒れた。
なんせ今日は城塞内を散歩した上、街の一部も見て回っておりかなり歩いた。
「明日はまた筋肉痛かも……」
寝転んだまま右足の脹脛を手でマッサージしていると、ノックする音が聞こえて慌てて起き上がる。少し扉が開いて、レキアスが顔を出す。現れたレキアスはまだ夜着ではなく、服装自体はラフなものに変わっているが、どうやら寝るつもりはなさそうだ。
「少しガンダルフと飲んでくるから、先に寝ていていいよ」
「……、飲むのですか?」
飲むと言えば当然お酒である。お酒が苦手なレキアスからするとかなりの苦行のはずだ。
「形だけね。騎士団について話したいこともあるし、ちょっと付き合ってくるよ」
「わかりました」
「おやすみ、フィネリア」
そう言われて頷いたものの、フィネリアは慌てて扉のそばまで行くとレキアスに向かって手を広げた。
レキアスは不思議そうな顔をした後、面白そうに笑う。
「てっきり昼間の件で、避けられてると思ったんだけど?」
「それとこれとは別物です」
至って真面目な顔でフィネリアがそう言うと、レキアスは嬉しそうに笑って、フィネリアの腕の中に入り、彼女を優しく抱きしめた。
レキアスの温かさにホッとする。フィネリアはこの温かさが好きだった。レキアスを失うことはフィネリアにとってとても恐ろしいことだった。そんなことは起きてほしくないと思い、この温かさを確かめずにはいられない。
しばらくレキアスは黙ってフィネリアが満足するまで抱きしめてくれた。温かい腕のなかはとても居心地がよく、少しでもその温もりを求めようと自分からぎゅっとしがみつくとレキアスが口を開いた。
「……、おやすみの挨拶しにきただけなんだけど、もう少し欲張ろうかな」
そんなことを口にしたレキアスに、フィネリアはどう言うことかと思い顔を上げると、少し身をかがめたらしいレキアスの顔がすぐ側にあることに気づく。
レキアスの右手がフィネリアの淡い金色の髪を梳く。さらさらと流れる髪を見ながら、レキアスの夜色の瞳が微笑む。
腰に添えられていただけの左手にぐっと引き寄せられて、さらにレキアスの顔が近くなった。
「もう怒ってない?」
「別に最初から怒ってないです……」
「そう?」
「ただ恥ずかしかっただけです。……、でも、陛下が幸せなら、よかったです」
二人は政略結婚である。お互いの国の益のための結婚なのだから、それに幸せが伴っているのなら、フィネリアとしても嬉しいことだ。そして、自分自身も相手がレキアスで良かったと思っている。
「フィネリアは?」
「え?」
「フィネリアも幸せ?」
まじまじと見られながらそんなことを聞かれて、フィネリアは恥ずかしさに少し目を逸らした。
「……、幸せです」
絶対真っ赤になっていることがわかり、フィネリアはレキアスを押し返そうと彼の体を押してみるが、びくともしない。
「へ、陛下!辺境伯がお待ちなのでは!」
「ちょっとぐらい待たせても問題ない」
「でも!」
「フィネリアが可愛すぎるのが悪い」
「何をおっしゃってるんですか!」
「照れてるところも可愛いよ」
「照れてません!」
真っ赤な顔して何を言っているんだと言う視線を返されて、フィネリアは何も返せなくなる。
「口付けしても?」
「唐突ですね⁈」
レキアスは疑問系で聞いてきたものの、特にフィネリアの答えを待つ気はないらしく、フィネリアに顔を寄せる。フィネリアもレキアスが視界いっぱいになるのを感じて反射的に目を閉じた。
軽く二人の唇が重なったあとに、角度を変えて繰り返される。しかも、レキアスの左手が腰から背中を撫でるように動いていき、薄い夜着ではその手の動きを強く感じてしまい、フィネリアはぞくぞくと迫り上がる感覚に頭がカッと熱くなる。
「へ、陛下!」
少し唇が離れたところで何とか声を上げ、見上げるとレキアスが意地悪な笑みを浮かべていた。
「違うだろう?」
そのまま再び唇を重ねてくるレキアスに、フィネリアは内心「しまった!」と後悔する。慌てて次のタイミングを見計らい口を開く。
「レ、レキ、アス!」
その声に、レキアスは満足そうに微笑む。その笑顔にフィネリアも何も言えなくなる。二人きりの時ぐらい名前で呼んでほしいと言うレキアスに、フィネリアも同意はしたのだが、名前を呼ぶこともフィネリアにとっては強く愛しさを感じてしまって、一苦労なのである。
「もう慣れてもいいんじゃないかい?」
「無理です!変な気分になります」
「……、その変な気分とやらを深追いしたいところだが、そんなことをしていたらもうガンダルフのことなどどうでもよくなりそうだ」
真剣な顔をしてそんなことを言い出すレキアスにフィネリアの方が焦る。
「もう行ってください!」
「ひどいな。フィネリアが引き留めたんだろう?」
「もう十分過ぎるほど満たされたので!」
「僕は今逆に渇きを覚えるけど?」
「……、ワインを飲んだらいいと思います」
フィネリアの言葉にレキアスが困ったように笑った。やれやれとため息をつかれて、フィネリアとしては心外だ。
「今日は諦めるよ。おやすみ、フィネリア」
「おやすみなさい」
そっと離れていくレキアスに名残惜しく思いながらも、フィネリアも手を離した。パタンと閉じられた扉に寂しい気持ちを感じながら、レキアスの温もりを忘れないうちに、フィネリアは早々にベッドの中に潜り込んだ。
頑張ってます…
どうやって終わらせるか不安になってきました。。。




