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カイザート領編はここが書きたくて書きました
美味しいワインに、グラスを傾ける回数が増える。しかも、ガンダルフが並べてくれたボトルがフィネリアの目の前にある。グラスが空になると給仕がすぐに「次はどちらをお召し上がりになりますか」と尋ねてくる。フィネリアも気に入ったボトルを指差し入れてもらう。
かなりの量を飲んで入るが、顔色は特に変わらず赤くもなっていない。
「大丈夫?」
レキアスが心配そうに尋ねてくるが、フィネリアは頷く。問題があるといえば若干苦しい腰回りだろうか。やっぱりカリーナが気合いを入れすぎた。
「少し、苦しいです」
そう言うと、レキアスが頷くと立ち上がる。
「今日はこれで下がらせてもらう」
そう言うとレキアスがフィネリアの肩を抱く。てっきりフィネリアだけかと思ったらレキアスも一緒に下がるらしい。
「いいのですか?」
「宴会の機会はたくさんあるさ」
レキアスはフィネリアの肩を抱いたまま歩いていくが、どうやら用意してもらった部屋に行くわけではないようだ。すでに外は夜に変わっており、城の中も昼間に歩いた時と比べると薄暗く、雰囲気が異なる。
レキアスが不意に着ていた上着を脱ぎ、フィネリアの肩に掛ける。
「夜は冷えてくるから」
先ほど抱かれたときの肩が恐らく冷たかったのだろうなと思う。
「陛下は寒くないですか?」
「大丈夫だよ」
なんとなく予想はついていたが、レキアスが向かったのは昼間に来た尖塔だった。再び細い螺旋階段を上がっていく。先ほどよりドレスが重く足取りがゆっくりになるフィネリアに、レキアスが腰に手を回して支えゆっくり歩く。
「今日は天気が良かったし、月もほぼ満月だから綺麗に見えると思うよ」
そう言ったレキアスに、どう言うことだろうか?と思いながらドレスを踏まないように一歩ずつ慎重に上がっていく。
そして丁度昼間と同じところまで来たところで、レキアスが外を指差す。見てごらんと言われた気がして、フィネリアはゆっくりとその視線を外に向けた。
そこに見えたのはまるで絵画のような光景だった。
濃い藍色の空に星が瞬き、月明かりが降り注ぐ。その月明かりで、昼間に見た蛇のような白い道がぼんやりと浮かび上がる。緑の草原はそれとわからないが、月の光に照らされた道が、輝いているように見えた。
幻想的なその光景に、フィネリアはしばらく目が離せなかった。昼間の景色はそれはそれで美しいものだったが、夜の景色は神秘的な雰囲気を持っていた。
なんでこれで精霊がいないんだろう。
フィネリアから見るとリンザニアの中でもカイザート領は土地が豊かで恵まれているように思えた。精霊は綺麗で美しいものが好きだ。そして面白いことと楽しいことと美味しいものが好きだ。
ワインがあんなに美味しいのも精霊がいてもおかしくない条件である。
それなのにいない。
「とても美しいのに……」
「気に入らなかった?」
レキアスの言葉に首を横に振る。
「いいえ、とても素敵です。まるで、陛下みたいです」
レキアスの夜色の髪を見て思う。この景色はレキアスの色に良く似ていた。艶やかな光沢がある髪が、月の光を反射する。
「陛下、……抱きついても良いですか」
フィネリアがそう口にすると、レキアスが少し驚いたような顔をする。
「どうしたの、もしかして飲みすぎて倒れそう?」
普通に心配されてムッとしたフィネリアに、意外そうにレキアスが首を傾げる。
「くっ付きたい気分だったんですけど、もう良いです」
ぷいっと顔を背けると暖かい腕がフィネリアを包み込む。
「ごめんごめん、あんなに飲んているの見たの初めてだったから心配で」
そう言うと笑顔で優しく抱きしめてくれる。
フィネリアはこの腕に抱き締められるのが好きだった。レキアスはいつも寝る前に抱きしめてくれるのだが、それがとても心地よかった。仕事で遅くなり抱き締める腕がないと、寂しいなと感じながら眠ることもある。
「陛下はもしかしてあまりお酒が好きではないですか?」
「バレたか」
レキアスが苦笑する。ガンダルフにお酒を勧められた時だけオーラが変わったことをフィネリアは見逃さなかった。それは、いつも野菜をフィネリアに無理やり食べさせられる時のオーラに似ていたのだ。
「あんまりお酒を美味しく感じたことがなくてさ。結構領地の特産って言って、お酒もらうことがあるんだけど。これからはフィネリアにあげようか?」
「頂きます」
フィネリアもそんなにお酒をこれまで飲んできたわけではないが、あんなに美味しいお酒なら頂きたい。素直にそういうとレキアスが面白そうに笑った。
「精霊はお酒も好きですよ」
「え、精霊がお酒飲むのかい?」
「はい、美味しいものは何でも好きです。ここのワインなんて大好物な気がするんですけど」
「でもいないんだ?」
フィネリアは小さく頷いた。
夜の景色の遠い場所にぼんやりと光るものを見つけた気がした。小さく薄らと、それでも存在を感じる。
「何かしら」
少し身を乗り出して外を見つめたフィネリアに、レキアスも同じように外を見た。
「何かある?」
「あっちの方角にぼんやりと光る物が見えます」
レキアスは外に目を向けて目を凝らす。
「僕には見えないな。あっちは昨日までいた街の方だけど」
レキアスが見えないと言うことは、何かフィネリアだけに見えるものということだろう。精霊関係の場合もあるし、強い力の可能性もある。
「『精霊殺しの滝』……」
記憶に新しい言葉を思わず呟いてしまう。あまりに印象に残っていてフィネリアの頭の名から離れない。
「何か関係ありそう?」
「全然わかりません。ただ、あまりに物騒な名前で気になってしまっているだけな気もします」
「一人で行こうとしないように」
レキアスがフィネリアを抱き締める力が強くなる。すぐに思った所へ行ってしまいそうなフィネリアに、レキアスが釘を刺す。
「わかっています」
フィネリアが目を合わせてそう答えると多少安心したのか、レキアスが微笑む。
「そろそろ冷えてくるから部屋に行こう」
「はい」
歩き出したレキアスが螺旋階段下りながらフィネリアに思い出したように確認する。
「あ、ちなみに明日はカイザート領に所属する騎士の訓練を見に行こうと思うけど、どうする?」
「ご一緒します」
「そうだね、その方が僕も安心だ」
どう言う意味か問いただしたい気分だったが、温かいレキアスに寄り掛かっているとそんなことはどうでもよくなり、フィネリアはだんだんと瞼が重くなるのを感じた。
「フィネリア?」
「はい」
消え去りそうな声で返事を返すとレキアスが笑うのがわかった。
「やっぱり酔ってたんじゃない?」
ぽすっと弱々しくレキアスの体を叩いたところでフィネリアの意識は途絶えた。
「顔色変わらないまま酔うのが一番危ないね」
もたれ掛かるようにすやすやと眠り始めたフィネリアを愛おしげに抱き上げ、レキアスは細い螺旋階段をゆっくりと降りて行った。