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簡単な挨拶だけ済ますとレキアスは、フィネリアを連れて城内を歩いた。レキアスはヴェルトリクとの停戦協定の際にも何度も訪れているらしく勝手知ったる場所のようで、近衛騎士すらつけずに歩いていく。
「どこへ向かっているのですか?」
フィネリアはレキアスに付いて歩いているが、どんどんと上へ上がっている気がして尋ねる。
「良いところ」
そう言って連れられたのは、カイザード城の最も高い尖塔だった。狭い螺旋階段を上り、途中に外を覗ける場所があり、そこをレキアスが指差すため、つられて外をみた。
そこから見えた景色はとても鮮やかで綺麗なものだった。緑の広々とした大地に、白い道が蛇のように緩やかな曲線を描きながら、少し離れた街の方へ続いているのが見えた。また、高い城壁が街を囲っている様子もよく見える。
そして何より気になったのは少し離れた場所にも同じような構成の城塞が見えることだ。
同じような作りの城塞が存在するあちら側はもう、国境の向こう側、ヴェルトリクである。ある程度距離があり、間に川を挟んでいるものの、隣り合う城塞と言えるほど近い。
昔から争いの絶えなかったこの場所はほぼ同時期に隣り合う城塞を建設した。そうしてお互いに牽制し合っていた。
「すごい……」
そんな景色をみたフィネリアは思わず呟いた。景色に圧倒され、言葉が続かない。
広がる緑の大地も、うねる様に見える白い道もフィネリアには初めてみるものだった。隣り合う城砦都市も、何もかもが興味の対象だ。きらきらと目を輝かせるフィネリアの横顔に、レキアスは満足そうにそれを眺めている。
「この辺りは国境の移動が激しい土地だったんだ。昔はもっと南までヴェルトリクだった。だんだん国境が北へ上がっていき、丁度川に阻まれてそれ以上北上をするのが難しくなったんだろうな」
今国境になっている川はそんなに狭い川ではない。戦争をするにしても難しい場所であることは間違いない。
「今でこそここから見える土地は緑で覆われているが、数年前は緑なんて見えなかった」
ヴェルトリクとの戦争はレキアスが停戦協定を結んだことにより一時的に回避されている。今後どうなっていくかはまだ見通しが立っていない。
「この緑と白の景色が結構好きなんだ」
外を眺めながら言ったレキアスに、フィネリアも頷く。
「そういえば、この土地は停戦後かなり回復が早かったように感じたんだが、精霊はやっぱりいないのか?」
そう聞かれたが、ここに来るまでに精霊は全くみていない。
「呼びかけても良いですが、多分いない気がします。……、ウォーレ」
ウォーレとは水の精霊の総称で、呼びかけるよく反応してくれる精霊だ。精霊の有無を確認するときに呼びかけることが多い。しかしやはり、精霊は現れない。
川も近いし、土地も悪くないように見えるけど、何か別に問題があるのかも……。
「いないみたいですね」
「そうか」
精霊は土地の豊かさを決めると言っても過言ではない。精霊の多いニジエは土地としてはかなり豊かだ。作物に困ることもなく、自然災害になやまされることもない。基本的には。
リンザニアは黒い箱の件があったものの、あれは旧アッセアを含む穀倉地帯のみに影響したのであって、他の土地は至って普通だ。可もなく不可もなく。
「ここから見る景色は、夜も綺麗なんだ。また宴が終わったら来よう」
レキアスの提案に頷くと丁度カリーナが迎えにきた。
「フィネリア様、そろそろお召し替えを」
「まだ早くないかしら」
「フィネリア様、結婚式以来の宴ですよ」
気合いを入れなくてどうするんですか?と言葉が続いたような気がしたが気のせいだったようだ。やる気に満ち溢れたカリーナを止めることもできず、フィネリアは尖塔を後にし、レキアスも少し残念そうにそれを見送った。
ささやかな宴会は、カイザート辺境伯であるガンダルフ、辺境伯夫人とその子供たちとの食事だった。子供と言っても全員成人を迎えており、騎士団に所属しているものばかりだ。
フィネリアの顔は完全に無表情になっていった。カリーナが気合いをいれて身支度をしたおかげでいつもより大人っぽい姿だ。そのため、いつもの無表情がさらに鋭く見える。
淡い紫色のドレスでいつもより腰回りが若干苦しく、首元を飾る首飾りも耳飾りも重い。
レキアスもきちんと正装しているのに隣で笑顔で談笑しているのは普通にさすがだなと思う。しかも、今日はオーラも穏やかだ。
腰回りの苦しさを感じながら少しずつ食事を取る。そして出された飲み物に口をつけ、驚きに目を見開く。
「美味しい」
無表情でだんまりだったフィネリアがつい口にした言葉に、一斉に皆が視線が向いた。
はっとしてどうしていいかわからなくなり隣を見ると、レキアスが笑う。
「それ美味しいだろう?カイザート産のワインだよ」
「そうなんですね。とても飲みやすくて美味しいです」
そう言うとガンダルフがにこにこと笑い立ち上がる。
「そうだろうそうだろう。それは食前酒として出したものだが、それの他にもいろんな種類があるんだ」
そう言うと待ってましたとばかりに給仕がさまざまなワインボトルを持ってきた。そしてガンダルフがどれがお勧めかを熱心に語りながら、フィネリアにワインを注いでくれる。
普段そこまでお酒を飲むわけではないが、フィネリアは飲めないわけではない。注いでもらったワインを少しずつ飲む。あまりお酒の味にこだわるたちでもないが、ここのお酒は本当に美味しいと感じる。
カイザート領の中でも南の方に葡萄畑が作られており、ワイン作りも盛んなようだ。
「フィネリアは、お酒強いんだね」
少し驚いたようにレキアスが言う。最近ようやくレキアスと夕食を取るようになったが、あまりお酒を飲んでいるのは見たことがない。
「陛下はあまり飲みませんね?」
「だいたい食事の後も仕事することが多いからね」
確かに酔った頭では仕事もできないだろう。
「でも、今日はいいのではないですか?」
フィネリアの言葉に、ガンダルフも頷く。
「ここのワインは美味いですぞ。皇后陛下のお墨付きもある!」
ガンダルフの言葉に苦笑いをしながらレキアスも新しいワイン受け取り口にする。
フィネリアの方を見てレキアスが微笑む。
「そうだな、美味しい」
通常の貼り付けている笑みではなく、フィネリアに向けられた笑みはとても優しい。笑顔を向けられたフィネリアもつられて控えめに微笑むと、周りの人々が驚いたような様子を見せる。
ガンダルフが少し眉を寄せる。
「ここに伝わる皇后陛下の噂は、なかなか難しいものがある。私はこの城でのお二人の様子を見聞きすることも出来るが、この辺りはまだ古い噂に流されやすい」
フィネリアの印象は帝国内ではおそらくあまりよくない。結婚式後の祝賀パーティーが唯一の表だったお披露目と言えたのに、その時点のフィネリアはまだ無表情しか見せず、しかもレキアスへの印象も良くなかったこともあり二人の仲睦まじい様子もない。
今でこそ二人はお互い想いあっているものの、城から離れるほどその様子を知らない。
逆に穀倉都市を含むデミエでは、土地を修復したのは皇后だとして若干フィネリアが神聖化されている。
「ここで噂を払拭して行かれてもよいですぞ。それに陛下は皇后陛下の近衛騎士を探しておられるのだろう?うちの息子たちはどうですか」
にこにことガンダルフが机に座っている息子たちを勧めるが、レキアスは首を縦に振らない。
「何故ですか!優秀なのは間違いないですぞ!」
「男だからダメだ」
レキアスの言葉にガンダルフがあんぐりと口を開けて固まった。
「まさか、そのような理由でずっと決められていないのではありますまい」
ガンダルフの言葉にレキアスが思いっきり目を逸らした。隣に控えていたサディスがこれみよがしにため息を大きくついた。
「なんと、……陛下がそこまで皇后陛下にご執心だったとは」
ガンダルフの言葉に、テーブルにいる辺境伯夫人がにこにこと笑っている。逆に息子たちは驚いた表情をしている。
「少なくとも騎士団に所属している上級騎士に女性はいないのはご存知のことかと思いますが。しかし、皇后陛下に近衛騎士ぐらいつけなければ、今回のようにこれから国内の視察に同行されるなら尚更」
ガンダルフは完全に騎士団長としての顔になっていた。悩ましそうにする様子に、レキアスが申し訳なさそうに笑う。
「今は私の近衛騎士にフィネリアの護衛も頼んでいるよ。せめて一人でも女性騎士が付けられればいいんだけど」
レキアスの言葉に、ガンダルフが眉を寄せる。
「皇后陛下のお側に立つ騎士を上級騎士以外にするわけにはいきますまい。しかも上級騎士になれそうな女性騎士も……」
懸命に記憶を探っているガンダルフだが、やはりその条件は厳しいのか、頭が痛いと言わんばかりの表情だ。
騎士の試験は騎士団に所属している場合も、領地に所属している場合も内容は基本的には変わらない。中級騎士にはやる気さえあれば上がれると言われているが、上級騎士となるとそうもいかない。
女性の騎士は存在自体がそもそも少ない。どうしても男性と比べると力が劣ることもあり、別のところで強みがないと対等に戦うことも難しい。
レキアスはフィネリアに近衛騎士をつけたそうだが、フィネリア自身はそこまで困ったことがないため、そこまで積極的に近衛騎士を望んだりもしていない。なんなら今のようにレキアスの近衛騎士をたまに借りるぐらいで十分なのではないかとも思う。
フィネリアは外出がどちらかというと少ないため、たまに出かけるときに必要になるだけで、常時ついている必要はないのではないかと思う。
ただレキアスにしてみると常にフィネリアを見て止めることができる人材が欲しいらしい。そんなことは近衛騎士の仕事だろうか?と思うが、レキアスはそう考えているようだ。