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フィネリアが次に目を覚ましたのは翌日の昼だった。見慣れない天井は城ではなく、カイザート領の街に泊まっているからだとわかる。
ふと視線を横に動かすと、椅子に座ったレキアスと目が合った。
「陛下、……まさかずっとそこに?」
フィネリアが声をかけると、盛大にため息を吐かれた。
「フィネリアは、心配させるのが得意だね」
「……わざとじゃありません」
体を起こそうとすると、体の節々が痛い。思わず顔を顰めるとレキアスが立ち上がって体を支えてくれる。
「カリーナは怪我はなさそうだと言っていたけど」
心配そうに覗かれて、フィネリアは慌てて首を横に振る。
「ただの、筋肉痛です」
「……、筋肉痛?」
「森の中をずっと歩かされたんです」
どういうこと?という表情を見せるレキアスにフィネリアは昨日あったことをかいつまんで説明する。
「フィネリアが森で迷子って想像できないけど」
「迷子って言わないでください」
「迷子だろう?」
「迷子じゃないんです!本当に変だったんです!でも、よくわからなくて」
必死に言い訳するフィネリアにレキアスが笑う。
「フィネリアが精霊に遊ばれることはあるの?」
「私も精霊かと思ったんですが、それらしい姿は見当たらなくて」
精霊ならフィネリアにその姿も声も見えるはずだ。それなのにその様子は全くない。彼らが静かにいたずらするなど、あり得ない。楽しそうに声を上げながら遊ぶに違いないのに。
リンザニア国内も穀倉地帯の問題は解決したものの、変わっていない点もある。それは、精霊がいないと言うこと。穀倉地帯の土地は変わり始め、今は植物も芽吹く。来年は以前のような一面小麦が揺れる景色が見られるだろうと言われている。
それなのに、精霊の姿はない。それがフィネリアにはどうも気になっていた。
「そういえば、川の向こうにいた男性に声をかけられました。『精霊殺しの滝』があるって言ってたんですが……」
そこまで言ったところで、レキアスの手がフィネリアの頬に触れ、ぐいっと顔を動かされレキアスの方を向かされた。目の前のレキアスは相変わらずの笑顔だが背中に黒いオーラを背負っている。
「ヴェルトリクの者に会ったことは、さっきの迷子の話より重要じゃないか?」
「ひ、一言二言話したぐらいで」
「しかも男」
「川、挟んでますし」
「連れさられる可能性を少しでも考えた?」
「……いえ、全く」
流石にそんなことは思い浮かばなかった。とりあえず関わってはいけないなと思いはしたが、連れ去られるなど考えもしなかった。
「フィネリアは、リンザニア帝国の皇后だ。ヴェルトリクに狙われる可能性だってゼロじゃない。まぁ、まだあまり顔が知られてはいないだろうが」
「ちゃんとすぐに離れるようにはしました。それに、そんなに悪い人じゃなかったです。南に向かうように助言してくれましたし」
「ほう?そんな風に肩を持つなんて、何かあったのかと勘ぐりたくなるが?」
レキアスの手がフィネリアの淡い金色の髪を一房掴む。さらりと流れる髪をレキアスは自分の口元に寄せキスを落とす。
「川を挟んでました。触れられるような距離にいません」
フィネリアの言葉にレキアスが困ったように笑う。
「フィネリアはもっと警戒心を持って。男はみんな危険だよ。優しそうな顔をしててもさ」
「陛下みたいにですか?」
そう返すと、レキアスが優しく微笑んだ。
「フィネリアはもう知ってるだろう?」
そんな風に返されるとは思わず、フィネリアは言葉を失い顔が赤くなった。そんな彼女の様子を見てレキアスは満足気な表情をみせる。
「そ、それより、陛下は『精霊殺しの滝』をご存知ですか?」
話を変えたくてフィネリアが別の話題を振る。実際気になっていたことでもあった。『精霊殺しの滝』などと呼ばれる場所があるなど、気にならないわけがなかった。
レキアスはどうやら知っているらしく、すぐに返事が来る。
「ヴェルトリクとの国境沿いにある森から西に向かうと大きな滝がある。リンザニアではそんな風に呼ばないが、ヴェルトリクではそういう風に呼ぶと聞いたことはある」
「陛下はその滝見たことあるんですか?」
「あぁ。国境沿いの地形の確認のために一回だけ行ったことがある。至って普通の滝だった気がするが」
「そうですか……」
土地の名前や、場所の名前は何らかの由来に基づいて呼ばれることが多い。それを考えると昔その滝で何かあったのかもしれないと想像できる。
「もしかしなくても、気になってる?」
レキアスの言葉に、フィネリアは正直に頷いた。レキアスに隠し事をしてもいいことはない。
「とても気になっています」
何ならものすごく気になっているとアピールしておいた。じっとフィネリアがレキアスを見つめ続けていると、レキアスの方が折れた。
「わかったよ。行けるように予定組むから、一人では行かないように」
嬉しさにフィネリアが笑顔を向けると、レキアスが眉間に皺を寄せる。
「フィネリアは、僕が君の笑顔に弱いのわかっててやってるよね」
「そうですか?」
「そうだよ」
レキアスがフィネリアの額にキスを落とすと立ち上がる。
「滝は城へ帰る時に寄ろう。明日は予定通りカイザート城塞へ向かう。それでいい?」
フィネリアが頷くとレキアスが部屋を出ていき、入れ替わるようにカリーナが入ってきた。どうやら彼女にもかなり心配させてしまったようで、フィネリアは謝るしかなかった。
何度目かの謝罪のあと、フィネリアは突然握り拳をつくると唐突に宣言した。
「カリーナ、今回の件を踏まえて、私、体を鍛えようと思うの」
「……、はい?」
「やっぱり森に行くことも無くなって体力が落ちてるわ」
カリーナは首を傾げたが、フィネリアは自分の手を握りしめて気合を入れた。
***
丘の上のカイザート城塞は、城壁が二重構造になっている。外側の壁は街を守り、二つ目の壁が城を守る。外側の城壁に入り口は二つしかなく、そのうちの一つの西門から中へと入る。外側の壁もかなり高く簡単に門以外から侵入することはできない。ここがいかに争いの絶えない土地だったかがわかる。
ニジエの城はここまで堅牢な作りではない。フィネリアには全てが珍しく城内に入るまでもかなりいろんなものに目移りしてしまった。
二つ目の城壁のの門にカイザート領の騎士たちがレキアスの出迎えのために並んでいた。その先頭に立っているのは、強面の騎士だ。堂々たる体躯の壮年の彼は、ガンダルフ=カイザート。このカイザート領を治める辺境伯であり、帝国騎士団の騎士団長でもある。フィネリアも数回顔を合わせたことがあった。
「陛下、お待ちしておりました。皇后陛下もよくお越し下さいました」
ガンダルフはレキアスよりも背が高く、かなり上から見下ろされていると感じながら、フィネリアは見上げて小さく頷いた。
「夜には、ささやかですが宴会を行いたいと思っておりますので、ぜひご参加ください」
人の良さそうな笑みを向けられるがまだあまりどういう人物かわかっていないこともあり、迫力負けしたフィネリアはただ頷くことしかできない。
そんなフィネリアの様子に、レキアスがそっと肩を抱く。
「ガンダルフ、近いぞ」
そんかレキアスの言葉にガンダルフは不満そうな視線を向ける。
「何を仰るか。そもそも陛下がいつまで経ってもまともに皇后陛下を家臣たちに会わせることもなく、囲っているからこんなことになるのですぞ。結婚式後の祝賀パーティー以外で宴を開くこともなく、地方もまだ穀倉地帯にしか行っていない上に、宿に泊まっただけだと聞いておりますぞ。それなのに」
会って数分でレキアスへの説教が始まりだし、レキアスは笑顔のまま聞き流していた。流石にこの年齢差だと黙って聞いているしかないのかもしれない。しかし、ガンダルフとの関係は悪いものではないのだろうとレキアスのオーラを見て思う。特に感情の起伏はなく、穏やかなままだ。
「わかっている。だからここに連れてきただろう。まだ結婚して半年だ。これから他の領地も巡るし、そのうち気が向いたら城で何か開くこともあるだろう」
かなり遠回しな言い方にガンダルフはまだ何か言いたそうだったが、首を横にふると諦めたようだった。
やっぱり私もう少し公務もすべきよね。陛下はまだ良いっておっしゃってくれるけど。
私もいつまでもそんなんじゃダメだね。
ガンダルフとレキアスのやり取りを見てそんな風に思った。