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電子書籍発売記念として少し連載します。
ちょっと謎が出て来たりしますが、カイザード編では解決しないです…。
二人が仲良くしているところがメインだと思って頂ければ幸いです。
「……これは、さすがにお説教案件よね」
うん、私でもわかる。
フィネリアは少し眩しそうに木々の間から見える青空を見上げた後そう呟くと、見知らぬ林の中を再び一人で歩き始める。彼女の側にはカリーナの姿も、護衛の姿も見当たらない。本当に一人で森を歩いていた。
レキアスの視察に同行してフィネリアはヴェルトリクとの国境を持つ、カイザート領の街に来ていた。カイザートは東の海岸付近の丘に城塞があり、リンザニアの騎士団の一部が詰めている。常にヴェルトリクの動向を注視している重要な拠点だ。
昔から争いの絶えないこの地域は、騎士団長でもあるカイザート辺境伯が治めている領地である。カイザート家は昔からこの土地を治めており、代々優秀な騎士を輩出してきた家柄だ。
通常であれば騎士団長も皇城にいるのだが、今回のレキアスの視察に合わせて、事前に城塞へ先に戻っている。
城塞へ行くのは明日と聞いていため、フィネリアはカリーナと共に街の散策に出ていた。当然何人かの護衛もついていた。
しかし、気づいたらフィネリアは一人になっていたのだ。
「特に変なことは何もなかった気がするんだけど」
首を傾げてみても、一人になった理由がわからない。
最初は街の中心部を歩いていた。ヴェルトリクとの国境にあるため常に戦火と隣り合わせの場所ではあるものの、カイザート領民の気質としては、ヴェルトリクに負けてなるものかと言うところがあり、商売っ気も強い。活気のある街の中をカリーナと楽しく歩いていたのだ。
クレープという甘いクリームに小さく切られた果物たくさん入ったが食べ物が、フィネリア的には大変美味しく気に入った。
食べ終わった後は街の様子を見て歩いていた。昼過ぎには宿泊する宿に戻る約束をレキアスとしていたため、遠くには行っていない。
少し緑の木々が見えた場所があり、そちらへ向かって歩いていたのも覚えている。街の区切りを示す林なのだろうも思って踏み込んだ。
そう、踏み込んだ。
フィネリアは見たことのない木々の様子に、足を止めなかった。かと言って、そんなに歩いたかというと、そんなことはない。せいぜい二十歩ぐらいだと思う。
「ねぇ、カリーナ」
そう声を掛けるために立ち止まり振り返るとそこにカリーナの姿はなかった。そして、共に歩いていたはずの護衛の姿も見当たらない。
そして冒頭の独り言に戻る。
「この林、何かある?そもそも林なの?森なの?」
段々と現状に不安を感じたフィネリアはそんなどうでもことを口にしながら足を動かし続ける。流石に少しずつ焦りが出始める。心の中ではかつてないほどの大混乱中だが、表情は無表情のままだ。
フィネリアの感覚では街から踏み出したのはせいぜい二十歩程度である。来た方へ戻っているはずなのに、いつまで経っても街の建物すらも見えてこない。
ザクザクとフィネリアが草を踏み締める音だけが響き渡る。自然に囲まれた場所にも関わらず、シンと静まり返った場所は、フィネリアを不安にさせる。
おかしい、いくらなんでもおかしい……!!
『始まりの森』に迷い込んだ一般人になった気分だった。今までフィネリアは森から出られなくなった人を、「どこに迷う要素があるの?」ぐらいにしか思っていなかったが、その考えを改めざるを得ない。不安が大きくなるほど判断がおかしくなっていく。
フィネリアは一度止まることを選び、静かに瞳を閉じ、深く息を吸った。目で物を探すことを諦め、フィネリアは周囲の有りとあらゆる力を感じ取ろうと集中する。
しかしリンザニア一帯は非常に自然の力を感じづらい土地だった。全体的に何もないような感覚があり、あまり方角を推測するには役に立たない。
いっそ、陛下のオーラを探した方が早い?
ひと一人のオーラのため小さいが、フィネリアにとっては確実に存在することがわかっているものである。レキアスは街の中にいるはずであるため、それを追えば必ず街にたどり着くはずだ。
フィネリアはそっと息を吐くと、再びレキアスのオーラを探すために力を感じ取ることに集中し始めた。しばらく目を閉じているとぼんやりとした光を見つける。それがレキアスだという確信がなかったが、今までレキアス以外にオーラを纏っている人を見たことがない。そんな簡単にオーラを持つ人がいるはずがないと確信し、フィネリアは一度目を開け歩き出した。
踏み込んだ場所は、フィネリアの知っている森とは異なっていた。静まり返り、聞こえるのは川のせせらぎと風が木々を揺らす音だけ。それに自分が歩く音が重なるぐらいで他の音はない。
この状況にフィネリアはまだ慣れない。自然の多い場所はフィネリアにとってとても馴染みのある場所でありながら、静かな場所ではない。常に精霊が飛び交いうるさく喋り掛けてくる、それが彼女にとっての日常であった。
帝国内の穀倉地帯の土地の一件は解決し、土地の生命力は戻ったものの、精霊は相変わらず増えた様子がない。帝都内でもシルファ以外の精霊を基本的に見ない。土地が死んだのは黒い箱のせいだが、それとは別にそもそもリンザニアには精霊がいないのだとフィネリアは感じていた。
シルファも土着の精霊じゃない。
最初に会ったときにシルファは旅をしていると言っていた。森の主人が「山の向こうは生きにくいだろう」とシルファに声をかけていたこともフィネリアは気になっていた。
別の考えが出てきてしまいフィネリアは慌てて首を横に降る。
それはまた後から考えよう。今は帰らなきゃ。
心配そうなレキアスの顔を思い出し、フィネリアは頭から余計な考えを追い払う。フィネリアが勝手な行動をして、離れたことでカリーナや護衛たちも心配しているに違いない。もう一度目を閉じてぼんやりとした光の位置を確かめる。近づいてきたことに安堵するものの、今だに街の姿が見えないことは疑問に思う。
視察のために場所を移動しているのかしら。
基本的にレキアスは仕事に熱心だ。今日も街の様子を確認してからカイザート城塞へ向かうと言っていた。街の様子以外にも何か確認する事項があったのかもしれない。そんな程度に思いながらフィネリアは足を進めた。
しかし、次第に不自然さに気がついた。段々と水の流れる音が大きく聞こえ始めたのだ。
川が近くなってる?
フィネリアは頭に地図を思い浮かべる。ここはリンザニアとヴェルトリクの国境付近であり、その二国間を隔てているのは、高い山と川だ。
あれ、まずい気がする。
歩いた先に川の流れる音だけでなくそれ自体が視界に入った。森を横切るように川が流れている。綺麗に透き通ったそれに何かが滲んでいるように見え、フィネリアは思わず川に惹かれるように進行方向を変えた。
「何……?」
川側まで歩くとフィネリアはドレスの裾を捌きながらしゃがみ込む。そっと川に手を入れようとして、過去にレキアスに注意されたことを思い出す。
「でも、これは別に危険じゃないわよね?」
そんな誰に向かって言っているかわからない言い訳をしながらフィネリアは川の水に手を差し入れた。ひんやりとした水は歩き通しのフィネリアには気持ちよく感じられたが、滲んでいると感じた何かについてはぼんやりとしすぎてはっきりと掴めない。何か弱い力が混ざっているようなそんな感じを受けながら、フィネリアは手を引き抜き立ち上がった。
ふと視線を感じて川の向こう側を見るとそこには、一人の男性が立っていた。亜麻色の肩ほどまで伸びた髪を一括りにし、同じ様な目の色を持つ青年だった。身なりや姿勢も良く、フィネリアは直感的に貴族だと感じた。
「ねぇ、君何やってるの?危ないよ」
川を隔ててはいるものの、明らかにフィネリアに声を掛けて来た男性に、フィネリアは首を傾げる。
「川に落ちそうな勢いで手を入れてたけど、迷子なの?」
「迷子ではありま、せん……」
そう口にしたが若干自信がなくなる。街に戻れていない時点で迷子だと言われればそれまでだ。
この歳で迷子……。
内心ショックを受けていると、さらに声がかかる。
「このまま川沿いを歩いても、在るのは『精霊殺しの滝』だけだよ。もっと南に向かわないと」
青年の言葉にフィネリアは思わず眉を寄せた。
『精霊殺しの滝』など、なんとも物騒な名前である。興味を惹かれ、質問したいと言う気持ちがむくむくと膨れ上がりそうになるが、フィネリアは慌てて首を振る。そんなことをしている場合ではない。
「ありがとうございます」
そう一言だけ返して、頭を下げるとフィネリアは川に背を向けて歩きだした。
川の向こう側の青年はそんな彼女の後ろ姿を見ながら不思議そうに首を傾げる。
「明らかに貴族だったけど。なんでこんなところに一人で……。ってか、めちゃ可愛かったけど」
そんか呟きはフィネリアまでは届かない。青年もフィネリアの姿が見えなくなると、同じ様に川に背を向けて歩き始めた。
それからかなり長い時間、フィネリアは川に背を向けた状態のまま歩き続けた。しかし、一向に森を抜ける気配がない。しかも、どれだけ歩いても、ぼんやりとした光との距離が変わらない。離れて行くイメージで歩いているはずなのに、位置関係が変わらず頭が混乱する。
どう言うこと?!
周りはずっと森の景色が続き、木々の隙間からは青空が見える。どこまでも続く同じ様な風景に、自分のいる位置も、時間も、何もかもが把握しづらい。長く歩いているため、すでにフィネリアは疲れが出ており息が上がる。
「……何か変な罠にはまってる?」
思わずそんな言葉を口にしてしまう。立ち止まってぎゅっと目を閉じると、唐突に今まであったぼんやりとした光以外の別の光が移動して来るのが見えた。
ハッとして顔を上げ、思わず耳を澄ました。すると微かに自分の名前を呼ぶ聞き慣れた声が聞こえる。
「陛下!」
思わず声を上げると、突然周りの景色が捲れて行くかの様に入れ替わる。森だったはずの場所が、周りには木がまばらにしかなくなり、すぐそこに街の建物が見え始める。しかも、空はすでに夜色を纏っており、先ほどまでの昼間の時間を示す様な空はどこにもない。
訳のわからない状況に目を瞬かせていると、気づくと目の前にレキアスがいた。
「フィネリア!!一体どこに行っていたんだ!!」
笑顔の仮面が崩れて、心配と怒りを感じる表情のレキアスを見て、フィネリアは安心した。
「いなくなったと報告があってどれだけ心配したと!」
まだまだ続きそうなお説教にも耳に心地いい気さえする。ただ、疲労感は半端なく、フィネリアはレキアスの腕を掴んだ。
「……、陛下、疲れました。お説教は、また今度」
そしてそのままフィネリアは疲れに身を任せ意識を手放した。
体力大事……。
そう最後に思い、意識が途切れた。耳にレキアスが名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。