2
ふと目が覚め、フィネリアは身を起こした。いつの間にかベッドの中心で寝ていることに気づいて驚く。
「おはよう」
横から声をかけられて思わずびくりと身を震わせる。声がした方に視線を向けると、そこにはレキアスがいて水を飲んでいるところだった。
「久しぶりに良く寝たよ。僕はもう行くけど、君はもう少し寝てると良い。そのうち、侍女の誰かに呼びに行かせるよ」
それだけ言うとレキアスはすっきりとした顔で、寝室から出ていった。
残されたフィネリアは、どうすべきか迷ったあげく、言葉に甘えて眠り直すことにした。正直、レキアスが近くにいると思うとあまりよく寝られず、頭が重たかったのだ。
どれだけか眠った後、寝室の扉がノックされた。フィネリアが返事をすると、見知らぬ若い侍女が入ってきた。
そうだ、もうニジエじゃないから。
年嵩の侍女はニジエから来た侍女だった。基本的にフィネリアは一人で嫁ぐように言われていたため、ニジエから人を連れてくることは許されなかった。結婚式のあと、彼女は国へ帰ったはずだ。
「カリーナ=クイネと申します。フィネリア様付きの侍女となりました。よろしくお願い致します」
綺麗な姿勢でそう挨拶した同じ年頃の侍女カリーナは、にこりと微笑んだ。レキアスのようなオーラは見えないが、表情に違和感もない。フィネリアは少しだけほっと息をつく。
「よろしく」
「はい。お顔を洗うための桶をお持ちしますね」
カリーナに世話をされて身支度を整える。この生活はニジエにいたころとさして変わらない。ぼんやりとしていても身支度は終わる。
「陛下からは、今日はゆっくり過ごすように言われておりますがどうなさいますか?」
何かしたいことがあるわけではなかったが、基本的なことができなければいけない自覚はある。
「城を案内してもらえるかしら。まだ全然頭に入っていないから」
「畏まりました」
カリーナに城内の説明を受けながら歩いた。
リンザリアの皇城は、全体としては四角の形をしており、中央には建物はなく、開けた場所になっている。四角に大きな塔が建っており、住居棟、執務棟、軍事棟、来賓棟があり、北側の棟同士の間に、玉座の間、謁見の間などがある。
城内を歩いていると様々な人に出会うが、皆心得たように、フィネリアのために道を開け、頭を下げる。当然と言えば当然だったが、フィネリアには、少し居心地が悪い。
そしてかなり広い城のため、全てをざっくり案内されただけでもそれなりに歩いた。
「こちらの奥に行くと、陛下の執務室ですが、寄っていかれますか?」
カリーナにそう言われて、フィネリアは迷った。新婚なのだから、夫の仕事場を見に行くというのは大事かもしれないと言うのと、邪魔にはなりたくないと言うのがあり、すぐに答えが返せない。そうしていると、カリーナの方が行くことを勧めてくれる。
「一度場所は把握された方がいいと思いますし、参りましょう」
カリーナに促されフィネリアも歩き出す。
レキアスの執務室は、バタバタと人の出入りが多いらしく、ひっきりなしに扉が動く。そんなところをできるだけ邪魔しないように、フィネリアは中へ入った。
部屋の一番奥にある執務机にいるレキアスは、側近たちと何やらやり取りしているようだが、フィネリアには会話の内容は聞こえない。ただ、煌びやかな笑顔の割に彼の周りに漂うオーラは、やや濁ったような黒色が表れている。
何か悪いことがあったのかしら。
会話も聞こえないためその内容を窺い知ることはできない。
カリーナは奥まで行きましょうと言ったが、フィネリアは邪魔したくなかったため、遠慮して扉の付近で止まった。しかし、目ざとくレキアスがフィネリアに気づくと、彼の方から歩いてきた。
「来てくれて嬉しいよ」
和かな笑顔にカリーナも微笑むが、フィネリアから見るととんでもない。近づくにつれて、黒いオーラが溢れてだして、それでもこの笑顔なんておかしすぎる。フィネリアは一歩後ずさった。
「どうしたの?」
笑顔で心配そうに聞いてくるそれは、フィネリアにとっては脅されているような気分になった。
来るべきじゃなかった、来てほしくなかったのね。
フィネリアは耐えられず、レキアスから視線を外し、踵を返し走り出した。
「え、フィネリア様?!」
カリーナが慌てたように声をかけたが、フィネリアは止まることができなかった。あの場にいたら、さらにレキアスを不機嫌にさせてしまいそうで、留まることはできなかった。
無我夢中で逃げ出したフィネリアは、カリーナを振り切ってしまったらしい。とぼとぼと特に当てもなく歩いていると、城内の中央へ出る扉を見つける。
先程までの城内の案内では外に出なかったが、やることもないので、フィネリアは思い切って扉を開いた。
城の中央は、屋根がなく吹き抜けている。どうなっているかと思えば、そこには沢山の緑があった。どうやら、庭園になっているようで、少し先に噴水が見える。
フィネリアは植物たちに惹かれて庭園に降りた。
そこには様々な花や木々が植えられており、フィネリアがあまり見たことのない花もあった。気候的にはニジエとそんなに変わりないが、やはり広大な帝国には、知らない植物も多いかもしれないなと思う。
庭園は静まり返っていた。フィネリアの知る庭園や森は自然と精霊で溢れていた。多様な属性をもつ精霊たちが、楽しそうにおしゃべりをしていて、基本はうるさいと言うのがフィネリアの感想だったが、ここには精霊の姿がない。昨日出会った精霊がここではとても珍しいことだったのだと理解する。
常に精霊はフィネリアの側にいた。人からの感情や態度につらくなったときでも、彼らは必ず彼女の味方だった。
心細さを改めて感じてしまい、フィネリアは噴水の淵に腰を下ろした。水を見れば水の精霊が見えるのが常だったが、今はただの綺麗な水だ。
フィネリアにはわからないが、精霊が気に入らないなにか環境要因がここにはあるのだろう。
精霊が居そうな場所に精霊がいないだけで寂しく感じる。うるさいと感じていたが、いなくなると静かすぎて不安になる。
腰掛けながらぼんやりとしていると、誰かの足音が聞こえ、フィネリアは立ち上がり警戒する。現れたのは、結婚式で挨拶をした覚えのある人物だった。
「こんなところでどうしました?」
話し掛けてきたのは、皇弟ミラード=リンザニアだ。レキアスの腹違いの弟だと聞いている。明るい茶色の髪に同じ色の瞳の彼は、レキアスと違い、オーラはないので、何を考えているかは正確にはわからないが、心配そうに話し掛けられた。
「少し、風にあたりたくて」
無難な返事を返しておく。フィネリアにはまだこの国の誰が敵で、誰が味方かわかっていなかった。そもそも、夫すら味方なのかよくわからない。
「そうでしたか。ここの庭園は、よく管理されてるんですよ。季節ごとで様々な花が咲きますから、それを楽しまれるのも良いと思います」
「今の見頃はなんでしょう?」
フィネリアは気まぐれで聞いてみた。
「そうですね、ラナキュリアと言う花びらの多い花が見頃です。あちらに色んな色のラナキュリアが咲いていますよ」
本物を見たことのない花の名前に見たくてうずうずしてきたフィネリアは、早くこのミラードと離れたかった。しかし、ミラードの方はそんな気がなく「ご案内しますよ」と、フィネリアに庭園の案内を始めた。
どうやらミラードは庭園に詳しいらしく、咲いている花や珍しい木についても説明をしてくれる。そして、色とりどりの花が咲き乱れる場所にくると、それがラナキュリアであると教えてくれた。
ラナキュリアの花は、多数の花びらを持っており、その花びらで球体のように見えるのが特徴のようだ。ニジエではあまり見かけない花に見惚れていると、ふいに感じるものがあり、後ろを振り返る。
するとそこには真っ黒いオーラを放ったレキアスがいた。思わず後ろに一歩下がると、花壇の煉瓦に足を取られバランスを崩す。
すぐ隣にいたミラードが腕を伸ばして支えてくれようとしたのだが、それを遮るようにレキアスがフィネリアを奪うように抱きよせる。
「危ないよ」
いつもの笑顔だが、オーラは黒いままだ。
「何してたの?」
「花を、見ていただけです」
フィネリアは黒いオーラが怖すぎて身を縮めることしかできなかった。自分に対してその黒い気持ちが向けられているのかと思うと恐ろしくてしかたない。
「ミラードが案内してくれたの?ありがとう。あとは私に任せて」
にっこりと深い笑顔でそう言うと、ミラードには言葉を発せさせず、フィネリアを連れて歩き出した。
しばらく歩くとレキアスが口を開いた。
「ミラードには、オーラはないの?」
「ありません。この城でオーラがあるのは陛下ぐらいです」
そう、オーラがあることも珍しいのだ。しかし、今までのフィネリアであれば、精霊たちの助言や小言で、オーラがない人についても、どんなことを考えているか、なんとなく知ることができた。
今はそれができないことに気づき、フィネリアは正直相手の良し悪し、敵味方が判断ができそうになかった。
「そうなんだ。じゃあ、この話の続きは寝室にしよう」
「……、え?」
「フィネリアには、お説教が必要みたいだ」
にこりと満面の笑みを浮かべるレキアスが、悪魔にしか見えなかった。