13(終)
ようやくレキアスの腕から逃れられたと思ったら、すぐに侍女に引き渡されてしまい、フィネリアは自由に行動することを許されなかった。カリーナも一緒に戻ってきていたようで、赤い目のまま他の侍女たちに指示を出している。
「カリーナ、休んでくれて良いのよ」
そう言ったが、カリーナが首を強く横に振る。
「いいえ、休んでいる場合ではありません。さぁ、フィネリア様、湯浴みを」
確かにそこかしこ汚れてはいるので、フィネリアは大人しくそれに従った。
静かに湯船に沈んでいたのだが、侍女の様子がいつもと違うことに気がつく。最近は、ほとんどカリーナが1人で世話をしてくれるのだが、今日は3人がかりで洗われている。
「ねぇ、カリーナ」
不安になり、声をかけるとカリーナは微笑んだ。
「ご心配なさらずとも大丈夫です」
その言葉にさらに不安が膨れ上がったのは言うまでもない。
そして予想通りというべきか、着せられたのはぺらぺらの薄い水色のシルクの夜着だった。胸元が不安すぎるそれは、あの日とは異なるデザインだが、紐を解けばすぐに落ちてしまうことに変わりは無い。ついでに以前より足の部分の布が薄い気がして心許ない。
これは、やっぱり陛下が望んだってこと??
いつしかと同じように夫婦の寝室に入れられたフィネリアは、ちょこんとベッドに座る。あの時は、わりと諦めがついていたし覚悟もしていたため、心はそれほど乱れていなかった。
でもなんか、今回は違う、かも。
どきどきと鼓動がいつもより早いのを感じて、思わず深呼吸をする。レキアスのことを全く知らない時とは違う、大事にしてもらっていることも、向けられている気持ちもなんとなく理解している。フィネリア自身も、レキアスのことを知り、信頼し始めている。
その状態で、この状態。自分の格好とこれから起こることを考えると顔が自然と赤くなる。
習った、ずいぶん昔に!知ってるけど!
心が完全に荒れていて、頭がまともに働かない。顔も熱いが、体も熱い。昔習った記憶を思い出そうとするたび、熱が上がっていく気がした。
「姫様〜」
くるんと風が回転して、顔の前にシルファが現れた。
「え、シルファ、どうしたの」
「ちょっと、遠くに行こうと思ってて。その前に、姫様の名前、ちゃんと覚えたいと思って」
以前もこうしてシルファが現れてくれたのが懐かしい。以前名前を伝えたときには興味が無さそうだったが、フィネリアをニジェラミエの姫とは別の人として認識してくれようとしているのだろうか。
「私の名前は、フィネリアよ」
精霊はあまり人の名前に興味がない。すぐにいなくなってしまう人の名前を覚えても仕方ないと言うのが彼らの考えである。そんな精霊である彼が、わざわざ名前を聞くために来てくれたことに嬉しくなる。
「フィネリア、だね。多分覚えた。僕今まで、ニジェラミエに行ったことがなかったから、ついでに行ってみたいと思って」
「そうなのね。たくさん仲間がいるわ。気をつけてね」
「ありがとう。王様にもよろしくね。あ、祝福はあげたよ!じゃあね」
それだけ言うと、パッと姿を消してどこかに行ってしまった。
「王様じゃなくて皇帝なんだけど、……興味ないか」
それと同時に、扉がノックされた。フィネリアはドキリとしながらも小さな声で返事をする。
扉が開き、中に入ってきたレキアスは、フィネリアの姿を見た瞬間、頭を下げ額を押さえた。
え、この格好やっぱり似合わなかった?
よく考えたら最初の時に初夜を迎えなかったのって、この格好が実は原因……。
内心ショックを受けつつ、フィネリアはいつもの無表情を崩さない。すると、近づいてきたレキアスが、彼女の肩に近くにあったショールを掛ける。
「すまない、僕の言い方がまずかった」
「どういうことですか?」
「カリーナに、フィネリアを綺麗にして寝室にって伝えたんだが、変に解釈されたみたいだ。すまない」
レキアスは、軽くため息を吐く。
「この格好、やっぱり似合いませんよね」
その言葉に、レキアスはカッと目を見開くと否定した。
「そんなわけない!むしろ今すぐ押し倒したい気分なのをなんとか理性を保って我慢してるんだが?!」
早口でそんな風に言ったレキアスに、フィネリアは固まったあと一呼吸おいてカァッと赤くなる。てっきり似合わないから呆れているのかと思っていたのだが、そうではないらしい。
「……、我慢してるんですか?」
「我慢してるよ」
レキアスが前に下りてきた髪を、少し恥ずかしそうな表情でかき上げた姿に、どきりとしてフィネリアは目を逸らす。
「嫌われたくないからね。フィネリアは、僕の気持ちは見えてるんだろう?」
今も明るい色のオーラが見えており、フィネリアはなんと返せばいいかわからない。
「私たちは夫婦です。我慢しなくても、いいのでは……」
そう言ったフィネリアに、レキアスは強く眉を顰めた。
「僕の理性を試してるのかな?フィネリアは悪い子だね」
「前から思っていたのですが、レキアス様は私のことを子供扱いしすぎです」
ムッとしてフィネリアは言い返すが、レキアスの目は小さな子供でも見るような目だ。
「……、私25ですよ」
「そう聞いてる」
「本当ですよ?!」
何故か疑わしそうな目で見られる。おかしい。
ベッドに腰掛けていたフィネリアの横に、レキアスが座る。
「じゃあ、おいで」
レキアスが隣にいるフィネリアに両手を伸ばす。どうしていいかわからず首を傾げると、抱っこからレキアスの膝の上に乗せられる。
ドレスの時と比べると布地が薄すぎて、直接触れているようで羞恥心が倍増する。一気に真っ赤になって俯いたフィネリアの頭を、レキアスがよしよしと撫でる。
ハッとして、フィネリアがレキアスを睨むと、楽しそうに笑われた。
「無理しなくていいよ」
「無理じゃありません!」
「僕はもういつでも、抱きたいよ」
真剣な表情でそう言われて、フィネリアは固まった。こんなことしてるから、子供だと思われるのだと思っても、どうにもならない。
「フィネリア、もう危険なことはしないでほしい」
それは、あの黒い物体に入った時に言われた言葉だ。出たら約束すると言った手前、フィネリアは頷くしかない。
「必ず何かしたいときは相談して。僕がダメなときは、サディスやカリーナでもいい。やろうとしてることがどんなことか、せめて話をして欲しい」
レキアスの真剣な表情に、フィネリアは素直に頷いた。
「サディスとカリーナは、正直生きた心地がしなかったと思うよ」
フィネリアは、何の説明も、なんなら脱出する目処があることすら告げずに行動した。フィネリアが消える瞬間を見た2人はとても衝撃的だったに違いない。
「ごめんなさい」
フィネリアが謝ると、またレキアスがよしよしと頭を撫でた。
「フィネリアの行動力はすごいと思う。結婚して数日で視察に行こうと思うし、のんびりして欲しいなと思ってるのに、国の問題を解決するきっかけを見つけてくれるし」
レキアスはこれまでのフィネリアの行動を思い出すように話す。
「こっちは、なんとか君との時間を作ろうと必死なのに、解決の糸口見つかっちゃったから、放っておくわけにもいかないし」
あれ、結局またお説教されてるパターン??
「……、でもありがとう。お陰で助かったよ。正直どうしていいかわからなかったんだ。まさかこんなに早く進展するとは思わなかった」
もう一度「ありがとう」と側で囁かれ、フィネリアは赤くなって俯いた。
お礼を言ってもらえるのが嬉しい。
少しでも役に立てたなら嬉しい。
そんな気持ちがフィネリアの心の中を飛び回る。嬉しい気持ちが溢れて、自然と口元が微笑みを浮かべる。
そんな彼女をみたレキアスが、少し切なそうな顔をして提案した。
「抱きしめても?」
恥ずかしい気持ちがありながらも、穏やかな微笑みで、フィネリアは小さく頷いた。すると大きな両腕がゆっくりと優しくフィネリアを包んだ。
抱き上げられるときと違い、全体にレキアスの熱を感じて温かい。嫌な感じは全くなく、ホッと安心できた。
おずおずとフィネリアもレキアスの背中に手を伸ばして抱きしめ返すと、レキアスの抱きしめる力が強まった気がした。
ぽかぽかした幸せな気分を感じて、フィネリアは自然とにこにこと微笑んだ。
しかし、突然がばりとレキアスから引き離される。
「フィネリア!熱があるんじゃ?!」
慌てたレキアスがフィネリアの額に手を置く。
「熱い」
レキアスが一瞬で青ざめると、膝に乗せていたフィネリアをベッドに寝かせ、布団をかけると「カリーナを呼んでくるから!」と部屋を出て行ってしまう。
レキアスの姿が見えなくなり、寂しいなぁと感じながら、フィネリアは目を閉じた。
***
「最低だ」
レキアスの反省会に参加させられるサディスは毎回律儀に付き合っている。
「まぁ、頑張ってくださいましたからね」
「そう!それなのに!なんて最低な……。抱きしめるまで気づかないなんて。いや、あんな悩殺的な格好してたらダメだろう!他に目がいかなくなる!」
「カリーナに注意しておきましょうか」
「……、いや、いい」
いいのかよとつっこみたかったが、サディスは言葉を呑み込んだ。今日自分がやらかしていることを考えると言えることはない。
「騎士を何人か候補にあげてみました」
「当然女性だろうな?」
きらりと目を光らせたレキアスにサディスは冷めた視線を返す。
「……、やり直します」
ため息をついたサディスは、それでも楽しそうに笑う。
「まさかお前がそんなに奥方に夢中になるとは思わなかったよ」
「僕もそう思う。普通に仲良くできればいいなと思ってたぐらいなんだけど。わかんないものだね」
窓から見える星の瞬く空を、レキアスは静かに見つめた。
***
結局、あの黒い人工物は、工事の記録通りの場所に全て埋められており、2週間かけて全て掘り起こされ取り出した。ただ、レキアスもまた吸い込まれるようなことが起きてはいけないと、全く近づくことは許されなかったらしい。サディスの指示で、壊れたもの以外の6つの物体が掘り出された。
その取り扱いについては、フィネリアも相談された。彼女はサディスよりさらに遠くから見る必要があるとされたが、自分の安全な範囲は自分でわかるため、見ることを許された。
「あの時の1つ以外は、特に吸い込まれるような要素はありません。近づいてもなんらかのエネルギーを持つ物体が吸い込まれるようなことはなさそうです」
「そうなのか?」
「おそらく、基本はエネルギーを吸い込むだけの仕様だと思います。何かが原因で異常が発生して、あのように物体まで吸い込むようになってしまったのではないかと」
フィネリアの答えに、レキアスが腕を組み眉を寄せる。
「無闇に壊すと危険か?」
「いえ、むしろ物理的に壊した方がいいと思います。今のここにある間もエネルギーを吸い続けています」
「物理的と言うのは、本当に物理的に?」
「はい、力技で。シルファが言ったようにこの物を作るのは闇の精霊が協力しているみたいですが、物自体は人間が作っています。壊しても問題ありません」
その後、フィネリアの言葉通りに、残っていた6つの物体もレキアスの指示で破壊された。壊れる時は、案外あっさりとガラスのように砕ける。
1つ目と同じように、まるで雨のようにキラキラと光る粒子が地面へ吸い込まれていくのが、フィネリアには見えた。
それから、目に見えて穀倉地帯は変わっていった。
ただ、その黒い物体を埋めた意図や仕掛けた人物の特定はできていない。
「精霊を特定するのは難しいです」
流石のフィネリアも闇の精霊の力というだけでは、精霊を特定できない。フィネリア自身もほとんど闇の精霊には会ったことがなかった。
「普通に考えれば、先帝が行ってるんだが、自分の土地が死ぬことを良しとはしないと思うんだ」
他国に戦争を仕掛ける交戦的なタイプの皇帝ではあったが、統治を怠っていたわけではない。
結局、真相は解明されないままとなった。
すっかり体調の良くなったフィネリアは、初めてレキアスと夕食を共にしていた。同じメニューのはずなのに、レキアスの皿の肉の量が異常だ。ついでに言うと、全く野菜は食べている様子がない。
なんだか小さな子供みたい。
フィネリアはニジエにいる歳の離れた弟を思い出した。彼も野菜が嫌いな子だった。13歳だが。
「レキアス様は、あの日危険な目に遭うと予想して、わざわざ視察に行くことを言いに来てくれたんですか?」
何気なくフィネリアは思い出したことを話してみると、レキアスが咽せた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。視察自体は、別に危ないとは思っていなかった。まだ埋められたものを確認するだけで、掘り出したりするつもりはなかったから。君のところに行ったのは……」
目を逸らされたので首を傾げると、レキアスが仕方なく口を開いた。
「単純に会いたかっただけだよ。伝えることも有れば好都合だろう?」
その言葉に、フィネリアの方は赤くなる。そんな2人の様子を、控えているカリーナとサディスが微笑ましく見ていた。
「視察じゃなく今度は旅行に出掛けよう」
「旅行ですか?」
「新婚旅行に行ってないだろう?」
「陛下は忙しいですから、無理に行かなくても」
フィネリアの言葉に、レキアスが黙る。沈んだような灰色のオーラが出てきて、フィネリアはしまったと思う。
「い、行きたいです旅行!」
パッと表情が明るくなったレキアスに、フィネリアはホッとする。
「そうか、どこに行きたい?」
「自然の多いところだと嬉しいです」
「良いところを考えておこう」
最近のレキアスは、オーラを自在に操っているようにも思える。わざとオーラを出してフィネリアに見せているような気がして、思わず疑いながら彼を観察すると、寝室でもないのにレキアスが少し黒い笑みを返してくる。
「どうした、フィネリア?」
「……、なんでもありません」
勝てない気がして、フィネリアは首を横に振った。
この歳上の夫には一生勝てない気がする、そう思いながらフィネリアは敢えて指摘してみた。
「お野菜食べた方がいいですよ」
するとレキアスは、にこりと笑って言葉を返す。
「フィネリアが食べさせてくれたら食べるよ」
絶対やらないだろうと言う確信を持った言い方に、フィネリアはカチンときた。持っていたカトラリーを置き、フィネリアは立ち上がる。
正面にいたフィネリアはレキアスの隣に立ち、滅多にしない作り笑顔を向けると、彼のカトラリーを手に取り、野菜を勢いよく突き刺した。
ざくりと刺さった緑の野菜が痛ましい。
「陛下、口を開けてくださいな」
フィネリアの怒りを含んだ笑顔にレキアスは、何度も謝ったが許されることはなく、今回の食事の野菜を全部食べさせられたとか。
そんな様子の2人を侍女と側近が笑いを堪えながら見ていた。
とても大好きなキャラたちになり、楽しく書けました。
書き足りないなと思う部分もありますが、一応完結とさせて頂きます。
最後まで読んで下さりありがとうございました!