12
「綻びだと、思う」
シルファがそれに向かって両手を向けると渦に向かって直線的な強い風が起き、一瞬粒子が吹っ飛び空間を散らばる。しかし、すぐに別の粒子で紫色の渦は再び回り始めた。
その時、シュルシュルと断続的に大きな音が箱の中に響き、足元が揺れた。
「なんだ?!」
「わからないよ!」
シルファも音に驚いたのか、レキアスの肩にしがみつく。
シュルルルとだんだん音が小さくなると同時に、大きな落下音と共に、「きゃっ!」と小さな悲鳴が響く。その声にレキアスとシルファは顔を見合わせて反応する。
「フィネリア!?」
「姫様!」
目の前に現れたのは尻餅をついたフィネリアだった。その姿を見るとシルファはパッとレキアスの肩から離れ、フィネリアに近づいて嬉しそうに周りを飛び回る。
「姫様も吸い込まれたの?!」
「まぁ、そんな所」
誤魔化すように返したフィネリアにも、シルファは嬉しそうだ。
一方のレキアスは、シルファとは違う反応を見せていた。いつもの笑顔の表情すらなくなり、明らかな怒りの感情を見せている。
「サディスとカリーナは何をしていた?どうして君までここに来るんだ?少なくとも城にいたはずだろう?」
レキアスがあの黒い物体に近づいて消えたことはわかっているはずなのに、何故同じことを繰り返したのか。彼女の安全を第一とするように側近たちには言ってきたつもりだった。
「陛下が行方不明と聞いて居ても立っても居られませんでした」
フィネリアは案外あっさりとそんなことを言ってみせる。逆にそう言われたレキアスの方が面食らう。
「私がお伝えした情報で、陛下の身に何かあったら、私は私が許せません」
いつものあまり表情の無い顔で、フィネリアはそう言った。そして、周りを飛び回るシルファをひょいと捕まえる。
「姫様って結構精霊の扱いが雑だよね」
ぷらーんと持ち上げられたシルファがそんな感想を洩らす。
「君に何かあったらどうするんだ」
「その言葉、そのままお返しします。私より陛下の方がよっぽど重要です」
怒気を含んだレキアスがフィネリアの側に歩いて来る。
「僕は、君のことを大切に思ってる。そんな風に言わないでくれ」
怒りの中に悲しみが含まれた様子に、フィネリアは口を閉ざした。
「フィネリア、頼むから危険なことはしないでくれ」
懇願するように言うレキアスに、フィネリアは答える。
「ここから、出られたらお約束します」
フィネリアの言い方に、レキアスが眉を顰める。
「出られる確証が?」
「私だけでは無理ですが、シルファと陛下が居れば」
「名前」
それ今必要です?!と思ったが大人しく言い直した。
「……、シルファとレキアス様が居れば、なんとかなります。あとはこの場所にある力を貰いましょう」
フィネリアは自分の考えをざっくりと伝え、やって欲しいことをそれぞれお願いする。
「じゃあ、シルファいい?」
「いいよ〜」
フィネリアはそっと目を閉じる。まっくらな中に、様々な色の力を感じる。この中にはこの物体を作ることに協力した闇の精霊の力だけではなく、この中に吸い込まれたと思われる色んな力があった。その力を自分の手元に集める。
フィネリア自身はそれほど大きな力を持たない。何かをするときには、基本的に精霊の力を借りる必要がある。しかしここは、力が意図的に集められた場所。その力を少々拝借する。
力が集まったところで、少し目を開けてシルファに視線を送る。それに気づいたシルファが、両手を突き出し紫色の渦へ風を出すが、先ほどとは違い、直線的な風ではなく、紫色の渦に対して反対に回転する風を送る。徐々に渦は元の回転が弱まり始めた。
それを見たフィネリアが、集めた力をシルファが使えるように、彼の方へ少しずつ注いでいく。元の回転がゆっくりと止まり、シルファの風の力で逆の回転を始めた。すると辺りに浮遊していた紫色の粒子が吸い込まれ始める。
「レキアス様!」
フィネリアが名を呼ぶと、鞘から剣を抜いたレキアスが綻びの渦に向かって力強く剣を突き刺した。
剣が深く刺さると、次第に綻びが大きくなり渦自体もその姿が綻びの大きさに合わせて大きくなり、やがて3人はその渦に吸い込まれた。
どこかから飛び出すような感覚で浮遊感を感じ、フィネリアはぎゅっと目を閉じた。衝撃が来ることに身を構えたが、いつまで経っても痛みは来ない。
代わりに誰かに抱き止められたことに気づき、慌てて目を開けると、すぐ側にレキアスの顔があった。
ひっ!とびっくりして、身をすくめるとレキアスが笑った。
「それはひどくないか?」
「ご、ごめんなさい。びっくりして。ありがとう、ございます。重いので下ろしてください」
「軽いからこのままで」
そんな2人が現れたのは黒い物体が埋まっていた場所のすぐ近くだった。周りに騎士たちや、サディス、カリーナもそこにおり、突然現れた2人に大層驚いた様子だったが、誰もが無事に戻ったことに喜び歓声を上げた。
「フィネリア様!」
カリーナはすぐに側に寄ってくると泣いていたのか、目が真っ赤に腫れていた。サディスもカリーナと同じように追ってきたが、すぐに跪いた。
「申し訳ございません」
レキアスを危険に晒したこと、フィネリアすら巻き込んでいること、様々なことを考慮しての謝罪なのだろう。レキアスはいつも通りの仮面を戻しているが、その内心はわからない。
「フィネリアは思っていた以上に行動力がありそうだ。カリーナだけでは止めきれないみたいだから、これまでの護衛とは別に専属の護衛騎士を選定してくれ」
そういったレキアスにサディスが顔を上げる。それで終わりなのかという顔だ。
「今回については、私も軽率だった。残りの場所については、もう一度実施方法を検討した上で確認しよう」
「承知いたしました」
いつまでこの状態なんだろう。
フィネリアはレキアスに所謂お姫様抱っこをされたまま身を固くしていた。さっさと下ろしてくれれば良いのに、レキアスはそのまま側近たちに指示を出している上に、誰もそこにツッコミを入れない不思議な状態だ。
「愛されてるね〜」
先ほど一緒に飛び出したはずなのに、軽いせいかどこか遠くまで吹っ飛ばされたシルファがようやく戻ってきた。2人のそんな姿を見ての最初の一言がそれだ。
「そんなんじゃない」
フィネリアが小さくそう返すと、シルファが不思議そうに首を傾げる。
「なんで?姫様は見えてるでしょ」
シルファの言葉に、フィネリアは言葉を詰まらせる。
そう、先ほどからずっと見えているレキアスのオーラが気になっていた。
あまりフィネリアが人に向けられたことはない、明るく淡い赤やピンクに近い色。意味を考えたくなくて見ないふりをしているのに、シルファが指摘したせいでフィネリアは1人真っ赤になる。
そんな様子のフィネリアにシルファはくるくると飛び上がった。
「人間は難しいね」
「精霊だって難しいでしょ」
なるべく指示の邪魔をしないように小声で話をしていたが、頭上から声が落ちてくる。
「もしかして、シルファがいるのか?」
レキアスの言葉に、フィネリアは彼の顔を見ずに頷いた。とても見れる状態ではない。
「シルファに帝国に雇われてくれないかって聞いたんだが、良い返事がもらえなかったんだ」
「雇う、ですか?」
「精霊は雇えないのか?」
「どうでしょう。あまり聞いたことがないですが」
変わったことを言い出すレキアスに首を傾げる。
「僕は国に雇われたりはしないよ。だって、人の寿命は短いもん。すぐにいなくなっちゃうでしょ2人とも」
シルファはくるりとレキアスとフィネリアの頭上を回った。
確かに精霊の寿命と比べると人間の寿命はかなり短い。今だってシルファの見た目は子供だが、おそらく2人よりずっと長い時間を生きている。
「精霊は好きな人のためには力を貸すけど、近しい人が生まれても全然違う人でしょ?」
国に雇われてしまったら、国が続いても人はいなくなる。レキアスやフィネリアはいずれいなくなってしまう。そういうことをシルファは言っているのだろう。
「シルファは陛下のことは好きなのね」
「まぁ、普通の人間にしては嫌いではないかな」
「そう、じゃあ、陛下が困っている時に助けて差し上げて」
「でも、この人僕のこと見えないよ」
「いいの、本当に困ってる時に、できる範囲で、あなたの意志で」
シルファはフィネリアをじっと見つめると、「わかったよ」と言って、ひらひらと羽を揺らしながら飛んで行ってしまった。空を見上げたフィネリアを見て、レキアスが口を開く。
「私は、シルファにフラれたか」
フィネリアは首を横に振った。
「困った時には、きっと助けてくれますよ」
「でも、君が呼んだらすぐに来るんだろう?」
「声が届く範囲でしたら多分」
「私にも見えればいいのにな」
羨ましそうに言ったレキアスに、フィネリアは笑った。
2人が飛び出した黒い物体は、レキアスが突き刺した場所から徐々にひび割れが広がり、最終的にまるでガラスが割れるように大きく砕けた。フィネリアから見ると、紫色の粒子と靄が霧散していくのが見え、それが持っていた機能がなくなったように見えた。
そして、中に残っていた生命エネルギーのどれだけかは、周りの土地に戻って行くのが見えた。まるで空から降る雨のように、様々な色の粒子がキラキラと落ちながら大地に染み込んでいく。
「少しずつ回復していくかしら」
割れた黒い物体を見つめていたのがわかったのか、レキアスが声をかける。
「何が見えたんだい?」
「……あの中に閉じ込められていた力が土地に戻っていくのが、見えました」
「そうか」
「ただ、結構私がさっき使ってしまった分もあるので……」
「それはしょうがないな」
レキアスの側近たちへの指示も落ち着いた所で、再度提案してみた。
「陛下、……レキアス様、そろそろ下ろしてください」
フィネリアは注意されないよう自ら言い直した。するとレキアスが嬉しそうに笑う。
「良い心がけだね。だが、下ろさない」
「意味がわかりません!」
「サディス、後は頼んだ」
それだけ言うとレキアスはフィネリアを連れてそのまま城へと戻った。
馬車に乗ったら流石に下ろしてくれるだろうと踏んでいたのだが、まさかのそのままだったことにフィネリアは、ずっと身を固くしたまま身動きが取れずにいた。
お姫様抱っこから、レキアスの膝の上に乗っている状態で、フィネリアは目を回しそうだった。
「そんなに固くならないで」
笑顔で言ってくるレキアスに、フィネリアはぷるぷると首を横に振るしかない。
「頑なだね。まぁいいか」
すっかり外は、闇の天幕に包まれていた。