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和平協定の証として、大陸最大領土を持つリンザニア帝国の皇帝と、古の力を抱く国とされる小国、ニジエ王国の第一王女の婚姻には、周辺の国々から驚きと疑問の声が多く上がった。
「私も疑問だけど」
「姫さま」
今鏡台の前に座り最後の化粧の仕上げをされている、淡い金色の髪に紫色の瞳を持つ女性こそ、今日結婚式を迎えるニジエ王国の第一王女、フィネリア=ニジエである。その表情はにこりともせず、無表情に近い。一緒にいた年嵩の侍女に注意され口を閉じる。
「今日は、人生で最も素晴らしい日になるでしょう」
フィネリアは何も返さなかった。そんな訳ないと思いながらも。
(素晴らしい日?まぁ、皇帝からしてみれば、そうかもしれない)
この結婚は、当然政略結婚だった。両国の和平協定の証としてと言うのは、理由のうちの半分だ。もう半分は、古くからここにあるニジエ王国の血を受け入れることで、周辺諸国の反発を抑えようと言う思惑がある。
ニジエ王国は、この周辺国で信仰が盛んな宗教の聖地があり、その祖はニジエ王家に縁があるとされており、宗教的価値の高い国である。
ニジエを併合してしまうと、周辺国からの反発をくらうのは明らかだった。だから、ニジエは残した上で、その血を受け入れ、自分の国の価値を高めることを選択したのだと言われている。
そしてその花嫁として白羽の矢が立ったのが、唯一王族で結婚をしていなかった、第一王女のフィネリアであった。
すでに25歳と言う歳であり、妹たちはとうの昔にみんな結婚していた。他に誰もいなかったのだ。
(こればかりはしょうがない。むしろリンザニアの皇帝が可哀想よね。私なんかと結婚しなきゃいけないんだから)
25歳は、すでに結婚適齢期を大幅に超えていた。フィネリアの方は、もう結婚する気など全くなかった。このまま自国で結婚もすることなく、生を全うすると思っていたのに、ここに来てまさか、あの帝国に嫁ぐことになるなど思いもよらなかった。人生は何が起こるかわからない。
「さぁ、姫さま、お時間ですよ」
フィネリアは促されて立ち上がる。
今彼女は真っ白なドレスに身を包んでいた。裾が波打つように幾重にもレースが重ねられており、腰からなだらかに広がっていく。薄いベールが頭の上から掛けられており、まさしく花嫁そのものだった。
侍女に手助けされながら控室を出ると、そこにはフィネリアと同じく真っ白な服を身に纏った、深い夜色の髪に同じ色の瞳を持つ男性がいた。端正な顔立ちに、柔和な雰囲気を持つ彼こそが、今日フィネリアと結婚する、リンザニアの若き皇帝レキアス=タラス=リンザニアだった。
まだ若干32歳と言う若さで皇帝の座に就いている彼は、フィネリアを見ると優しく微笑んだ。
「とても綺麗ですね」
穏やかに微笑む姿は誰もが羨む結婚相手だった。しかし、フィネリアはこの笑みを見るたびに眉を顰めた。そして、今も顰めている。しかし、レキアスの方は、そんなフィネリアを気にする様子もない。彼女にさっと腕を出し、エスコートする。誰が見ても完璧な王子様のような皇帝だった。
(どう見ても笑顔の仮面なのに)
フィネリアには、レキアスが笑っているように見えたことがなかった。しかし、この皇帝のことを、民衆や城で働く者たち、側近すらいつも穏やかに微笑む、柔和な皇帝だと言うのだ。
結婚式は、リンザニアにある大聖堂で行われた。入り口で入場を待つ間に、レキアスがフィネリアを見ずに口を開いた。
「貴女がこの結婚にあまり積極的ではないのは理解しています」
フィネリアは言葉が聞こえたが、聞こえないふりをした。
「この結婚を取りやめることはできませんが、絶対に不自由はさせません」
(結婚こそが枷なのだから、その時点で不自由な気がするけど)
フィネリアはそんな反論を心の中でした。そう言う意味で言っていないと理解はしていたが、納得はできない。帝国の財力を以てすれば、フィネリアが豪遊したところで、大したことはないと言うことなのだろう。
「だから、諦めて私と結婚してください」
たぶんまたあの笑っているような仮面をつけているのだ。見るたびにフィネリアは眉を顰めたくなる。その仮面を見ないためにも、レキアスとはなるべく目を合わせない。
だから、フィネリアは聞こえないふりをして、その言葉に何か答えを言ったりはしない。レキアスもそれ以上何か言うことはなかった。
フィネリアは自分が国外へ出ることを想像してこなかった。彼女の持つ特質上、父親である国王も彼女を外へ出そうとは考えてはいなかったはずだ。フィネリア自身もそう認識していた。
しかし、この結婚は、国のためにやむを得ないと判断した結果、今この場にフィネリアはいる。
神官たちの声が響き、聖堂内へ入る扉が開いた。目の前には真新しい真紅の絨毯の道が敷かれており、祭壇前へ続いている。
大勢の来賓たちが見守る中、レキアスと腕を組んだ状態で、フィネリアは諦めと決意の一歩を踏み出した。
(私は、これから帝国で生きていくのよ)
静粛な式を終えると、大聖堂の鐘が大きな音を立てて、新しい夫婦の誕生を祝った。
***
式の後は、城内での祝賀パーティーが行われた。様々な料理や飲み物が振る舞われ、誰もがその結婚に対してお祝いムードだと言うのに、肝心の花嫁は全く微笑んでいなかった。
会場で、皇帝と並んで座っているフィネリアは、まるで夜空の星のように小さな宝石がたくさん飾られた、濃紺のドレスに身を包んでいた。明らかにこの場の主役の格好ではあったものの、その顔に笑みはなかった。
結婚を寿ぐ貴族たちに受け答えはするももの、幸せそうな笑みがなく、次第に貴族たちも離れていく。
一方の皇帝は常に笑みを浮かべており、幸せそうな雰囲気を1人で作り出している。その皇帝の態度に、「さすが」だと言う者もいれば、「あんな花嫁で可哀そう」と言う者もいる。
「結婚式だけで、疲れてしまうよね」
そんなことを言いながらレキアスは、フィネリアに話しかけては、心配そうに料理や、ワインを薦める。フィネリアは断ることはなく、それを食したり、受け取ったりするものの、そこには幸せな花嫁という姿はなかった。
花嫁が笑わないと言うその一点以外は、パーティーは恙無く行われ、夜更けに幕を下ろした。
そして、新婚夫婦にとって大事な一夜。当然ながらこの2人も同じである。
侍女たちの手により身を清められ、淡い水色のシルクでできたペラペラな夜着を着せられ、フィネリアは夫婦の寝室に入れられた。
諦めて結婚はしたし、この夜の意味を頭では理解はしている。自分を見下ろすと、かろうじて足元までの長さはあるものの、紐で縛られたところを解いたらすぐに脱げてしまうような夜着が見える。
フィネリアがベッドに腰を下ろし、大きくため息をつくと、彼女の肩の近くにで、くるんと何かが回った。
「あれ〜うわ〜、もしかしてニジェラミエのお姫様?」
フィネリアの目には黄緑色の綿毛のような光の中に、精霊の姿が見えた。小さな男の子のように見える見た目に、黄緑色の髪と瞳に、身につけている服や靴も黄緑色だ。
小さな茶色のリュックを背負った精霊は、フィネリアのことを色んな角度から見始める。
「噂では聞いたことあったけど、初めて見た〜。わ〜、でもなんでこんなところに?」
きらきらと目を輝かせて見てくるその存在に驚きつつも、フィネリアは近くにあったお菓子を手渡す。
「食べていいの?嬉しぃー!」
この世界には精霊と呼ばれる存在がいる。しかし、誰にでも見えるわけではなく、今はその姿が見える者は少ない。
ニジエ王国は、諸外国と比べると圧倒的な精霊の数の多さを誇る国であった。精霊の数は土地の豊かさを決める。ニジエ王国は、精霊のおかげで自然による災害をほとんど受けないとされる稀な国であった。それが、ニジエが宗教上の祖と言われている所以である。
そして、現在の王族で唯一精霊を見ることができたのが、フィネリアだった。
「ここに来てから初めて見たわ」
フィネリアは思わず笑みがこぼれる。
「この土地に基本的に僕たちは来ないからね」
「あなたはどうしているの?」
「僕は色んな土地を見て回るのが好きなの。今も旅をしてる最中。でも、ここらへんは殆ど土地が死んじゃってるから、ま、精霊も避けるよね」
むしゃむしゃと美味しそうに食べながら話をする精霊は当然とばかりに答えた。そんな返事に、フィネリアは眉を寄せて聞き返す。
「死んでるの?」
「死んでるよ」
精霊はハッキリとそう言った。
フィネリアが結婚のために見た帝都は、とても華やかな場所だった。家々の屋根は赤色に統一されており、城から見るその景色は圧巻だ。人々も賑わい活気がある。
そんな街の様子を思い出しながら、フィネリアが悩んでいると、精霊はお菓子を食べ終わったらしく、背筋を伸ばす。
「お菓子ありがとう、じゃあね〜」
もう少し話を聞きたかったが、気まぐれな精霊を引き止めることは今のままではできない。手を振られたので、手を振りかえすと、そこで扉がノックされた。
同時に黄緑色の精霊はサッと霧散するかのように、移動していった。
扉が開くと入ってきたのは当然、フィネリアの夫となった、この国の皇帝レキアスである。相変わらずの貼り付けられた笑みに、フィネリアはうんざりして目を逸らした。レキアスはそれすら気にする様子もなく、フィネリアの隣に腰掛ける。
「疲れた?」
にこにこと微笑みながら尋ねてくるレキアスにフィネリアは、理解できなかった。その笑みの仮面をつけている方がよっぽど疲れるのではないかと。
「陛下の方がお疲れでは」
「私は大したことないよ」
笑みが深まった気がして、フィネリアは耐えきれなくなり、視線どころか、そっぽを向いた。その様子に少しレキアスが苦笑する。
「私は嫌われてしまったようだね」
フィネリアは返す言葉を持ち合わせてなかった。嫌いだと思えるほどレキアスのことを知らないが、この表情は嫌いだった。
「その表情、どうにかなりませんか」
フィネリアの言葉に、レキアスは心底不思議そうな顔をした。首を傾げてなんのことだろうと言う顔をしている。
「その貼り付けられた笑顔を見せられるのが、辛いです」
無表情に近いフィネリアが言うことでもないかもしれないが、耐えられそうになかった。レキアスは、その言葉を聞くと笑った。それを見て一瞬フィネリアはびくりと反応してしまう。あまりにもそれまでと違う笑みだったからだ。
「まさかそんなこと言われるなんて心外だなぁ。笑顔の素敵な皇帝と言われることも多いのに」
急にレキアスの表情が歪んだ気がして瞬きをすると、ふと体が後ろに倒れる。白いベッドの上に、金色の長い髪が広がり、紫の瞳は訳がわからず、ぱちくりと瞬きを繰り返す。
「今、何のために一緒にいるかわかってる?」
声は真上から降ってきた。レキアスの表情が、フィネリアを少しバカにしたように笑んでいる。
「あ、その嫌な感じの笑みの方が、似合ってます」
冷静に言ったフィネリアに、レキアスの表情に怒りが追加された。
「放つオーラと一致しているので、そちらの方が自然で良いと思います」
淡々とした感想に、レキアスは呆れた顔を見せた。真上から見下ろしたまま、じっと見つめられたが、レキアスは少しすると「やーめた」と言い、ごろんとフィネリアの横に転がった。
「フィネリアは、精霊が見えるとは聞いてたけど、人の感情とかも見えるの?」
「誰でも見えるわけではないです。オーラが強い人の感情は見やすいです。陛下はとてもわかりやすいです」
「……だから、僕の表情に文句をつけてくるわけか」
フィネリアから普段のレキアスを見ていると出ているオーラと表情の差が激しすぎて頭が混乱する。どの感情であっても、表情が変わらないため、フィネリアから見ると笑顔が張り付いている人に見えるのだ。
「なるほどね」
レキアスは納得するとため息をついた。
フィネリアはどうしていいかわからず起き上がり、隣で寝転んだままのレキアスを見ると目があった。今は感情が凪いでいるのか、レキアスからは何も感じない。
フィネリアはたしかに精霊が見えるが、感受性が豊かで、他の人が感じないものを感じ取ることもできた。精霊の多く住むニジエではその価値は高く見られ、一部ではニジエの聖女として崇められるようなこともあった。
そのため、この結婚に強く反対する者たちも一部いた。しかし、王家には他に花嫁になり得る女性もおらず、結局はフィネリアが嫁ぐことになったのだ。
とは言え、みんながみんな私をよく思うわけじゃない。
他の人と異なる能力があると言うことは、人から嫌な目を向けられることも当然あった。それは王族であっても変わりない。
レキアスと同じように意志の強い人などは、感情が見えてしまうため、それをうっかり口にしてしまうと、「気持ちが悪い」「気味が悪い」と避けられることもしばしばあった。
次第にフィネリアも理解して行くが、幼い頃は何故見えていることを口にしてはいけないのか、理解できなかった。徐々に理解してからは、相手のことがオーラや精霊たちの助言などからわかっても、それを表情に出さないために、フィネリアの方が感情を無くしていった。
ただ、今回は結婚だ。何か大きなことが起こらない限り、フィネリアはここで、レキアスの隣で生きることになる。自分に見えていることを、不快に感じてしまう理由を伝えておかなければ息が詰まってしまう。これを伝えて、レキアスが離れていくならそれはそれでいいと思った。最初から諦めていれば、期待することもない。近くにいなければ、感じることもない。
「僕はこの皇帝としての人格を変えるつもりはない。内心どう思っていようが、人前では笑顔で、穏やかな皇帝でいたいと思っている。だから、君がどう言おうが、変えることはできない」
その答えにフィネリアは仕方ないなと思う。何らかの意図があってそうしているのは、理解できる。皇帝となれば尚更だ。
「わかりま……」
「ただ、周りに誰もいなければ、君の前ではなるべくこの仮面は外そう。まぁ、主にこの寝室になりそうだけど」
その言葉に、レキアスを見た。相変わらず寝そべったままで、フィネリアに視線だけ向けてくる。
「あまり笑顔を取ることはないから、多少はできない時もあっても許してくれ」
夫婦2人の寝室であれば誰にも見られることはないという意味だろう。
レキアスは、大きくため息をつくと、表情を崩した。その表情はとても疲れているように見える。
「今僕が考えてることわかる?」
「眠い」
「正解。この日のために無理して仕事を片付けて、ほとんど寝られてないんだ。ホントは良くないと思うけど初夜を急いでもいないし、お互い疲れてるし、寝よう。おやすみ」
そう言って、レキアスはそのままベッドで倒れるように寝てしまう。5分後には寝息が聞こえてきて、フィネリアはどうしていいかわからなかったため、できるだけレキアスから距離を取ったベッドの端で身を小さくして眠った。