召喚6
「クラリス様」
「クラリス様」
知らない人から声をかけられる。
その目には何も映っていない。人形のような男女に取り囲まれ、ずっと「クラリス様」と呼ばれ続ける。圧迫感で苦しくなり
「私は、クラリスじゃない!」
叫んで目が覚めた。涙で視界が滲む。息が荒い。動悸が激しい。まだ、夢の中のような気がして不安になる。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
ミランダの声に、ホッとする。少し身体を起こすと、目眩がする。じっと耐えていると、
「お嬢様、召喚酔いが始まったようです。無理はしないでくださいませ。何かございましたらお呼び下さい」
ミランダが私の手を取った。冷たい手が気持ち良かった。
「お水を飲まれますか?」
「お願いします。あ、あの私の事は、名前で呼んで構いませんので」
「では、リオ様と呼ばせていただきます。…お手を失礼します。水でございます」
手に水の入ったコップを握らせてくれて、そのまま手を添えた状態で水を飲む。力があまり入らなかったので、助かった。冷たい水が身体に染み渡る。余程喉が渇いていたのか、あっという間に飲み干した。
「ありがとうございます」
コップを返し、再び横になって初めて服が変わっていることに気づいた。ゆったりとした寝間着だった。
あ、この刺繍可愛いなぁと袖の刺繍を見ている内に眠っていた。
召喚酔いを侮っていた。
乗り物酔いもしたことがないので、正直想像ができなかった。
一日のほとんどを寝て過ごし、バリエーションの違う悪夢で目覚める。目が覚めたら覚めたで、目が回っているように方向感覚が狂っているし、気持ちが悪い。お手洗いに行くにも介助が必要だった。
目が覚めるのは、バラバラの時間帯だった。それなのに、いつもミランダが控えている。
「ミランダさんも、ちゃんと休んで下さいね」
って声を掛けたら、いつも無表情のミランダが微笑んだ。
ほんの僅かな変化だったけど彼女と打ち解けられたようで嬉しかった。
どうやら、魔法で起床タイミングが分かるようだ。
ちょっとミランダと親しくなった頃、召喚酔いの症状が落ち着いてきた。
その頃から、見る夢の内容が変わってきた。クラリスの記憶を夢に見るようになり、ふとした瞬間にクラリスの記憶が脳裏をよぎるようになった。
余りにも自然に甦るから、日に日に不安が募る。本当に帰れるのか、家族に会えなくなるのではないか。
「お父さん、お母さん、…兄貴。会いたいよ」
この世界にきて5日が経った。緊張が解けたからか、今度はホームシックと押し寄せる不安とで急に泣くことが増えた。
感情の起伏が激しく、コントロールがきかない。
こんなにひどいのははじめてで、感情の制御を出来ないことが悲しかった。
「うぅ…」
また泣いていると、
「リオさん、大丈夫ですか?」
カーテンの向こうから、何故かグラッドの声がする。
「大丈夫じゃないです」
鼻を啜りながら、返事をすると
「体の調子はどうですか?」
少し笑いを含んだ声が返ってきた。なんだか恥ずかしい。
「体は平気です。」
「では、私とお喋りでもしませんか?」
「?お喋りですか?」
「えぇ、気分が紛れるかも知れませんよ」
カーテン越しでいいのでというグラッドに甘えて、お喋りをする事にした。
「…いいですよ。ちょっと聞いてみたいこともあったので」
「聞いてみたいことですか?ちょっとドキドキしますが、何でしょう?」
「グラッド様は、今どんな気持ちなのかなって」
「どんなとは?」
「クラリス様が居なくなって、」
「うーん。薄情に聞こえるかと思いますが、特には何も。少しだけ寂しさを感じますが、それだけです。クラリスも同じだと思いますよ。呑気にこれ幸いと異世界観光している姿が目に浮かびます。基本彼女は能天気なので心配するのは、その言動だけです」
思いの外、ドライな感想に驚きを隠せなかった。
「か、家族の皆さんも、そうですか?」
「あ、あぁ違いますよ。養父母はとても心配しているようで、養母は少し体調を崩してしまったと聞いています」
凛とした貴婦人の姿が思い浮かぶ。クラリスのお母さんだ。教育熱心なお母さんで、クラリスは完璧な淑女教育を受けて育った。わかりやすく、砕いて教えるその姿に、頭の良さと愛情を感じた。
「ミレニア様、ですよね。大丈夫でしょうか」
「ふふ、大丈夫ですよ。リオさんは、自分が大変な時でも人の心配をしているってミランダから聞きました」
「そんなんじゃないです。ただあれは、疑問を口にしただけです」
「そう言うことにしておきます」
「グラッド様」
ちょうどそこへミランダがお茶を持ってきてくれたらしい。カーテンで見えないので、会話から推測する。
グラッドのいる方向とは反対側から、ミランダが、
「失礼致します」とカーテンを開けて、ベッドの上でも飲食ができるよう小さなテーブルを持ってきてくれた。
「リオ様、お菓子もございます。よければ、どうぞお召し上がりください」
「ありがとうございます、ミランダさん」
素早く準備を整えると、ミランダはすぐに退く。
お茶とお菓子を堪能しながら、グラッド付きのセシルは、お菓子作りが趣味でこのお菓子も彼の手製だとか、グラッドの加護属性の話、趣味の刺繍についてちょっと熱く語ってしまったり、他愛無いお喋りに花を咲かせていた。
「リオさんには、お兄さんがいましたよね。どんな方なんですか?」
「兄は、…少し、いえ大分変わってまして。小さい頃から早熟で口達者で、大人びた事ばかり言って周囲をびっくりさせていたようで。」
あ、確か中学生にあがった時もびっくりしたなぁ。
「『中学生』にあがった頃、あ、えーと学園に通う歳の頃に、生徒会会長と『番長』、不良のリーダーの両方になれば私を守れると考えたみたいで」
「何か危険でもあったのですか?」
「いえ、そんなのは全くないんです。勝手に、変な人に絡まれたら大変だって思ったらしく。」
「結局、どうなったのでしょう。両立したのですか?」
「えぇ、本人の理想とはちょっと違ったみたいですが」
「理想、とは。」
「武力制圧です。」
結構兄は過激派だ。結局、母にコテンパンにされて対話友好路線に切り替えた。
比較的平和な町の中学校なので、特に問題ないと格好つけの兄は言っていたが、問題しかなかっただろうというツッコミは飲み込んだ。
「兄が地域の有名人なので、目立って仕方がなかったです。恥ずかしかった」
「ふふ。私にも兄がいるんです。7つ上で、養子縁組の話が出た時、いの一番に私を推挙して。その時は、兄に売られた気持ちになって悲しかった。」
世間話のトーンで話すグラッドを布越しに見つめる。どんな表情をしているのだろうか。ちょっと苦しくなって、カーテンから手を出して、グラッドの腕に触れた。
「兄は、領主を支える貴族として育てられた自分よりも、魔力量に問題なければ、幼い弟の方が教育しやすいと後で両親に話していたそうです。私は、母からその話を聞くまで、拗ねて部屋に閉じこもってました。」
腕に触れた手をグラッドが握る。
「心配させてしまいましたね。すみません」
グラッドの手の熱さに、我にかえる。恥ずかしいと手を引っ込めようとするが、握られたままぴくりともしない。
「グラッド様、離して」
「リオさんが、様付けをやめたら離してもいいですよ。」
「!!…そ、それは」
どっちも恥ずかしい。口をパクパクさせ、グラッドと呼び捨てられない内に、手の甲を撫でられたり、握り方を変えられたり顔から火が出そうだ。
年下に弄ばれている。
結局、呼び捨てられない私をみかねたミランダによって私の手は解放された。