召喚9
その後、ニコルも交えて長期休暇を早める話をする事になった。が、グラッドから休むようにと言われ、押し切られた。
「後でちゃんと報告します。リオさん、無理はしないでください」
「はい」
二人は、部屋をでていった。
ミランダが淹れ直してくれたお茶を飲み、一息吐く。
頭の中でリリアナがクラリスだけに聞こえる声で言った言葉がリフレインする。
『退屈ですわね、クラリス様。わたくし、いつも驚く様な何かが起こらないかしらって空想するのが、趣味ですのよ。ふふ、内緒ですよ』
リリアナは優秀な学生だ。新しい布を生み出しては領地に貢献している。また人形のように整った顔立ちをしていてとても美しい。クラリスよりも優れているはずの彼女が、どうしても手に入れたいものをクラリスが持っている。それが許せないのかもしれない。
推測の域を出ない、妄想のような答えだ。自分で考えて笑いがでる。でも、私があの日の彼女とリリアナを重ねて見ているとしたら、共通点は『恋情』だ。
『クラリス様は、グラッド様といずれ結婚されるのでしょう?羨ましいですわね』
『リリアナ様、いやですわ。グラッドは義弟でまだ何も決まっていないのですから』
いや、それは『まだ決まってないだけです』と言ってるようなものだから。うぅ、ツッコミどころが満載でこんなすれ違いを繰り返してたのかと思うと、二人の会話を思い出したくない。
「リオ様、お休みになられますか?」
無表情なミランダだが、大分表情の区別がつくようになった。今は心配顔だ。
「え、あ、いえ。大丈夫です。ミランダ、紙とペンを用意してもらえますか?リリアナ様との会話を書き出したいので」
「リオ様、クラリス様は知らなかったのですが、リリアナ様との会話は全て記録して伯爵様にご報告しております。」
「ああ、やっぱり。」
「知っていたのですか?」
「いえ、クラリス様は知らなかったですよ。私は、一人で勝手に要報告だなと思っただけで。」
「リオ様は、どの程度把握されているのですか?」
全ての記憶は軽く一通りみたと言いたいけど、それは怖い。細部は見直さないと覚えていないこともある。リリアナのこともそうだ。言えないことの内の一つだ。
「私は、帰る為に障害となりそうな危険の種を潰しておきたいのです。だから、悪意の記憶を優先して見ています。今回は、見ていた記憶が当て嵌まって良かったです。」
それも嘘ではない。ただ目立った悪意が、リリアナだった。そしたら、ずるっと芋づる式にリリアナとの記憶が出てきただけだ。関わってなければいい。でも、彼女の差し金のような気がする。
「そうでしたか」
「リリアナ様とクラリス様との内緒話を書きますので、用意をお願いします」
「かしこまりました」
「ありがとうございます」
ミランダは側務めの部屋へ一度下り、紙とペンを準備して戻ってくる。
紙はコピー用紙のようなすべすべした紙、ペンは万年筆だ。しかも、カートリッジ。確か、サイス領で見つかった転移者が作ったのだったか。凄い情熱だ。
この世界は、日本にいた頃当たり前に使っていた物が結構ある。転移者と召喚者がもたらした恩恵だった。
室内照明灯やお手洗い、コンロも魔道具で再現されている。
魔道具は人の加護に反応して使えるものと魔力に反応するものがある。加護に反応する魔道具は、作り手は加護無しであるのが望ましいとされている。しかし、クラリスの知識はそれだけだった。原理が知りたい。ちょっと研究してみたい。
「リオ様、如何されましたか?悩まれる程の事が?」
ペンを見つめたまま動かなくなった私に、ミランダが声をかける。
「いえ、魔道具の原理を研究したくなっただけです。」
興味のある方へまっしぐらになる習性が出てしまった。
恥ずかしい。兄妹揃って同じなので、よく母に首根っこを掴まれ、落ち着けと怒られた。
「リオ様は、勉強熱心なのですね」
「勉強が好きではないのですが、知りたくなると脇目も振らずに突進してしまうだけなんです」
「では、サイス領に戻った後、お帰りになられるまで研究をして過ごしては如何でしょうか?奥様は術式構築の研究分野で名のある方ですから、力を貸していただけるかと思います」
「それは、いいですね」
現実逃避しかけていた気分が少し前向きになる。
日付と場所、話の流れ、会話内容を書き込み、自分の所感も書く。
リリアナとの付き合いは実はそんなに多くない。学園に通い始めた頃からだ。3年の間に行ったお茶会は10回。お茶会以外の接触は、クラスが違うため殆どない。ただ、最初の1年生全体の交流会で心を掴まれている。
『光の女神のような佇まいに、わたくし一目見て、クラリス様だと直感致しましたわ』
『まぁ、クラリス様はジョルジュ様の絵画がお好きですの?わたくしもですのよ』
『自由とはあんなにも豊かな芸術を生むのですね』
外見を褒め、趣味や嗜好に共感する。今までクラリスの周りにはいなかった人種だ。
サイス領で求められるのは、実務能力、魔力量、魔障発生地域を治めるという意識だ。
魔障は魔素障害の略称で、大気中に存在する魔素の濃度が著しく高濃度になった際に起こる現象だ。高濃度魔素に晒された生物は魔獣、魔植物などの魔生物に変貌し凶暴性が増す。人にも影響があり、体内にある魔素循環器の能力が低い、魔力が扱えない一般人から死んでいく。サイス領はこの魔障の発生地域だ。大体100年に一度のペースで起きている。魔障発生から終息まで3年はかかる。その間、襲いくる魔獣からどのように領民を守るのか、サイス領の領主一族は平時から対策を練らなくてはならない。その意識が、クラリスには足りなかった。でも、教育は足りているように感じる。
伯爵に実地体験を教育過程に組み込んではどうかと進言してみよう。実感が伴っていないと意識は芽生えない気がする。
別の用紙に、クラリスの教育過程についての意見を書き記す。そこで、脱線したなと気付く。一度ペンを置き、お茶を飲み、休憩することにした。
「セシルのお菓子もございますが、召し上がりますか?」
「お願いします」
初めて食べた日から私はセシルのお菓子の虜だった。クッキーは程良い甘さにサクサク食感。ケーキはしっとり系もふわふわ系もどっちも美味しい。甘さも絶妙。癖になる美味しさ。楽しみでソワソワしてしまう程だ。
彼には未だ会ったことがない。グラッド付きの側務めで、若干おっとりとした話し方と垂れ目が特徴の若い男性だというのはわかっている。存在感が薄くて、クラリスはもしかしたら覚えていないかも知れない。
「リオ様、お待たせ致しました」
今日のお菓子は、クッキーだった。しかも、
「新しい味ですね」
赤桃色のクッキーに目を輝かせ、手を伸ばす。口に入れ、噛むと口いっぱいに広がるベリーの酸味と甘味。
「幸せです」
気づけばあっと言う間になくなっていた。休憩は終わりにしようとお茶を飲み干し、片付けてもらった。




