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宿の部屋に入ると、くたくたになっていたシャンテは、ベッドに倒れ込もうとした。
「お嬢様!! こんな汚らしいシーツの上に、そのまま寝るだなんて!!」
パスチーズが、またやりだすと、今度は、シャンテが大声でどなった。
「もう、いいかげんにして!! うんざりだわ!!」
きょとんとした顔で、パスチーズはシャンテをみた。
そんな老僕にシャンテはいらいらしながら続けた。
「さっきから、ずっとよ!! どうして、おまえは、くだらないことを言い出すの!! さっきも、宿屋の主人に、こんな宿はフランクリン家の者の泊まる宿じゃないなんていいだして、私は顔から火が出そうだったわ!! ここは家のあるラーデンベルグの町とは違うのよ!!こんな村で、宿がたいしたことないのは、当然じゃない!! なのに、おまえときたら、ねちねちと、細かいことを、あげつらって、作法がどうだとか、もう」
シャンテは、途中から、半泣きになっていたが、後半では、その目から本当に涙をながして、パスチーズに訴えた。ところが、この老僕は、きょとんとした顔を、すこしも崩さずに、
「わっしは、フランクリン家のために、申し上げたまでで、お嬢様・・・」
彼女の顔は、みるみるうちに、青ざめた。
「そう。おまえは、正しいことをしたっていうのね。反省なんかする必要は、ないっていうのね」
パスチーズは、当然という顔でうなづいた。
シャンテは、わなわなと全身を震わせた。そして、ながれた涙を拭こうともせず、パスチーズに背を向けると、
「わかったわ」
と、言って部屋に備え付けの物書き台のイスに座って、何かを書き出した。
心配そうな顔でパスチーズは、シャンテを見ながらいった。
「お嬢様。何をお書きになっていらっしゃるんで?」
シャンテは、パスチーズを見ようともせずに書きながら答えた。
「お父様に手紙を書いているのよ。仕事に差し支えるからおまえを引き取らせるって。この手紙を持って、おまえはラーデンベルグの家に、いますぐ帰るの」
「お嬢様!!」
シャンテが見ると、パスチーズは土下座していた。
「それだけは・・・それだけは、お許しくださいませ・・・」
今度は、パスチーズが、泣く番だった。
「わっしは、お嬢様をお一人で、こんなところに置いていくだなんて、そんなことをするぐらいなら、わっしは、わっしは、自分の首をくくります!! どうか・・・どうか、わっしを、お嬢様のおそばに・・・」
涙をながして、老人がいうので、シャンテは、それ以上、手紙を書くことができなかった。
「お願いします・・・」
パスチーズは、土下座のままいった。
涙で声が震えている。
シャンテは、しぶしぶいった。
「じゃあ、これからは、私のいうことを、きくのよ」
パスチーズは、至上の喜びといった表情で涙にぬれた顔をあげて、シャンテを見ると、大きな声で答えた。
「ハイ!!」
「主人は私で、おまえは、なんでも私に従うのよ!!」
「・・・・・・」
言葉にならない声で答えながら、パスチーズは、彼女の手に感謝の接吻を何度もした。
それを見て、シャンテは胸がいたんだが、
(だめよ。やさしい言葉をかけると、すぐにつけあがるんだから)
と、そのままにさせておいた。
パスチーズが落ち着くと、シャンテは、寝台にあがった。
「すこし休むわ」
と、それを見ると、パスチーズは声を上げた。
「あっ」
いくら主人の寛大な処置を受けても、汚いシーツに主人が寝ることは、許せなかったらしい。
しかし、シャンテが、眉間にシワを寄せて
「なに!?」
と、聞き返したので、彼は、
「いえ、なんでも」
と、答えた。
「おまえも、すこし寝なさい」
シャンテは、できるだけやさしい声で、その言葉を自分の老僕にかけた。
目が覚めると、部屋は薄暗くなっていた。隣のベッドで寝ているものと思っていたパスチーズは、別の部屋のソファで寝ていた。シャンテは、ベッドから毛布を持ってくると、老僕に掛けてやった。
そして、彼女は、物書き台のランプをつけると、そこに座って、今回の事件の資料を読み出した。
事件は、村の地主の一人、チャルレーロの畑で起こった。良く晴れた日の午前、村でおおきな音がして、その音の聞こえた辺りの川のそばの彼の畑に、大きな穴が開いていた。幸い人は誰もいなくて、種を撒く前の春先のことだったので、作物にも被害はなかったが、一歩間違えば大惨事になりかねない事故だった。
状況がヴァリス村と似ていることは、魔法庁をして、シャンテを即座にこの村に派遣することを決定させたのだが、この事件には、気になるおかしなことがあった。それは、その魔法庁にきた、この事件の報告書である。ふつう、この手の事件は最優先で処理され、魔法庁に届くまでに1週間とかからないものなのだ。それはヴァリス村事件以来、魔法に関する事件に神経質になっている国王の意向によるものなのだが、この事件は2ヶ月もたってから、魔法庁にその報告が届き、しかもそれはファネール村で爆発事故があったらしいという噂を聞いた当庁が、その地の地政官に問いただして、はじめて報告があがってきたのである。当の地政官によると、この事故をそんな大した事件だとは思わなかったというのだが、信じられないことである。彼は勲等を一つ下げられた。しかも、2ヶ月たったいまでは、事故の後のおおきな穴も、更地になっているのである。
シャンテは、深いため息をついた。
(明日は、地政官に会いにいかなきゃいけないわね・・・)
後ろの物音に振り向くと、そこにはパスチーズが、毛布をにぎりしめて、立っていた。
主人の手をわずらわせてしまった事の申し訳なさで、彼は消え入りそうになっていた。
「お嬢様、申し訳ございません・・・」
シャンテは、老僕がそれ以上詫びの言葉をいうのを、押しとどめると、
「それより、おまえ、お腹が空いてない? 夕食にしたいわ」
パスチーズは、あわてて
「これは、気付きませんで、さっそく、わっしが腕をふるって・・・」
シャンテは、肩越しに親指でおもての通りを指さすと、
「外の店で食べましょう」
パスチーズは、なにかいいたそうな顔をした。
しかし、シャンテがすこし怒った顔で、腕組みをしながら、
「いいわね?」というと、
「よろしゅうございます」
しぶしぶそう答えた。