1
「おいおい、この方を、どなただと、心得ているんだ?」
(また、はじまった・・・)
「やめなさい、パスチーズ!」
シャンテは、老僕のパスチーズを、この旅に連れてきたことを、後悔していた。
ここは、イスタリア国の街道の町、カルベーレ。
乗合馬車駅の待合室には、大勢の人が、ごったがえしていた。行商人や旅行客、隣村まで行こうとしている農民たちが席に座り、予定通りにはたいてい来ない馬車をじりじりしながら待っていた。
そんな場所で、老僕は大声で怒鳴ったのだった。
シャンテは、真赤になった。
振り向いたパスチーズは、あきれ返った顔で、訴えだした。
「よくありませんぜ、お嬢様。しもじもの奴らに間違われて、ヘイコラしてたんじゃ、フランクリン家の名が泣きますよ」
いいかげんにして欲しかった。
彼は、この手のいざこざを、さっきの町のルスタンでもやらかし、シヤンテの耳のつけねまで真赤にさせたからである。そしてまた、この町カルベーレの乗合馬車の待合室でも、地主の妻らしき中年の女性がていねいに、とても疲れているので席をゆずってもらえないかと、シャンテにいったとたん、彼はこうするのが、自分の勤めであるというある種の誇りすら感じながら、その品のよい真面目そうな女性に向かって噛みついた。
シャンテは、恥ずかしさに真赤になりながら、彼に注意した。
「黙りなさい」
「いや、黙っていられません。お父様が、この姿を見たら、なんとお思いになるか」
周りの人々が、この騒動に注目し出した。
人々の目が、自分たちに集まってくるのを感じて、シャンテは顔から火のでる思いだった。
「席をゆずってくれといわれて、替わるだけでしょ」
「いいえ、あのババアは、あなたを下の者と見て、軽く扱いやがったんです。周りに下等な奴らがいくらもいるのに、よりによってフランクリン家の人間を!!」
シャンテは、消えてしまいたかった。
「よしなさい!」
「いいえ!! よしませんとも!!」
もう限界だった。
シャンテは、パスチーズの後ろにずっと立ったままでいた女性に、
「いいんですよ。お座りになってください」
と、ひきつった笑顔でいうと、その場から立ち去った。
「お嬢様!! お嬢様!!」
情け容赦なく、パスチーズは、シャンテの後をついてきた。
シャンテは、怒りをこらえながら、燃えるような瞳で、パスチーズを睨みつけて、ふるえる声でこう言った。
「パスチーズ。これ以上うるさくするなら、おまえには家へ帰ってもらいますよ」
「えっ!? お嬢様!? 本気でおっしゃてるんですか?」
「もちろん。私は、やるといったら、やります」
パスチーズは、しゅんとして、うなだれたが、不満そうな様子である。
シャンテは、小さな声でつぶやいた。
(だいたい、なんで公務の仕事にまで、家の下僕がついてくるのよ。お父様の親切も困ったものだわ)
「なにか、おっしゃいましたか?」
パスチーズが、何事もなかったような笑顔で、シャンテを見ていた。
「ふうっ」と、ため息をつくと、シャンテは言った。「なんにも!!」
「そうですかい?」
きょろきょろと、周りを見まわしていた彼は、ふいにシャンテに告げた。
「あっ!! あそこの席、空きそうですぜ!!」
「ふうっ」シャンテは、ふたたび、ため息をついた。
しかし、シャンテは、パスチーズが見つけたその席には、座らなかった。
目的地であるファネール村行きの乗合馬車が、到着したからである。