令嬢探偵と話題作り
異端審問官もいたし、片っ端から助力を請うていると聞いていたので、集合場所の部屋はさぞ人がひしめき合っているのだろうと思ったらそんなことはなかった。いや、ひとがいるにはいるのだが、同じ恰好をしている。
(警察しかいないじゃないか)
入室したオクタヴィアにぎろりと視線をなげたのはふたりだけ。ひとりは恰幅のよい紳士――身なりから一目でチュリル伯爵だとわかった。
もうひとりは、チュリル伯爵と話していた長身の男だ。知人なのかもしれないが、貴族というにはシャツの首元がだらしなくあいているし、上着もよれていて乱雑だ。だが野性味のある綺麗な顔立ちをしていた。切れ長の鋭い瞳でオクタヴィアを上から下まで検分してから、舌打ちする。
「おい、ここは関係者以外立ち入り禁止だ」
「わたしはオクタヴィア。オズヴァード侯爵の紹介できた、探偵だ」
「たんてぇ?」
長身の男がうさんくさそうに顔をしかめ、そのあとがしがしと頭をかいた。
「異端審問の左遷王子様の次は、こんな乳臭い女探偵のご登場かよ。世も末だな」
「ま、まあまあ。ベイカー警部」
「警部?」
階級があるにしては、ずいぶん若く見える。つい聞き返したオクタヴィアに、男は上着の内ポケットからよれよれの警察手帳を出し、開いて見せる。
アシュトン・ベイカー。白黒だが小さな写真に、所属と階級まで明記されている。
「満足か。レディ・探偵」
小馬鹿にする響きだ。オクタヴィアが何か答える前に、再び恰幅のよい紳士が間に入ってなだめる。
「警部。ご令嬢に対して失礼でしょう。もう少し、紳士的に」
「紳士にして怪盗が諦めてくれるんなら安いもんだ。ま、邪魔さえしねえならなんでもいいさ。貧乏くじ引いたモン同士、足を引っ張り合ってもな」
オクタヴィアが首をかしげると、アシュトンはにっと意味深に笑って踵を返した。
「お互いがんばろーぜー」
ひらりと手を振ってその場から離れるアシュトンに、チュリル伯爵が小さく嘆息した。
「所詮、平民あがりはあの程度ですな」
どういう意味だろうか。今ひとつ反応しあぐねていると、チュリル伯爵が笑った。
「あなたのことはオズヴァード侯爵からうかがっております。いやあ、本当にお若いお嬢さんだ。アルタヴィス伯爵令嬢がこんなに美しいとは」
「はあ……あの、それで、ご依頼の件なのですが」
「お引き受けくださると聞いて非常に安心しました。何せ相手があの、狙った獲物は逃さない怪盗クロウでしょう。どこの探偵事務所も名乗りをあげる者がおらんのですよ。自分たちが関わって盗まれてしまっては、沽券に関わるとね」
あり得る話に、オクタヴィアは曖昧に相づちを返す。チュリル伯爵は横目で警官たちを示した。
「警察でさえあんな粗忽者をよこす有り様で……まあ、あの警部はよくも悪くも有名人なのでいいのですが」
「そうなんですか。それで、あの、依頼内容の確認をお願いしたいんですが……」
「既に新聞などで書き立てられておるかと思いますが、怪盗クロウが『天使の晩餐』を狙っておりましてね」
なぜか自慢げに、チュリル伯爵は短い髭の先を指先で伸ばす。
「無名の画家が描いたものですが、私が直々に目をかけて買い上げてやったんです。いやはや、新人画家を何人か支援してやりましたが、自分が育てた中から逸材が現れるのはパトロンの本懐ですなあ。それをぶち壊されるわけにはいかない」
「では、わたしには怪盗クロウが入りこんでいないか見張ればいいでしょうか?」
探偵というのは基本、事件が起こったあと――今回の場合なら盗まれたあとに動くものだ。警察の仕事な気もするが、何もしないわけにはいかないだろう。何より、悪魔の遺産かどうか判別するため、早めに絵を確認しておきたい。
「その前に。依頼に関して条件があります。――怪盗クロウに立ち向かう探偵として、あなたのお名前を出させていただくこと」
何かと一瞬身構えたオクタヴィアは、拍子抜けして緩慢に頷いた。
「それは、別にかまいませんが……」
「そうですか! いやーよかった。安心しました。それでは怪盗クロウ対策、よろしくお願い致しますよ。やはりね、怪盗には警察はもちろんですが探偵もいないと盛り上がらないでしょう!」
盛り上がってどうするのだ。なんだかおかしな気がするが、依頼が成立したのは間違いないだろう。さっそく、オクタヴィアは用件を切り出す。
「それで、肝心の絵を見せていただきたいのですが」
「ああ、はい。絵は一階の画廊で飾ってあります。ですが今は諸々の準備で案内できない状態でして。夕食時に皆さんをまとめてご案内して、絵をお披露目する予定です」
「お披露目……ですか? 皆さんに、とは」
「あなたも含め、警察や記者を画廊に案内する予定です」
なぜそんなことをするのだろう。首をかしげたオクラヴィアに、チュリル伯爵はほがらかに笑う。
「盗みにくるというのですから、受けて立つのが道理というものです」
心意気としては結構だが、警備としてはまずい。言葉を選びつつ、オクタヴィアは進言する。
「心意気はわかりますが、わざわざ危険を招き入れる必要はありません。今すぐ絵を画廊から安全な場所に移動するか隠すかほうがいいのではないでしょうか? 怪盗クロウは変装の達人だと聞いています。人が多ければクロウが現場に入りやすくなるだけです。盗まれやすい状況をわざわざ作るのはどうかと」
「いやいや。天使の奇跡が宿った絵ですよ。怪盗ごときに盗まれるわけがない」
何を言っているのかよくわからない。頭の上でハットがつぶやく。
『どういうことだ。怪盗クロウから絵を守るために、警察だの探偵だのをかき集めようとしたのではなかったのか?』
にこにこ笑ったチュリル伯爵は、両手を広げて言った。
「クロウがくるのは今夜九時。そのときには画廊にご案内しますので、それまでご自由に屋敷でおすごしください。宿泊の用意もしてありますよ」
「それは……好きに屋敷を見ていい。調査の許可は出す、ということでしょうか」
「ええ、ええ。調査。そうですね。ご自由に」
「なら、今、絵を見せていただいても」
「ですが、報道との兼ね合いもありますしねえ。まあ、怪盗クロウは時間にきっちりしていると聞きますし、急ぐことでもありますまい」
オクタヴィアのしかめっ面を見て、チュリル伯爵が声を潜めた。
「ああ、申し訳ない。誤解してほしくないのですが、あなたを信用していないとかそういう話ではないのです。お気を悪くなさらないでください。報酬はきちんとお支払いしますし」
「はあ……」
待てというのが依頼主の意向ならば、頷き返しておくべきだ。オクタヴィアの肩をチュリル伯爵が気安くぽんぽんと叩いた。
「警備も調査も好きなだけやってください。新聞記者もきてますからね、話を聞いてもよいかもしれません。そのあたりはおまかせします。協力してくださる方も多いと思いますよ。何せ、怪盗VS探偵ですからね! 色々盛り上がっておりますので」
オクタヴィアより先に、ハットが反応した。
『話題作りか! だから名前の公表……貧乏くじとはこのことか!』
「勝敗がどちらに転んでもあなたに不利益のない、いい仕事だと思うんですよ。特にあなたのような美しいご令嬢なら、負けたところで同情が集まりこそすれ大した悪評は立たない。失礼ですが、アルタヴィス伯爵令嬢は縁談が破談になったばかりだとか。最近、働く女性は流行ですからね。評判になればいい縁談が持ちこまれるかもしれませんよ」
『何を……っこいつ、腹立たしいこと極まりない!』
頭の上で怒るハットとは対称的に、オクタヴィアは静かに問い返す。
「私が負けたら、あなたは困ると思うのですが。大事な絵が盗まれるんですから」
「盗まれるわけがないのです。異端審問官も認め、持ち出しできなかった、奇跡が宿った絵なのですから」
顔をあげたオクタヴィアに、にこりと笑いかけてチュリル伯爵が踵を返す。話はこれで終わりらしい。
オクタヴィアはなんだか疲れて、長く溜め息を吐き出した。