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令嬢探偵と予告状

 画廊を経営しているチュリル伯爵が不可思議な絵を手に入れたと噂になり始めたのは、二ヶ月ほど前だった。その絵のタイトルは『天国の晩餐』。雲の上から天使たちが夕食をとる人々を見おろす構図の絵である。無名の新人画家が描いたらしいが、緻密な線と何より鮮やかな色づかいが素晴らしいと、画廊でのお披露目前から伯爵の友人や美術商からこぞって高評価を得ていた。

 だがその直後から、屋敷から物が紛失することが増えた。食前酒やパンの数がひとつたりないという小さなことから、フォークやナイフ、ついには夫人のイヤリングまで、変則的に紛失が増えていった。使用人の怠慢と盗難だと伯爵は使用人を何人かクビにした。


 そこから妙な噂が広まり出した。

 屋敷からなくなった物は、すべて『天国の晩餐』に描かれたものばかりだったというのである。


 やめさせられた不届きな使用人たちの腹いせじみた噂だろうと、最初は誰も相手にしていなかった。だが、そのうち使用人の何人かが行方不明になり、醜聞好きの新聞に取りあげられ、オクタヴィアの耳にも入ってくるようになった。

 その絵は、悪魔の遺産なのでは――オクタヴィアではなくてもそう思っただろう。オクタヴィアが確認の段取りをつけるより早く、チュリル伯爵の屋敷に異端審問官の査察が入った。

 チュリル伯爵もこれで終わりかと皆が固唾を呑んで見守る中、査察はすぐ終わり、チュリル伯爵は無罪放免となった。


 そもそも絵は道具とは言いがたい。しかも、異端審問官が調べて悪魔の遺産ではないと判断したのだ。

 ひょっとして、神や天使の本物の奇跡が宿った絵なのではないか――世間がそう湧きあがり、チュリル伯爵も得意満面で、満を持しての画廊での公開を決めた。

 新聞で広告が打たれたその絵を見るための整理券は即完売。半年先まで画廊に入ることも叶わないというのだから、大盛況である。

 公開日は二日後。依頼を受ければ、明日にでもチュリル伯爵家を訪問できる手はずになっている。


「本当に悪魔の遺産なら、公開日より前に回収できるほうがいい。確認もかねて、依頼は受けるべきだろう。今は他に仕事はないし」


 お茶を淹れるためレイヴンが退室した応接間で、オクタヴィアはハットに小さく話しかける。一方で、先に食べていていいよとレイヴンに言われたので、さっそくシュークリームにかぶりつくのも忘れない。

 シュークリームの入った箱からやや距離をとったハットが、しかめっ面で応じる。


『確認は世間様が落ち着いてからでもいいと俺様は思うぞ。そもそも絵は、帝國の遺産だとは考えにくい。帝國の遺産は何かしらひとの手で使われることを目的に作られたものだ。使われなければ起動して悪魔の遺産になることもできないしな』

「……」

『もちろん、額縁が悪魔の遺産だという可能性はある。しかし、それなら異端審問官が回収したはずだ。奴らは気に入らんが、回収しなかったのならまず悪魔の遺産ではないのだろうよ。俺様の目録にもそれらしき絵のタイトルはないし――』

「……」

『……。一心不乱に食べるのをやめんかオクタヴィア、聞いてないだろう!』


 もぐもぐ食べているオクタヴィアに、ハットが怒鳴る。ごくんとふたつめのシュークリームを飲みこんでから、オクタヴィアは真顔で答えた。


「おいしくて」

『そんなことを聞きたいわけではない。俺様は、すべての事象から論理的に考えて、あんな男がとってきた依頼なぞ却下だと、そう言っているのだ!』

「ハットはレイヴンの依頼を受けたくないだけだろう。偏見はよくない」

『お前はシュークリームにつられとるだけだろうが、この甘党がぁぁ!』

「それだけじゃない。レイヴンはまだ何か持っているぞ。シュークリームの箱を取り出した紙袋から音がした。箱と一緒に入れられる小さなものだ。あの音とにおいなら、クッキーか……お茶と一緒にくるぞ。私にはわかる、名推理だ」

『何が推理だドヤ顔するんじゃないこのポンコツ探偵! 観察眼と嗅覚の使い方も全力で間違っとるわ! と突っこんでるそばからみっつめを頬張るな!』

「だって甘いお菓子なんて久しぶりで……」


 さくさくの生地と、ほどよいクリームの甘さがちょうどいい。口いっぱいに至福のときを味わうオクタヴィアをどう思ったのか、ハットが大きく嘆息した。帽子のてっぺんが微妙な形にまがってしおれる。


『本当に、子どもの頃から甘い物に目がない……! いいかもう、話を聞くだけでいいから聞け。依頼を受けるのは、まあ許容するとしよう。それでもあの男を同行させるべきではない』

「なぜ? 私は貴族の礼儀作法にうといから、レイヴンは助けになると思う」

『その絵が悪魔の遺産だった場合を考えろ。お前が回収するところを見られるわけにはいかんし、かといってひとりで放置しておくのは危険だ。万が一、一緒にあちら側に引きずり込まれたら死ぬだろうからな。つまり足手まといだ』


 みっつ食べるとさすがに喉が渇いてきた。いったんシュークリームを食べる手を止めて、ハットと向き合う。


「大丈夫じゃないか、レイヴンなら。私の背後を取れる人間なんだから」


 ハットが三角の目を楕円形にしてまばたいた。帽子のてっぺんが横にまがる。


『……確かに、彼奴が何者か確かめるのにちょうどいいかもな……?』

「それに最終的にはお前がレイヴンの記憶をいじればすむことだろう」

『おお、そうだな! 賢いぞオクタヴィア! よし、あいつつれていこう! つれていってお前の盾にしてやろう』

「いや盾にするのは邪魔だからいらない……」

「何が邪魔?」


 背後からのささやきに、ひいっと再びオクタヴィアはハットと一緒に震え上がった。

 お茶をのせた盆を両手で持ったレイヴンが、にこりと笑った。焦って考えるより先に口が動く。


「い、いつ、いつの間に!?」

「たった今。君は相変わらず帽子と話すのがお気に入り?」

「お前、まさか声が聞こえるのか!?」


 つい聞き返したオクタヴィアに、レイヴンがきょとんとする。ハットが唸るように『このポンコツ探偵……』と言っているのが聞こえたが、意味を考える前にレイヴンが目を細めて笑った。


「残念ながら。しゃべる帽子なんてものがあったら、ぜひ蒐集したいけどね」

「……しゃ、喋る帽子なんて、悪魔の遺産かもしれないぞ?」

「確かに。でも誰にもばれなきゃいいだけだと思わない? いくつも厳重に鍵と錠前を下ろした地下室に飾っている分には、そうそうばれたりしない。大事なものをとられたくないときは、徹底すべきだ」


 それは監禁というのではないだろうか。かすかにハットが震えた気がした。


「それで、チュリル伯爵からの手紙は読んだ?」


 レイヴンが盆からカップソーサーに乗った紅茶のカップを差し出してくれる。続いてくまやうさぎの形をしたクッキーが乗った皿もテーブルに出てきた。推理は大正解だ。内心で拳を振り上げていたせいで、反応が遅れる。


「あ、ああ。読ませてもらった。明日の正午に屋敷にきてほしいと書いてある。だが、肝心の内容についてふれていなくて……」

「書く暇がなかったんだろうね」


 訳知り顔でレイヴンが向かいのソファに腰をおろした。


「依頼内容を知っているのか? そういえばお前、どういう経緯でこの依頼をとってきたんだ?」

「今、チュリル伯爵は片っ端からツテをたどって貴族に助力を請うてるんだよ。それでうちにも話がきて、私は君を紹介しようと持ってきた、というわけ」

「助力? なんのために……しかもなぜ私を紹介したんだ」


 自慢ではないが、王都にきてまだ半年、オクタヴィアに探偵としてのろくな実績などない。受けた仕事も、迷子の猫の捜索だとか失せ物さがしが大半だ。


「……君、今朝の新聞にもまだ目を通してない?」

「あ、ああ。出張先から帰ってきたばかりで……」


 頷くオクタヴィアの前で、長い脚を組んだレイヴンがカップを取る。ひとくち紅茶を飲むその仕草も優雅で、ふとこの男にお茶を淹れてもらってよかったのだろうか――などという今更な疑問が浮かんだ。


「予告状がきたんだよ、怪盗クロウから」


 だがその疑問もその名前に吹き飛んでしまう。


「明日の午後九時に、チュリル伯爵家に訪問するらしいよ。それでチュリル伯爵は一般公開の準備に加え、怪盗クロウ対策の警備やら何やらの準備でご多忙ってわけさ。だから明日の昼までに屋敷にきてくれた探偵やら調査員やらに依頼内容をまとめて説明する、ということになったんだろう。怪盗クロウの予告状がきたことは新聞にも載ってるしね」

「待て、怪盗クロウの予告って、つまり盗むつもりか。いったい何を」

「決まってるじゃないか。『天国の晩餐』だよ」


 事もなげにレイヴンは言うが、ついオクタヴィアは膝の上で手を握る。

 怪盗クロウ。女王のお膝元であるこの王都で、よりによって悪魔の遺産を狙う不届き者。

 つまり、悪魔の遺産を回収し、帝國の遺産として管理するオクタヴィアのライバルである。


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