令嬢探偵と自称助手
「レ、レイヴン……様」
「レイヴンでいいって言ってるのに」
そう言われても、艶やかな黒髪の頭から紳士帽をおろしステッキを抱えている彼は、名門貴族レイヴン・エル・オズヴァード――オスヴァード侯爵家の若き侯爵様である。対するオクタヴィアも貴族だが、伯爵家の娘だ。呼び捨てていいと言われて、素直に呼び捨てていい相手ではないことくらい、わかっている。
きりっとオクタヴィアは常識を口にした。
「呼び捨てるわけにはいかない」
「とは言っているけど、しょっちゅう私を呼び捨てているよ、君は」
自覚がある分、視線が泳いでしまう。そんな様子もおかしそうに眺められ、気まずさに咳払いをして話題を変えた。
「そ……それで、今日はどうしたんだ。予定も用事も聞いていない」
「つれないことを言わないでほしいな。私は君の助手なんだよ」
「助手じゃない」
「じゃあ求婚者で」
「された覚えがないんだが……?」
「そうだったっけ。じゃあ改めて、私の可愛いひと。どうか私と結婚してくれないか」
少し気障っぽい言い方に、オクタヴィアは目を丸くした。
「どうして?」
「そうくるか。ああでも、これで私は君の求婚者ってことにならない?」
「はあ……まあ、好きにすればいいんじゃないのか? 女好きは口説かないと生きていけないと聞いている」
「ものすごい偏見だね。私には君だけだよ」
「逆に聞きたいんだが、どこに信じられる要素があるんだ……?」
「……君は本当につれないなあ」
そう言われても、物好きはレイヴンのほうだと思う。
『ふん、ザマをみろ詐欺師野郎め。そう簡単に我らがポンコツ娘を口説けると思うなよ!』
背後ではハットが妙に自慢げだが、オクタヴィアも不思議で仕方ない。
(本当に、何を好き好んで私に会いにくるのだか)
じっと見ていると、レイヴンは形のいい薄い唇と菫色の瞳を細め、オクタヴィアの顔を覗きこむように少し身をかがめて、顎まである長めの横髪をさらりと流して小首をかたむけた。
「それとも、何かな。君には予告なく会いにこられたら困ることでもあるのかな?」
隠し事があるうしろめたさからか、それとも目の前の男の美貌にあてられたからか、急いでぶんぶんと首を横に振る。レイヴンは満足げに微笑んだ。
「よかった」
『いやよいわけがなかろう、予告なく家にこられたら普通に迷惑だ! はっきりそう言ってやれオクタヴィア! そもそも玄関には鍵がかかっていたのだぞ、どうやって入ってきたのだ! 泥棒ではないか!』
ハットに背後から怒鳴られ、オクタヴィアは迷いつつ口を動かしてみる。
「あの……だが、玄関には鍵がかかっていた、だろう?」
「そうだったかな?」
「そうだった、と思う。たぶん、きっと、おそらく……」
「ああ、ひょっとして何か罠でもしかけてあったのかな? 以前、普通ではあり得ない変わった玄関の仕掛けがあったよね。こちらが鳴らすと、ドチラサマデスカーって言い出すやつ。いやぁあれはとても珍しい呼び鈴だったよね。でも、壊れてしまってつけかえたと聞いた気が」
「すまない私の覚え違いだ、鍵はきっとかけ忘れたんだ。あと、ここはいたって普通の屋敷だから、珍しい呼び鈴なんてものはお前の記憶違いだろう」
「おや、そうなのかい?」
「そうだ」
『おい、ごまかされるんじゃないぞオクタヴィアー!』
そうハットは叫ぶが、この話題は終わりにしておかないと自分がどんなぼろを出すかわからない。口もうまくないし、少々自分の生い立ちが変わっているせいで、非常識なところがあるのは自覚している。
レイヴンが気にしている玄関のしかけというのは、まだ王都にきて間もなかったオクタヴィアが回収した遺産――呼び鈴だった。侵入者の探知と排除にいいと思って気軽に使ってしまったのだが、それを見たこの青年から「変わった玄関だね、まさか悪魔の遺産だったりして」と言われてから慌てて取り除いたのだ。
レイヴンは魔力もなさそうなのに、やたらめったら観察眼が鋭いのである。そうでなくとも王都は女王のお膝元、異端審問官の数も多い。少しの疑いが命取りになるのだと、まだ王都にきた実感が薄くてわかっていなかったのだ。
悪魔の遺産の所持者・使用者は、発見され次第、異端審問官から査察に入られる。それだけならまだしも捕らえられ、査問会にかけられたら終わりだ。査問会などと体裁はとっているが、問答無用で処刑、所持者は本人だけではなく周囲も厳しく取り調べられるというもっぱらの噂だ。無罪放免になるのは希である。
故に悪魔の遺産を見つけても、巻きこまれたくないと放置して見て見ぬふりをしたり、他人に押しつけたり、あるいは異端審問官に見つかる前に壊すなり第三者を介入させて責任の所在をうやむやにする者もいると聞く。オルゴールを使った娘の両親も、オクタヴィアへ依頼した理由にはそういう意図があっただろう。
(悪魔の遺産を連想する説明はひとこともなかったからな)
間違いなく娘さんの恋人は死んでいました、娘さんは疲れていたんでしょう、悪魔の遺産なんて関係ありませんよ――という報告をしておいた。実際、悪魔の遺産であったオルゴールはこちらにあるし、娘や両親の記憶もハットが多少いじっている。
あの村には、恋人の死を直視できず少し夢を見た娘がいるだけだ。