令嬢探偵と「帝國の」遺産
むかしむかし、女王陛下が治める今のこの国ができるよりもっと前。
この大陸は悪の帝國が支配していた。血で血を争う戦争で大陸を統一した統一帝國レガリアは空に大陸を作り、城と街を浮かべ、神をも墜とそうと天の支配を目論んだ。しかし畏れを知らぬ愚行に神の怒りを買い、天使の軍団により一晩で滅ぼされ、空に浮かぶ大陸はそこに住む人々の魂ごと輪廻できぬよう封印されてしまった。
二度と人間が愚行を犯さぬよう、神は天使の中から女王を定めた。
それが今のこの国、ハルメイア女王国の始まりである。
一方、統一帝國は恐ろしい力を持った遺産を残した。空から落ちて世界中に散った統一帝國の叡智と魔力を詰め込まれた遺産は、帝室という正統な持ち主を失い、帝國が封じられているという裏の世界へと人々を引きずり込むようになってしまった。滅んだ帝國を復活させるため、表の世界である今のこの世界を乗っ取ろうとしているというのが通説である。さながら、オセロの盤面の白が黒に変わるように――悪魔の遺産と呼ばれる世界を壊す道具として起動してしまったのである。
翼を持つ賢き麗しのハルメイア女王は事態を収拾すべく、帝國の遺産を壊せる魔力の持ち主たちを異端審問官として育成し、遺産の回収と破壊を始めた。また、帝國の遺産を『悪魔の遺産』として人々に危険性を周知させ、悪意を持って悪魔の遺産を使用した者は悪魔憑きなどと呼んで厳しく処分した。
そこから約八百年。
未だに帝國の遺産――悪魔の遺産を使う者は、あとを絶たない。悪魔の遺産は、本人やその周囲を裏側の世界に引きずり込む代わりに、使う人間の願いを叶えるからだ。
そしてその数も把握されておらず、未だにすべて管理されてはいない。
現に、オクタヴィアの手には、先ほどまで少女の死に引きずられて起動したオルゴールがある。
『目録登録完了。もうよいぞー』
頭の上でハットが言うと、オクタヴィアの手の上でオルゴールがかぱっとあいた。耳に優しい、綺麗な旋律が奏でられる。調子はいいようだ。
「よかった、直って。居場所はこの家のどこがいいかな?」
『居間だそうだ。来客の耳を楽しませるのが好きなんだと。レコードに負けたくないらしい』
「うちはあまり客人がこないんだが、それでもよければ」
同意のようにオルゴールのふたが上下にかぱかぱ動く。立ちあがったオクタヴィアは仕事用に使っている書斎を出て、階段をおりた。王都にある二階建てのこの屋敷は、オクタヴィアがひとりで住むには広いが、その分たくさん道具たちを置いておける。
人目につくと面倒そうな武器や物騒な道具は遺産管理者であるハットに所持させているが、こういうアンティークや小物はできるだけ道具として活かしてやりたい。たとえオクタヴィア以外の誰かが使っても、帝國の遺産としてハットにその力を管理されている以上、悪魔の遺産として起動することはもうない。
道具は人の役に立ちたがるものだ。だから悪魔の遺産になっても、人の願いを叶えようとするのだとオクタヴィアは思っている。
ただその力が管理下からはずれているために、ゆがんだ形でしか人の願いを叶えられず、あげく統一帝國が封印されたあちら側に引きずり込もうとしてしまうのだ。
応接間に入り、周囲を見回す。
応接用の猫脚の低いテーブルの周囲に、ソファがいくつかあり、棚には本が並んでいる。並んでいる本のうち、一冊は帝國の遺産だ。今はお休み中のようだが、魔力が強いのでハットのようにしゃべることができる。しかも理屈っぽい性格で神経質、本以外が本棚に並ぶと文句を言い出すのが目に見えていた。
オクタヴィアと会話ができないこのオルゴールは、魔力の低い、弱い道具だ。強い道具に囲まれたら怖がるかもしれない。視線をずらしたオクタヴィアは、花瓶が置いてある棚に気づいて、近づく。花瓶も棚も、普通のアンティークである。帝國の遺産ではない。
花瓶の近くに置くと、オルゴールがひとりでにネジを巻きだした。気に入ったようだ。
優しい日差しのこんな日に、ついまどろんでしまいそうな音楽が、応接間に優しく鳴り響く。
ちょうど仕事はこれで一区切りとばかりにオクタヴィアはソファに腰をおろして、帽子――ハットを頭からテーブルに置き直した。
「ハット。オルゴールから流通経路を聞き出せたか?」
尖った目とぎざぎざの口を表したハットが、こちらを向く。
『いいや。ずっと娘の恋人の家の物置で放置されていたそうだ。娘の恋人は家族のいない一人暮らしだったから、形見分けで娘の手にわたったが、死人を生き返らせてくれるオルゴールだとか忠告のメモ書きが入っていたらしい。だから娘は悪魔の遺産なのではないかと賭けて、異端審問官に申告せず自分で動かしたんだろう』
「あのオルゴールに死人を生き返らせる力なんてないだろう」
『当然だ。だが音楽で、娘を譫妄状態にはできる』
「……夢を見せたのか。恋人が生きている夢を」
そんなもの白昼夢と同じだ。だから恋人が生きているのだと日に日に言動がおかしくなっていく娘を両親が心配し、本当に娘の恋人が死んだのか確かめてくれ――という依頼が探偵のオクタヴィアの元へ舞いこんできた。
「だいぶ目録は埋まってきたと思うが、まだまだある所にはあるんだな……」
『致し方あるまいよ。大して力のないものはトラブルも起こりにくい分、見逃されやすいしな』
だが力が強くなくても、娘ひとりくらいさめない夢の中に浸らせてやること程度はできる。
はあっとオクタヴィアは溜め息をついたそのときだった。
「おや、素敵なオルゴールの音だね」
ハットと一緒にびくっと背筋を伸ばしたあとで、慌ててオクタヴィアは振り返った。
「お邪魔するよ、オクタヴィア」
仕立てのよい濃紺のスーツを着た青年がにこりと笑い返し、長い人差し指を折り曲げてこんと扉を叩く。普通の帽子を装うべくテーブルの上で直立不動になっているハットを隠すため、オクタヴィアは立ちあがった。