令嬢探偵は返事をしない
相変わらず血のつながらない従姉妹の手紙は難解だ。
びゅうびゅうと吹く風に手紙が飛ばされないよう気をつけながら、オクタヴィアは頭の上に問いかけてみる。
「いったいジェシーは何を言いたいんだと思う、ハット」
頭の上にのった帽子に、真っ赤な三角の目とぎざぎざの口が現れた。周囲には誰もいないので、見とがめられることもないだろう。それに、ハットは普通の人間から見ればただの帽子だ。その目も口も見えないし、声も聞こえない。
『いい質問だな、オクタヴィア。全知全能である俺様が! 満を持して答えてやろう』
「頼む」
『全知全能とはすなわち、知らない・わからない・理解できないことが世界にはある、と知っていることだ!』
なるほど、深い話だ。
「つまりこの手紙からジェシーの言いたいことがわからないのは、むしろ正解だと」
『そのとおり!』
「しかし、それでは返事に困るな」
『返事はいつも通り「元気です」でいい。「おとといきやがれ」と追伸しておけば、なお礼儀正しい。いっそ書かないのも手だ。便りがないのは元気な証拠、という考えもかつてあったのだからな。そもそも返事などこちらからするものではない、させるものだ!』
「なるほど……だが、ジェシーや叔父様、叔母様の物忘れはますます激しくなっているようで心配だ。私は屋敷から出て行けと言われて放り出されたはずだが、ひょっとして私の記憶が間違っているのか? まさか、私が悪魔の遺産に記憶をいじられていたり」
『またも全知全能の俺様が答えてやろう、出血大サービスだ。断言しよう、悪魔の遺産は関係ない。お前の叔父一家はな、ただただ『クズ』という名の病気なだけだ!』
聞いたことのある単語だが、病名としては初めて聞いた。
「そうなのか。なら私の管轄外だな。手が打てない」
『なぁに、持病だ。生きていくのに不自由はない。同病相憐れむという……いや、同類だったか? まあ闘病仲間はいるという話だ! 治ることもある!』
「なら心強いな。でも、助手ってなんのことだろう?」
『あ? あんなナンパ男のことなど放っておけ、関わるな』
「……ひょっとしてレイブンのことなのか、これ」
『知らんわ、仕事もしてない典型的な貴族のクズのことなんぞ』
「本人は美術商だとか骨董商だとかなんとか」
『すなわち詐欺師の言い間違いだろうよ。――それより、オクタヴィア。ちょっとピンチではないか? 俺様たち』
言われてオクタヴィアは手紙から顔をあげる。
周囲は砂が舞う荒野。からからの風が鉄錆に似た血のにおいと、ひどい腐臭を運んでくる。絶え間なく聞こえるのはうめき声と、ずる、ずると足を引きずるような音。
本来、ここには緑豊かな村があった。それが今、世界の裏側に引きずり込まれてこうなっている。ここで生きていける人間はいない。
だから、オクタヴィアの周囲を取り囲んでいるのは死人ばかり。悪魔の遺産が支配する動く死体だ。
「そうだった」
『お前が飛んだ手紙なんぞを取りにいったせいで、ますますピンチになったではないか』
「つい。だがまあ、問題はないだろう。雑魚ばかりだ。何より目的が明確だし」
顔をあげたオクタヴィアは、うようよ死体がひしめく向こうにある建物を見つめる。すっかり朽ち果てて屋根も崩れ、壁も半壊している建物は、おそらく教会だろう。尖塔に鐘がついている。
もともと寄せられた案件とも情報は一致する。
「確か調査を依頼されたのは、信心深い娘だったな」
『そうだ。おおかた、教会にいるんだろう。救いを求めて』
悪魔の遺産にすがった信心深い娘の心象風景が、裏の世界に反映されている。
周囲は荒野。身を隠すのはぼろぼろになった教会。悪魔の遺産に手を出したことに対する贖罪先なのか、救われたいという願いの行き先なのか。
「最近、恋人が死んだんだったな。いちばんあやしいのは、その形見だと思う。本人が持っている可能性が高い」
『全知全能の俺様が同意する! その推理は当たっている、なかなかやるな』
「当然だ。今の私は探偵だからな」
『そうだな。俺様も今や探偵の帽子だ! 昔とは違うぞ』
ひとりとひとつで現状を確認し合い、迫りくる死人の軍団を見定める。
「槍斧を、ハット」
『銃ではなくていいのか?』
「弾数を気にしなければいけないのはめんどくさい」
『Yes, Your Majesty!』
知らない言葉を紡いだハットが先ほどとは違うなめらかな口調で続ける。同時に、オクタヴィアの右手が光った。
『System startup ...... Authentication cleared, summoned "Halberd"』
手のひらに現れた光をにぎると、それはみるみるうちに膨れ上がって武器の形を取った。
槍のようにまっすぐ伸びた先端に鋭い穂先が光り、その少し下の両側に羽を広げたような斧頭が象られる。
重さはない。
『Glorify our Majesty's Victory!』
いつも同じ最後の呪文と一緒に、頭の奥が弾けるような感覚がした。
顕現した槍斧を片手で振り回し、オクタヴィアは地面を蹴る。横に回転させるとそれだけで死人たちの頭が、胴体がちぎれていった。
大して強くはない。つまり、この空間を支配している道具の力はそう強いものではない。
一閃し、死人を吹き飛ばしながら、まっすぐうらびれた教会に向けて走っていると、オクタヴィアの耳に、この風景に不似合いな音楽が届いた。
少し調子のはずれた、ぎこちない旋律。
それと一緒に、死人の動きが早くなった。歩いていただけの者が走り出し、襲いかかってくる。それを無言で斬り伏せ、頭を潰し、背中を蹴って空へ飛ぶ。
高い上空から見おろした教会が、侵入者を感知したように輝いた。半円を描く透明な壁がオクタヴィアを阻んで、虹色に光る。結界だ。
両手で持った槍斧の先端を振り下ろした。鋭い切っ先と透明な壁がぶつかりあってゆがむ。爆風に髪をなびかせながら目を凝らしたオクタヴィアは、崩れ落ちた屋根の下にぼんやりたたずんでいる少女を見つける。
爆風に巻きこまれてもまだ届く旋律。ゆっくり速度を落とし、でも最後の一音まで鳴り続ける、少女の手にあるもの。
大事に大事に、宝物のように抱かれたそれ。
「オルゴールだ、ハット!」
『Searching......Target confirmation, Unlock!』
ハットが弾き出した答えが頭の中に流れ込むと同時に、鏡がわれるような音を立てて結界が崩れ落ちた。重力にまかせて落ちるオクタヴィアと、振り仰いだような少女の目が合う。
涙で濡れた目尻。死者を引き止めたい、恋心。
彼が戻ってくるという夢まで引き裂かないでくれと懇願するような――けれど。
少女が持っているオルゴールを、少女の手首ごと切断して落とし、半回転させた穂先で胸を突き刺した。
悲鳴をあげた少女は落ちた自分の手首も貫かれた胸も気にせず、オルゴールをつかもうと手を伸ばしたが、その指先から砂のように崩れていく。落ちた手首も、流れたはずの血ですらとけて、もとの世界へと還っていく。
悪魔の遺産という禁忌に手を出してまで何かを願った彼女が、願いを叶えられないまま生きていくのが幸せかどうか、オクタヴィアにはわからない。それは依頼の範疇外だとも思っている。
それよりも大事なことが、オクタヴィアにはある。
正しい管理からはずれてしまったせいで、悪魔の遺産だなどと呼ばれてしまう、大切なともだち。
「可哀想に。お前を迎えにきたよ」
かんかんと音を立てて転がったオルゴールを見おろし、オクタヴィアはつぶやく。オクタヴィアに拾われたオルゴールは、応えるように調子のはずれた音をひとつだけ奏でた。