探偵令嬢と怪盗の会敵④
『System startup ...... Authentication cleared, summoned "Longsword"』
ハットの中で再構築された長剣が、再びオクタヴィアの手のひらに宿る。それを握ると、ハットが謳うように始まりを告げた。
『Glorify our Majesty's Victory!』
地面を蹴って、襲いかかる死人を跳び越える。だが画家は未だに、伯爵を捕らえるキャンバスの前で熱心に炎を描き込んでいた。パレットからその色を画筆で取り、惜しみなく執念のように塗りたくっている。
その足元には様々な色が――絵の具が用意されていた。そのひとつ、確実にそうである赤を見定めてオクタヴィアは叫ぶ。
「絵の具だ、ハット!」
『Searching......Target confirmation, Unlock!』
正解を叫ぶハットの声と一緒に、キャンパスに描かれた色がゆがみはじめた。
画家が、顔をあげる。
「そんな、そんな……!」
彼は一度もオクタヴィアに振り向かない。それだけ願いをこめて、命を賭してこの絵を描いたのだろう。
だがそれでも容赦なく、オクタヴィアはその胸に剣を突き刺す。そして、その剣をそのまま伯爵に投擲した。
こちら側で死ねば、あちら側で生き返る。たとえ現実がどうであれ、そうしなければならない。
生きている人間がここにいるのも、ここで死ぬのも、間違いだからだ。
「そ、んな……やっと……復讐……」
倒れた画家を見おろし、オクタヴィアは嘆息する。
「ハット。絵の具は何色だ?」
『十三色。残さず拾え』
しゃがんだオクタヴィアは、赤色と同じデザインの絵の具を拾おうと手を伸ばす。そのときだった。
「お前の、せいで、絵が」
もう筆を持つ腕がない画家に、手を捕まれた。
パレットから赤色を拭い取った、左手で――それは、彼の手にまだ残っている悪魔の遺産だ。
「血まみれになって死ね」
『オクタヴィア!』
何か言うより先に、目の前が真っ赤になった。自分の手首から噴き出したその血を、どこか他人事のようにオクタヴィアは見つめる。
(聞いたことあるな。自分がどうなってるか認識した瞬間、ショック死することもあるって)
つかまれた手がどうなったのか見てはならない気がした。だが視線が動いてしまう――ぱっくりとわれた、手首に。
目の前が暗くなった。
誰かがオクタヴィアの両目を隠したのだ。
「君はここで死んだら駄目なんじゃないかな、探偵さん」
『お前!』
「君はここで死ななくても現実に戻れるのか、見せてもらうよ。さあ、すぐに現実がやってくる。ワン」
手品めいた意識のそらし方だ。その証拠に、耳に聞こえる声は魔法のように優しい。
「ツー」
ここは滅びた帝國の、夢の残骸。でもオクタヴィアは生きている。
たとえこの帝國の後継者だとしても、現実で生きている。
「スリー」
そう――だからほら、目を開いても、切れた手首などない、現実が待っている。
はたかれたように目が覚めた。
「動くな、怪盗クロウ!」
すぐ近くで聞こえた大声に、オクタヴィアはまばたく。
薄汚れたアトリエも、さびれた王都も綺麗になくなっていた。チュリル伯爵の広い画廊だ。
だが画廊は、今や散々な有り様だった。床には食器や割れたグラスの破片、ひっくり返った皿の食べ物やワインらしきものが広がっている。あいた天井からは夜風が入りこみ、ばたばたとうるさくカーテンを鳴らしていた。
原因は、中央の台座の絵と――それを盗んだはずの、怪盗クロウ。
「俺たちをまんまと外におびき出してすり替えた絵を盗むつもりだったんだろうが、おあいにくだったな」
クロウに銃口を向けたアシュトンが不敵に笑う。それを見てから、オクタヴィアは自分の体を支えに、腕に抱えているものに気づいた。
それは『天使の晩餐』――怪盗クロウに盗まれたはずの絵だ。ついでに、気絶したチュリル伯爵が足元に転がっている。
(ど、どういうことだ? いつの間に私は絵を取り戻したんだ? 絵の具は……)
しかし現実はオクタヴィアを置いてけぼりに進んでしまう。
「やれやれ。可愛い探偵さんにしてやられるとはね」
黒いマントにつばの広い帽子、顔を半分隠したマスク――あちら側で会ったのとそっくり同じ人物が、薄い唇の前で人差し指を立てた。まるでからかうように、あるいはオクタヴィアに静かにしていろとでも言うように。
だが、その彼が意味ありげにもう片方の手のひらにのせたものは。
「しかたない。今夜はこれを頂くだけで退散しよう」
悪魔の遺産だった絵の具だ。
『アーーーーーーーーーーーーーーーー!?』
「あーーーーーーーーーーーーーーーー!?」
ハットとそろって叫んだオクタヴィアにウィンクをひとつして、クロウがとんと軽く床を蹴る。同時に、その背にばさりと黒い翼が広がった。
「く、黒い翼!?」
「な、何かのまたマジックだ! いいから目を離さず追え!」
「じゃあまた、探偵さん」
ばさりと黒翼を動かしたクロウは、そのままあいた天井から外に出て、王都の夜空に飛んで行ってしまう。手品でもなんでもない、ただの飛行だ。
呆然としたアシュトンがすぐ我に返って何やら指示を飛ばすが、準備もなく空飛ぶ怪盗を捕まえられる見込みは少ない。
ぽつりとオクタヴィアはつぶやく。
「……ワイヤー……」
『もう片づけてしまったな……』
「そうか……」
「くそっ逃がしたか。だがよくやった、探偵さんよ!」
ばんばんと背中を叩かれ、アシュトンの笑顔にまばたく。
「え、やったって何が……」
「怪盗クロウが初めてしくじったんだぞ! 盗み損ねた!」
絵が狙われていたことをぼんやり思い出したオクタヴィアだが、なんだか素直に喜べない。
「あの怪盗クロウに勝ったんだ。お前はこれから一躍有名になるぞ、よかったな」
「はあ……」
「なんだ、反応薄いな? どうした」
アシュトンに問われて、オクタヴィアは考えてみる。そして気づいた。
自分は今、生まれて初めて、敗北感を味わっているのだ。