令嬢探偵と怪盗の会敵①
部屋にやってきた使用人に案内された夕食は、想像と違った。それはハットも同じようで、呆れたように言う。
『本当に話題作りのことしか考えとらんのだな、あの子豚伯爵』
立食会場と化した画廊には、様々な装いの人々が談笑を交わしている。おそらく伯爵の友人であろう貴族らしき紳士淑女から、成金のような美術商、カメラを持ちこんだ記者まで一堂に会した夕食会だ。やや遠巻きに直立不動で立っている警察が、絵の警備をしているよりもパーティーの護衛に見える。
「結構な人数だな……こんな中でお披露目か」
そもそも出入り禁止にしたのも、準備のためだったのかもしれない。人混みが苦手なオクタヴィアは水だけ入ったグラスを持って、会場端の壁に背を預ける。
『こんな無礼講の夕食会なら、俺様もこんな可愛い髪飾りにならずともよかったのではないか? 今から戻っていいか』
いくらなんでも夕食時に帽子をかぶるわけにはいかないと思って、ハットには小さな帽子型の飾りがついたリボンになってもらっていた。比率的に帽子よりリボンと形容されそうな形状であることが不服なようだ。帽子としての矜持があるらしい、
「誰かに見られたら困る。能力差があるわけじゃなし、いいじゃないか」
『それはそうかもしれんが気合いが違うのだ!』
「しかし、これじゃあクロウも紛れこみたい放題だ」
大勢の客が招かれているだけあって、忙しなく動き回る使用人も多い。警察も会場内だけでなく薔薇園のほうにも姿がちらほら見える。アシュトンが何やら指示している姿がテラスの向こうにあった。警察もこれでは対処が大変だろう。
(罠に引っかかってくれればいいけどな)
ふと視線を感じて顔をあげると、白い礼装のエドワードがいた。こちらを見ていたようだが、明るいドレスの貴婦人に話しかけられて背を向けてどこかに行ってしまう。同じものを見ていたハットがつぶやいた。
『あいつまだおったのか。……だがひとりだな』
「ひとりはおかしいのか」
『普通、異端審問官はひとりでは動かん。やはり、あの詐欺男の言っていたとおり単独行動なのか、それともただの使いっ走りか……』
うんうん考えているハットの言葉で、ふと顔をあげる。
「そういえば、レイヴンはまだきてな――」
「呼んだ?」
「だから人のうしろに気配を消して立つな!」
つい怒鳴り返してしまった。レイヴンは笑ってやけに近かった距離を一歩分だけあける。
「ごめんごめん。難しい顔をしてぶつぶつ言っていたから、何か考えごとかと」
「あ、ああ……わ、私こそ怒鳴ってすまなかった。遅かったな」
「ああ、侯爵だと気づく奴は気づくからね。色々長い話を聞かされたりしてた」
意味深な言い方だが、嬉しい相手ではなかったのだろう。ふうん、と相づちを返すとハットがぼそりとつぶやいた。
『なんだ普通か、つまらん』
「でもオクタヴィア、面白い話を聞けたよ。今回の絵について」
『そして無駄に優秀だな、気に入らん』
「と言っても画家のほうだけど」
「無名の新人だっていう?」
ハットの合いの手が入ると気が散るので、自分から聞き返す。レイヴンは頷き返した。
「それがね、その新人、今日のお披露目にも姿を見せないらしい。人嫌いだとか伯爵は説明してるけどね。その無名の新人は、とても腕のいい贋作師だって噂が流れてる」
ぱちりとオクタヴィアはまばたいた。
「贋作……絵の?」
「そう。しかもその贋作は、伯爵の依頼で作ってたとか」
「……それって、まずいんじゃないのか」
チュリル伯爵は美術商だ。絵を売っている。そこに贋作が紛れこめば信用問題にかかわるが、わざと贋作を作らせて売ったならそれは詐欺である。
「あくまで噂さ。もし本当に贋作師なら、伯爵がその画家の絵をこうして公表したりしないという考え方もある」
「後ろ暗いことがない、という意味だな」
「一方で、画家のことは無名の新人と隠したまま。名前も公表されていない」
きょとんとオクタヴィアが見返すと、レイヴンは内緒話をするように人差し指を唇の前に立てた。
「もちろん、話題作りと囲い込みのために伯爵がそうしている可能性もある。本当にその画家が人嫌いの偏屈芸術家の可能性も捨てきれない。でも、その無名の新人――生きてるのかな?」
「……それって」
「あの絵は不思議なことが起こるらしいけど、それはその無名の画家が、命をかけて何かを願い、描いた絵だからだとしたら?」
思わずオクタヴィアは絵があるほうを見つめた。
さっきとは違い、台座の周辺は区切られ、大きなキャンパスは分厚い天鵞絨の生地をかぶせられている。
(額縁は、遺産じゃなかった)
だが、画家が使う道具は。たとえば筆とか――それに思い至った瞬間、いきなり会場にラッパが鳴り響いた。会場の照明が少し落とされ、絵がある台座だけ照らし出される。
「お待たせしました、皆さん!」
台座近くに立ったチュリル伯爵が声を張り上げた。
天井の高い画廊で反響がいいのか、拡声器なしでもよく声が聞こえる。
「まずは時間の確認を。そう、十分前。怪盗クロウが犯行を予告した午後九時まで、あと十分です」
チュリル伯爵の指す先には、大きな柱時計があった。時間ごとに鐘を鳴らすのだろう。振り子が左右にゆれている。
「ですが焦ることはありません。お約束どおり、皆さんにこの絵をお披露目いたしましょう。この絵の奇跡をご覧に入れるためにです。ですがその前に、紹介を。もちろん、怪盗クロウではありませんよ」
おどけた伯爵に微妙な笑いが返るが、伯爵が気にしていないようだった。そこへ出入り口がざわめく。
「おい、いきなり灯りが落ちたが何かあったのか?」
「ちょうどいらっしゃいましたね。ご紹介します、まずは警備に当たってくださっているアシュトン警部です!」
伯爵が拍手をする。そのまま続く拍手に、ちょうど会場に入ってきたアシュトンが頬を引きつらせていた。
『完全に自分に酔ってるな、あの子豚伯爵』
ハットの評価に内心で同意した。アシュトンは伯爵に手招きされあからさまに嫌そうな顔をしたが、結局歩いていく。柱時計をちらと見ていたから、今は狙われている絵のそばにいたほうがいいと判断したのだろう。
「そして探偵オクタヴィア嬢!」
大変だなと思っていたら他人事ではなかった。
ぎょっとしたオクタヴィアに一斉に皆の目が向き、拍手が鳴る。ついあとずさりかけたオクタヴィアの背を、レイヴンが押した。
「行こう、オクタヴィア」
「だが目立つと、いざというとき動きづらく……」
「でも、少なくとも絵の近くにはいけるよ」
それもそうだ。腹をくくったオクタヴィアは、黙って台座のそばへと向かう。一緒についてきたレイヴンに伯爵は少し眉をよせたが、何も言わなかった。警察のアシュトンと探偵のオクタヴィアたちを台座の両脇に立たせて、満足げに両手を広げる。
「さあ、これで役者はそろいました! では時計の鐘の音に合わせて絵をお披露目したいと思います」
「……のんきなこった」
小さなアシュトンのつぶやきは、ボーンと鳴り始めた時計の鐘にかき消された。
さっと動いたのは、台座のそばに控えている使用人らしき者たちだ。絵にかぶせられた生地から伸びた紐を持っている。時計の音に合わせて落とす仕組みなのだろう。
「まぎらわしい」
鐘の音にまぜて、オクタヴィアも思わず苦情をつぶやいてしまう。聞こえたのか、隣のレイヴンが笑った。
「過剰演出だね。それだけ盗まれない自信があると」
「……お前、もし何か危険そうだったらすぐ逃げろよ。できるだけ守ってやるが、仕事が優先だ」
レイヴンはなぜか息を呑んだようだった。だがすぐに息を吐き出して、苦笑い気味に返事が戻ってくる。
「仕事――怪盗クロウ優先?」
「当然だろう」
「そうか。そういう君は素敵だなと思うけど……少し」
ちょうど八つ目の鐘が、レイヴンの言葉をかき消してしまった。少し気になったが、背筋を伸ばして神経を研ぎ澄ませる。
そして、午後九時を知らせる九つ目の鐘が鳴った。