令嬢探偵の調査③
レイヴンとアシュトンのうしろに続くオクタヴィアに、ハットが小さな声で尋ねた。
『オクタヴィア、いいのか。こいつらと一緒で』
「……しょうがない」
『あぶなくなっても助けたくないぞ、俺様は』
だが、今のところあやしげな気配はない。そもそも大広間の扉から画廊に続く小広間にも、オクタヴィアたち以外の気配はなかった。
鍵もかかっていない両開きの扉を、アシュトンが開く。
二階部分まで吹き抜ける形の、広い画廊だった。見取図の通り、最奥の庭に面したテラスや壁は硝子張りになっており、薔薇園が眺められるようになっていた。部屋全体が美術品のような造りだ。隙間なく床にきっちり敷き詰められた赤い天鵞絨の絨毯も、窓にいくつも垂れ下がったカーテンや金の縁もすべて、美術品を映えさせるためにあつらえられているとわかる。
その中、ぽつんと最奥にある台座に、ひとつだけ絵が飾られていた。大きな絵だ。オクタヴィアが両腕を広げてなんとか抱えられるくらいの幅がある。最初に近づいたアシュトンがズボンのポケットに両手を突っこんでつぶやく。
「これか。『天使の晩餐』か」
それは、雲の隙間から描かれたそれぞれの食卓の風景だった。最上部に、使用人に大皿を運ばせワインを注がせる贅沢な貴族の晩餐。中部には絞りたての山羊の乳を子どもにわたし、パンを持っている農家の朝食。最下部には、暗い路地裏で襤褸をまとった骨と皮しかない子どもが、身を寄せ合って石をかじっている。
「……天使が食事をしてる絵じゃないんだな」
ひとまず素直に感想を告げたオクタヴィアに、アシュトンが振り返る。
「天使は人間と違って食事が必要ないらしいぜ。この絵は、天使にとっては人間の営みを眺めることが食事がわり――晩餐だっつってんのかもなぁ」
「それって性格が悪すぎないか。のぞき見だろう」
顔をしかめると、うしろでレイヴンが噴き出した。
「天使に向かって性格が悪い、か。いつも君の見方は面白いな」
「別に面白いことを言ったつもりはないんだが。……なら、お前にはこの絵がどう見えるんだ」
なんとはなしの質問のつもりだった。だがレイヴンは嘲るように口端を持ち上げて、その綺麗な瞳を絵に向ける。
「人間なんてただの餌だ」
「……えっ」
「冗談だよ」
正面からまじまじと眺めても、レイヴンの微笑はいつも通り、まったくその胸の内が読めない。オクタヴィア自身、ひとの顔色や機微を読むのは苦手だが、レイヴンの笑顔の仮面は鉄壁ではないかとぼんやり思う。
「絵の談義なんざどうでもいいんだよ。問題は警備だ。外から丸見え、視界を遮るものもなければ障害といえるのはただの硝子……最悪だな。さて、どう警備を配置したもんだかなぁ」
壁際にそって歩き出したアシュトンが、薔薇園が見える硝子を叩き、嘆息する。
オクタヴィアも気を取り直して、ひとりで絵に向き合った。まずそっと額縁にさわってみる。
『……何も反応しないな。少なくとも額縁は遺産ではなさそうだが……』
「でも、なんだか嫌な絵だ」
さっきのレイヴンの解説のせいだろうか。だが、ハットも神妙な声で同意を返した。
『そうだな。なんだか嫌な感じはするのだが、うーん。はっきりせん。起動してないからなのか、それとも隠れているのか……』
「隠れるなんてあるのか」
『遺産にも力の大小と比例して知能がある。遺産の管理者である俺様が全知全能でしゃべれるようにな。この世界で帝國の遺産は見つかれば利用されるか壊されるかだ。警戒もするし、隠れもするだろう。悪魔の遺産として起動していればなおさら、応答もせんさ。……ひとまず、今のところこの絵は安全なようだが』
「だが、物やひとを飲みこんでいるという噂だし、怪盗クロウが狙っている」
そのつぶやきが聞こえたのか、今度は足音を立ててレイヴンが近づいてくる。
「何かわかった?」
「いや何も」
素直に答えると、レイヴンは目を丸くしてから、なぜか笑った。
「それは困ったね」
「困るのか? 私の方針は決まったんだが」
「そうなのかい?」
「とりあえず怪盗クロウを本気でつかまえる」
ぱちりとレイヴンが目をまばたいた。
「本気で……って?」
「アシュトン警部! すまない、少々聞きたいことがあるんだが」
「あー? 警備については答えられませーん」
手帳に画廊の構図を書き込んでいるアシュトンの前に、平行定規が書いた屋敷の見取図を垂らして見せた。咄嗟につかもうとしたアシュトンの手を素早くよける。
「おまっ……それ、どうやって!」
「共有してもかまわない。そのかわり、怪盗クロウの情報がほしい」
「はあ!? そんなもん教えられるわけ――っていうかそれよこせ!」
襲いくるアシュトンをひょいひょいとよけ、オクタヴィアは距離を取った。
「別にそんなに大したことを聞きたいわけじゃない。怪盗クロウは、人間なのか知りたいんだ」
奪うことを諦めたらしいアシュトンは、むっと唇をゆがめた。
「そら、有翼人かどうかってことか」
「空を飛んで現れるとか噂があるだろう。どうなんだ」
この世界は、天使が救った世界だ。そしてこの国は天使の末裔――天使と人間の混血である有翼人がおさめている。
だが、すべての翼を持つ有翼人が王城のある空の大地に住んでいるとは限らない。人間の血が濃くなっていくと翼を失い、地上におりるとも聞いている。王族でも、エドワードのように天使の末裔でありながらほぼ人間と見目が変わらない天使の末裔がいるのだ。
「さぁな。魔力を持ってるのは間違いないだろうが、有翼人かどうかまではわからん。っつうか有翼人なら、どっちかっていうと王族の管轄だ。それならそれでお達しがあるはずだが、それもねえし」
「君、そんなことべらべらしゃべっていいのかい?」
呆れるレイヴンに、アシュトンは両手を広げて肩をすくめた。
「あいにく俺は天使も見たことなけりゃ女王陛下に会ったこともない、地に足のついた地上の生き物だ。それに、怪盗クロウが有翼人だと面倒極まりないんだよ。異端審問官がしゃしゃり出て横取りしかねな――」
そこまで言ってアシュトンが口をつぐんだ。レイヴンが苦笑いする。
「いるね、異端審問官」
「……いるな。するってぇと、なんだ。あの王子様は怪盗クロウの正体を確かめるために……いやだが絵のほうって可能性もあるのか……」
「アシュトン警部、それはどうでもいいから、もし怪盗クロウが有翼人だった場合、腕の一本や足の二本切り落としても生きていられるか教えてくれ」
しんと画廊の静寂が広がる。なぜかアシュトンは固まっているし、レイヴンは頬を引きつらせていた。
だが、オクタヴィアは大真面目に問いを重ねる。
「それとも足の骨を折る程度にしておいたほうがいいだろうか?」
『それでいいと思うぞ、名探偵!』
誰も答えない中で、ハットの回答だけが響いた。