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世界が滅ぶまであと100日  作者: ふきのとう
龍と宝石編
6/23

第5話 『イミテイティブ・デイズ』

 快晴が朝の空気を浄化する。

 空気は軽快に、ただただ弾んでいた。

 8月3日。礼拝曜日。

 ベルとの口約束が頭によぎる。

 婚約者である彼女の可憐な笑顔を思い出す。

 オルタはただ、朝ぼらけの軽い頭痛にしわを寄せる。

 礼拝へとベルと行く。

 それだけのことだが、こんなにも心が躍るものなのか。

 楽しみにしていた。

 オルタはこの日を。

 オルタは遅めの起床。

 長めの昼食。

 広場へと足を進める。

 最悪な日となる前触れに気づかぬまま。


「やぁやぁ!オルタ君!」

 幼さが目立つ声音が聞こえる。

「なんだよその口調」

「敬敏な信徒のオルタくんにつきあってやらなくないってんのよ!感謝してよね。」

 彼女の声は軽快で、オルタは救われたような気がした。何も救われてなどいないのに。

「お前がいい加減なんだよ。ベル」

「ふふっ、それもそうだね」

 楽し気な声と飽き飽きした声が交わり、歩き出す。

 教会で祈りをささげる。


「んん――・・お祈りしたらスッキリしたかも・・」

 小さくなっていたベルが教会から出た瞬間に体を伸ばす。美しい吐息と共にベルの身長が見下ろすほどに小さくなる。愛しいその姿を見るだけで、オルタは満足だった。

「来週からは礼拝に来いよ・・」

 期待などしていないが、こうして礼拝曜日は毎回ベルとやってきて、こうして祈りを捧げ、こうして感傷に浸りたい。

 恋人の姿は傾いた日によく映える。

 午後四時頃、ベルと市場を見回ったがベルが目をかがやせて服のショーケースを眺めていたこと以外に大したことはなかった。

 公園で時間を潰していると、ふいに何か思いついたり、何かに気づいたりするものだ。


「――このうた」

 その言葉以外に何も発せず、ただただ呆然と耳に入る言葉を、旋律を聞き続ける。

「え?なになに?私の鼻歌が綺麗だったって?いやー照れるなぁ。」

「ちょっとベル――」

「ん?どうしたの?」

 真剣な眼差しを察したようにベルもおちゃらけた態度をやめる。

「――ちょっと待っててくれ!」

「――」

 ベルは公園でオルタの背中を見守るように眺める。

 ――オルタは駆ける。夕焼け沈む平穏な帝都を。


 掠れたような、低い男の声。大衆のざわめきに比べればあまりに非力で、脆弱な声。今にも消えてなくなりそうな声。

 その声が旋律を奏でてオルタの心を鷲掴みにする。

 声の主を目で探し続ける。見つからないなんてありえない。見つける。見つけるのだ。

 何度も聞いた声。聞いていたはずの声。

 声への期待が暴発するように膨らみ、オルタの足を更に速める。オルタは激情のあまり叫びだしていた。

 ――ただただ、父の名前を叫んでいた。

 滾る熱情を抑えきれず叫ぶオルタは声を追う。渇望してきた声を。

 掻い潜った人混みは大衆の香りが充満しており、ざわめきも同様に増幅していた。

 それでもオルタは聞き逃さない。聞き逃すはずもない。


 失踪した父の、渇望し続けたその父の、憧れだった父の、その声を!

 狭い路地に入りオルタは薄暗さとひんやりとした空気を同時に味わう。声の主はいない。歌もいつの間にか消えており、勘違いに激情をたぎらせていたのかと落胆する。

 ――そんなことを考える余裕などない。

 肘で口を覆われ叫ぶことができない。

 太い掌で腕を掴まれ抵抗ができない。

 体の自由を奪われた中で抵抗は無意味だ。

「――ふぅ・・・これで元通りだ。」

 声の主は安堵するようにそう零す。

 地面からの轟音が響き大衆がざわめきだす。意識と間隔がごっちゃになり、混濁した感情が行き場を失い彷徨う。

 理解を超えた現象の前にオルタは助けを求め必死に声を上げる。

 ――意識が消えるその時まで。



「あと一回」



 温かいベッドの抱擁はいつでも幸せだ・多幸感を撥ね退け上体を起こす。

 呆然としてただただ言葉もないまま、思考だけは胎動している。

「――龍、宝石、ループ・・・・・」

 言葉が出るのに時間がかかったが、記憶は取り戻した。

「――あぁ!クソっ!残り一回って・・・」

 残り一回の残機にオルタは頭を掻く。

 何もかも、遅すぎた。もう、何もできない。無力感だけを感じて、死ぬことしかできないのだろうか。

「――もう・・・・無理だな・・・」

 絶望と落胆の感情がため息とともに滲み出る。

 聞こえてくるのはため息と、ベッドのきしむ音と、鳥のさえずりと、上階の床がきしむ音だ。

 ――上階の軋む音。

 オルタの家は一軒家である。疑念が生まれ、オルタは上を見上げる。軋みは止まず、オルタの恐怖に舌なめずりするかのように音は大きくなる。


 ――木材の割れる轟音がして、オルタの足元に人影が落下した。

 天井が崩壊し、落下した人影が首をもたげながら体を起こす。

「カラクリはこうだ。日没の瞬間に手を繋いでいなければならなかったから、難易度は高かった。だが記憶を取り戻した以上、直接会いに行けばいい。」

 男がそう漏らす。こちらに話しかけているのか。男はただ、体の木片を払い、その黒髪を撫で上げ隠れていた顔をあらわにする。

「オルタ、さっきお前残り一回がどうとか言ってたよな。安心しろ。それは私の数字だ。」

 男は首飾りを掴んでオルタの目の前にやる。その首飾りは蒼く煌き、オルタの心に決して少なくない衝撃を与えた。

「――と、・・・とうさん」

 オルタの19年の人生で一番無様でみっともない声がオルタの口から、心から、オルタ自身から零れ落ちる。

 二度とかなわぬ夢が、手の届かない希望が、見えなかったはずの幻想が、全てが一つに収束してオルタの目の前に顕現する。オルタの人生の幸運の権化が。




「『Through the Night, Beyond the Future.』、とある歌の歌詞だ。『夜を超えて未来のその先へ。』。辛い出来事がいくらあったとしても、その先には未来が、希望が、道がある。決してあきらめずに前に進め。そういう意味だな。」

 オルタの父であるオーディンの顔につられ、幼少期のオルタも真剣な顔つきになる。

「ま、そういうことだ。今はわからなくてもいずれわかるさ。」

「――」

「笑え。笑えば嘆かなくて済む。夜が来るたびに、底に堕ちるたびに泣くんじゃなくて、笑うんだ。」

「うん!笑えばいいんでしょ?」

 天真爛漫な笑顔がオーディンの心を照らす。

「なぁオルタ。お前はな・・将来大きな責任を背負うことになるだろうさ。」

 首を傾げ、オルタはオーディンの顔を神妙に見つめる。

「責任だ。責任。お前は仲間と、世界と、大衆を背負って、笑わせて、守って、尽くさなけりゃいけない。お前はそういう男になるんだ。」

「――」

「――お前はそういう男だ。」

 酷く重々しく弱弱しい声がオルタの耳に入る前に消える。

「なってくれるか?」

「うん!」

「約束だ。約束なんだ。」

「いいよ~!」

「よし!あの歌を歌ってやるか!」

「ほんとー?」

「あぁ。ほんとうだ。」


「――あと一回だけだぞ?」

 オルタはオーディンの腕の中で重い瞼を重力に任せ閉じ、オーディンの凹凸だらけの歌を子守歌に、静かに眠る。

 その様子を父はただ、期待と、親愛を精一杯込め、オルタに歌を歌う。


 世界が滅ぶまであと75日。

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