第1話 『イミテイティブ・デイ』
意識が覚醒へと導かれ、瞼越しの光がオルタを迎え入れる。徐々に意識が回復していく。
自分の首下を最優先で確認する。宝石の安否を確認し安堵に満ちる。
跳ね起きたせいか、意識が、視界がぼんやりとしている。
そのかすんだ眼をこすり、場所を確認する。激痛はとうに消えていた。
――自分の寝室に座っていた。
寝室のなまぬるい空気が出迎える。驚愕するオルタ。
「――夢?」
疑問が言葉となり、口から零れ落ちる。
体からの出血は痕もなく消えていた。激痛が夢であったと感じさせるほどの、それを信じざるを得ない状況である。困惑するオルタ。
この現実味のある悪夢が目の奥に焼き付いて離れない。恐怖に蹂躙されかけたその心はすでに平静を取り戻していた。
8月3日。蒸し暑く、汗ばむ陽気が嫌なほど纏わりつく日。礼拝のため、重い腰をベッドから上げ、セミの声を聴く。礼拝曜日には礼拝に行く。常識を思い出し、帝都まで電車に揺られる。心地よい音が、耳を通り過ぎていく。
当たり前の一日である。帝都グランは賑わいを見せ、濃い人混みの香りが鼻を刺す。
日照りが肌を焦がす。体の冷却のため、すぐそこの店に入る。おしゃれな雰囲気のある店は行きつけの店だ。
午後二時、賑やかで活発な広場で独り座り込み、人を待つ。
「やあやあ。オルタ君!」
威勢のいい声が聞こえた。何度も何度も聞いた、聞きなれた声が。
「なんだよその口調。」
「敬虔な信徒のオルタ君に付き合ってやらなくてもないってんのよ。感謝してよね。」
やや紛らわしい返事が軽快に聞こえた。
彼女、ベルの声だ。礼拝に誘い連れてきたのだ。
――何でもない日常。
「お前がいい加減なんだよ。ベル」
「あは!それもそうだね!」
テンションの高い返事が罵倒交じりの軽口を受け流す。
帝都グランは二重の壁に囲まれた街である。内側の城壁の中に王族が剣呑とした雰囲気で居座り、外側の壁の中には貴族や聖職者などの上流階級の国民が居座る。
中心部から放射状に広い大通りが悠然と伸びていて、南西地区は特に通りが広い。
「お祈りしたらなんかスッキリした。」
安堵の表情で微笑する彼女の美貌は衰えることを知らない。
「そりゃそうだ。わかったら来週からは礼拝に来るんだぞ。」
当たり前のように自慢げに話す。
このやり取りが何より愛おしい。
――違和感。違和感だ。何かがおかしい。違和感はすぐに判明する。彼女との礼拝はオルタにとって初めてである。それなのに、それなのに既視感が否めない。まるで客観的にこの光景を見ていたかのように。
何だ。この会話聞いていた気がする。
何だ。この情景視いていた気がする。
何だ。この感触触っていた気がする。
全てが、そう全てが見知っている。
――夢。夢だ。夢幻の話が今、異様な現実味を帯びる。
思考が停滞から解放され、脳が沸騰せん勢いで回転する。
――考えろ。
事象の大筋はそのままだ。
――考えろ。
現在の時刻は午後4時。あの地獄は30分後――。
――考えろ。
思考は結論を生み、言葉に変換される。
「――大地震がくる・・・」
「――ぇ?」
彼女の疑問が耳に飛び込む。心地よいその声音が、恐怖と信じられないと言わんばかりの疑いで染め上げられている。
「ジシン?ジシンって地震?」
「――そうだ!日の入りの時間、大地震が来るかもしれない。――いや来る!屋内は危険だ!」
焦燥で呂律が回らない。
「そんなこと言ったって、ここらで大地震なんて・・・地震と言ったらもっと西の方でしょう!?」
焦燥と緊迫が伝染する。
「とにかく大通りに出よう。遮蔽物のないところに――!来てくれ!ベル!」
焦燥と緊迫が最大限にまで引き上げられた。心音が耳のすぐ近くで爆音でかき鳴らされる。
町の賑やかを他所に男女は駆けていく。疾走の合間声が聞こえる。
「ね、ねぇ!オルタってば!」
ベルが叫ぶ。驚愕に視界を埋め尽くされている声だ。
「そろそろ日没だよ?――地震なんて・・・」
「連れまわしてすまない・・でも、もしものためだ。何かが起きてからでは遅いんだ!自身が来なければ後から安堵すればいい。今はとにかく――」
足の回転が速くなる。焦燥が肌を焦がす。
騒がしさはどよめきに変わり、緊迫が増す。民衆は首を上げ、目の前の出来事を目に焼き付ける。
「ね、ねぇ。オルタ――」
彼女の声には変わらず驚愕があった。しかし、それはさらに強まっていた。
「――だからついt」
「違う。あれ!見て――」
声を重ねられた。指さす方向には城壁があり、いつもと変わらぬ様子でそびえたっている。
――龍が、いた。
赤黒色の鱗を身に纏い、見事な曲線美は相対するものを圧倒し、魅了していく。力強い顔が、蒼の相貌がこちらを見ている。
日の光が城壁に吸い込まれ、消えていく。
刹那、巨大な雄叫びがあげられ、赤黒色の鱗が光る。
城壁への突撃、不可解な行動が魅せられたものを困惑させ、驚愕させる。
――貫通。龍の真髄を見せられた。壁は壊れることなく龍を受け入れる。その衝撃が地面に伝わり、龍は地面に沈み込む。深く響く地響き。
地震だと思っていた謬錯がオルタを嘲笑う。嘲笑の渦の中、悲愴な声が漏れる。
「地震じゃ、なかった。」
衝撃に心を貫かれる。胴が大通りを圧迫する。地の中を悠然と泳いでいく龍を見守ることしかできない。
土が音もなく爆砕する。轟音の轟く中心、龍が顔を出す。
大通りすら凌駕した。その圧倒的力になすすべもなく――。
ベルを見ている。
巨大な龍はベルに向かって突進を始める。
守らなくては、五感が鋭くなり、身体能力が爆発的に上がる。走れ!全速力で駆けていき、龍とベルの間に入る。
恐怖で人格が歪みそうになる。
――最後に見たのは蒼の目であった。
意識がこの世のどこでもない場所へと転移し、消失する。なすすべなく倒れる。
否、倒れたのかすらわからない。
遠く、遠く、もっと遠く、意識が、遠のく、もっと、遠くに――。