王妃様は運命に出会います⑦
クランベルトは、ゼッペルにまだ会えていない。
「じゃあ、ゼッペルは仕事中なのか?」
目前の青年から、ゼッペルの居所を訊くのはこれで二度目だ。ベネーラでも訊いている。
「はい。急遽仕事を頼まれて、描いています。えっと、場所は」
「七番だろ?」
「はい! ここを真っ直ぐ行って、商業区画の七番。古井戸の横の家です」
青年が元気な声で答える。そして、なぜかキラキラした瞳でジーッと見つめてくる。
「今なら、高値の師匠の似顔絵でなく、安値の僕の似顔絵でいけます!」
クランベルトは口元をヒクつかせた。ベネーラでも世話になっておきながら、ここで断るのは勇気がいる。きっと、金子だけ渡すことも絵師である青年の自尊心を傷つけてしまうだろう。
というわけで、クランベルトはジェロの肩をポンポンと叩いた。
ジェロが『ヘッ?』と吐いたと同時に、両肩をグッと押して座らせた。
「こいつを描いてくれ」
「ありがとうございます!」
ジェロが慌てて立ち上がろうとするが、クランベルトはジェロの両肩を押さえたままだ。
「盛らなくていいから。こいつを見たまんま、感じたまんま描いてくれ」
「了解しました! お任せください。あ、僕はマルコと申します。えっと……」
「よろしく、マルコ。こいつはジェロ、私はク……クライブだ」
ジェロがモゴモゴと口を動かしている。
クランベルトは、ジェロの耳元で『こんな村で警戒することもあるまい。一人でも大丈夫だ』と囁いた。
『ですが!』
『すぐ戻る』
ジェロの言葉を遮り、クランベルトは颯爽と歩いた。
ジェロの恨めしそうな視線を完全に無視して、クランベルトは久しぶりの単独行動に胸を躍らせる。
「そういえば、もうずいぶん一人の時間を過ごしていないな」
それこそ、このクルツ村に視察に来た幼い日以来かもしれないと、肩を竦める。王城では、いくら一人といっても、見える範囲に近衛や従者、見えぬ所に影が警護しているのだ。
王が一人で居るなど、生涯の中で数度のことだろう。
「森に一人で行って、しこたま怒られたな」
幼い日の記憶が鮮明に蘇る。
「確か、川向こうに……」
クランベルトはフッと笑った。視線は森に向いていた。
「全く、すぐに横道に逸れるな。何かが阻んでいるのか、それとも愉しいからか」
クランベルトは、フゥッと息を吐き出して目的のゼッペルの家に向かった。
商業区画七番。行き先は分かっているが、目前の光景にクランベルトは絶句する。
中央の広場に並べられた馬車やら荷車は、一級品であることは見て分かる。誰が見ても分かるだろう。それも、森の質の良い木のおかげだ。
加えて、あの奇妙な馬車が展示している。ベネーラで見たあの店舗に展開できるという馬車だ。ベネーラの町でも耳にしたほど、今注目の馬車なのだろう。
そこに、数人の職人とお客だろう商人やら農民が熱心に言葉を交わしている。きっと、商談中なのだ。
「やはり、人形劇の娘であったか」
馬車の存在で、クルツに居るのはラレーヌの姫でなく人形劇の娘だと判断がつく。
ジェロが混乱して指摘したように、やはり人形劇とこの馬車から発想すると、ゼッペルが描いたのは村娘となる。
ラレーヌの姫は一体誰に似顔絵を描いてもらったのか。クランベルトは顎を擦りながら考えた。しかし、その手がかりはない。
残る手がかりは、ラレーヌの姫が購入した編みかごだ。つまり……
「かご屋の、いや人形劇の娘に会って訊かねばならぬな。もう一人娘も居たが……はて、どんな娘だったか?」
クランベルトの記憶は、人形を操る村娘しか印象に残っていない。それもその娘が人形のようだと思ったからで、ラレーヌの姫と同じ髪色、瞳でなければきっと記憶には留まらなかったはずだ。
「戻って村長に訊いた方が早いだろうか。まあ、娘は逃げまいし、久しぶりに偏屈ゼッペルにでも会っておくか」
クランベルトは、区画を左回りに移動し七番方向に進んでいく。しかし、どうもその七番が見当たらない。
大きな工房まで進み、引き返す。
「どこだ?」
キョロキョロと見回していると、ポンポンと肩を叩かれる。
「どうした? 誰かと待ち合わせか……それとも迷子か」
不審がられたのか、親切心か分からぬが、クランベルトは声をかけてきた男に軽く会釈して、七番の家はどこかと訊ねた。
「ああ、七番か。工房裏の古井戸の近くなんだが、今は不在だ」
「不在?」
男が小脇に抱えていた木材を下ろしてフゥと大きく息を吐いた。
「森にさっき入っていった。小枝拾いだって言ってたっけ」
「絵師が小枝だと?」
「へえ、絵師って知ってるのか。知り合い?」
男が首をコキコキと鳴らす。
「ああ、知り合いだ。クルツに引っ越したと聞き、挨拶でもしようかと」
そう返した時、男は呼ばれたのか振り返った。
「お頭! お客が首を長くして待ってます」
「お頭って呼ぶなー!! ヨザックだ」
ヨザックが木材を再度小脇に抱える。
「森、ライトアップされていて綺麗だから、足を運んでみてくれ。ゼッペルさんも散歩がてら枝拾いだって言ってたぜ」
ヨザックが工房に向かったのを見届けると、クランベルトは展示場を突っ切って森へと向かった。
「結局、川向こうに行くことになるのか?」
クランベルトはプッと笑う。ジェロの言っていたように、捜す対象がコロコロと変わっていく。一体自身がどこに向かって何をしているのか、迷っているようにも感じてしまう。
「全く、厄介だな」
そうは言うものの、クランベルトの口角は上がっていた。
ライトアップされた道を進む。新しく整備された道のようで、歩きやすい。
「あっちは住居区画からの道か」
少し離れてもう一つ道があるのか、ライトアップされている。クランベルトは、幻想的な灯りに沿って森を抜ける。
前方からサラサラとなびく音が聞こえてきた。もうすぐ草原に出る。幼い頃の記憶で、クランベルトの足は速まった。
小走りに森を抜け、広がる草原に足を踏み入れた。
草原の爽快さを全身に受けてクランベルトは走る。
かすかに水の流れる音を聞き、ゆっくり歩に変える。
「懐かしいものだな」
クランベルトは、小川を飛び越えた。そして、記憶を辿りながら進む。
「もう道しるべは無くなっているかもしれないな……」
王族だけに伝えられている『罪人の森』の道しるべだ。この森の奥に進み、戻ってこられる者は、森人か王族だけだ。
「その役割ももうないがな」
先代が『罪人の森』の役割を終えて以来、この森の道しるべはもう王族に伝承されていない。クランベルトで終わっている。
川向こうの草原を進むとまた木々が生い茂った森になる。クランベルトは、振り返った。灯りがほのかの漂う森に目を奪われる。
人の動きに灯りが動いているように見えるのだ。人影が灯りを漂わせている。手を繋いだ人影は恋人達だろうか? クランベルトはフッと笑った。
「姫は、未来の王妃はどこへやら?」
呟いて、森へと進みかけたが、視界の隅に大きくなる人影を捉えた。
クランベルトは、色を認識した。
「クリーム色の……」
月明かりに照らされ、風になびき、クランベルトを色が誘う。
足は勝手に闇夜に浮かぶクリーム色へと進んでいった。
屈んだクリーム色が小川に手を入れている。
かすかに声が聞こえてくる。
「手の中のお星様……」
クランベルトは、星を見ようと覗き込んだ。
クリーム色がゆっくりと顔を上げる。
「え?」
一瞬紡がれた声、桃色の瞳がクランベルトを見ている。
そこには、ベネーラで見た人形劇の娘と瓜二つの別人がいた。姿形全て同じであるのに、クランベルトの第六感が違うと主張する。
「……お前、誰だ?」
あのベネーラの娘は、人形のようであったのに、この娘はあの人形に息吹を与えたように生き生きとしている。どう見ても同じ人物には見えなかった。
「私は、生き物です」
「い、いき、ものだと?」
クランベルトは内心を見破られたのかと思うほど驚いた。
娘がバッと立ち上がる。
「あ、あの!」
小川を挟んで瞳が重なった。
『こいつだ』
直感が先に答えを出す。
沸き起こった感情を理解するのに、一瞬の間が生まれた。
「さ、さ、さ、さ、さようならぁぁ」
娘の背中を見て、クランベルトは焦る。
「お、おい!?」
足は上手いように動かない。ただ闇夜に揺れるクリーム色を瞳が追いかけるだけだ。
その色が森の中に消えてから、ハッとしてクランベルトは走り出す。
しかし、森を抜けると人だかりにぶち当たってしまった。クリーム色はもうどこにもない。
「いやあ、見事な模擬戦でしたな」
「王都でもあんな模擬戦を見られることなんてないでしょうね」
「本当に! 俺ら行商をしているが、あそこまで見事な模擬戦は見たことがない」
「そうそう、剣と弓の戦いなんて初めてだぜ」
クランベルトの耳に様々な声が入ってくる。
「あっ、見つけた」
ジェロと近衛がクランベルトを見つけたようだ。
ジェロの顔が若干怒っているのは、気のせいではないだろう。
「全く、いい歳こいてご自分のお立場が分からなくなるとは、嘆かわしいですよ!」
クランベルトは、フンと鼻で返しただけだ。
「それより、似顔絵はどうだったんだ?」
ジェロがまた不満げな顔をさらす。
懐から出された紙をクランベルトは受け取った。
アンバランスな顔がそこに描かれている。ジェロの特徴ある広がった耳と、つり上がった目が大きく描かれている絵だ。
「ずいぶんと独創的な似顔絵だな」
「独創的でなく、明確に下手くそと言ってください!」
クランベルトは、マジマジと似顔絵を見る。アンバランスだが、とてもジェロを捉えている。
「前衛的、斬新的……まあ、新しい感じで良いと思うが。だから、ゼッペルも弟子にしたのではないか?」
「ああ、そういえばゼッペルさんですが、似顔絵の最中に会えました。確認したところ、やはり似顔絵を描いたそうですが……」
「人形劇の方の娘であったのだろ?」
クランベルトは、商業区画の馬車のことを言った。あれがあるということは、人形劇の娘になる。
「それが、何とも」
ジェロが渋い顔になった。
「その人形劇の娘は、皆に『姫様』と呼ばれているのです」
ジェロの言葉に、クランベルトの顔も渋くなる。
「つまり、どういうことなのだ?」
クランベルトは腕組みをする。
皆の頭は大混乱していた。
「この村の『姫様』的娘……看板娘でしょうか?」
近衛がポツリと呟く。
「それとも、王太子様の……才女で『姫様』の可能性も?」
他の近衛も続く。
「もしくは……ラレーヌの『姫様』かも?」
ジェロが『あり得ませんが』とも繋げた。なぜなら、村人と一緒に行商に出かけ、人形劇を披露し、村に滞在する『姫様』などあり得ないとの判断だろう。一番有力なのは、この村の姫様的看板娘の方がしっくりくる。
「ゼッペルはどう言っていた?」
クランベルトは、ジェロに確認した。
「あの者は偏屈者ですので、私には絵を描いたことしか教えてくれませんでした。『娘の尻を追っている変態には教えん』と言われてしまい……王様でないと口を開きませんでしょう」
ジェロが苦虫を噛み潰したように言う。
「あいつの偏屈は変わらんな」
クランベルトはフッと笑った。
その時、音花火が鳴る。
「人形劇が始まるようだな」
クランベルトは、動き出した人々の背を見る。
「私達も向かいましょう。人形劇の娘には結局話を訊かねばなりませんから」
ジェロが言った。
クランベルトは頷く。
人波に身を委ね、住居区画へと進むのだった。
次回更新→5/18(月)予定




