王妃様は運命に出会います⑥
アルメニアは、鉄鋼馬車の中で人形劇の準備をしている。
鉄鋼馬車と幌馬車は、商業区画の井戸近くに待機させている。つまり、ゼッペルの小屋の近くだ。箱馬車は村の入口だ。馬小屋や馬預かりの場として整備したので、食器売りの三兄弟の馬車もそこにある。
ヨザックが作ったお店馬車は商業区画の中心で展示されている。他に大中小の手押し車や、荷馬車用の荷車、こじんまりした箱馬車も一台作り上げて展示していた。
「どうせなら、『王太子の花園』でも上演しようかしら?」
「それは面白いですね」
メリッサが同意した。
鉄鋼馬車の中には、アルメニアとメリッサの他に多くの人形が並んでいる。
アルメニアは絵本を見ながら人形を選ぶ。
「王太子と引っ込み思案の姫のラブロマンス!」
二体の人形を選び、アルメニアは満足げに微笑んだ。
「姫様にはほど遠いロマンスですね」
メリッサの言葉をアルメニアは、恨めしそうに睨む。
「どこがどうほど遠いのよ!?」
「姫様に引っ込み思案なんて言葉は似合いませんよ」
メリッサがさらりと返した。
「私、これでも純情よ! クランベルト様にお目にかかるのを躊躇してしまうくらい、自信がなくて……引っ込み思案中だもの」
はぁと息を吐き出し、アルメニアは飾ってある姿絵を見つめる。
「こんな美丈夫な方の目を見つめるなんて、できるわけないわ」
「だから、こうして逃げ回っておいでですか?」
「ち、違うわ! 誰だって、心の準備がいるでしょ」
「ずいぶん長い準備期間ですね。ラレーヌを出てここに至るまで、もう二カ月になる目前です」
アルメニアは何か言い返そうとするが、口をパクパクさせるだけだ。
「お迎え、そろそろ来てもおかしくないですね」
アルメニアは、シュンと項垂れて王役の人形を見つめた。
「がっかりされないかしら?」
アルメニアは、はぁとまた息を吐いた。
「姫様にがっかりする王なら、こちらから願い下げですよ」
メリッサには珍しく鼻息荒い。
アルメニアは照れ笑いしながら、『それもそうね』と同意した。
音花火が上がる。
森の入口で、ウルとレンジの模擬戦が始まった。
ちょっと遠くから聞こえる歓声を耳にしながら、アルメニアとメリッサはステージで人形劇の準備を始める。
「人が分散されて、準備がしやすいですね」
メリッサが人形劇の台を組み立てながら言った。
「そうね。今のうちに準備しておきましょう」
アルメニアは幕を取り出し、バサバサと埃を払う。
今日の人形劇は、アルメニア本人が人形を操り上演する。ベネーラの町では、アルメニア人形が上演した。つまり、アルメニアがアルメニア人形を操り上演したのだ。
人形が人形を操るというおかしな具合だったが、アルメニアの本来の目的が達成できた。
「影武者の練習はもうできたし、今日は私が」
そう言って、アルメニアは指でハープを奏でるように人形達を動かす。糸もないのに、人形が踊り出す。
「姫様、人目を気にしてください」
メリッサがステージのアルメニアを隠すように遮る。
いくら少ないといっても人の目があるところだ。
「幕内でしたわよ。見えはしないわ」
アルメニアは指を止め、辺りを見回した。
ステージを凝視する者はいない。
「人形に操り糸を装備します」
メリッサが素早く操り人形の体に仕立てた。
「少しの間、我慢してね」
アルメニアは人形達に囁いた。
そこで、ゼッペルが現れる。
「姫様、背景を持ってきた。まだ、完全に乾いてないから気をつけてくれ。上演までには乾くさ。それと、これが頼まれた森の枝だ。森のライトアップのおかげで良い絵が描けた」
アルメニアは幕内から顔を出し、背景と枝を受け取った。
「ありがとう、ゼッペルさん。急遽の仕事で悪かったわね」
「いや、仕事はありがたい。以後も、ご贔屓に」
ゼッペルがニッと笑った。
メリッサがすかさずゼッペルにお金を支払う。
ゼッペルが懐に仕舞うのを見届けてアルメニアは問う。
「ねえ、マルコは?」
「ああ、似顔絵店番中だ」
本当は二人で通りに似顔絵の出し物予定だったが、ゼッペルはアルメニアの人形劇の背景画を依頼されて、描いていたのだ。
「いい腕試しになるだろう」
「マルコにも私の似顔絵描いてもらおうかしら」
アルメニアはゼッペルに描いてもらった似顔絵を思い出しながら言った。
「まだ、上っ面しか描けないと思うがな」
「その上っ面が、姫様の強みですので」
ここでも、メリッサがすかさず返す。
「そうだな、姫様なのに行商人やら人形劇やら、果てはギルドの受付嬢になろうとしていることを、描くのは難しいものだ」
「姫様を余すところなく描ける者など居りません」
アルメニアが口を挟もうにも、やはりメリッサが一寸早く答えるのだ。
「ああ、私も快活な村娘を描いた。いや、快活でなく目を輝かせ、初めての町を見る子どものような……そんなキラキラした夢と希望の顔。それでいて、少し躊躇しているような……そう、一張羅を着たひとときのような浮き立つ心と、日常へ戻ることを知っている顔」
アルメニアは少しだけ眉を寄せた。
「お日様の下、全力で遊んだ後の、もうお帰りと言われているような夕暮れを背にした顔かしら?」
アルメニアは穏やかに言った。
ゼッペルが小さく頷く。
「人は、たった一面だけではないから。常に複数の顔があり、それを描けるようにならねば、絵師ではない。いや、一面のみを強烈に描くことができることも、絵師たる実力になる」
「深いのね、絵師も」
アルメニアはフッと笑んだ。
「音花火が上がったら、また来る」
ゼッペルが再生通りへと踵を返した。
「絵師って、やっぱりすごいわ」
「いいえ、ゼッペルさんが本物の絵師なのです」
メリッサの言葉に、アルメニアは『そうね』とゼッペルの背中を見ながら言った。
人形劇の準備が終わり、アルメニアはウルとレンジの模擬戦を観戦しに向かった。
レンジの放つ連射矢をウルが双剣で弾く見応えある模擬戦は、ラレーヌでも有名だ。
時折、ウルに弾かれた矢がレンジに向かう。ウルの剣裁きの成せる技である。その矢の軌跡とかち合わせるように、レンジの連射矢が放たれる。
相打ちになった矢が、地面に落ちると観客から歓声が上がった。
「やっぱり、二人の模擬戦は盛り上がるわ」
アルメニアは模擬戦を遠巻きに見ながら、森へと入っていく。メリッサは腕の中だ。
「ちょっとだけ、静けさを感じたいのよ」
アルメニアは呟いた。
『罪人の森』として管理されていた名残で、森の入口からは整地された道が続いている。最初の草原までは整備されているのだ。祭り飾りの灯りが、森を幻想的に変えていた。これも、『罪人の森』のイメージを無くす一環でライトアップされている。
ゼッペルが描いたのはそんな森である。
『王太子の花園』のヒロインは妖精の森からやって来た姫君だからだ。
そんな幻想的な森に、少し前までは人も居たのだが、模擬戦が始まると同時に居なくなったようだ。
アルメニアは、先に進んだ。次第に視界が開けていく。アルメニアの大好きな草原が目前に広がった。
足首程度の草原で、中ごろまで進むと小川が流れている。そこに空が映り、夜には『星の川』が見られる。見上げぬ星空を見られるのだ。
アルメニアは、クランベルトの送った手紙を思い出す。あのときは満点の星空しか知らなかった。村長に『星の川』を教えてもらったのはつい最近だ。
「すごい! 本当に『星の川』だわ」
アルメニアの声が草原に響いた。
キラキラの星の川をしゃがんで見つめる。アルメニアはソッと手を入れる。
「冷たい」
手はまだ川の中のまま、波紋が収まるのを待つ。
次第に手のひらに星が戻ってくる。
「手の中のお星様……」
アルメニアはまたソッと手を引いていく。波紋と同時に明るさが消えた。雲が月を隠したのだろう。
今度は、上を見上げる。
「え?」
見上げたそこに人影。月を背にしたその顔は暗くてあまり見えない。だが、男性であることは分かった。
「……お前、誰だ?」
突然の遭遇と問いに、アルメニアの思考は一瞬停止した。
それから、男の問いが頭を駆け抜ける。
『私は……誰?』
普通、誰だと問われれば、名を告げたりするものだ。しかし、アルメニアは自身に問いかける。
姫であり、聖女であり、王妃に乞われた者? 今の私は何者かしら? 名に頼らず言い表せる何かをアルメニアは持っていない。つい最近したウルとの会話を思い出す。今の私は、唯一の私である時間を過ごしている。
『私は、誰だろう?』
見知らぬ男の問いがアルメニアの思考を迷宮に誘った。
そして、アルメニアは答える。
「私は、生き物です」
それは、無意識の返しだった。
「い、いき、ものだと?」
男の困惑の声に、アルメニアはハッとした。バッと立ち上がる。
「あ、あの!」
男と視線が合う。
『この人だ』
直感がアルメニアの認識よりも先に応える。
息をヒュッと吸い込んだ。心臓がトクトクと主張し出す。そして最初に思った感情は、『どうしよう』だった。
「さ、さ、さ、さ、さようならぁぁ」
アルメニアは踵を返し駆け出した。火照った頬を夜風が撫でる。
「お、おい!?」
夜風が頬を冷やすより先に、男の声がアルメニアの火照りを再燃させた。
だが、追いかけてくる気配はない。
アルメニアはそれでも、逃げるように走った。
『どうしよう』
心の中で、理由の分からない感情がムクムクと起き上がる。アルメニアは混乱していた。
ステージの内幕に滑り込み、しゃがみ込む。
「メリッサ」
ソッと腕の中の人形を離すと、メリッサがそこに現れる。
「姫様、どうしたのです?」
「どうしよう!」
「何がどうしようなのです?」
そこでやっと、アルメニアはなぜ『どうしよう』なのかを考える。
「だって、この人だと思っ……、私は王妃になるのに、あの人に……」
アルメニアは、胸に手を当てた。初めての感情の意味を、アルメニアはまだ言葉にできない。だが、心はもう気付いている。
アルメニア自身が、それを自覚しないように防御した。
クランベルトの姿絵を思い出す。アルメニアは大きく深呼吸した。
「私ったら、馬鹿ね。ちょっと、びっくりしただけよ」
決して、惹かれてなんかいないわ、無自覚に心の中で呟いた。その呟きに、アルメニアはハッとする。そして、また自覚から目を背けるように頭を横に振る。
「森が、草原が、星の川が……素敵すぎたのよ。だから、雰囲気に呑まれただけ」
アルメニアは、逃げてきた森に視線を移す。
「祭りの魅惑なのよ、きっと」
呟きを残し、アルメニアは森から目を背けた。
次回更新→5/17(日)予定




