王妃様は冒険を始めます
「まあ……」
返答なのか、感嘆なのか分からぬ声の持ち主は、アルメニア・ラレーヌである。
その後に続く言葉を、頭を九十度に下げた役人がただひたすら待っている。
その間にも、王城の門前ではてんやわんやの騒ぎで溢れかえっていた。
「……そうですの」
アルメニアはのんびりと答える。
役人の言葉は、本来対応する侍女から伝えられるはずだ。
しかし、人ひとり分の距離の会話など筒抜けで、侍女が振り返った時には、馬車内のアルメニアが返答してしまっていた。
「大変、大変申し訳ありませんが、ご入城は後日に願えませんでしょうか?」
役人が再度言い募りながら侍女を窺うも、その視線は奥にいるアルメニアに向いている。
「ええ、よろしくてよ」
素早い返答である。
役人は予想していた返答と違ったことで、ポカンとしていた。
周辺では、『我が国を愚弄しているのか!?』やら、『さっさと入れろ!』など怒号が飛び交っている。これが、通常の返答なのだろう。
……事の始まりは、ベラクルス国王クランベルトの泥酔が発端だ。
各国の要人を招いた立太子を祝う夜会で、『私は引退したいのだ』と叫び、王太子となった嫡男に『さっさと結婚しろ』と続け、最後には『私も再婚したい』とさめざめと溢したのだ。
現在三十五歳の若き王は、十年前に王妃を亡くして以来独り身を通してきた。
クランベルトは十九で結婚し、翌年には嫡男が生まれ、その三年後、六年後にと続けて男児を授かったのだが、天は代わりになのか、妃と先王を次々に召したのだ。
王太子は現在十五歳になる。つまり、そろそろ婚約者捜しを始めねばならぬ年齢だ。その事が頭にあったのだろう王の発言であった。
これが身近な者だけの酒宴の場なら良かったのだが、王は夜会の場でやらかした。それも……『王太子のために、どんどんわんさか才女を寄越せ!』と杯を掲げ、高らかに告げるという失態付きで。
誰もが、王の泥酔での戯れ言だと理解していたが、各国の要人らがこの機会を逃すはずもなく、『王の言葉』は忠実に国々に伝えられ、城門前のこの惨状となったわけだ。
ベラクルス国に次々と自称才女達が押し寄せているという惨状に。
せめて、王が才女でなく、姫と限定してくれていたならまだ良かったのだ。それなら、押し寄せる人数も抑えられただろう。だが、『王の言葉』は忠実に伝わりすぎた。そこにつけ込んで、いや夢を持ち、王城に身分年齢構わず自称才女達が連日連夜集結していた。
「大変ね、すごい隈ができているわ。休みも取れないほどなのね。ご苦労のほどお察ししますわ」
アルメニアの労いの言葉は、役人の目に涙を浮かべるには十分であった。
それほどまでに、過酷な対応が続いていたのだ。労いの言葉なく、辛辣な罵声しか下っ端の役人にはかけられない。
「あ、ありがとう、ございます」
役人が感極まって、声を震わせている。
「おい!」
その役人に、高圧的な声がかかる。
アルメニアの馬車の後ろで待機していた一行からだ。
「さっさとしろ!」
アルメニアはカーテン越しに、チラリと背後を窺った。
「あれは……確か、海洋国ミンネの馬車ね」
馬車の紋章だけで判断できた。
「しょ、少々お待ちくださいませ」
役人が慌てて、ミンネ国の一行に声をかける。それから、忙しなく台帳を開きペンを握った。
アルメニアは侍女に合図を送る。
「ラレーヌ国、アルメニア姫様にございます」
侍女の言葉を受け、役人が復唱しながら台帳に記していく。
「王都の宿屋ももういっぱいですので、郊外の宿屋をご案内致します。入城の日取りが決まり次第お知らせ致します。本日は、身上書の提出で受付が完了となります」
役人が別の台帳を開いて、宿屋の空きを確認している。
アルメニアは首を横に振った。そして、侍女にコソコソ告げて役人へと促した。
「ベラクルスを見聞して回ってきますので、宿屋の手配は不要です。身上書はすでに使者が提出済みよ」
役人が顔を上げ、目をパチクリとさせている。
「姫様は、クランベルト陛下に乞われ『王妃』になられるお方ですので、ベラクルスを見て回られるそうですわ」
「ふへっ!?」
役人が侍女からアルメニアへとバッと頭を動かす。
役人の素っ頓狂な返答と素早い頭の動きに、アルメニアはクスリと笑った。
「出してちょうだい」
アルメニアの命を受け、馬車が方向を変える。
「この騒ぎが鎮静した頃にまた来ますわ!」
アルメニアは役人に手を振った。
馬車の疾走が、アルメニアの優しいクリーム色の髪を踊らせる。淡い桃色の瞳に、役人の姿はすぐに映らなくなった。
追いかけようとする役人に、ミンネ国の馬車が行く手を阻んだからだ。
「クランベルト様によろしくー」
アルメニアの声は、きっと喧騒に紛れてしまったであろう。
馬車が、どんどん王城から離れていったのだった。
ベラクルス王都の入口に、変わった馬車が三台並んでいる。
箱馬車と上品で綺麗な幌馬車。この二台なら一風変わった馬車ではない。
しかし、残る一台は真っ黒なボディをした厳つい異様な馬車であった。黒であるのは鉄鋼馬車だからだ。加えて、そのフォルムは、囚人でも運ぶような鉄格子の小窓しかない四角い巨大な鉄の塊である。
その迫力にベラクルスの民らが遠巻きに見ている。
箱馬車から、アルメニアは軽やかに下りた。
「お待たせ」
アルメニアは、迎える者らに軽い口調で告げる。
「……なぜ、戻ってきたのです?」
細目を向けて、アルメニアに問うたのは大柄な男だ。
「ウル、そんなに睨まないでよ」
アルメニアにウルと呼ばれた大男は、長い真っ青な髪を馬の尻尾のように後ろに高く結わえている。戦の最中かと思われるような甲冑を軽装の如く着こなす男だ。鉄鋼馬車を操る御者であり、当然武官でもある。
「そうだぞ、ウル。ここはにこやかに訊くものだ。姫様、なぜのこのこお戻りに?」
「にこやかなのに、言葉はウルより酷いわよ、レンジ」
レンジと呼ばれる男もウル同様に大柄な男である。ウルとは対照的と言うべきか、茜色の髪がツンツンと八方に伸びているが、剛毛なのか重力に反している。爆発したような髪型だ。こちらもウル同様に甲冑を身に着けているが、見るからに重厚でその内側の肢体が筋肉の塊であろうことは予想できる。
ウルと同様に、鉄鋼馬車要員だ。たった二人だけの要員になるが。
「仕方ないでしょ。『王太子のハーレム』に紛れたくないの」
「その『王太子のハーレム』を見たいからと言って、止めるのも聞かず出立したのは誰でしたか?」
『ベラクルス国王の泥酔事件』は、『王太子のハーレム』との観劇演目で爆発的に拡散されている。
ウルがまた細目をアルメニアに向けた。その青く冷たい瞳から、ラレーヌ国では『氷の双剣士』とも呼ばれている。
ウルの背には長い剣が二本携えられている。長い故、腰に下げられない代物だ。
「ええ、だから見学して戻ってきたの。すごい人だかりだったわ。完全にハーレムに突き進んでいるわね」
アルメニア一行も、その観劇を数回見ている。面白い展開に加え、劇は完結しないで終わるのだ。『今後の展開はいかに!?』との垂れ幕がかかり、次回の上演日時が発表される。
全くもって足を運ばざるを得ない。その後の展開が気になって仕方がないからだ。
「相変わらずな姫様だな。それで、これからどうするのさ?」
レンジが呆れながらも、楽しげに訊いた。好奇心が現れたような瞳は、髪と同様に茜の色彩で、『陽の弓士』と呼ばれていた。
こちらは、その呼び名にあるように弓を背負っている。しかし、一般的な弓でなく、一度に五本の矢を放てる連射弓だ。腰には剣を携える如く矢筒が左右にあった。弓士の様相としては規格外である。
「ハーレム騒動が終わるまでは、ベラクルスを見聞して回るのよ」
ウルとレンジが顔を見合わせる。
レンジが肩を竦めた。ウルに任せたと言わんばかりだ。
そうなると、やはりウルが口を開くしかない。
「それは、つまり姫様の長年の夢……」
「ええ、『冒険』を始めるのよ!」
次回更新→明日5/4(月)予定