野花だって美しい
「作ちゃん、付いてるよ」
柔く笑った男は、繊細な手付きでボクの髪に触れ、離れていく。
はい、と手渡された薄桃色の花弁を見下ろし「有難う」お礼を告げて、その花弁を懐に仕舞い込んだ。
***
高校を卒業したところで大学へ進めば、成人したところで学生だ。
学生という肩書きに甘んじて、ボクは日々怠惰に過ごしている。
一応大学ではサークルにも入っているが、ぶっちゃけ活動に興味はない。
興味があったのはそのサークルの部室にある本だ。
提出したレポートに花丸まで書いて貰ったボクは、若干いつもより元気に部室へ向かう。
今回レポートを提出した教授は、人間性的に好ましく、授業内容も分かり易い上に興味を引くから面白い。
授業終わりにもあれはこれはそれは、と問い詰めるボクに対して教授も興味を抱いたのか、何かと良くしてくれる上にレポートに大きな花丸を書いてくれる。
いくつになっても、褒められたり認められたりするのは、何だかんだで嬉しいものだ。
そんなホクホクとしたホットスナックの如き心持ちで部室の扉を開け、ザッという音と共に視界いっぱいの赤色に萎える。
ホットスナックが、水溜まりに落ちた気分だ。
「……何、ですか」
ぐい、と目の前の赤を手で避ける。
鼻腔を擽る甘ったるくも粉っぽい香りは、その赤から放たれるものだった。
ガサリと紙の音を立てたそれは、赤い薔薇の花束だ。
それを目にして薔薇の値段と見える本数を掛け算しようとするのは、花束という概念の薄い庶民的な頭だからか。
「作間くん!」
花束の持ち主は、サークルの先輩だ。
色素を無理矢理抜いたような安っぽい茶髪が、生まれ付き色素の薄い茶髪に見慣れたボクには違和感しかない。
だからと言って、本人に言えるはずもなく言葉を飲み下し、はい?と眉を寄せながら返事をする。
「これを君に」
「何でですか」
押し付けられそうになった花束を、紙一重で交わせば、部室内にいた他の部員と目が合う。
先輩に同輩、いるにはいるが全員が神妙な面持ちで、若干哀れみを乗せた目の色だ。
「君は花が好きだろう?」
「まあ、嫌いではないですね。寧ろ好きです」
再度押し付けられそうになって避ける。
「だから君に」
「……この部室って花瓶ありましたっけ」
「俺は君が好きだからこそ、この愛の象徴である赤い薔薇を」
「ボク彼氏いますしね」
押し付けられた花束を、強めの力で奪い取り、部室内にある机に置く。
溜息と共に吐き出した言葉に、先輩が間の抜けた声を上げるが、お目当ての本棚へ向かい、お目当ての本を抜き取る。
部室隅にいた部長へ「これ借りてって大丈夫ですか?」と問えば、顔色悪く頷く。
部室の空気全体が濁っているので、窓を開け、持ち出し了承を得た本を花束の横に置いた。
すると、横から白い無地の花瓶が差し出される。
「嗚呼、有難う」受け取れば、差し出していたのは同輩で、いつも恥ずかしそうに両手を遊ばせながら囁く程度の声量でしか喋ることの出来ない子だった。
おやまあ、と目を丸めたのも一瞬、直ぐに顔を逸らしてムーンウォークのように下がる。
部室の隅が定位置の部長に、極度の恥ずかしがり屋な同輩に、薔薇の花束を持ってくる奇特な先輩。
此処って文芸サークルだよなぁ、と内心で思いながら鞄から水の入ったペットボトルを取り出し、花瓶に注ぐ。
そして水を入れた花瓶に、花束を包装から取り出し突っ込めば任務完了だ。
綺麗な包装は綺麗に畳んでゴミ箱へ。
「じゃあ、ボク帰ります。お先です」
頭を軽く下げで部室を出る。
扉を閉めた瞬間に獣の咆哮のような声が聞こえたが、まあ、気のせいということで良いだろう。
***
「ってことがあったんだ」
リビングでソファーに座り込みながら、借りてきた本を開く。
返ってきたレポートを同棲している彼氏に見せて、今日あったこと報告をお互いにしていたが、レポートを捲る音が消えた。
「え、ごめん。それ詳しく」
「詳しくって言われても。今言ったので精一杯だよ。何か告白されたけど花束の衝撃強過ぎて何て言ったか覚えてない。けど、薔薇に罪はないから部室に飾っといたよ」
本に栞を挟みながら言えば、いつの間に買ったのか知らない大きな熊の縫いぐるみの足の間に座った彼氏が、形容し難い顔をする。
生まれ付き色素の薄い茶髪は、蛍光灯の光に当てられてキラキラと光った。
これが一番見慣れてるよなぁ、と手を伸ばせば、持っていた本を彼の足元に落としてしまう。
「あ、ごめん」
「ううん。大丈夫だけどページ開いちゃったよ」
開かさったページをそのままに差し出す彼だが、その本を持つ指の隙間から栞が抜け落ちる。
薄っぺらな栞は、まるで花弁のようにくるくると宙で踊り、毛の長いカーペットに落ちた。
「ページは覚えてるから」と言いながら栞を拾えば、何故か彼の手が栞を抜き取っていく。
あまりにも自然かつ無駄のない動作で、は、と間の抜けた声が漏れ出た。
「これ、俺見たことないやつだ」
「……嗚呼、まあ、ね。栞いっぱいあるし」
「でもこれ手造りだよね」
「昔銀杏の葉っぱとかで作ったことない?ボクはそっちも持ってるけど」
ほら返して、と手を伸ばすも、彼はそれを身を引きながら避ける。
一体何なのだ、眉を寄せれば栞を口元に当てた彼が、存外しっかりとした首を捻り、問う。
「どうせならバラも貰って、栞作ったりドライフラワーにすれば良かったのに」
作ちゃんなら作れるでしょう、なんて笑う彼に、ドライフラワーは作ったことがないので頷くに頷けない。
しかし、それはそれとして栞へと手を伸ばし、パシリと音を立てて奪い返す。
濃い茶混じりの瞳が丸くなり、得意気なボクの姿を映した。
「これは、特別なの。好きな人から貰ったから」
丸い目が更に丸くなる。
今にもポロリと落ちそうな目を見ながら、本も受け取り立ち上がるボク。
ボク渾身のレポートを投げ捨てるように、ボクを追い掛けて立ち上がる彼は、目に見えて慌てている。
色素の薄い癖のある髪を揺らした彼は、ちょ、ちょ、と言葉にならない声を上げ、ボクを捕まえようと手を伸ばした。
そんなことは予想済みのボクは、それを尻目に身を翻す。
本はやっぱり自分の部屋で読もう。
「作ちゃん!その話も詳しく!!」
「やーだ」
持っている栞を見下ろしながら、やはり得意気な顔で笑ってやる。
桜の花弁が二枚、まるで舞い落ちるように中央に配置し、隅にレースなども付けた手作りの栞。
花束よりも好ましいそれに笑い声を上げて、追い縋る声を掻き消した。