手がかり発見
マンションは大学から車で30分ほどのところにあった。マンションの入り口に引っ越し業者のトラックが停まっていた。警部はトラックの荷台から荷物を降ろしている男に声をかけて、簡単に事情を説明した。
「その子なら上にいますよ」
警部たちはエレベーターに乗って5階に向かう。5階で降りると、ドアの前で荷物を中に入れようとしている男がいた。
「ちょっとすみません、橋本さんですね」警部が声をかけると、男は警戒するような眼差しを向けた。
「はい、そうですけど」男は20代前半くらいで、背は低いががっちりした体格をしている。水色のシャツは汗で濡れていた。
警部はやってきた事情を説明した。警部が男の顔をよく見てみると、確かに見覚えのある顔だった。男はマッシュルームカットの髪をかきあげて額の汗を拭った。
「ぼくはあの時、部屋には入らなかったんですよ。部屋の中に荷物を入れてたのはモイさんです」
「その人は今どこにいますか?」
「ここにはいないし、たぶん会えないと思いますよ」
「どうして会えないんです?」
「つい2日くらい前に国に帰りましたから。なんか急にお金が手に入ったと言って、喜んで帰って行きました」
「小さくて黒いものをコンセントの中に取りつけたとか、そういうことは話してませんでしたか?」
「話してませんね」
警部が礼を言うと、男は作業に戻った。警部は携帯を出して再び派遣業者に電話した。モイという男の個人情報を聞くためだった。派遣業者はモイの個人情報を教えたが、付け加えて「たぶん、この個人情報はでたらめでしょうね」と言った。警部は礼を言って通話を切り、モイという男の携帯に電話をしたが、つながらなかった。控えたモイの住所を確認する。その住所は今いる場所から近くにある。
「ここに行ってみるか」
そこはマンションから20分のところにあった。住宅街だが、そこだけ空き地になっていた。
「やっぱりでたらめだったみたいですね」
「成瀬さんの考えてる通り、田伏が犯人なのか。この件は成瀬さんに任せるか」
捜査の線が途切れてしまったことで、意気消沈した2人は車に戻ろうとした。その時、警部の携帯が鳴った。星出鑑識官からだった。
「どうした?うん、そうか。じゃあデータを送ってくれ」
「なにか新しいことが分かったんですか?」
「これといって新情報はないが、正確な結果が出たからデータを送るって」
間もなく、桐生の持っているタブレットパソコンにデータが送信されてきた。警部の言うように、すでに知っていることがほとんどだったが、その中で桐生の目をひいたものがあった。
「楠さん、ちょっとこれを見てください」
「どれだ?」
「この部分なんですけど、被害者は死後、動かされた形跡があるみたいなんです」
警部はタブレットを覗きこむ。星出鑑識官の報告書によると、被害者は仰向けの状態からうつ伏せにされ、さらに倒れた場所から移動させられたということだった。
「たぶん、犯人が犯行の発覚を遅らせようとして、どこかに動かそうとでもしたんだろ」警部はそう解釈したが、一方、桐生はそれを見てから黙ったまま考えこんでいる。しばらく、うーんと言って考えていた桐生がようやく口を開いた。
「もし、そうだとすると。楠さん、もう一回、現場に行ってみませんか」
「何か分かったか?」
「あの被害者の指なんですけど」
「おまえはまだ、あのダイイングメッセージとかいうのにこだわってるのか」
「そうです」
警部はやれやれといった顔で車に乗り込んだ。
警部の運転する車が大学のキャンパスに着いたころには、辺りはすっかり暗くなっていて、学生の姿もほとんどなかった。2人が5号棟の前に歩いていくと、正面に人が立っているのが見えた。綾瀬だった。警部は綾瀬に、星出鑑識官の報告書の内容について電話で伝えていた。彼女は2人を見つけると、駆け寄ってきた。
「あの、実はお話してなかったことがあるんです」と切り出した。
警部は分かってますという感じでうなずいた。
「そうですか、とりあえず現場に行きましょう」
警部がエレベーターのボタンを押す。右側のエレベーターのドアが開いた。乗り込むと、桐生は先ほどと同じように、また鏡で寝ぐせを直そうとしたが、中には鏡がなかった。
「あれ?鏡がないんだ」
現場になった部屋に入ると綾瀬が切り出した。
「私、黙ってたことがあるんです。りんが倒れてるのを見つけて死んでるってわかった時、りんを動かしちゃったんです」
警部と桐生は想定済みといった表情だ。
「なぜそんなことをしたんです?」警部がたずねる。綾瀬は言いにくそうだったが、
「私が部屋に入ろうとして廊下を歩いていたら、田伏くんを見たんです。彼は私に気づかなかったらしく、そのまま隣りの部屋に入っていきました。部屋でりんの死体を見つけた時に、すぐに思ったのは田伏くんがやったんじゃないかってことでした。それでそんなに深い意味はなかったんですけど、死体をどこかに隠さなくちゃって思ったんです。そう思って、りんを引きずるように動かしてたら、廊下が騒がしくなって人が入ってきたので、動かすのをやめました」
警部はその告白を聞いても、以前としてなぜ動かしたのか疑問に思った。興味深そうに聞いていた桐生が綾瀬に向かって語りかけた。
「綾瀬さん、あなたは田伏くんをかばおうとしたんですね」
桐生の言葉に、綾瀬はゆっくりとうなずいた。警部も綾瀬の行動が理解できた。
「私、怖くなって、動かしたことを言えなくなっちゃって」
「本当のことを言ってくれてありがとうございます。そうすると、瀬戸さんは本当はどこに倒れてたんですか?」
綾瀬は部屋の中央から少し廊下側の方に歩いていった。
「この辺りです」
「どういうふうに倒れてたんですか?」
綾瀬は実際に床に寝そべって再現した。
「こんな感じです」
桐生は捜査資料と見比べる。
「腕とかの状態も同じですか?」
「はい」
「そうすると」そうつぶやきながら、桐生はまっすぐ奥の壁の方に歩いていく。壁まで来ると、壁の辺りを熱心に観察する。しばらく壁を見つめてから、
「楠さん、ちょっと来てください」と声をかけた。
「何か見つけたか」警部は小走りで桐生のもとに向かう。
「ここにテープの跡がついてるんです」
桐生の指さす場所を見ると、確かにテープの跡が残っていた。
「ここに何か貼ってあったんだろう」
「そうだと思います。綾瀬さん、ここに何が貼ってあったか分かりますか?」
綾瀬も壁際にやって来る。
「ここには学園祭のポスターが貼ってありました」
「そのポスターは今どこにあります?」
「ちょっと待っててください」綾瀬は部屋から出ていった。すぐに戻って来ると、手にはポスターを持っていた。
「これです」そう言って、丸められているポスターを広げる。それはこの大学の今年の学園祭のポスターだった。桐生はそのポスターを食い入るように見つめている。
「相棒、大学生活が恋しくなったか」警部はポスターにはそれほど興味を示していない。
ポスター上部には『桃色祭』と書いてある。たぶん、ピンクを大学のカラーにしていることからきているのだろう。中央には、学園祭に出演する予定の『パープルストーン』という4人組みのアーティストが写っている。下の方には学園祭の開催日の11月23、24、25日と書かれている。
「おまえはこいつらのファンなのか?」
警部の問いかけにも耳を貸さず、桐生は熱心にポスターを見続けている。『パープルストーン』は10代、20代に人気の男性3人、女性1人からなるバンドで、その奇抜なファッションや独特の音楽が特徴である。ボーカルをはじめ、他のメンバーも皆、個性的な装いで、服を後ろ前に着ているのは印象的だった。
桐生は一通り眺めてから、綾瀬にたずねた。
「ちょっとお聞きしたいんですけど、田伏さんや野口さん、それから須藤さんはパープルストーンのファンかどうかって分かります?」
「いえ、特にファンじゃないと思います。須藤さんなんて、誰それとか言ってました」
「あと、その3人の誕生日って分かります?」
「誕生日ですか」綾瀬は意外そうな顔をしながらもスマホで彼らの誕生日を確認する。田伏が6月20日、野口が2月8日、須藤が7月29日。
それを聞いてから桐生はまたポスターに視線を向ける。ポスターを見つめていた桐生が叫んだ。
「そうか、そういうことか。そうすると犯人は…」
「犯人が分かったのか?」警部も桐生の隣でポスターを見つめていた。
「はい、とりあえず下に降りましょう」
1階入り口まで来ると警部は、不安げな様子をしている綾瀬を帰した。それから2人は停めてある車に乗りこんだ。
「じゃあ犯人のもとに行きますか」桐生は綾瀬から聞いたある住所をナビにつげた。
「その住所はどこなんだ?」
「車の中でお話しします」