006
シンセロの前で、シンセロの姉のファーシルは、
今まで、シンセロにも見せなかった様な穏やかな微笑を見せ、
疑い方を知らない幼い子供の様にバンピーロを信じ、
バンピーロがその場にいる時も、居ない時も、
『にぃ~様・ピーロにぃ~様』と、バンピーロを呼んで慕っている。
今居る塔に連れて来られてから、
ずっと、ファーシルの行動に『解せぬ!』と、呟き続け、
バンピーロの事を必要以上に怪しんでいたシンセロは、
バンピーロが、ファーシルに接する時だけ、
瞳の色が黒から赤に変わる事に気付き、
「ねぇ~さんは、
催眠術か何かで、バンピーロに操られている」と、確信した。
それからの「この数日間」、
シンセロは、ファーシルを連れて逃げる為に、
何かしら理由を付けは、嘘を吐き、
蝙蝠達に自分達の荷物を少しづつ返して貰っている。
蝙蝠達では、直接触れる事も出来ないと言う。
聖水の入った瓶、銀製のナイフと、ゴールデンパイライトを諦め、
旅の支度が整った今日、
シンセロが『外の空気を吸いに行きたい!
窓の外に見える森に、ピクニックに連れてって欲しい』と、
勇気を出してバンピーロに言った言葉は、
シンセロが思っていたより、本当に簡単に受理された。
但し、受理され「いざ、ファーシルを連れて逃げよう!」と考え、
言い訳をして、寒さ対策の重装備、
来た時に持っていた食料入りの荷物を持ち、連れて行って貰った先は、
シンセロが想定していた範囲より、
大幅に外れた「月明かりも無い深夜の森の中」だった。
『あ~…そうですよねぇ~…バンパイア、ですもんねぇ~……。』
シンセロは、自分の考えの浅さに愕然とし、
除雪された場所にではなく、積もった雪に膝と突く。
そんなシンセロに対し、
ファーシルは『シンセロどうした?これって想定範囲じゃね?』と、
久し振りに、ネグリジェとローブ以外の物、
何時も通りのシンセロと御揃いの服を着た状態で、周囲を見渡した。
見回した周囲、焚き火に照らし出された木々の中には、
狼の群れの姿がちらほら見える。
ファーシルは狼を見付けて、冷や汗を掻き、息を飲む。
それから徐に、シンセロが頼んで返して貰い、
シンセロから渡されていたサバイバルナイフに手を掛けると、
『大丈夫、何も恐れる事は無いよ、
ホンブレ達は、ピクニックと言うモノを楽しむ為、
一緒に「バーベキュー」と言うモノをする為に、来ただけだから』と、
バンピーロは、ファーシルからナイフを取り上げ、
狼達に手招きをした。
狼の群れを引き連れ、除雪されたバーベキュー会場に
狼達の代表、灰色のウェアウルフが近付いて来ると、
ファーシルが、隠す事無く素直に殺気立つ。
一時的に、記憶の一部が消失し、不安に苛まれて、トラウマになり、
記憶が戻った今でも、犬系の生き物が嫌いになっているファーシルは、
バンピーロの背中にしがみ付き、
「それ以上近付いて来たら殺す!」と言う雰囲気を醸し出している。
殺意の有る強い気迫に、狼側の気の弱い者達が後ずさる。
『バンピーロ、そのお譲ちゃんは家に帰らせた方が良くないか?
俺の所にも、怖がらせると殺気立つのは居るけど、
此処まで、好戦的になるのはいないぞ』と、
ホンブレは溜息を吐き、
『そのままだと精神的に擦り切れて、倒れるんじゃないか?』と、
苦笑いを浮かべ、同族の野良を心配する感覚でファーシルを心配し、
バンピーロの後ろに隠れているファーシルを覗き込んだ。
ファーシルはホンブレと目が合い、目を逸らす事無く、
強く睨み返す。
「うぅ~わぁ~…嫌われてるなぁ~……。今、目を逸らしたら、
野生動物みたいに襲い掛かって来るんじゃね?」と、
ホンブレが、そんな不安を感じていると、
バンピーロがファーシル髪を撫で、『私の眼を見て』と囁き、
ファーシルの軽く頭を押さえ、顔を自分に向けさせ眼を見て、
『私が一緒にいるんだから、大丈夫』とだけ、
バンピーロが微笑みながら言った。
それだけで、ファーシルは気持ちを静め、大人しくなる。
余りにも早い、ファーシルの様変わりに、
ホンブレが、感嘆の声を上げ『流石、バンパイヤだな』と零した。
だが、しかし・・・
ファーシルは大人しくなったが、
その背後で、シンセロが殺気立っていた。
ファーシルの気迫の影に隠れて、
存在感が薄れていたシンセロからバンピーロへの殺気に、
周囲が気付き、沈黙する。
『おいおい、この姉弟どうなってんだ?』とホンブレからの疑問。
『姉のファーシルを簡易的に支配下に置いたら、
ファーシルの弟のシンセロが、その事を許してくれなくてね、
ガートネグロが私の影の中から出て、監視してない限り、
私を嫌って、視線で刺し殺す勢いで睨んで来るんだよ』と、
バンピーロが軽く笑う。
『色々な意味で、駄目だろそれ!』と言うホンブレの突っ込みに、
狼達と、空を舞う蝙蝠達が、2度、同じ様に頷いた。
のだが、狼と蝙蝠達の頷いた理由は、少しばかり違うらしく、
『そうです!そうなんです!我が主に、殺気を向ける愚行は、
許し難き事!でも、シンセロは、カワユイですのじゃ!』
『そう!カワユスですじゃ!』
『シンセロ!カワユキ、オノコ!愛しいのです!』と、
蝙蝠達は口々に小鳥の様に囀り、シンセロの周囲を飛び回る。
そんな蝙蝠に対し、シンセロが怯え、
バンピーロにくっ付くファーシルの所まで駆け寄りながら、
バンピーロに対して、何か言いたげに眼差しを向けてから、
『ねぇ~さん、2人で話がしたい。僕と一緒に来てよ』と
ファーシルの服の裾を引き、ファーシルの意識を自分に向けた。
何となく、何となくなのだが、
その場にいる者達の心をほっこりさせる微笑ましい光景。
狼達も、蝙蝠達と近い気持ちになったらしく、
皆が皆、ファーシルとシンセロを眺めて小さく笑う。
ファーシルは『あぁ~はいはい』とシンセロに向き直り、振り返って、
『ピーロにぃ~様、弟とちょっとお話してきます。』と言ってから、
バンピーロから離れ、シンセロと一緒に狼達の輪からも離れ、
森の中、誰も居ない場所へと移動した。
『で?どうしたシンセロ?話って何だ?』
バンピーロから離れて、何時もの口調に戻ったファーシルに対し、
シンセロは安心したかの様に息を吐き、
今、「ねぇ~さんは操られてるんだ」とか言って、
バンピーロを批判したら、
「ねぇ~さんは、僕を信じてくれるんだろうか?」と言う不安。
明らかに操られている人が、操られている事を受け入れない場合の、
拒否反応を考え、言葉を詰まらせる。
シンセロは頭に浮かんだ最悪な答えを回避する為に考え、
『そろそろ、子供等との約束を果たす為に、
冬の女王が滞在している塔に行こう!行って、春にして貰おう』と、
ファーシルの手を取る。
『あ…そうだな……。何でか忘れてたわ、それ!今から行こう!』と、
ファーシルは、今までの事が何も無かったかの様に歩き出した。
その頃、バンピーロはファーシルが戻ってくる事を疑いもせず。
ホンブレと、バーベキューの準備をするウェアウルフ、
人型に化けたゴスロリファッションの蝙蝠娘達の姿を眺めていた。
『所でさぁ~……。あの2人、行かせて大丈夫だったのか?』
『え?何で?』
『昔、「ネコ科の瞳を持った。
近所に住んでた筈の何処かの金持ちの隠し子らしき幼女が、
使用人諸共、姿を消したから、探し出して欲しい。」って、
家に来た事あったろう?』
『あぁ~、ペサディリャかぁ~…懐かしいなぁ~……。
もし生きていたら、ファーシルぐらいの年齢になっているだろうけど、
ペサディリャの瞳とファーシルの瞳は作りが違うし、
ペサディリャの髪は亜麻色一色で、
ファーシルみたいに、茶虎みたいな模様は無いよ?』
『そうだな、でも、今回は、その事と違うくて、
ファーシルとシンセロって名前だっけか?あの2人、
獣人としての要素は、茶虎猫みたいな色合いと模様の髪だけだけど、
あれって、分類上、ウェアキャットになるんじゃないのか?
猫しかいないよな?あの毛の色合い、
猫は、室内飼いにした方が良くないか?猫にも帰巣本能はあるけど、
猫は気紛れで、日和見だから、見かけの要素は少なくても、
猫らしく気ままに遊びに出かけて、戻ってこないかもしれないぞ?』
『え?まさか、そんな事って』
ホンブレの危惧した通り、あったりしたのであった。